その340 メス豚と監督官
私が町の人達からの差し入れを良く味わいながら食べていると、大きな音を立ててドアが開かれた。
すわっ! 何事?!
ビクッとして顔を上げると、そこにはクロコパトラ歩兵中隊の大男、カルネが立っていた。
「おい、クロ子! ――って、お前まだ食ってんのかよ?! それどころじゃねえぞ! この町に大モルト軍のヤツらが向かっているんだ!」
私はしゃぶっていた骨を、カルネに向けて『プッ!』っと飛ばした。
「わっ! クロ子テメエ、何しやがる!」
『さっきからうっさい! で? 大モルト軍が来たからってどうだってんのよ?』
この国は既に大モルト軍に敗れて彼らの占領下に入っている。
大モルト軍が来たからと言って、今更別に大騒ぎするような理由はないのだ。
「あれ? そういやそうだな。なあ? 俺は何でこんなに慌ててたんだ?」
いや、そんなの私が知る訳ないでしょうが。
カルネは少し考えると、「それはいいや」とあっさり切り替えた。
いいのかよ。
「それよりクロ子。屋敷の執事? だっけかが、お前に話があるってよ。ホラ行くぞ」
カルネはそう言うと、私の返事も待たずにベッド代わりの籐製のカゴを担ぎ上げた。
おい、コラ! お前勝手に・・・って、まあいいか。
私は天空竜の落雷の魔法を食らって負傷している。
落雷のダメージはほとんどを水母が引き受けてくれたが、火傷のせいであちこち毛が抜けてまだらハゲになっている。
ぶっちゃけ自分で歩くのは、まだおっくうなのだ。
運んでくれるなら文句は言うまい。良きに計らえ。
私はカルネに運ばれながら大きなゲップをするのだった。
執事の所に着くと、彼はアタフタと慌てていた。
お前もかい。
彼は私の入ったカゴを抱えたカルネを見て、怪訝な表情を浮かべた。
「何をしているんだ? 私は至急、女王の代理を呼んで来るように言ったはずだが?」
カルネが妙に慌ててたのはコイツのせいか。それはさておき女王の代理? あ~ハイハイ、クロコパトラ女王の巫女ヒミコの事ね。
ヒミコは私の第三のアバターだが、今は水母がいないので再現出来ない。
いささか不安はあるが、ここはカルネを信じて通訳を任せるしかないだろう。
私がそうカルネに言う前に、彼は執事の言葉に答えていた。
コラ。お前また勝手に。
「それなら大丈夫だ! コイツはクロコパトラだから――イテッ! なんだよクロ子!」
早速これかよ! 私は後ろ足でカルネのお腹に思いっきり蹴りを叩き込んだ。
カルネ、テメエ今、何を口走ろうとしやがった! クロコパトラ女王の正体が私というのは、隊員以外には絶対に秘密だと言っといただろうが!
彼は痛みにムッとしたようたが、私に睨み付けられると自分の失言に気付いたようだ。
慌てて言葉を続けて誤魔化した。
「・・・ああ、え~と、そうそう。クロコパトラじゃねえぞ。クロコパトラ女王の使い魔だ。だからコイツに言えばクロコパトラ女王にも伝わるから何も問題ないんだ。だよなっ?」
だよなっ? じゃないよ全く。
屋敷の執事はウンタの説明に一応納得してくれたようだった。
「使い魔? その子豚が? い、いや、強力な魔法を使う女王なら、そのような存在を使役していても不思議はないのかもしれんが」
「ブヒブヒ。ブヒブヒ」
「ん? おお。ええと、ヒミコは女王の呼び出しを受けて、メラサニ山に戻ったんだと。だから自分が代わりに話を聞いてやる、って言ってるぞ」
「女一人をメラサニ山まで戻したのか?! なんてムチャな事を!」
カルネの説明にギョッと目を剥く執事。
しまったな、今のはヒミコを呼べない理由を適当にでっち上げただけなんだが、彼の中ではクロコパトラ女王の巫女の労働環境は、ブラック企業並みの厳しさと受け止められてしまったようだ。
「ブヒブヒ。ブヒブヒ」
「それはいいからヒミコに何の用だ? だってさ。てかさっきから何だよクロ子。俺に通訳させやがって。自分で喋ればいいだろうが」
アホか。それが出来れば最初からやってるっての。
人間の体内には魔法を使うための必須器官、”魔核”が存在しない。
だから彼らは翻訳の魔法が使えない。つまり私の言葉はどんなに頑張っても、ブヒブヒという豚の鳴き声にしか聞こえないのである。
「あ~、そういやそうだっけ」
「それなんだが、実は先程、大モルト軍からの先駆けがやって来て――」
執事は慌てて事情を説明してくれた。
彼の話によると現在、約千の大モルト軍の部隊がこのランツィの町を目指しているそうだ。
一つの部隊にしては随分と少人数だな。などとと思ったが、この地は隣国ヒッテル王国との国境地帯。
あまり大軍で移動すれば、ヒッテル王国を無意味に刺激してしまう、という判断なのだろう。
それより問題はその部隊の指揮官だ。
部隊を率いているのは、大モルト軍がこの町に派遣する監督官なんだそうだ。
監督官とは、要は監督する職権を有する役人の事だが、これを文字通りに受け取る者はこの屋敷にはいなかった。
なにせ大モルト軍は占領軍。そこから派遣される監督官ともなれば、実質、町の新たな支配者と言ってもいいだろう。
なる程。執事がうろたえている訳である。
で、だ。その部隊の先駆けが、つい先ほどこの町に到着した。
使者は町の様子を見て驚いた。
それはそうだろう。城壁の一部は破壊され、いくつもの家が焼かれているのだ。
城壁を壊したのはお前だろうって? まあ、今はその話はいいじゃないか。
使者の男は、これは一大事と、慌てて代官の屋敷までやって来た。
すると代官の屋敷まで(一部とはいえ)壊されているではないか。
使用人を捕まえて話を聞くと、なんと代官は死亡したという。
使者は血相を変えて屋敷の代表者に――つまりはこの執事にだな――詰め寄った。
執事は彼に昨日起きた事件を、詳しく説明したのだった。
「なる程。その大モルト軍からの使者ってのが、俺達からも直接話を聞きたいと言い出したんだな」
カルネは納得したように頷いたが、お前、本当に分かってるのか?
それはそうと、どうりで執事が焦っている訳だ。なにせ大モルト軍の使者を待たせているんだからな。
彼としては気が気でないのも当然だ。
天空竜との戦いで何があったのかは、クロコパトラ歩兵中隊の副官ウンタから、執事に伝えて貰っている。
とはいえ、使者としては当事者である我々の口からも事情を聞いておきたいのだろう。
私達としてはそのこと自体は別に問題はない。
もう一度同じ話を、私のフォロー込みですればいいだけの事だからだ。
ただ一つ気になるのは、落ち着きのあるウンタではなく、うっかり者でお調子者のカルネにそれが出来るか、という点なのだが・・・
「ん? お前達、そんな所で何をやっているんだ?」
『おっウンタ、ナイスタイミング。いい所に来てくれたわね。ちょっと私に付き合ってくんない?』
「・・・何だ? 俺に何か用があるのか?」
しかしそれも、たまたま通りかかったウンタをキャッチした事で、無事解決。
ウンタは妙に警戒しながらも、快く? 私に協力してくれたのだった。
さて、それから二日後。
屋敷の執事は使用人達を連れ、町の守備隊と共に、大モルト軍を出迎えるために町の西門へと出向いていた。
『う~、寒い寒い。大モルト軍も早く来てくれればいいのに』
私はすっかり居心地の良い寝床となった籐製のカゴの中で、ブルリと震えると毛布にくるまった。
この二日で抜け毛は収まったが、流石に火傷を負った皮膚までは治っていない。
おかげで今の私は相変わらずのまだらハゲ状態。
体の半分程は毛の無いむき出しの状態なので、冬の寒さが殊更に身に染みるのである。
「何で俺達まで一緒に出迎えに出なきゃいけねえんだ? 監督官ってのは、この町の代官みたいなヤツなんだろ? 俺達はこの町とは無関係じゃねえか」
大男カルネがブツブツと文句を言った。
『それは昨日説明したでしょ。今日来る監督官は大モルト軍から派遣されたって。監督官は立場の上ではこの町の役人だけど、実質、大モルト軍の指揮官からこの辺の土地の支配を任されている可能性があるのよ。つまりは私らにとっても決して無視出来ない相手って訳。てか、大モルト軍の役人がやって来るのを知ってて、無視して村に帰るなんて出来るはずないでしょうが』
正直、私だって面倒臭いとは思っている。だが、これが政治というものだ。
政治というのは顔を売ってナンボの世界なんだよ。
実際、役人でも何でもない、町の各種ギルドの代表もこの場に集まっている。
彼らも新たな支配者に顔を売るために来たのだ。
ああ、あそこで全身でキラキラと陽光を反射しているのは例のメス豚夫人だな。どこにいても分かりやすいキャラだこと。
「おい、来たみたいだぞ」
ざわめきが広がると共に、街道の先に砂煙が上がった。
いよいよ大モルト軍のご到着だ。
砂煙はみるみるうちに大きくなると、すぐに兵士の姿も確認出来るようになった。
遠くで男の号令が響くと、彼らの動きが止まった。
そのまま待つ事しばらく。
隊列が割れると、十騎程の騎馬武者に護衛された馬車が一台。こちらに近付いて来た。
どうやらあれに監督官が乗っているらしい。
『さて、どんな人物が来るのやら。まさか我々を王都まで案内してくれたちょび髭貴族だったりはしないわよね?』
「ちょび髭貴族? ああ。確かガルメリーノ・ガナビーナだったか?」
そうそう。そんな名前のヤツ。
もし彼なら、まんざら知らない仲でもないし、今後こちらとしてもやりやすいんだが・・・。
我々が固唾をのんで見守る中、馬車はゆっくりと停まった。
若い従者が素早く御者台から飛び降りると恭しくドアを開く。
そのまま中の人物に手を貸そうと手を差し伸べたが、「いらん。俺をケガ人扱いするな」と断られると慌てて引き下がった。
今のが監督官の声? 予想よりも随分と若いんだけど。
あれ? けど今の声、どこかで聞いた事があるような・・・
ギシッ。
馬車の軋む音と共に姿を現したのは、日本で言えばまだ高校生くらいの男子だった。
ツンと跳ねたくせ毛。気の強さがにじみ出ている整った顔立ち。
隙の無い佇まいは、一流の武人ならではのものだろう。
顔色が悪いのは大きなケガのせいだろうか。その右腕は肩の付け根から失われていた。
少年はこちらをねめつけると堂々たる態度で胸を反らした。
「おう。マルツォ・ステラーノだ。ランツィの町の監督官を任じられた。先日は災難だったな。相手は天空竜だったか? 心配するな。そっちは俺の方で対処する。二度とこの町には手を出させねえ」
自信満々にそう言ってのけた彼の名はマルツォ。
大モルトでは誰もが知る、知勇に優れた誉れ高き七将。その一人、百勝ステラーノを祖父に持つ英雄の孫。
つい先日、王都の南、パルモ湖畔で起きた騒動の際、反乱軍に加担してその祖父に右腕を切り落とされた、あの凄腕の若武者であった。
次回「メス豚と隻腕の若武者」




