その276 ~国王救出作戦~
◇◇◇◇◇◇◇◇
館の中が騒がしい。
日付の変わった深夜。
武装した兵達が駆けまわり、重そうな木箱を庭に運び出している。
かがり火が焚かれ、昼間のように明るくなった庭の中、次々と箱が開けられると、中からは大量のクロスボウとその矢が現れた。
兵士達は手に手にクロスボウを取ると動作を確認した。
そんな様子を眺めている、三十過ぎの長身の騎士。
家紋の入った立派な装備に、周囲を睥睨する佇まい。ひと目でこの部隊の指揮官であることが分かる。
彼は近くにいた兵士を呼んだ。
「庭師の男はどうしている?」
「はっ! 隊長のご命令の通り、拘束して小屋に閉じ込めてあります!」
兵士の返事に騎士は――ルーファス隊長は「うむ」と頷いた。
「くれぐれも危害を加えぬようにな」
「・・・どうしてでしょうか? ヤツはこの国の者でありながら、大モルト軍の密偵となってこの館を探っていた裏切り者です。誅殺されて然るべきかと思われますが?」
庭師の男は、大モルト軍の諜報部隊が送り込んだ密偵――スパイの疑いがあった。
不満を隠さない兵士に、ルーファス隊長は鷹揚に頷いた。
「気持ちは分かるが、それがロレンソ将軍のお考えだ」
「それは――それで隊長は納得されているのですか?」
ルーファス隊長は「無論だ」と肯定した。
「確かにあの男は、我々から見れば裏切り者かもしれん。だが、あの男にも守らねばならぬ大事な家族があるだろう。ここは大モルト軍の占領地だ。家族を大モルト軍に人質に取られ、国を裏切るように命じられているとは考えられんか? もしそうだとするなら、責められるべきはあの男ではなく、それを命じた卑劣な大モルト軍にあるのではないか?」
「――それは!」
兵士は息を呑んで立ち尽くした。
そしてルーファス隊長に指摘されるまで、その可能性に全く思い至らなかった自分に恥じいった。
「まあ、偉そうに言ったが、ロレンソ将軍の受け売りなんだがな。俺もお前と一緒で、庭師が密偵と知らされた時、怒りのあまり切って捨てようと考えたくちだ」
「隊長もですか?」
ルーファス隊長の軽口に、兵士は驚くと共に笑みを浮かべた。
既に準備万端整え、二人の話を聞いていた兵士達は、ロレンソ将軍の思慮深さに改めて尊敬の念を抱いた。
その時、開け放たれた館の入り口から、四十代半ばの騎士が兵を従えながら現れた。
噂をすれば影が差す。国王バルバトス救出作戦の指揮官、ロレンソ将軍である。
「ふむ。全員準備は終わっているようだな。各所に向かって出発の合図を放て!」
「はっ!」
将軍の命令を受けて、屋根の上に上がっていた兵士が天高く火矢を放った。
火矢は連続で四本。四方向へと放たれた。
ロレンソ将軍は兵士達に向き直った。
「これより国王バルバトス陛下、並びにイサロ殿下を大モルト軍からお救いするための作戦を開始する! 目指すはマサンティオ伯爵家の館! 作戦の成否は皆の働きにかかっている! 全軍、奮励努力せよ!」
「「「「おおーっ!!」」」」
こうしてバルバトス国王救出作戦が開始された。
余談だが、庭師の男は金目当てで大モルト軍に協力していただけで、別に家族を人質に取られている訳では無かった。
つまりはロレンソ将軍の温情は全くの的外れ。完全な空回りだったのだが、もしもこの事実をルーファス隊長達が知れば、庭師の命は無事では済まなかっただろう。
この夜、このパルモの地を騒がせた一連の事件の中で、一番幸運が味方していたのはこの庭師の男だったのかもしれない。
サバティーニ伯爵の――正確に言えば、サバティーニ伯爵に命じられたロリス・ロレンソ将軍が立てた国王バルバトス救出作戦。
それは事前に町の各所に分散した兵士を潜ませておき、合図と共に一斉に進軍させ、囚われの国王を奪還するというものだった。
随分と乱暴な策にも思えるが、場所は守りの目が届き辛い市街地。そして国王が囚われている場所も、堀も土塁もないただの館である以上、攻め手側が圧倒的に有利と言えた。
問題は町中が敵だらけという点にある。
大モルト軍が本格的に動けば、少数の彼らはなすすべもない。
これは時間との戦い。
いかに早く国王を救出し、町を脱出するか。
この計画の成否はその一点にかかっていた。
「急げ! 大モルト軍のヤツらに気取られるな!」
「出来るだけ音を立てるな! 敵に気付かれるのが遅れれば遅れるだけ、作戦が成功しやすくなるぞ!」
サバティーニ伯爵軍は小走りで国王が囚われているマサンティオ館を目指した。
しかし、百人からの大人数が、武装した状態で町中を駆け抜けている以上、音もたてば目立ちもする。
すぐに町のあちこちで騒ぎが起き始めた。
移動中の別部隊が大モルト軍の警備隊に発見されたのである。
「ロレンソ将軍! 味方の部隊が!」
「怯むな! 見付かるのも想定の内だ! 急げ!」
次第に騒ぎが大きくなる中、ロレンソ将軍達本隊は遂にマサンティオ館へと急いだ。
とはいえ、このパルモの町は王都の富裕層のリゾート地。元々それほど大きな町ではない。
彼らはさほど長く走る事もなく、息が切れる前に屋敷の門へと到着した。
「蹴散らせ! この国を荒らす侵略者共に正義の鉄槌を下せ! サバティーニ騎士団の力を世に知らしめるのだ!」
「「「「うわあああああっ!!」」」」
館の守備隊は事前に調べた時よりも明らかに増強されていた。
「だが、これも想定の内! 休まず攻め立てろ! 敵に矢の雨を降らせるのだ!」
実は戦力だけに限って言えば、この時点では守備隊の方が有利だった。だが、決定的に装備の質が――弓矢の数が違っていた。
ルーファス隊長達の遠距離攻撃に、守備隊はなすすべもなかった。
「ロレンソ将軍、我らが優勢です!」
「ああ! オスティーニ商会め、腰抜けのくせに良い品を調達してくれた! 少しだけ見直したぞ!」
クロスボウも含め、今回の計画にかかった資金を出し、武装を調達してくれたのは、王都で金融業を営むオスティーニ商会である。
大モルトの諜報部隊に屋敷が襲撃された事で、すっかり怯えて手を引いてしまったが、それまでに準備された武器だけでも既に十分な数が揃っていた。
サバティーニ伯爵側としては、逆にここで抜けて貰った方が、作戦の成功後、恩着せがましく口出しされる心配がなくなっただけ助かった、とも考えられるだろう。
守備隊の隊長は慌てて兵を下げると、館の門を閉じさせた。
守りを固めて増援を待つつもりなのだろう。防衛戦のセオリーとも言える判断だが、今回の場合、それは危険な賭けでもあった。
「ロレンソ将軍! 味方の部隊が到着しました!」
「よし! 我々はこのまま門を攻撃する! ルーファス隊長は到着した部隊を率いて、塀を乗り越え、内部に突入せよ!」
「ははっ!」
そう。ここは城でもなければ砦でもない。リゾート地の館である。
門の作りも丈夫とは言えないし、櫓も建てられていない。攻め込んで来た敵兵を迎撃するための作りにもなっていない。
塀の高さも低く、景観を損ねるのを嫌ってか、塀ではなく生垣になっている場所すらあった。
ルーファス隊長が率いる部隊は易々と低い塀を乗り越え、次々と館の敷地内へと飛び込んで行った。
サバティーニ伯爵軍によるマサンティオ伯爵館への襲撃。
その知らせは直ぐにコラーロ館へ、そして”七将”百勝ステラーノの下へともたらされた。
ロドリゴ・ステラーノは寝間着から鎧に着替えながら、部下からの報告を受けていた。
「とうとう動きおったか。それで館の防衛の方はどうなっておる?」
「門を閉ざし、抗戦の構えを見せておりますが、敵は塀を乗り越え、次々と館の敷地内に侵入している様子でした」
「ううむ・・・いかに防衛に向かない館とはいえ、不甲斐ない」
ロドリゴは不愉快そうに唸り声を上げた。
「孫を――マルツォをここに呼べ。援軍に向かわせる」
「はっ!」
部下は短い返事と共に部屋から駆け出して行った。
(守備隊を増員したが、それでも足りなんだか。サバティーニ伯爵め。ワシが思っていたより、やりおるようじゃ。どうやらこちらの想定以上に兵の数も装備も揃えておったらしい)
落ち目の伯爵家と侮っておったか。
ロドリゴは自分の判断が甘かった事を後悔した。
それから数分後。鎧に着替え終えたロドリゴの下に、先程の部下が戻って来た。
「マルツォ様はどこにも見当たりません。何人かの近習を連れて歩いていた所を見張りの兵士が目撃しておりますが、どこに向かったのかまでは分かりませんでした」
「なんだと?! こんな時にあのバカ者が!」
ロドリゴは額に青筋を浮かべると、テーブルに拳を叩きつけた。
別の部下が、慌ててマルツォを弁護した。
「マルツォ様は騒ぎを知り、援護に向かったのかもしれません」
「だとしてもワシに何の知らせも無く、勝手に動いて良い訳があるか!」
「わ、私の息子がマルツォ様から何か聞かされているかもしれません。ちょっと聞いて参ります」
怒鳴り付けられた部下は転がるように部屋を後にした。
ロドリゴは苛立ち紛れに、テーブルに乗っていた果実に皮ごと齧りついたのだった。
その頃、件のマルツォは愛用の槍を手に、数名の部下を連れて館の暗い通路を歩いていた。
(おジイは俺のする事に怒り狂うだろうな。許してくれと言える筋合いじゃねえが、せめて一言だけでも謝りたかったぜ)
コラーロ館には正面の門の他に、いくつかの小さな出入り口がある。
それらは使用人達が出入りするためのもので、知らなければ気付かないような場所にひっそりと作られている。
とはいえ勿論、警備の兵は配置され、二十四時間、常に館に出入りする者をチェックしていた。
ここはそんな通用口の一つ。
警備を担当していた兵士達は、近付いて来る足音に振り返った。
そしてその中に百勝ステラーノの孫、マルツォの姿を見つけて驚きに軽く目を見張った。
「これはマルツォ様。こんな深夜に何事ですか?」
「ああ。ここを通して貰おうと思ってな」
「構いませんが、外に出るなら明かりがないと足元も見えませんよ? なんなら誰かに取りにやらせますが」
「なに、構わない。ここを通るのは俺達じゃないからな」
「それはどういう意味――うぐっ」
肉を貫く異音。混乱した男の悲鳴。バタバタと入り乱れる足音。ドサリ、ドサリと立て続けに何かが床に倒れる音。
その後、重たいドアが開く音。
そして耳が痛くなるような静寂が続いた。
やがて外からガチャガチャと鉄の擦れる音が近付いて来たかと思うと、多くの足音が無人となった通用口を駆け抜けていったのであった。




