その303 メス豚、思い出す
あれから二日が過ぎた。
私は今日も今日とて、人間達の集団を発見する事が出来ずにいた。
『・・・今なら航空自衛隊の皆さんの苦労が良く分かるわ』
航空自衛隊のスクランブル発進回数は、以前は年間三百件程だったそうだ。
しかし、2010年以降は中国機の東シナ海への侵入が増えた結果、なんと年間千件程――以前の三倍にも激増しているという。
前世では当たり前のように母国日本は平和な国だと思っていたけど、それって自衛隊の人達が周辺国家の脅威から守ってくれていたからなのよね。
防衛費増額に反対している人達は、一度自分で国の防衛を体験してみればいいと思う。
ありがたみが分かると思うから。
実際、今、私が思い知らされている最中だから。
『また、毎回、場所を変えて侵入して来るのが、地味に厄介なのよね・・・』
私はブツブツ呟きながら地面を掘り返した。
敵集団は縄張りの周囲をウロウロしては、いつも違う場所から入り込んで来る。
その度に、私はスクランブル発進の自衛隊機よろしく、現場へと急行していた。
あるいは敵は、そうやって様々な場所から出入りを繰り返す事で、こちらの防衛網の穴を探っているのかもしれない。
なんて厄介な。
『いやらしいヤツらだよ、ホント。また、敵の姿どころか、正体も目的も不明ってのがキツイのよね』
敵の規模も狙いも分からないというのは、想像以上に精神的に堪える。
一体、いつまでこうして敵に翻弄され続けなければいけないのか。終わりの見えないマラソンというのは本当に辛い。ストレスマッハである。
ちなみに、さっきからなぜ私が地面を掘り返しているかと言うと、山芋堀りだ。
いつものようにスクランブル発進が空振りに終わってガッカリしていた所で、ふと、「そういえばこの近くに野生の山芋の群生地を見つけていたっけ」と思い出したのである。
せっかく、こんな所まで来たのだ。寄り道するくらいの役得があっても良いだろう。
ていうか、やけ食いでもしないとやっとれんし。
ちなみに植物の中には毒を持つものも結構多いから、みんなは私のマネをしないようにな。
私は掘り起こした山芋を頬張りながら、背中のピンククラゲに相談した。
『ねえ水母。アンタの力でどうにか出来ない? 大モルト軍の館でやった時みたいに、あちこちにマイクを仕掛けておくとかさ』
王都の南に位置するリゾート地、パルモ湖畔。
大モルト軍はその地を占拠し、王城と交渉を重ねていた。
さっき私が言った「大モルト軍の館」とは、大モルト軍が接収して本陣としていたコラーロ館の事で、私達は館のあちこちに水母の体の一部を隠し、それをマイク代わりにして情報収集を行っていたのである。
『性能不足』
『やっぱムリか~』
水母はアッサリと否定した。
まあ、そうじゃないかと思っていたけど。
私の縄張りはかなりの広範囲に及ぶ。
その全てを網羅するには、マイクの数も足りなければ、通信距離も不足しているのだろう。
『むしろ、クロ子の魔法の使用を推奨』
『私の魔法? そんなのあったっけ? ――ん? ああ、あれの事かな?』
私は山芋をシャリシャリ咀嚼しながら思い出した。
水母のオススメ魔法。それは私が魔視と名付けた魔法である。
魔視の魔法の原理は、前世でのレーダーや魚群探知機に良く似ている。
連続して魔力波を放ち、その跳ね返りを受ける事で範囲の魔力を持つ物体を感知するのである。
要はあれだ、光を目で受けて物を見る代わりに、魔力波を魔核で受けて物を判別するって訳。
魔力波は電波のように遮蔽物を回り込む性質があるため、完全な密閉空間にでもいない限り、対象はこの魔法から隠れる事は出来ない。
障害物の多い山の中で使うには、正にうってつけの魔法と言えた。
『う~ん、確かにそうかもしれないけど、あれってせいぜい五十メートルくらいの距離しか使えないのよね。今回はちょっと射程不足かな』
ちなみに魔力波自体はかなりの距離まで飛ぶのだが、そこまで行くと流石に減衰が大き過ぎて、私の脳みそでは情報を処理しきれない。
『魔視の魔法の本家本元。牛トカゲ先生なら、私の十倍の距離でもいけるらしいけど』
牛トカゲというのは、魔視の魔法を使う竜である。正式名称は地竜だっけ?
見た目は文字通りの牛トカゲ。牛とトカゲを足して二で割ったような姿をしている。
元々、魔視の魔法は、彼らが使っているのを見て覚えたのである。
ん? 牛トカゲ?
はて、何かが記憶のどこかに引っかかるような・・・
『って、ああああああっ! 思い出した! それだ! 牛トカゲ!』
私はハッと立ち尽くした。
大きく開いた口から、山芋の切れ端がポロリとこぼれ落ちる。
『注意力散漫』
『どうかした?! じゃないわよ! 牛トカゲよ! 牛トカゲ!』
そうだそうだ、ようやく思い出した! どこかで嗅いだ事のある匂いだと思ってたんだ! あれは牛トカゲの匂いだったんだ!
だとすれば・・・なる程、ふむふむ。そうかそうか、つまりはそういう事だったのか。
謎は全て解けた。
『ありがとう水母! おかげで人間達がどうやって私の事を探知しているのか、その理由が分かったわ!』
興奮する私に、水母は『解せぬ』とばかりに背中の上でフルリと震えたのだった。
私が牛トカゲこと地竜を見たのは、大モルト軍に呼ばれて王都へと向かう旅の途中での事だった。
王都を臨む峠道。その頂上付近に作られた砦で彼らは飼われていた。
牛トカゲは鈍重な上に力も弱く、荷車を引くのもイヤがるので荷駄馬の代わりにもならないらしい。
ではなぜ、そんな役立たずをこの国の軍隊は使っていたのか?
さっきも言ったが、牛トカゲは鈍重な上に臆病で力も弱い。
肉食獣に見付かればひとたまりもなく捕食されてしまう。
彼らは、強力な探知の魔法で離れた敵を見つけ、自分達の身を守っているのだ。
砦の兵士は、この牛トカゲの索敵能力を――探知の魔法を砦の防衛に利用していたのである。
『人間達の匂いに混じって、どこかで嗅いだ事のある匂いが混じっていると思っていたのよね。あれが牛トカゲの匂いなら、ヤツらが私の接近を探知出来る理由も分かるわ』
この世界の物質は――それが生き物であれ、岩や鉄のような無機物でさえ――大なり小なり魔力を含んでいる。
魔視の魔法は魔力波を発信し、その範囲内にある物体(の魔力)に当たって反射して来た魔力を視るものだ。
私の保有する魔力量は、前魔法科学文明の知識を持つ水母すらも驚く程である。
牛トカゲにとってみれば、さぞ、他を圧倒する強力な反応に感じられる事だろう。
そして臆病な牛トカゲが、そんなヤバイ相手の接近に気付かないはずがない。
敵はその牛トカゲの様子を見て、私から逃げ出していたのである。
『分かってしまえば、なる程、そういうカラクリだったのね』
『対処方法』
こうして最大の謎は解けた訳だが、さて、ここからどうしよう?
さっきも言ったが、魔力波は遮蔽物を回り込む性質があるため、障害物を回析してしまう。
仮に物陰に潜んで近付いても、牛トカゲには丸分かりなのだ。
そして原因が私の魔力にある以上、分かっていても手の打ちようがない。
『この魔法って、自分で使う分には便利だけど、相手に使われると厄介ね』
『不憫』
同情するならアイデアをプリーズ。
ぐぬぬ・・・よもや私の強大な魔力量が仇となる日が来ようとは。憎い。強い自分が憎過ぎる。
『委託する?』
『ああ、やっぱそれしかないかぁ・・・。仕方がない。水母、一度、村に戻るわよ』
悔しいがこうなれば他人を頼るしかない。
ここはスッパリ諦めて、クロコパトラ歩兵中隊の隊員達に任せる他ないだろう。
『ウンタなら上手くやってくれるんじゃないかな。出来れば、不慮の事態に対応するためにも、私自身が対処したかったんだけど』
だが、相手に私以上の探知魔法の使い手がいるのではどうしようもない。
私は諦めて村を目指すのだった。
私が戻ると、村ではちょっとした騒ぎが起きていた。
「クロ子ちゃん! ウチの子達と会わなかった?!」
中年のおばさんが私を見つけると駆け寄って来た。
ウチの子達って誰の事?
戸惑う私に、村長代理のモーナが説明してくれた。
「プルナとリッツの事よ。プルナは私と同い年の子で、良くクロ子ちゃんにコスメをねだっていた子よ」
ああ、あのちょっとギャルっぽい感じの子か。
あれだ。元の世界で言えば、クラスカーストの上位グループにいるようなタイプ。って分かるかな?
陰キャ寄りの私としてはちょっと苦手な感じの子だ。別に嫌いって程ではないが。
ちなみにモーナは委員長タイプである。割と見たまんまだな。
どうやらそのプルナが、妹のリッツと一緒にいなくなったらしい。
「妹の化粧品をクロ子ちゃんに貰いに行く、って一緒に家を出たらしいんだけど、クロ子ちゃん、見ていない?」
『いや。今日は朝からずっと縄張りの外を走り回っていたから』
二人が仮に私を追って来たとしても、子供の足で追いつくのはムリだと思う。
それこそ、クロカンの隊員が劣化・風の鎧の魔法で身体強化しないと不可能だったんじゃないだろうか?
『村の中は捜したの?』
「それが村の外に出たらしいの。以前の村に――メラサニ村に向かって行くのを見たって人がいて。今、ハッシが追ってくれているわ」
ハッシはクロカンの分隊長で、村の職人のマニスお婆ちゃんの孫である。
村に残って冬支度の手伝いをしていた所にこの騒ぎを聞き付け、「だったら俺がひとっ走り捜しに行ってくるよ」とばかりに、二人の後を追って行ったんだそうだ。
『そう? だったら大丈夫なんじゃない?』
ハッシはオタク気質のインドア系男子とはいえ、あれでもクロカンの一員だ。身体強化の魔法も使えるし、すぐにでも二人に追いつくのではないだろうか?
その時、村の外から大きな声が聞こえた。
「みんな村に戻るんだ! ハッシが人間にやられた! 人間達が村の近くにやって来ている!」
驚いて振り返った私達が見た光景。
それはグッタリとしたハッシを背負ったまま、こちらに向かって走って来る、クロカンの隊員達の姿だった。
次回「メス豚と偵察員」




