その318 ~国境の町のルベリオ~
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中原の三大国家の一つ大モルト。アマディ・ロスディオ法王国との国境に近いサイラムの町。
ここは高い城壁に囲まれた、いわゆる城塞都市である。
国境に近いとあって、決して安全とは言えない町だが、危険を承知の上でここを訪れる商人は数多い。
隣国の情報。そしてここでしか手に入らない輸入品。
それら金の匂いが彼らを引き寄せるのである。
「危険を承知で、ですか。商人の方達は豪胆なんですね」
荷馬車の御者席で少年は華奢な肩をすくめた。
御者席に座っているのは少年と、赤ら顔の男。
「まあ、おかげで私のような商売が成り立っているんですが」
男はそう言っておどけてみせた。
荷馬車に積まれた荷物の質、そして服装から、二人はそこそこ裕福な商人の親子? である事が分かる。
男の方は三十代半ば。見るからにやり手の商人、といった感じである。
少年は十代前半。日本で言えば中学校に上がったばかりか。
素朴な田舎の少年、といった印象ながら、中世的な顔立ちは中々に整っている。
男の名はホルヘ。彼の仕事は輸入ビジネス。国境を越えて商品の買い付けを行う、いわゆる貿易商人である。
そして少年の名はルベリオ。こう見えてもサンキーニ王国のラリエール男爵家の当主である。
もっとも、領地どころか屋敷すら持っていない名前だけの男爵なのだが。
王都にいたはずのルベリオが、なぜ、国境を越えた大モルトの国内にいるのか。
話は数日前に遡る。
イサロ王子は、先日の大モルト軍の指揮官、ジェルマン・”新家”アレサンドロとの対談の中で、隣国ヒッテル王国へ攻め入るための兵の貸し出しを求めた。
彼の希望は認められ、翌日には大モルト軍から副官となる将軍が派遣された。
実質上の軍の指揮官、つまりは軍監である。
いわば王子は監視を付けられた事になる訳だが、何も悪い事ばかりではない。
これにより、イサロ王子は今までよりも格段に行動の自由が許されるようになっていた。
そんな彼にルベリオは面会を申し込んだ。
「何か私に仕事を貰えませんか? ここのところ屋敷に居辛くて」
ルベリオは現在、イサロ王子の母親の実家、マサンティオ伯爵家の屋敷に居候している。
大人しい見た目と違い、意外と図太い所のあるルベリオは、遠慮しながらも屋敷の生活をそれなりに満喫していた。
ところが最近、彼が屋敷に居辛い事情が出来たようである。
「その、殿下の妹君、ミルティーナ様なんですが・・・」
「ミルティーナ? 妹がどうかしたのか?」
イサロ王子の妹、ミルティーナは王子と同じ両親を持つこの国の第八王女である。
王子には三人の王妃が産んだ何人もの兄弟達がいるが、本当の家族は実の母親とこの妹の二人だけだと思っていた。
ルベリオは言い辛そうに口を開いた。
「最近、どんどん距離を詰めて来られるようになったので、困っているのです」
「? 詳しく説明しろ」
ミルティーナ王女は先日、王城から呼び出しを受けていた。
これはきっと大モルト軍指揮官ジェルマンとの婚約の話に違いない。そう考えた王女は覚悟を決めて王城へと向かった。
「アイツの婚約だと? 俺はそんな話は聞いていないぞ? ジェルマン閣下の婚約者は姉のガヴィアナじゃないのか?」
「はい。私もあの日、ミルティーナ様からそのように伺いました」
実はミルティーナ王女を呼んだのは、王城を占拠した大モルト軍ではなく、姉のガヴィアナだった。
ガヴィアナは王妃候補に上った事にすっかり舞い上がり、妹をわざわざ王城まで呼び出して自慢をしたのである。
ミルティーナ王女は予想外の話に驚愕した。そして直ぐに自分が結婚せずに済んだと知って喜んだ。
彼女は姉の自慢話に長々と付き合い、喜び勇んで屋敷に戻ったのであった。
それからである。彼女は露骨にルベリオとの距離を詰めて来るようになったのである。
「なる程、そういう事か。やれやれアイツめ」
イサロ王子は妹が前々からこの歳の近い少年を気にかけていた事を知っていた。
それでも王女として、節度を守った関係を保っていたので、口を出さずに彼女の自由にさせていた。
しかし王女は、一度結婚を覚悟して、それが無くなった事で、どうやら気持ちのブレーキが利かなくなってしまったようである。
「分かった。俺の方からも注意しておこう。しかしルベリオ、お前の方はどうなのだ?」
「どう? というのは?」
イサロ王子は顎に手を当てて少し言葉を探した。
「アイツがお前の事を気に入っているのは知っているだろう? 正直に言ってどうなんだ? 迷惑なのか?」
「そんな! 迷惑だなんて滅相もない!」
ルベリオは慌ててブルブルとかぶりを振った。
「凄く・・・その、嬉しいです。私もミルティーナ様の事は、その、好ましく思っていますし」
「ほほう」
ミルティーナ王女が大モルト軍ジェルマンの婚約者になる。そう聞かされた時、ルベリオは自分でも意外な程のショックを受けた。
そして婚約者が別の女性に決まったと聞かされた時、心に羽根でも生えたのではないかと思う程軽やかなったのも事実である。
「あ。でも、さすがに朝、部屋まで起こしに来たり、食事の度に料理を口まで運んでくれるのはちょっと・・・」
ルベリオは顔を真っ赤にして困り顔になった。
王子は「そこまでか?! アイツめ、何をやってるんだ?!」と呆れ顔になった。
「確かに、そんな風に同じ屋敷で一日中、ベタベタされては煩わしいだろうな。お前の気持ちも分かる」
「いえ、それは別に構わないのです」
「構わないのか?!」
ルベリオの予想外の返事に王子は目を見開いた。
「お前・・・意外と大物だな。それで? 構わないなら何が不満なんだ?」
「不満――という訳では。ただ・・・その・・・」
ルベリオは言い辛そうに「ベラナとの事があったばかりなので」と答えた。
ベラナはグジ村でルベリオと幼馴染だった少女である。
ルベリオとベラナは恋人同士で、ルベリオはいずれは彼女との結婚まで考えていた。しかし、ベラナはルベリオがイサロ王子の軍に同行して村を離れている間に、村長の息子のロックと付き合うようになっていた。
戦場から戻ったルベリオは、ベラナから「既に終わった関係」といった態度を取られ、大きなショックを受けた。
彼が王子の誘いに応じて王都にやって来たのも、村で二人の関係を見続ける事に耐えられない、という気持ちがあったからである。
「妹はお前の幼馴染とは違うだろうに――いや、そういう事ではないんだな」
イサロ王子の言葉にルベリオは頷いた。
ルベリオは別に「ミルティーナ王女にも裏切られるのではないか」などと恐れている訳ではない。一度キズ付いた事で誰かの好意を受け入れるのが不安なだけなのである。
心の傷はいずれ時間が解決してくれる。
今、ルベリオが必要としているのは、心の整理を付けるための時間。失恋を過去の出来事と割り切るための時間なのである。
しかし、それにはまだ少し時間がかかる。そして、今のミルティーナ王女は直情的で積極的過ぎた。
「分かった。今は思いつかないが、お前に任せられる仕事がないか、俺の方で探させておこう」
何だか仕事に打ち込む事で家庭の問題から逃げているダメな夫のようにも思えるが、今回は仕方がないだろう。
ルベリオはイサロ王子に約束して貰えた事でホッとひと安心。面会を終えて王城を去ったのだった。
そして翌日。王子が紹介したのが、大モルトの国境の町、サイラムの調略作戦であった。
「サイラムの町・・・ですか。すみません、どこにある町でしょうか?」
「法王国との国境線の近くにある町だそうだ。法王国との小競り合いが絶えない土地らしいな」
イサロ王子の言葉に、彼の新たな副官、古武士然とした初老の将軍、マイネイラが地図を取り出した。
「これを見たまえ。サイラムはアレクト領――中央山脈より東、都の政府に属さない東夷の地となる」
次にマイネイラは都から東に、一本の線を引いた。
「そしてこれが都の”執権”本家から、”ハマス”・オルエンドロへと向かう補給線となる。サイラムの位置はここだ」
「なる程。丁度、補給線の南に位置しているんですね。サイラムをこちらの味方に付ける事で、ハマス軍の補給部隊に圧力をかける訳ですか。しかしなぜこの町を選ばれたのですか? この地図だともっと近くに別の町があるように見えるのですが」
少年の指摘にマイネイラは大きく頷いた。
「その通りだ。実はサイラムの町は、つい先日、お館様が直々に兵を率いて法王国の軍から助けておられてな」
マイネイラの説明によると、半年ほど前(※丁度ルベリオがグジ村で初めてイサロ王子に出会った頃)、サイラムの町は法王国のコーマック男爵の軍、約三千に攻め込まれていたそうだ。
その時、町を救出したのが、ジェルマン・”新家”アレサンドロの軍だったのである。
「心ある者であれば、当然、命を救われた恩を忘れぬ物だ。お館様が困っていると知らされれば、きっと向こうから協力を申し出て来るだろう」
「はあ、そうなんですか」
マイネイラは相手の善意を信じている様子だが、ルベリオは今一つピンと来ていなかった。
しかし、彼の言葉を否定するだけの情報もないし、わざわざ指摘して相手を不愉快にしても何の得もないため、生返事をするだけに留めた。
ルベリオの心情はともかく。サイラムの町へ協力要請の使者を送るのは大モルト軍の規定事項のようだ。
ルベリオに与えられた役目は、正式な使者とは別ルートで現地入りし、町での情報収集と地元の有力者と――中でも親”新家”アレサンドロ派と――連絡を取る事であった。
「いわば密偵の真似事のような仕事だな。だがお前の場合、貴族共を相手にしているよりもそっちの方が気が楽だろう。俺もこういった立場故に市井の民とは顔を繋ぐチャンスが中々ない。俺に不足している部分をお前が補ってくれれば、俺も助かるというものだ」
「! 分かりました。このお役目、喜んで務めさせて頂きます」
元々、この仕事はルベリオがイサロ王子に頼んで探して貰っていた物である。その仕事が王子のためになると聞かされれば、ルベリオにとって是非は無かった。
彼は喜んでこの役目を引き受ける事にした。
(それにしても、思っていたよりも大事になっちゃったな。昼間の間だけでも屋敷の外に出られれば、と考えていただけだったんだけど・・・。結局、王都を離れる事になっちゃったか)
ちなみにミルティーナ王女は、ルベリオから、仕事で外国に行く事になった、と聞かされ、酷くガッカリする事になる。
しかし、大モルト軍の仕事と言われれば、敗戦国の王女としては文句も言えない。
彼女は不満を堪えながら、渋々少年を送り出すのであった。
そして後日。この仕事をルベリオに推薦したのが兄であると知り、イサロ王子の所に怒鳴り込みに行くのだが・・・この時のルベリオは当然、そんな未来など知る由もなかったのだった。
こうしてルベリオは旅の商人に身をやつし、サイラムの町に入った。
道中、彼を案内してくれたホルヘという赤ら顔の商人は、随分とこの手の仕事に慣れている様子で、本人の口からハッキリと語られた訳ではないものの、おそらく密偵のような事をしている人間だと思われた。
「では、ルベリオ殿。私はこの先の倉庫に商品を運んで来ますので」
「分かりました。ならば私は少しこの辺りを見て回っています」
ルベリオは使用人に扮した護衛の青年と共に荷馬車を降りた。
事前に国境近くの危険な土地と聞いていたが、町中の治安はさほど悪くはないようだ。
ルベリオは「この賑やかな感じ、グジ村の近くにあったランツィの町を思い出すなぁ」などと独り言ちた。
「それにしても、王都に行ったと思ったら今度は大モルトか・・・。グジ村に住んでいた頃は、自分が国の外まで行くなんて想像した事すらなかったのにな」
「あれっ? あなた」
その時、雑踏の中から少女の声が聞こえた。
しかしルベリオは特に気にせず歩き続けた。
「あなた。そこのあなたよ。ねえ、ちょっと。無視しないで。待って頂戴」
少女の声が次第にこちらに近付いて来たかと思うと、ルベリオは後ろから誰かに腕を掴まれた。
護衛の青年が咄嗟に動くのをルベリオは手を伸ばして遮った。
彼の腕を掴んでいたのは、先程の声の少女だった。
見た事もない女の子だ。それも当然で、ルベリオはついさっきこの町に来たばかりである。
年齢はルベリオと同じくらい。明るいオレンジ色の髪を編み込んでいる。
(強引な物売り――って感じでもないな。随分と良い服を着ているみたいだし。僕の事を知り合いの誰かと勘違いしたんじゃないかな?)
勘違いなら、直ぐに間違いに気付いて去って行くだろう。
ルベリオはそう考えて黙っていたが、彼女がいつまで待っても手を放さないので怪訝な表情を浮かべた。
「あの・・・僕の事を知り合いの誰かと勘違いしているんじゃないかな? 君とは初対面のはずなんだけど」
「ええ。私も今日、初めてあなたに会ったわ」
「?」
ルベリオの頭にハテナマークが浮かんだ。
「でもね。ひと目見ただけでビビッと来たの。あなたは私の運命の人だって。私の直感は凄く良く当たるのよ。あなた、この国の商人の恰好をしてるけど違うわよね。あっ、やっぱりそうなんだ。ダメよそんな顔をしたら。正解って言ってるようなものじゃない」
何なんだこの女の子は。ルベリオは慌てて彼女の手を振りほどいた。
「君・・・何者?」
「私はナタリア。私のパパはこの町の守備隊長をしているのよ。ねえ、私の名前を教えたんだからあなたの名前も教えてくれない?」
これがルベリオとナタリア。二人の天才の初めての出会いとなるのだった。
次回「メス豚とヤマネコ団の最後」




