その305 メス豚と黒い猟犬《ブラック・ガンドッグ》
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村にまで入ったのは拙速だったか。
アマディ・ロスディオ法王国の傭兵団、ヤマネコ団の狩人、アルードは内心で舌打ちをした。
元々はさほど難しくもない偵察任務のはずだった。
目的は山野に住む亜人達の村を発見する事。
捜索範囲こそ確かに広いが、野外活動に慣れたアルードであれば、それ程問題になるとは思えなかった。
唯一、魔獣の存在だけが気がかりだったが、今の所それらしい痕跡は見付かっていない。
アルード本人は、本当にそんな生き物がいるのかすら怪しんでいた。
亜人の村は比較的すぐに見付かった。
とはいえ、何百人もの人間の集団が家を建て、畑を耕して生活しているのだ。いくらここが深い山の中とはいえ、近付いただけで痕跡を発見する事は容易だ。
アルードにとって、ここまでは想定通りだった。
(だが、亜人の村の規模は俺の想像を超えていた)
亜人の村の周囲は、高い土塁と深い堀で囲まれていた。
まるで砦のようだ。とは、傭兵少年のベネがこの村を見た時に漏らした感想である。
村の位置は分かったが、イヤな予感がする。ここを攻めるならもう少し情報が欲しい。
そうアルードが警戒する程、村の守りは固く、堅牢に見えた。
そんな時、二人の亜人の少女が森の奥から姿を現した。
幸い辺りに人影はない。
(これはチャンスだ)
アルードは少女達を捕え、村の情報を聞き出す事にした。
あるいは予想外の村の規模に、アルードの中に焦りがあったのかもしれない。
少女達は人間の姿に慌てて逃げ出そうとしたが、それを許すアルードではない。
彼が妹と思われるまだ幼い少女を捕まえると、姉と思われる年上の少女は諦めて彼らに従った。
少女達から得た情報は驚くべきものだった。
「目の前の村は無人で、今は使われていないだと?! そんなバカな事があるか!」
二人の案内で実際に村の中に入ってみると、家畜の姿も見えないし、畑も雑草だらけで荒れ果てている。
焼け落ちた家があちこちにある事から見て、最近ここで戦いが行われたのは間違いないだろう。
確かに誰も住んでいないとしか思えなかった。
「ひゃあ~! スゲエな、この投石機! こんなデカイの見た事ないぜ!」
ベネが真新しい投石機を見て感心の声を上げた。
こんな物を作る技術まであるのか! アルードは益々、亜人達に対しての警戒心を強くした。
「確かにここには誰も住んでいないようだな。おい、お前達亜人が今、住んでいる村はどこにある? ここから遠いのか?」
「人間?! どうして人間が俺達の村に!」
その時、背後から男の声が響いた。
振り返ると、そこには亜人の青年が一人。驚きの表情でこちらを見ていた。
「ちっ!」
アルードは咄嗟に剣を抜くと、男に襲い掛かった。
結果として彼は亜人の青年を仕留めそこない、更には亜人少女の妹にも逃げられてしまった。
「す、すまねえ、アルード。俺のせいで」
「もういい。それより驚く程足の速い男だ。俺では追いつけなかった。アイツめ、足場の悪い森の中を、まるで平地のように走って行った」
「マジかよ。アルードが敵わないなんて・・・」
逃げた亜人が仲間を呼んで来る前に、急いでこの場を離れなければならない。
しかし、その前に――
アルードはベネに捕らえられた少女――姉の方の亜人少女を見つめた。
足手まといだ。この場で殺すか。
アルードは剣を握った手に力を入れた。
彼の放つ殺気を察したのだろう。ベネが慌てて彼の腕を押さえた。
「待ってくれよアルード。俺達は亜人を捕まえに来たんだろう? 殺しちまったら元も子もないじゃねえか」
「なんだと? 知った風な事を言うな!」
「そ、それに亜人達はとっくにここを出て、どこか別の場所に移り住んでいるんだろ? だったらその情報が、今の村の場所を知ってるヤツが必要なんじゃねえか」
「むっ――それは確かにそうだが」
アルードは少し考えた後で、結局、少女を連れて行く事にした。
村の情報も勿論、必要だが、頭が冷えてみれば、この若く健康的で美しい少女を殺してしまうのが惜しくなったのだ。
(それにいざとなれば、追手に対する人質として使えるかもしれないからな)
アルードはベネに「今度こそ逃がすなよ」と命じると、村を後にする事にした。
「チビの亜人は捜さなくてもいいのか?」
「そんな時間はない。俺達の存在がバレてしまった以上、いつまでもこの場にいては危険だ。行くぞ」
こうして彼らは村を出て、傭兵団の仲間達と合流する事にしたのであった。
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私はクロコパトラ歩兵中隊の隊員達と集まっていた村人達に、現在の状況を説明した。
「そんな! プルナが人間にさらわれたなんて・・・!」
プルナの母親がショックのあまり崩れ落ちた。
娘のリッツが泣きそうな顔になる。
「お母さん、ごめんなさい。お姉ちゃんは捕まってた私を助けようとしたの――」
元々、人間に捕まったのは妹のリッツの方だったらしい。
姉のプルナは、妹を人質に取られて従わざるを得なくなっていたそうだ。
村長代理のモーナが痛ましげな表情で二人を見つめた。
「クロ子ちゃん、お願い。プルナを助けてあげて」
モーナはプルナの友人だ。心配でたまらないのだろう。
勿論、私も彼女を見捨てるつもりはない。
だが、今回に限っては私の前に厄介な問題が立ちはだかっているのだ。
考え込む私に、クロカンの分隊長、大男のカルネがイライラと足を踏み鳴らした。
「どうしたクロ子、いつものお前らしくない! 早くみんなで助けに行こうぜ!」
『――その事なんだけど。ちょっとみんなに聞いて貰いたい話があるの』
元々、私は隊員達にこの話をするために村に戻って来たのだ。
私は彼らに私の推理を――例の牛トカゲの件を――説明した。
『という訳で、人間達は牛トカゲの探知能力を利用して、私の接近を事前に察知していたんだと思う。だから、私がプルナを助けに行くと、人間達はそれを知って逃亡に邪魔・・・ええと、私を察知して逃げ出してしまう可能性が高いと思う』
私は「逃亡に邪魔なプルナを殺すんじゃないか」と言いかけて、慌てて誤魔化した。
幸い、プルナの母親は気が付かなかったようだが、隊員達の中には敏感に察した者達もいたようだ。
何人かの顔がサッとこわばった。脳筋のカルネはいつものまんまだったが。
「じゃあどうするんだ? 俺達だけで追いかけるのか?」
「けど、人間と戦いになるんだろう? 流石にクロ子がいないのは厳しくないか?」
「そもそも俺達だけでヤツらの後を追えるのか? どっちに逃げたのかさえ分からないんだぞ」
確かに。
しらみつぶしに当たろうにも、我々には時間も人手も足りていない。
グズグズしているうちに日が落ちれば、それ以上の追跡は断念せざるを得なくなるだろう。
そしてもう午後を回っている。日が沈むまであまり時間は残されていない。
クロカンの副官――ウンタが私に振り返った。
「どうする? クロ子。俺達だけでやるか?」
『・・・私に考えがある。我々の新たな戦力。新設した例の部隊を使うわ』
「例の部隊? まさかアイツらを使うのか? だが、アイツらはまだ魔法を使えないだろう」
ウンタが驚きに目を見張った。
『きっと大丈夫。こんな時のためにハリィに彼らの特訓を頼んでいるんだし。ぶっつけ本番になってしまったけど、きっとやってくれるはずだわ。――水母! 彼らをここに呼んで頂戴!』
『通信開始』
今は彼らを信じるしかない。私は村の奥へと――その先にある水母の施設へと視線を向けたのだった。
それから待つ事数分。
四十頭程の野犬達が私の前に集合した。
いつもの野犬の群れ――ではない。
彼らは全員、額から黒い角を一本生やしていた。
一頭の大きなブチ犬が私の前に進み出ると、行儀よくお座りした。
アホ毛犬コマの父親、マサさんである。
『黒豚の姐さん。全員集合しやした』
『うむっ』
誇らしげなマサさんの額にも、黒い角が生えている。
そう。彼らこそが今回の切り札。野犬達による魔法部隊である。
彼らは全員、水母によって手術を受けて額に角を――魔力増幅器官を移植され、今では魔法が使えるようになっているのである。
『だよね? ハリィ?』
「一応、全員、俺達の魔法は使えるようにはなっているぜ」
クロカンの分隊長、魔法使いハリィが大きく頷いてサムズアップをした。
ならば良し。
私はお座りをしたままの魔法犬達に振り返った。
『今からお前達は私の指揮下に入る。名前はそうね、黒い猟犬! それでは黒い猟犬隊の諸君、君達に任務を与える! クロカンの隊員達と協力して逃げた人間達を追ってくれたまえ!』
『『『『応!!』』』』
魔法犬達は一斉に立ち上がると、嬉しそうにワンと吠えた。
そしてそれだけでは興奮が収まらなかったのか、千切れんばかりに尻尾を振りながら、私達の周りをグルグルと回り始めた。
「おい、クロ子。本当にコイツらで大丈夫か?」
『大丈夫だ。心配ない』
「いや、そうは言ってもな・・・」
『私は彼らの事を信頼している』
「あそこで隊員の足にしがみ付いて、カクカクと腰を振ってるヤツとかいるんだが」
『・・・彼らならやってくれるはず。きっと』
だからそんな目で見ちゃイヤン。
次回「メス豚、相談される」




