その30 ~サイラム包囲戦~
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ここは中原の三大国家の一つ大モルト。
アマディ・ロスディオ法王国との国境に近いサイラムの町。
突然、この町に国境を越えて法王国軍三千が進軍して来た。
小さな町を攻め滅ぼすには十分な戦力である。
サイラム守備隊は町の門を閉じて籠城戦を選択した。というよりも他に選択肢は無かったのだ。
それほど法王国軍の進軍は唐突だったのである。
法王国軍は何の抵抗も受けずに周囲の村々の略奪に乗り出した。
しかし、国境に近い小さな村では彼らの欲望を満たすには不足している。
すぐにサイラムは包囲される事になった。
こうして町の命数は尽きたかと思われた。
「まだ落とせんのか?!」
天幕の中で恰幅の良い髭面の武将が怒鳴った。
法王国軍の大将、コーマック男爵である。
男爵は熱心なアマナ神の信者で、前々から自分の領地のそばに異教徒の町があるのが許せなかったのだ。
今回の戦いは法王庁から直々に神命が下っている。
男爵は自分の信仰心がアマナ神に認められた、聖なる遠征と信じて疑っていなかった。
サイラムは小さな町だ。
国境に近い町なだけあって堅固な城壁にこそ囲まれているものの、常駐する兵士の数は三百と少ない。
三千の兵で囲めばひとたまりもないだろうと思われていた。
「こんな事では我らの信仰心が疑われてしまうぞ!」
「アマナ様はそんな事で信者の信仰心を試したりは致しませんよ」
天幕に入って来たのは聖職者の恰好をした、ひょろりと背の高い男。
教会から派遣された顧問団のトップ、カルドーゾであった。
「これはカルドーゾ卿。お見苦しい所をお見せしました」
男爵は恭しく膝をついた。もちろんカルドーゾ相手にではない、法王庁の崇めるアマナ神に対して膝をついたのである。
カルドーゾは尊大な態度で男爵からの礼を受け取った。
宗教国家の色合いの強いアマディ・ロスディオ法王国では、貴族よりも聖職者の方が身分階級が上なのである。
「しかしお言葉を返すようですが、確かにアマナ神は我々を試しません。ですが、我々に試練をお与えにはなられます」
「その通りです。玉磨かざれば光なし。魂は試練によって磨かれ、その輝きを増します。今日を生きるだけならば、それは獣であって人間ではありません。魂を昇華させるために今日を生きる事にこそ、人間の生の意義があるのです。男爵はその事を良くご存じのご様子」
カルドーゾはイスに座ると男爵の前の騎士に視線を向けた。
「私にも報告を聞かせてもらえませんか?」
「はっ!」
騎士は敬礼をすると、先程男爵にしていた報告をもう一度繰り返した。
「城壁に穴を開ける工事ですが、失敗に終わりました。作業員の被害は甚大。隊長は撤退を要請しております」
カルドーゾの眉間に皺が刻まれた。
包囲した当初はすぐに墜ちると思われたサイラムの町だが、予想を覆し、もう10日も持ちこたえている。
流石にそろそろ援軍が到達する頃合いである。
法王国軍にも焦りの色が見え始めていた。
サイラム守備隊は堅固な防壁を利用して兵力の差を巧みに補い、法王国軍に付け入るスキを与えなかった。
その粘り強く、いやらしい戦いに業を煮やした男爵は、防壁の下をくぐるトンネル工事を命じたのだった。
「どうやら人夫の中に敵の工作員が紛れ込んでいたようです」
土木工事のような重労働には近くの村の人間をかき集めてあてられる事が多い。どうやら敵はその中に工作員を紛れ込ませていたようだ。
彼らは大人しく作業をしているように見せかけて、強度が必要な部分を選んで巧みに補強用の梁を抜いていたのだ。
トンネル工事が進むにつれて次第に梁に負荷がかかり、ついに先程崩落してしまったらしい。
もちろん工作員はとっくに逃げ出した後だった。
「どうして大事な工事に村人などを使ったのですか」
「そ、それは、兵士は戦いに忙しく・・・」
カルドーゾ卿に睨まれて、騎士はしどろもどろになりながら言い訳をした。
彼の言う事にも一理ある。トンネル工事を隠すためにも、また、工事自体を邪魔されないためにも、今も町には攻撃が続けられている。
しかし、本当の理由は地味でキツイだけでなく、武勲を上げる機会も見込めない土木仕事につく事を誰もが嫌がったからであった。
その時、天幕に兵士が飛び込んで来た。
「申し上げます! 味方が総崩れとなっています! ここにも敵が来るかもしれません!」
「何?! どういう事だ?!」
「まさか敵の援軍が?!」
思わぬ報告に天幕の中は騒然となった。
確かに援軍は向かっていた。しかし、実際にサイラムに到着したのは翌日の事だった。
結論から言うと、援軍の兵は法王国軍を散々に蹴散らし、国境の向こうに追い返した。
彼らはそのまま逆侵攻して、国境沿いの村々を散々荒らして国に戻ったのだった。
援軍を指揮していたのはジェルマン・アレサンドロ。数年前に家督を継いだ、まだ若い当主である。
彼の家はこの国の宰相家の一族であるアレサンドロ家。その中でも、一番新興のアレサンドロ家である。
通称・新家アレサンドロと呼ばれる家の当主だった。
法王国から戻って町の外に布陣した彼の天幕に、サイラムの町の守備隊隊長が訪れた。
「この度は閣下自らお越し頂き、法王国の軍を追い払って頂いた事、感謝の念に堪えません」
「ふん。本心では要らぬ世話だったと思っているのではないだろうな?」
ジェルマン・アレサンドロの返事は辛らつだった。彼はまだ25歳。
どこか線の細い瀟洒な雰囲気を持つ若者だが、既に何度も大きな戦を経験して、ひとかたならぬ威風を身に纏いつつあった。
「そ、そんな! 滅相もない! そのような事は決してございません」
対して守備隊隊長は、どこにでもいる中年の苦労人といった感じだ。
人は見かけによらないとは言うが、実際にこうして顔を合わせてみて、ジェルマンはこんな地味な男が三千の敵兵を相手にタフな籠城戦を耐え抜いたとはとても思えなかった。
そして実際、守備隊長は真面目だけが取り柄の至って平凡な地方役人だった。
「報告は読んだ。見事な指揮だった」
「ははっ。もったいないお言葉」
ジェルマンが読んだ報告書はそれは見事な内容だった。
中でも敵軍を後退させた策は鮮やかで、思わず興奮して何度も読み直した程だった。
策自体は非常に単純だ。敵のトンネル工事を妨害、混乱した敵の包囲網に僅かな乱れが生じる。
その隙を突いて町から市民を脱出させる。――が、これは誘いだ。
逃亡に気が付いた敵兵の目の前で、彼らは荷物を棄てて町に逃げ込んだ。
いい加減に包囲戦にうんざりしていた敵兵達は目の色を変えて残された荷物に飛びついた。
その混乱を突いて守備隊は門を出たのだ。
目的は略奪に夢中になっている敵兵の掃討――ではない。
守備隊は彼らのド真ん中を突っ切り、全速力で町の外周をグルリと回って、別の門の前で布陣している敵兵の背後から襲い掛かったのだ。
ここからが悪辣だ。
隊長は町に残した兵士達に「援軍が来たぞ! 助かったんだ!」と大声で騒がせたのだ。
突然背後から襲撃を受けた敵兵はそれを信じてしまった。
総崩れとなった敵兵は味方の陣地に逃げ込んでありもしない援軍の存在を吹聴した。
その間に門から町に入った守備隊は今度は別の門を開けて外に出た。
守備隊はこの戦いが始まって以来、一度も町から出ずにずっと籠城を続けて来た。
そんな守備隊が寡兵にも関わらず町から出て来たのだ。
すっかり浮足立った敵兵は、守備隊が増援に呼応して自分達を挟み撃ちにしようとしていると思い込んでしまった。
法王国軍は慌てて町の包囲を解いて後方の陣地に下がった。
その隙に連絡の兵が出て、今度こそ本物の援軍に法王国軍の陣地の情報を伝えたのである。
ジェルマンの率いる援軍は進路を変え、敵陣の背後から襲い掛かった。
こうして予想外の攻撃を受けた法王国軍は、陣地を棄てて国に逃げ帰る事になったのであった。
兵の心理を突いた策といい大胆不敵な用兵といい、ジェルマンをして「コイツはひとかたならぬ人材だ」と唸らせた指揮官が、よもやこんな冴えない男だったとは。
その覇気のない表情といい、こちらにおもねる腰の引けた受け答えといい、全くの期待外れであった。
俺の買い被り過ぎだったか・・・
ジェルマンは内心の失望を隠して隊長を下がらせるのだった。
ここは守備隊隊長の屋敷。
隊長はリビングに入るなり腰の剣を放り出してイスの背もたれに体を預けた。
「やれやれ、吹けば飛ぶような二流貴族が、アレサンドロ家のご当主様になど拝謁するもんじゃないね。全く、生きた心地がしなかったよ。流石は名門のご当主様。まだお若いのに威風堂々としたご立派な佇まいだったよ」
「生きた心地がしなかったって、法王国軍を退けた英雄がアレサンドロ家当主に拝謁して死んだらみんなびっくりするでしょうね」
隊長は楽しそうに軽口を叩く自分の娘を恨めしそうに睨んだ。
明るいオレンジ色の髪を編み込んだ大人しそうな少女だ。
「誰が英雄なものか。私はナタリア、お前の言った通りにしただけじゃないか」
そう。実はジェルマンも感嘆したあの策を立てたのは、まだうら若いこの可憐な少女だったのだ。
「いくら作戦が正しくても私が言ったら誰も聞いてくれないでしょ? その点パパはこの町の守備隊長なんだから適任だわ」
「・・・私もそう思ったからお前の言葉に従ったんだが。いや、あの時はああするしかなかった。だから私の選択は間違ってはいなかったんだ。だが・・・」
隊長は納得出来ない様子で何やらブツブツと呟いている。
ナタリアはそんな父親を呆れたように見ている。
そこに台所から隊長の妻が顔を出した。
「そんな事より家に帰ったら部屋着に着替えて頂戴。ここ一番の一張羅に皺が出来ちゃうじゃない」
町を救った英雄も家族の前では形無しである。
隊長は渋々重い腰を上げると着替えに向かうのだった。
このサイラム包囲戦はアマディ・ロスディオ法王国側の敗戦に終わった。
しかしこの戦いの結果が、巡り廻ってクロ子に関係する事になると知る者は誰もいなかった。




