その337 ~一つの不幸~
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ランツィの町の南大通り。いつもであれば一日中人の流れが絶える事の無いこの場所も、今は人影もなくシンと静まり返っている。
通りに面した家々は、固くドアを閉ざし、住人たちは家の中で恐怖に震えている。
そんな閑散とした通りを、五十人程の男達の集団が駆け抜けていく。
異形な風体をした男達だ。質素な服装。細身だが鍛えられた体。全員、額に小さな角を生やし、顔の鼻から下が犬か猫のように前に突き出している。
メラサニ山脈に住む亜人達――クロコパトラ歩兵中隊の隊員達である。
彼らは天空竜にやられた負傷者を無事に確保。安全な後方へと運んでいる途中だった。
ズズズズーン!
隊員達は後方から響く低い音に驚いて立ち止まった。
彼らの視線の先では、町の周囲を囲む巨大な城壁が、大きな砂埃を上げながらゆっくりと崩れていくのが見えた。
「おい、見ろよ! 城壁が崩れていくぞ!」
「天空竜――いや、違う! クロ子の仕業か!」
クロカンの中でも古株の者達は、以前、クロ子が隣国ヒッテル王国のロヴァッティ伯爵領の砦、ストラトーレ砦の城壁を魔法で破壊したのを見ている。
今の城壁の姿は彼らの記憶の中の光景とどこか通じるものがあった。
キズだらけの大男、第一分隊分隊長のカルネが、部隊の副官、ウンタに振り返った。
「おい、ウンタ、ありゃあクロ子が何かやったに違いないぜ。何があったか知らねえが、とんでもない事になっているのは間違いねえ。俺は様子を見に行った方がいいと思うが、どうする?」
ウンタが少し悩んで出した答えは、カルネの意見を半分だけ取り入れるというものだった。
「隊を二つに分けよう。負傷者を背負った者達は俺が指揮して、当初の予定通りに守備隊の詰め所に向かう。残りの者達はカルネと一緒にクロ子のいる南門に向かってくれ」
守備隊の詰め所には、腕のいい医者がいるそうだ。
負傷者の数は三十人程。その誰もが酷いケガを負っている。中には大鳥竜の鋭い牙で顔の半分を引き裂かれている者もいる。早く治療を受けなければ、彼らの命は助からないだろう。
「ただし目的はあくまでもクロ子の手助けだ。間違っても足を引っ張るようなマネはするなよ」
「分かってるぜ! 行くぞテメエら!」
「「「おう!!」」」
カルネの雄叫びと共に、十人程の隊員達が今来た道を引き返して行った。
ウンタは彼らの姿を見送ると、再び走り出そうとした。その瞬間――
ズドーン! ゴロゴロゴロ!
一瞬の閃光。そして強烈な爆裂音が大気を震わせた。
隊員達の間にざわめきが広がった。
「な、何だ今の光と音は?! あれもクロ子の魔法なのか?!」
「違う! 今のは天空竜の魔法! ヤツの雷の魔法だ!」
ウンタはメラサニ山でさっきの光と音を経験した事がある。
あの時、天空竜は落雷の魔法で五人もの傭兵を瞬時に殺してしまったのだ。
「そんな! お、おい、ウンタ、だったらクロ子もヤバイんじゃないか? どうする? 俺達も引き返すか?」
隊員達が不安そうな顔でウンタを見つめる。
クロ子はこの部隊の絶対的なリーダーだ。クロ子の代わりは誰にも務まらない。彼女が死ねばその瞬間、部隊は瓦解する。
副官のウンタが繰り上がって隊長になればいいというものではないのだ。
ウンタが決断しようとしたその時。彼らの視線の先で翼の生えた大きな生き物が空へと舞い上がった。
クロ子が戦っている相手。天空竜(雄)である。
「天空竜だ!」
「クロ子はやられたのか?!」
「いや、良く見てみろ! 天空竜は負傷している!」
確かに。天空竜の飛び方はぎこちなく、危なかしかった。
天空竜はヨタヨタと翼をはためかせると、建物の屋根をかすめそうな低空飛行で、フラフラとこちらに向かって飛んで来た。
「マズい! みんな、建物の影に隠れるんだ! ヤツに見付かるぞ!」
クロカンの隊員達は慌てて近くの路地や、建物の軒下に飛び込んだ。
全員が息をのんで身を潜めるその上空を、天空竜の大きな影が飛び越して行った。
改めて近くで見ると、天空竜はかなりボロボロの姿になっていた。
片方の角は半ばから折れ、砂で汚れた体は、流れ出した血であちこちが赤黒く濡れている。
特に右後ろ脚のケガは重傷で、天空竜が羽ばたく度に力無く左右にブラブラと揺れている。どうやら何か大きな重量物で押しつぶされたらしい。完全骨折。それも骨が複数の箇所で粉砕骨折している、分節骨折と呼ばれる症状のようだ。一見、まともに見える左後ろ脚にも力が入っていない事から腰骨も。最悪、背骨にヒビが入っている可能性すらありそうだ。
正に満身創痍。相当な重傷だ。
クロ子との戦いが激しい物であった事が容易に想像される。
ウンタは天空竜の向かう先を見て眉をひそめた。
(天空竜は一体どこに行こうと言うんだ? 自分達の巣のあるメラサニ山なら南の方角――逆方向になる。あっちに行っても町の中心部に着くだけなんだが)
実はこの時、天空竜はロクに目が見えていなかった。
大量の土砂と目に流れ込んだ血が一時的に彼の視力を奪っていたのである。
天空竜はただやみくもにクロ子から逃れて来たに過ぎない。町の中心に向かっているのはたまたま偶然でしかなかったのだ。
だが、その偶然がすぐ後に一つの不幸を生む事になろうとは、この時のウンタ達は知る由も無かった。
代官の屋敷では、薄っすらハゲこと代官のボンティスが、部下からの報告を受けていた。
「町が巨大な空飛ぶ怪物に襲われているだと?!」
そう。ここに至ってようやく彼も、町を襲っている混乱の原因が空飛ぶ怪物のせいだと知ったのである。
部下の報告によると、南門の上空に現れた怪物は、いきなり雷を落とし、周囲の家を焼くと、恐怖に逃げ惑う人々を襲い始めたという。
「守備隊は、バシッドの部下達は何をしている!」
「勿論、守備隊は怪物に攻撃を加えましたが、手も足も出ず・・・。逆に怪物にやられて大きな被害を受けたようです」
「なっ?! そんな・・・バカな」
ボンティスの顔から血の気が引いた。
ちなみに商業ギルドの元締めマダム・ボーナは既にこの屋敷にはいない。
彼女は独自に情報を集めるため、急ぎ商業ギルドの本部であるギルド会館へと向かっていた。
「亜人共の言っていた天空竜。まさかその人食いの獣が実在して、今まさにこの町を襲っているとは・・・」
ボンティスは、天空竜は亜人達のでっち上げた与太話――ないしは、力も知識もない野人達が大袈裟に騒ぎ立てているだけだと思っていた。
よもやその怪物が現実に存在し、彼の治めるランツィの町を襲って来るとは。
ボンティスは自分の常識がガラガラと崩れていく音を聞いた気がした。
「まさか、ワシが亜人共の話を最初から信じていれば・・・。そうしていれば、あるいはこの被害は防げていたかもしれん、というのか」
ボンティスは力無く呟いた。
どのぐらいの時間、そうやって考え込んでいただろうか?
ふと気が付くと先程の部下の姿は無かった。そして屋敷の中が何やら騒がしい。
どうやら今の部下から使用人達の間に噂が広がって、不安に駆られた者達があちこちで騒ぎ立てているようである。
「・・・くっ! 呑気にしてはおれん!」
ボンティスはイスを蹴って立ち上がると、ハンガーにかけてあった分厚いコートを手に取った。
彼が部屋を出ようとした瞬間。開きっぱなしになっていた執務室の入り口から男が現れた。
「ボンティス様。そんなに急いでどこかへ出かけられるのですか? 私もご一緒してよろしいでしょうか?」
揉み手をせんばかりに期待の笑みを浮かべるのは、浅黒く日に焼けた背の高い中年男性。
この町の守備隊の隊長、バシッドであった。
「おお、バシッドか! 丁度良い所に来た! 今から南門に向かうぞ! お前も付いて来い!」
「は? 南門に? そりゃまたどうして? 町を出るんじゃないんですか?」
バシッド隊長は眉をひそめた。
彼はついさっきまで町の南門で天空竜と戦っていた。
しかし、守備隊の装備と戦力では天空竜に敵わないと分かるや、部下を見捨てて自分だけ安全な代官屋敷へと逃げ込んだ。
バシッド隊長は代官のボンティスが町を捨てて逃げ出す所と見て、自分も一緒に連れて行ってもらおうと慌てて飛び出したのである。
「町を出る? バカを言うな! ひょっとしてお前はまだ知らんのか? 今、この町は天空竜と呼ばれる巨大な怪物の襲撃を受けておるのだ。この情報を持って来た亜人達は、一足早く、現場となった南門に向かっている。ワシはヤツらに後れを取ってしまったが、これでもこのランツィの町を任された代官。トラベローニ侯から直々にこの地を任された責任がある。今からでもワシ自ら現場で指揮を執ってこの町を天空竜から守り抜いてみせるぞ」
代官のボンティスは壁にかかっていた剣を手に取ると、その場で何度か振り回した。
だらしない体付きに似合わず、その剣捌きは意外な程様になっていた。
「こうして剣を持つのも随分と久しいな。こんな事になると知っていれば、少しは体も鍛え直していたのだが」
ボンティスは悔しそうに呟いた。
彼は今でこそ絵に描いたような腐敗役人だが、元々は文武に優れているばかりか忠誠心も厚い、将来を嘱望された人物だった。
また、そんな人間でもなければトラベローニ侯が、ランツィのような重要な拠点を任せるはずもないだろう。
トラベローニ侯の過ちは、ボンティスが人並みに欲深いという点に気付けなかった事にある。
そう。彼は部下の自制心のメモリの量、その数値を読み誤ってしまったのである。
ボンティスのクロコパトラ女王に対しての当たりの強さも、女王の巫女ヒミコを相手取っての舌戦もどきも、裏を返せば、彼の忠誠心の現われであり、利発さの証明でもあったのだ。
惜しむらくは、長年に渡る贈賄によって目が曇り、その能力が正しい方向に向かなかった点にあっただろう。
金は魔物だ。
大きな町には多くの金が動き、欲望は人の心を容易く蝕んでしまう。それは町を取り締まる役人ですらも例外ではない。
トラベローニ侯は「上手くいっているから」という理由で現状を維持するのではなく、水が濁り、空気が淀む前に、事前に人の入れ替えを行うべきだったのである。
バシッド隊長は思わず浮かんだ不満顔を見られないように慇懃に頭を下げた。
「わ、分かりました。馬車の用意をするように命じて来ます」
「うむ。急げよ」
ふん、馬鹿馬鹿しい。お前なんかに付き合って死んでたまるか。
彼は部屋を出ると、屋敷の使用人にボンティスの馬車を仕度をするように告げた。
そして自分は急いで使用人用の館へと向かった。
そこには彼と男女の関係にあるメイドが住んでいる。バシッド隊長は彼女の部屋にしけこみ、一連の騒動が終わるまで身をひそめるつもりでいたのである。
バシッド隊長が屋敷を出た途端、大きな音と共に建物が揺れた。
原因は天空竜。
代官の屋敷は三階建て。この世界では比較的珍しい高い建築物となる。
その上、屋敷の屋根の上には展望台を兼ねた塔まで作られている。
その塔に逃亡中の天空竜が接触。屋敷の屋根を突き破って転落して来たのである。
バシッド隊長は割れた屋根瓦に当たって、頭に大きなコブを作った。
しかし代官のボンティスは屋敷の崩壊に巻き込まれ、意識不明の重体になってしまったのであった。
次回「メス豚、ハゲる」




