その316 メス豚、虐殺する
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ブヒヒヒ――ッ!(四天王! 討ち取ったりー!)」
「「「アオーン! アオオーン!(※単語的には意味のない遠吠え)」」」
メス豚クロ子と野犬達の遠吠えがメラサニ山にこだました。
クロコパトラ歩兵中隊の副官、ウンタが聞いたこの声を、遠く離れた別の場所で同じように聞いている者がいた。
歩兵中隊の第一分隊、分隊長の大男、カルネだ。
「クロ子が来やがったか。こいつは勝ったも同然だな」
カルネはニヤリと笑うと、ズキズキと痛む左腕を右手で押さえて顔をしかめた。
「痛てて・・・骨が折れちまってるかもしれねえな。後でスイボに治して貰うか。――さて」
カルネは息を整えると立ち上がった。
視線の先では、彼よりも頭一つ大きな巨漢の男が、痛そうな顔で脇腹を押さえながら立ち上がっている所だった。
法王国の傭兵団、ヤマネコ団の巨漢の傭兵、オークだ。
「よお、デカブツ。そろそろ頃合いだ。決着をつけようじゃないか」
「グルルルル・・・」
オークは歯をむき出して低い唸り声を上げた。
巨漢の傭兵オーク。実は彼のオークという名は本名ではない。
アマディ・ロスディオ法王国の社会は、厳しい身分制度によって成り立っている。
彼は隷民と呼ばれるカースト最下層の出身で、彼の生まれ育った村では名前を持つ事が許されていなかった。
名無しの彼は大人になって村を出ると、ヤマネコ団に入り、傭兵となった。
その時、団長のログツォから「テメエだけ呼び名がないのは不便で仕方がねえ」と、「オーク」というあだ名を付けられたのである。
「樫の木の大樽のような大男、ってえ意味でオークだ。どうだ? デケエお前にピッタリの名前だろう?」
「オーク・・・。俺の名はオーク」
こうして名無しの傭兵は、オークという名前を得た。
誰でもない男は傭兵オークとなったのである。
そしてこの時から、彼はヤマネコ団というかけがえのない居場所を得たのであった。
「グルルルル・・・」
オークは唸り声を上げ、相手を威嚇した。
こんな風に巨漢のオークに凄まれれば、子供なら、いや、大人でも、怖気づいて震え出してしまうものである。
しかし、目の前の亜人は――カルネはひるまない。
逆に闘志をむき出しにしてこちらを睨み付けて来る程だ。
(コイツ・・・俺が怖くないのか?)
実はオークはそれ程気が強い方ではない。調教師のシレラをビビリとからかう事が多いのも、自分より気の弱い者を相手にする事で安心を得たいという心理が大きかった。
本人の気は弱いが、大抵の場合、巨漢の彼がすごむだけで、相手は肝を冷やしてすくみ上ってしまう。
オークの威嚇は、気弱な彼が身に着けた自衛のための手段――虚勢だったのである。
目の前の亜人は手強い。おそらく、攻めて来た亜人の中でも中心的な人物――ヤマネコ団で言えば幹部レベルか、団長に相当する立場の人物――である事は間違いないだろう。
オークはこの男に一騎打ちを申し込み、敵から引き離す事にした。
仲間を守るための、そしてヤマネコ団という大事な居場所を守るための献身的な行為。彼は自ら苦労を買って出たのである。
亜人の男はオークの挑発に乗って来た。
確かにここまではオークの思惑通りだった。
しかし、男の粘り強さは完全にオークの予想を超えていた。
たかが山奥の村の力自慢。そう侮っていたオークは、早々に自分の判断を後悔するはめになっていた。
(くそう・・・何でこんな事に。痛てえ、痛てえよお。誰か、誰か助けに来てくれ)
予想外の苦戦に心の中で弱音を吐くオーク。
クロ子が到着した事を知り、俄然やる気を取り戻したカルネ。
二人の間には、戦士としての力量、肉体の強さの差を超えた、決定的な心の差が生まれていた。
人知れず山の中で戦う、カルネとオーク。
両軍を代表する大男同士の対決は、じきに片方の死という形で決着を迎えようとしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
あっけないものだったわい。
私は戦場となっていた森の広場を見回した。
私が敵の四天王、次いで後ろでチョロチョロ矢を飛ばして来ていた目障りな狙撃手を始末した事で、敵は大きく動揺した。
戦いを決定づけたのは、その直後。
鷲鼻の偉そうな男が、大声で名乗りを上げながら私に襲い掛かって来たのである。
「俺はヤマネコ団の団長ニードル! お前達はここから一歩も先へは行かせんぞ!」
『最も危険な銃弾』
「ギャッ! ぐうううう・・・お前達、戦え、敵をここで食い止めるのだ」
コイツはバカか? さっき四天王がやられたのを見ていただろうに。
お調子者の団長は私の魔法をお腹に食らって、内臓をぶちまけながら地面に倒れた。
瀕死の息の中、それでも団長はうわごとのように、戦え、戦えと、部下達に戦闘を要求し続けた。
お前怖いよ。どんだけ戦争好きなんだよ。引くわ。
敵とはいえ、これ以上行き恥を晒させるのは私の趣味ではない。介錯し申す。
『最も危険な銃弾』
パンッ! という乾いた破裂音と共にグロ注意。団長の顔面がはぜた。
こうして戦闘狂の戦いに染まった人生は、戦いの中でその幕を閉じたのであった。
ナムアミダブツ。
「ニ、ニードルが・・・」
「ひ、ひいいいいっ!」
四天王に引き続いて団長もやられた事で、完全に敵の戦意が折れたらしい。
彼らは次々と武器を放り投げると、その場で膝を付いて命乞いをした。
「まいった! 降参だ! 助けてくれ!」
「ひ、ひいいいいっ!」
さっきから妙にヒイヒイうるさいヤツが気になる件。
それはさておき、こうして敵は・・・ええと、ヤマネコ団だっけ? は次々と降伏。
戦闘はアッサリと終わったのであった。
戦闘が終わると、次は捕虜に対する尋問である。
今回、捕らた相手は十数人。更には負傷して動けない敵も合わせるので、全体で三十人近くにもなる。
対してこちらでまともに動けるクロカンの隊員は四十人程。
ぶっちゃけ、捕虜を見張っているだけで結構な負担である。
逃げた敵も追わなきゃならないしで、正直、コイツらの存在はかなり足手まといだ。
とはいえ、流石に降参した相手を、「邪魔だから」という理由で殺してしまう訳にもいかない。
いっそ、団長の命令を聞いて一兵残らず玉砕するまで戦ってくれていれば楽だったのに、とか思ったのは秘密だ。
ちなみに水母はケガ人の治療を行っている。
ただし味方の。人間の方は治さないのかって? まあこの後の状況次第かな。
自分達で勝手に治療するのまで止めはしないけど。
クロカンの隊員達にも重傷を負った者はいたが、幸い、命を落とした者はいなかった。
黒い猟犬隊の犬達の中には、何匹か犠牲者が出たようだが。
これは犬と人間の装備の差、という理由もあるが、人間達が積極的に止めを刺しに来なかったせいでもあるようだ。
どういう事かって? ヤツらは亜人を奴隷として捕まえに来たからな。
戦闘に使えるような若い男は、奴隷としても価値が高いのだろう。つまりは、完全に向こうの事情。ヤツらは奴隷の商品価値を下げたくなかったのである。
そう考えれば素直に喜ぶ気にもなれんわな。
おっと、そんな事よりも、今はさらわれたプルナの無事を確認しなければ。
しかし、返って来たのは意外な返事だった。
『プルナの姿がどこにもないって? 一体どういう事?』
「それが、コイツらにも良く分かっていないみたいなんだ」
どうやらプルナは戦闘で敵の監視が緩んだ隙を突いて、自力で脱出したようである。
何というバイタリティー。アクション映画のヒロインか。
いやまあ、それだけ必死だったんだろうけど、また面倒な事になったわい・・・
いや、考えてみれば、もし彼女が敵に囚われたままだったとしたら、戦闘中に人質として利用されていたかもしれない。
だったら逃げて正解だった、という事になる。
ふむ。無事である事は確認できた訳だし、今はひとまず良い方向に考えようか。
「クロ子、どうする?」
『もちろん捜すわ。クロカンから十人程、プルナの捜査に向かって! 黒い猟犬隊はクロカンの隊員達に協力! プルナの捜索に協力して頂戴!』
『『『応!』』』
後で知った事だが、実はこの時、プルナは既に見付かっていたそうだ。
ウンタとマサさんがこの場にいなかったのは、彼女を迎えに行っていたかららしい。だが、その時は戦闘の最中で、この話を聞いていた者はほとんどいなかった。
そして捜索隊が森に入ったすぐ後に、この話を聞いていた数少ない人間――第二分隊の強面の分隊長、トトノが、捕虜の尋問を終えて私の所へやって来た。
つまりは丁度入れ替わりになってしまったという訳だ。この時の私は知らなかったのだが。
「おうい、クロ子。人間達から話を聞いて来たぞ。やっぱりコイツら人間の国の軍隊じゃなくて、ようへい? 雇われて戦争に行く一般人だったみたいだ」
『ああ、やっぱり傭兵団だったのね。装備も不揃いだし、ヤマネコ団なんてシャレオツな名前を付けてたから、そうじゃないかと思ってたわ。それで、どこの国から来た傭兵な訳? お隣のヒッテル王国?』
「しゃれおつって何だ? コイツらは法王国の人間だってよ。わざわざメラサニ山を越えて来たんだそうだ。ご苦労なこったな」
『法王国?』
その名を聞いた瞬間。瞬時に私の頭にカッと血が上った。
アマディ・ロスディオ法王国。
この夏に旧亜人村を襲い、大勢の村人をさらい、パイセンを殺したヤツらだ。
パイセンを――この世界で唯一の同胞者を――失った悲しみ、私は忘れた事はない。
あの時、彼を焚きつけるような事をしなければ。あの時、別々にならないで一緒に行動していれば。そんな風にクヨクヨと考え続けて来た。
あの時の相手は法王庁所属の部隊、つまりは国家の軍隊だった。そして今回、法王庁とは何ら関係の無い傭兵団が、再び亜人をさらうために私達の前に現れた。
軍隊も傭兵もない。国家も一般人もない。結局、法王国のヤツらは全員同じ穴のムジナだったという訳だ。
アマナ教の水を飲んで育ったヤツらは、本質的には何も変わらないのである。
いいだろう。ならば私はお前達の敵として立ちはだかろう。
パイセンの命を奪い、再び亜人を奴隷として連れ去れろうとしたお前達を、私は決して許さない。
人間至上主義、くそくらえ。
私はお前達の神、アマナ神を否定する。
今後一生、お前達と分かり合うつもりは無い。
お前達にその価値はない。
私は暗い決意を秘めて顔を上げた。
急に険しい表情で黙り込んだ私を心配したのだろう。いつの間にか周囲にクロカンの隊員達が集まっていた。
『――みんな、決めたわ。法王国の人間は捕虜にしない。コイツらはこの場で全員殺す事にしたわ』
「お、おい、クロ子! そんな事をして、本当にいいのか?!」
「へっ! そんなもの、いいに決まってるじゃねえか!」
驚く隊員達の中、強面の分隊長、トトノだけは喜色を浮かべた。
「コイツらは俺達を奴隷としてさらいに来たんだぞ! そんな相手に遠慮してどうする! お前らもう忘れたのか?! 人間達はこの夏に俺らの村を襲い、俺達や俺達の家族を捕まえたんだぞ! コイツらはその軍隊が来たのと同じ国から来た、ヤツらの仲間だ! 同じ国の人間なんだぞ!」
「!!」
トトノの言葉に、ためらっていた者達も一様に表情を硬くした。
誰もがあの時の恐怖、そして絶望感を忘れた訳ではないのだ。
「――そうだな。確かにトトノの言う通りだ」
「お、おい、待てよ。いくら相手が俺達をさらいに来た人間とは言え、相手は降参して謝っているんだぞ。武器を手放した者の命を奪うのか?」
「なら、俺達が武器を捨てて謝れば人間は俺達を見逃してくれるのか? どうだ?」
「そ、それは・・・」
「俺はやるぜ」
「ああ、俺もだ」
隊員達は次々と剣を抜き放つと、捕虜の人間達の方へと向かった。
捕虜達は、この場の異様な雰囲気で、ある程度の事情を察したのだろう。慌てて懇願を始めた。
「ま、待て! 頼む! 許してくれ! お、俺達は団長の指示に従っただけなんだ!」
「見逃してくれ! 俺には生まれたばかりの子供が――ギャアアア!」
「こ、コイツら、やりやがった! 逃げろ! 殺されるぞ!」
「ま、待て――ウグッ! ゲハッ! や、止め・・・グッ」
捕虜達は仲間を押しのけ、我先にと逃げ出そうとしたが、劣化・風の鎧の魔法で身体強化したクロカンの隊員達の足には敵わない。
すぐに背後から追いつかれ、無防備な背中を切りつけられていった。
こうして虐殺が始まった。
捕虜になった人間達が全員息絶えるまで、ものの十分とはかからなかった。
次回「メス豚、気まずい思いをする」




