その329 メス豚、メス豚に驚く
ランツィの町の代官の屋敷で、私は必要に駆られて、急遽、新たなアバターをでっち上げた。
それがこの”ヒミコ”である。
設定としては、ヒミコは女王クロコパトラの巫女――つまりは、女王の身の回りの世話をする専属のメイドさんみたいな役目――で、今回は女王の言葉を届けるため、この町にやって来た、という事になっている。
ちなみに声はアニメ声優の早〇沙織似の合成音声。
巫女だし、神秘的で楚々とした可憐な美少女――という設定で行こうと思う。
まあ、美少女つっても顔はお面に隠されて見えないんだけどな。
屋敷の使用人の後ろに付いて行くことしばし。
ていうか、流石は町の支配者が済む屋敷。随分とデカイのう。
使用人はとあるドアの前で立ち止まると、コンコンコン。ノックをした。
「ボンティス様。亜人の代表者を連れて来ました」
「・・・入れ」
妙に不機嫌そうな声で返事が返って来た。
・・・どうしよう。何だか無性に回れ右したくなったんだけど。
しかし使用人はドアを開けると私に振り返った。イヤン。せめて覚悟を決める時間を私にプリーズ。
仕方ない。
私は使用人に促されるまま、渋々部屋の中に入ったのだった。
ここはこの屋敷の応接室だろうか?
豪華な作りの部屋の真ん中に、これまたお高そうな洒落たテーブルセットが置かれている。
そこに座っているのは一組の中年カップル。
男の方は薄くなり始めた頭頂部。酒焼けした赤い鼻に、眉間に皺を寄せた気難しそうな顔。中年太りのお腹。
いかにも役人――と言うか、TVドラマなんかに出て来る「部長」や「係長」といった印象の男である。
彼がこの町の代官なのだろうか? 確か前に一度会ったはずだけど・・・アカン、全然記憶にないわ。
だが、私の視線は男を一瞥しただけで、スルー。彼の横に座っている中年女性の方に釘付けになってしまった。
おおっ。何と言うか、スゴいヤツだなコイツ。
彼女の印象を一言で言うならば”メス豚”だ。
メス豚はお前だろうって? いやいや、確かに私はメス豚だが、私が言っているのはそういう生物学上の話ではなく、見た目の話。つまりは例えとしてのメス豚である。
ムッチリとだらしなく太った体。ふくよかなほっぺ。悪趣味な程ジャラジャラと全身に飾り付けられたアクセサリー。
彼女は正にメス豚と呼ぶに相応しい姿をしていた。
流石は異世界。まさかこんな絵に描いたような金満家が実在しているとは。
私は大きな衝撃を受けていた。
それはそうと、代官と一緒にいるという事は、彼の奥さんだろうか? 前にこの町に来た時は、見た記憶がないのだが。
一度見たら絶対に忘れられないキャラクターだし、あの時はたまたま町を留守にでもしていたんだろうか?
私が驚いたように、彼らも私の姿に驚いた様子だった。
そりゃまあ、お面を付けたマント姿の怪人だからな。
代官は一瞬、鼻白んだ様子だったが、軽く咳払いをして私に向き直った。
「ゴホン。・・・それで亜人がこの町に何の用だ?」
は? おいおい、客にイスも勧めず、名乗りもせずに、開口一番「何の用だ」とは随分なご挨拶だな。お前は一体何様だ? そういや代官様だったわ。納得。
でも一応、念のために確認はしておこうか。
【その前に、あなたがこの町の代官様でよろしいのでしょうか?】(CV:早見〇織)
うむ。相変わらずのボイチェンの違和感よ。
男は私の返事の何が気に入らなかったのか、眉間に皺を寄せた。
てか、やり辛いなあ。なんでコイツはこんなに機嫌が悪いんだ?
私らがアポなしで来たからか? う~む、分からん。
「お前、女だったのか。まあいい。そうだ。ワシがこの町の代官、ヴィクトール・ボンティスだ。それでお前は女王クロコパトラがよこした使者なのか?」
【さようでございます。私はクロコパトラ女王の巫女ヒミコ――】
「やはりか! やはりあの女はこの町を狙っているんだな?!」
代官は突然激怒。イスを蹴って立ち上がった。
はあ? やはりって何だよ。私がこの町を狙っている? いやいや。一体、どこからそんな話が出て来たんだ?
てか、巫女のヒミコとは初対面のはずなのに、なんでさっきからお前はこんなにケンカ腰な訳?
代官の剣幕に思わず呆気に取られる私。
するとメス豚夫人が立ち上がり、「まあまあ」と代官を諫めた。
「ボンティス様。この者はクロコパトラ女王に命じられて来ただけの、ただの使者でございます。この者に怒っても仕方がないでしょう」
「なんだと! い・・・いや、うむ。確かにマダムの言葉にも一理あるか」
代官は気を取り直してイスに座った。
おや? 私はてっきりメス豚夫人は代官の奥さんだと思っていたけど違ったのか?
代官の事を家名で呼んでいるし、代官もメス豚夫人の事をマダムと呼んでいる。
じゃあこの女は一体何者なんだ?
メス豚夫人は、代官が落ち着いたのを確認すると、私の方へと向き直った。
「初めまして、クロコパトラ女王の使者の方。私は商業ギルドの長、ボーナ。どうぞお見知りおきを」
メス豚夫人の正体は、この町の商業ギルドのギルド長だったようだ。
いやいや。んなコト言われても、結局、何でこの女がこの場にいるのかは分からないままなんだけど。
代官との面会は、最初から険悪なムードに包まれていた。
何で私がこんな目に。
私はマントの中でコッソリため息をついた。
出来れば今すぐ屋敷を後にして村に帰りたい所だが、この会談にはショタ坊村の村人達の命がかかっている。
例え気が乗らないからと言って、ここで投げ出す訳にはいかなかった。
【――クロコパトラ女王のお言葉をお伝えします】
私はメラサニ山に現れた天空竜について説明した。
天空竜はオスとメスのつがいの二匹。山の頂上付近に巣を作っているのを確認している。
おそらく、メラサニ山で子育てをしようとしているのではないだろうか?
天空竜とは大変危険な生き物で、人間を襲う事もある。実際、人間が殺される場面にも遭遇している。
これから冬の寒さが厳しくなっていくにつれ、山の動物達は冬眠に入っていく。
天空竜達は獲物を求めて、次第に行動範囲を広げて行くだろう。
【天空竜は早ければ明日にでも麓の村の上空に現れると思われます。一刻も早く、村人達を避難させなければいけません。犠牲者が出てからでは遅いのです。どうかこの町に彼らを受け入れてあげて下さい】
代官は黙ったまま私の話を聞いている。
理解して貰えただろうか?
私は言葉を切って彼の様子を窺った。
そして彼の目を見た瞬間――
私は説得に失敗している事を確信した。
「天空竜だと? そんな竜などワシは知らんし、聞いた事もない。村人を村から追い出した後、無人の村をどうするつもりだ? 女王は一体何を企んでいる?」
代官は疑いの目で私を睨みつけていた。
そう。彼は私の言葉を何一つ信用していなかったのである。
この野郎・・・いや、頭を冷やせ。冷静に。話せば分かる。
【――天空竜の生息域は、大陸の南の亜熱帯地域。この国の南、アマディ・ロスディオ法王国の更に南に位置するジャングルの奥地、ニーヴェン・ブジ山です。メラサニ山に現れたつがいは、そこから来た迷入個体でしょう】
「はんっ! ほら見た事か! 語るに落ちたな! 法王国の更に南だと?! バカめ! 女王は法王国がどれほど大きな国か知らんと見える! そんな場所から飛んで来る生き物などいるはずがないわ!」
代官は、まるで鬼の首を取ったかのように勝ち誇った声を上げた。
いや、バカはお前だ。
空を飛ぶ鳥が群れで長距離を移動する事は良く知られている。
いわゆる渡り鳥というヤツだ。
例えばアネハヅルやインドガンなどは、チベット高原からインドまで、なんと標高八千メートルのヒマラヤ山脈を越えて移動するという。
ちなみに鳥類学者によると、アネハヅルの体には標高八千メートルを越えるだけの能力は備わっていないそうだ。
そのため、昔はヒマラヤを越えるのではなく、迂回してインドに渡っているのではないかと考えられていたが、そのルートはずっと謎のままだった。
しかし、一九五六年。日本隊の撮影した記録フィルムに、偶然ヒマラヤ山脈の上空を飛ぶアネハヅルの姿が映っていた。
今ではアネハヅルは上昇気流に乗り、成層圏に近い超高空まで舞い上がると考えられている。
しかし、先程も言ったが、彼らの体には標高八千メートルを越えるだけの能力は備わっていない。
そのためアネハヅルは仮死状態のままヒマラヤ山脈を飛び越え、やがて落ちていく途中で息を吹き返した者のみ、生きて地上に降り立つのである。
勿論、途中で息絶えたり、山にぶつかって命を落とすケースも多いという。
このように空を飛ぶ生き物というのは、空を飛べない我々の常識では計り知れない生態を持っているのである。
しかし、代官は本当に天空竜の事を知らないのだろうか?
代官ともなれば、この世界だと結構インテリに分類されるんじゃないかと思うんだけど。
いやまあ、TVも無ければネットも無い世界だし。外国の、しかも遠い南のジャングルに住む固有種なんて、知らない方が普通なのかもしれないか。
『ボソボソ(う~ん。それは別にしても、どうも最初からウソだと決めつけられているような気がするのよね。水母はどう思う?)』
『興味薄』
「オイ! 何をブツブツ言っておる! いい加減、しらばっくれるのを止めて、お前達の狙いを白状せんか!」
仕方がない。ここは切り口を変えよう。
論より証拠。百聞は一見に如かず。と言うからな。
【ではどうでしょう。メラサニ山に調査員を派遣しては。実際に天空竜がいるのが確認出来れば、女王の言葉も信じて貰えるのではないでしょうか?】
「それこそバカげている。仮に竜が飛んでいるのが見付かったとして、それが危険な竜かどうして分かる。お前達が大袈裟に触れ回っているだけかもしれないではないか」
ああ、クソッ。ああ言えばこう言う。ホント面倒くさいなあ、この薄っすらハゲは。
この時、私はよっぽど頭に血が上っていたのだろう。少し冷静に考えれば、代官と議論する事のムダに気が付いたはずである。
彼が使っていたのは、詭弁家の典型的なテクニック。いわゆる”論点ずらし”。
私の話を聞いているようなフリをして、その実、全く話を理解しようとはしていない。
話の言葉尻だけを捕えて、「自分の考えの方が正しい」と繰り返していただけだったのである。




