その29 メス豚とスローライフ
私はぼんやりと村の畑を眺めていた。
パイセン達は何やら灰色の砂のようなものを畑に撒いている。
色は白っぽい灰に見えるが、砂のような粒状の物質だ。
「これは過リン酸石灰、畑の肥料だよ」
パイセンの説明によると、リン酸は”肥料の三要素”の一つなんだそうだ。
「畑の肥料は、チッ素、リン酸、カリウム。中でもリン酸は”実肥”と言われるほど、植物の開花や結実に関わる栄養素なんだ」
パイセンは「ちょっと待ってろ」と言うと、畑の側の建物から壺を抱えて来た。
中に入っているのは薄汚い破片――動物の骨を細かく砕いたものだった。
「動物の骨にはリンが含まれている。だから最初はこの骨粉を肥料として畑に撒いていたんだ。だがリンは水溶性じゃないから効果が弱いというのは分かっていた」
パイセンは再び「ちょっと待ってろ」と言うと、今度は別の壺を抱えて来た。
何だか忙しいヤツだな。
「ゼエ、ゼエ・・・ コイツはアルム石、つまりはミョウバンだ。これを手に入れるのは苦労したぜ。人間の商人の中にも話の分かるヤツがいるんで、そいつから融通してもらったんだ」
ミョウバンくらいは知っているだろ? と聞かれたけど、知らないって。
何だかどこかで聞いた名前のような、そうでもないような・・・
『あっ、思い出した! 確かミョウバンの水溶液で大きな結晶を作ったわ』
「ああ、それ俺も子供の頃やったわ。ああいうじれったいの苦手でさ。それはそうと、ミョウバンの水溶液は酸性で殺菌・消臭効果があるんだ。質の悪い井戸水の不純物を沈殿させるのにも使うから結構流通しているそうだ。で、コイツを乾留する事で硫酸が作れる」
パイセンは地面にしゃがみ込むと図を描き始めた。
試験管の中に試料を入れて火であぶって気体を取り出すアレだ。
乾留という言葉は聞き覚えが無かったが、要は蒸し焼きだ。
『ああ、それなら理科で実験したっけ。木を蒸し焼きにすると木炭になって、木酢液とタールと木ガスが取り出せるってヤツ』
「そうそう、それだ。それをミョウバンでやれば硫酸が取り出せるんだ」
マジか。硫酸ってそんなに簡単に作れるんだ。
もっと複雑な工程が必要なのかと思ってたわ。
パイセンは「まあ口で言う程簡単じゃなかったけどな」と苦笑いを浮かべた。
『へえ、劉さんってそうやって作るんだ』
「劉さんって誰だよ、劉さんって。そうやって取り出した硫酸で骨粉を処理する事で、ようやく肥料に使える水溶性の過リン酸石灰が作れたわけだ。いやあ、ここまで来るのにはマジで苦労したぜ」
しみじみと感慨にふけるパイセン。
その表情には無駄にやり遂げた男感が漂っている。
モーナがコッソリ「みんな面倒くさがってククトの説明を聞いてくれないから、クロ子ちゃんに話が出来て嬉しかったのよ」って教えてくれた。
いやまあ私も大概面倒くさいと思ったけど、数少ない転生者同士だし、あまり無下にするのもちょっと・・・ねえ?
まあこうして聞いているだけでも大変そうな話だし、実際に試行錯誤して生産にまでこぎつけたパイセンの苦労は相当なものだったくらいは分かる。
パイセンがまだ子供だった頃、不作の年に村では口減らしが行われたらしい。
まだ幼いパイセンの妹やモーナの弟もその時に犠牲になったんだそうだ。
そんな不幸な子供を二度と作らないためにパイセンは頑張ったのだ。
その努力を茶化すようなマネは私には出来なかった。
「俺はモーナに食事の時くらいは、気兼ねなしで腹いっぱい食べてもらいたいためにここまで頑張ったんだ!」
「もう! 毎回言ってるけど、私そんなに大食いじゃないからね!」
お前が茶化してどうすんだよ!
さっきの私の話を即座に否定してんじゃねえよ!
いやまあ、パイセンは口ではこう言ってるけど、きっかけがこれ以上の不幸を生まないためなのは明らかだからな。
きっと、これ見よがしに正論を振りかざすのが恥ずかしいだけなんだろう。
照れ隠しなんだよな? なっ?
・・・本当に彼女の食事のためじゃないよな。
「あっ! クロ子見ーつけ!」
ちいっ。現れおったか。
私は素早くダッシュ。
小さな手が私を捕まえ損ねて空振りした。
「クロ子待てーっ!」
私を追って来るのはやんちゃそうな幼い女の子。
この村の私の天敵ピットだ。
ピットは懸命に私を追いかけるが、子供に捕まるような私じゃない。
豚の逃げ足を侮るなかれ。豚は100mを9秒切る程の俊足なのだ。
オリンピックに出たら金メダル間違いなしである。
豚はオリンピックに出られないけどな。
ははははっ。見たまえこの圧倒的な速さを。
私は全力ダッシュでピットを振り切ると――疲れて立ち止まった。
豚は見た目よりも足が速い。ただし長距離は走れない。短距離のみのガラスの足なのである。
疲れた私をモーナが抱き上げた。
ああん。堪忍してつかーさい。
「はい。意地悪しちゃダメよ」
「うん! クロ子遊ぼう!」
・・・仕方ない。遊んでやるか。
私は村の子供達に大人気だが、中でもピットは特に気に入って、私を見つける度にこうして寄って来る。
それはいいのだが、家に帰ろうとするとギャン泣きして離さないので閉口しているのだ。
まあ子守りは前世の頃からよくやっていたからな。
働かずに食わせて貰っているんだ。少しは役に立つ所を見せないと。
こうして私はヘトヘトになるまでピットの遊びに付き合う羽目になるのだった。
やっぱ私この子苦手だわ。
さて今はお勉強の時間である。
周囲には私の他に、ピットを始めとする村の子供達が集まっている。
先生はパイセン。
モーナが嬉しそうに恋人を見守っている。
この村に学校は無いが、仕事の合間にパイセンが子供達に色々と教えているそうだ。
――と、一見するとほのぼのとした青空教室の風景だが、ここまでこぎつけるのには大変な苦労があったらしい。
「俺が子供達を集めて、知恵を付けるのが面白くない大人も多くてな」
あー、なんか分かるわ。
要はあれだ、学校で何かが流行ると先生が禁止するあの感じ。
子供達が集団で何かに夢中になってると、「これは良くないんじゃないか」って思っちゃうんだろうな。
単に自分達が理解出来ないものに反発があるだけだったりするんだが、大人ってそういうもんだよなあ。
「そういう大人達はモーナが説得してくれたんだよ」
モーナはこの亜人村の村長の娘なんだそうだ。
そのモーナが先ずは両親を説得して、そこから根気強く周囲の大人達に理解を求めていったんだそうだ。
パイセンにはもったいない出来た娘さんやで。
「モーナは俺にはもったいない立派な女の子だよ」
『せやな』
「もう。いいから授業を初めて頂戴」
私達の褒め殺しにモーナは真っ赤になってパイセンの背中を叩いた。
こんな反応も可愛い子やな。初々しいで。
「オッサンか。まあいい、今日は人間の国について勉強しようか」
パイセンは私をチラリと見て話し始めた。
なるほど。私もそこは気になっていた。
パイセン、ナイスチョイス。
パイセンは地面に円を描くとその周囲に三角をいくつか描いた。
「この村の周りはこうやって山に囲まれている。で、この山の南には中原の三大国家のひとつ、アマディ・ロスディオ法王国があるんだ。アマナという神様を祭る大きな国だ」
この世界の宗教というのは少し独特で、どの国も”大二十四神”と呼ばれる二十四柱の神様を崇めている。
二十四も神様がいたら大変なんじゃないかって? 実は国によって自分達に好みの神様をチョイスしているのだ。
ちなみにパイセン達の村では”豊穣の神”を崇めているらしい。だからといって他の神様を崇めるのが許されていないという事もないそうだ。
勝負の時には”勝利の神”に祈るし、恋愛の時には”愛の神”に縋る。
この世界の神様は割と融通が利くみたいだ。
「アマナは何の神様なの?」
「アマナ神は大二十四神に含まれていない。法王国が作った新しい神様なんだ。強いて言うなら”人間の神”かな」
なるほど。アマディ・ロスディオ法王国とやらは新興宗教国家というわけだ。
新興なだけあって、三大国家の中でも一番新しい国らしい。
誕生以来あっという間に勢力を拡大して、中原の南を占める一大国家になったんだそうだ。
ちなみに法王国の更に南には熱帯雨林のジャングルが広がっていて、それ以上の南下を阻んでいるらしい。
「そのため近年では西の大モルトの方へ領土を伸ばそうとしているようだな。それもあってこの両国は非常に仲が悪い」
大モルトも三大国家の一つだ。
こちらは三大国家の中でも最大の面積を持つものの、人口密度はさほど高くないらしい。
大陸の内陸部になるために農業に適した土地が少ないのが原因だ。
その狭い土地を巡り、国内でも常に争いが絶えないそうだ。正に修羅の国。
しかし、逆に言えば国内に問題を抱えているために、大モルトが他国に攻め込む事はほとんどないとも言える。
他国に軍を進めている間に国内でクーデターでも起こったらたまらないからな。
「法王国では人間以外の生き物は全てアマナ神が人間に与えたものだとされている。だから俺達亜人も彼らにとっては豚――馬や牛と変わらないんだ」
パイセンはこの場に私がいたのでちょっと言い直した。
しかしそうか。法王国は亜人を認めない人間至上主義国家なんだな。
そんな国が山のすぐ南に位置しているのか・・・
私は「イヤな話を聞いたな」と、少しだけ憂鬱な気分になった。




