その270 メス豚、実演する
急遽始まった、私ことクロコパトラ女王によるメイク実演。
お試し相手はアンナベラの侍女、サンドラ。
当主夫人アンナベラは興味津々。食い入るように私の手元を見つめている。
「まずは下地となるスキンケアからじゃの。これはお肌のうるおいを補う目的があるのじゃ」
私は化粧水を取り出すと、試しに一滴、サンドラの手の甲に落とした。
「ほんのりと甘い良い香りがしますね。嗅いでいると気持ちが落ち着く気がします」
アンナベラもサンドラの手に顔を近付けた。
「香木の香り――これは乳香かしら?」
「うむ。肌に合わないという心配はなさそうじゃな。ちなみにこれは、山に生えている木から取った樹脂を(水母に頼んで)水蒸気蒸留したものじゃ」
乳香かどうかは知らん。亜人の村では「良い匂いのする木」として昔から利用されていたものらしい。
パイセンのお婆ちゃんが教えてくれた。
この化粧水は将来、人間の商人と交易をするようになった時、村の特産品になるんじゃないかと思って研究、開発していたものだ。
本当は香水を作るつもりだったのだがどうにも上手くいかず、結局、化粧水という形で完成したのである。
私はサンドラの手に化粧水を落とすと、手のひらで軽く伸ばすように指示した。
「それを顔の内側から外側に向かって伸ばすのじゃ。そうそう。細かなところも指で優しく。全体に行き渡ったら、手のひらで顔を包み込むようにして、肌に馴染ませて」
こうして下地が出来れば次はベースメイク。
これぞ本日の目玉商品。
私はお土産品の中から手のひらサイズの容器を取り出した。
「なんちゃってBBクリームじゃ」
「びいびいクリーム?」
聞きなれない単語に、アンナベラが怪訝な表情を浮かべた。
メイクの下地となるベースメイク。
具体的に言えば日焼け止めにメイク下地、リキッドファンデーションなんかになるんだけど、実は私も細かくは知らない。
なにせ前世の私はまだ高校生。校則でメイクは禁止だったからな。
それに私自身、それ程興味がなかったという事もある。
そんな私が友達から教えて貰ったのが、頼れるコスメ、BBクリームだ。
BBクリームはこれ一つで、さっき言った日焼け止め、メイク下地、ファンデーションの三役をこなしてくれるという優れものだ。
私が取り出したのは、このBBクリームをこの世界の素材と製法で再現したもの。
つまりは、なんちゃってBBクリームである。
以前、村の特産品を開発中、私は水母にBBクリームが作れないか尋ねていた。
『BBクリーム?』
『確か、BBクリームの「BB」は、ブレミッシュ・バルムの略で、「傷を修復する」とかそういう意味だったかな?』
何となく必殺技っぽい名前だったので覚えてた、というのはここだけの秘密だ。
元々、BBクリームは肌の赤みや傷を隠すための軟膏として作られた製品だったんだそうだ。
水母の正体は、魔核性失調症医療中核拠点施設コントロールセンターの対人インターフェース。
古代文明の人類が、魔核性失調症という病気? の治療のために作り出した施設。その最奥に眠るコンピューターだ。
色々な場面で頼りになるピンククラゲだが、彼の本来の専門は医療分野。
だったらこういった品の作り方も知っているんじゃないかと思ったのである。
水母は腕組みのように触手を絡ませながら、ユラユラと体を左右に動かしている。
『近似値を推測。検索中――検索中――検索終了。該当情報アリ』
『ホント?! どう? 作れそう?』
『試作開始』
どうやら実際に、施設に保存されている素材で作ってみるようだ。
相変わらず頼りになるな。でも、ここって一万年前の施設なんだけど、使用期限とか大丈夫な訳?
こうして待つ事数分間。試作品第一号が完成した。
『感想求む』
水母は嬉しそうにワキワキと触手を動かした。
使ってみろって? 私に? ブヒブヒ、じゃなかった、ムリムリ。私は豚なんだぞ?
大体、私が作りたかったのは人間相手の交易品であって、豚用のコスメじゃないから。
『・・・失望感』
力なくダラリと触手を垂れる水母。
なんかゴメン。
とはいえ、実際に使ってみないと分からないのも事実だ。私は村の年頃の女子に協力を求める事にした。
こうして選ばれたのが村の女子力高い系女子。村長代理のモーナだった。
モーナは新しい化粧品の開発と聞くと、即座にOK。
熱心に試作品を試し、水母と何度も意見を交わしながら製品開発に打ち込んだ。
最終的には村の女性達も巻き込み、色々と試した結果、このなんちゃってBBクリームが完成したのだった。
流石はモーナ。マッパにスッピンの豚とは、オシャレにかける意気込みが違うぜ。
「塗るのは顔の中心部分だけでいいんですか?」
「そうじゃ。目の下や鼻まわりまで丁寧に。やさしく。そうそうそう。クマや小鼻の赤みには、このように指先にうすく取って、トントンと軽く叩いて重ねるように。塗り終えたら手で軽く押し込んで馴染ませるのじゃ」
「・・・これは」
アンナベラはジッと目をすがめた。
「なる程。化粧の下地というのはこういう意味だったんですか。顔色が全体的に明るくなった気がします。それに肌の赤味やムラが無くなったせいでしょうか? 何歳か若返ったように見えますね」
「そ、そうでしょうか?」
亜人の女王が持って来た謎コスメとあって、最初はどこか腰が引けていた様子の侍女のサンドラだったが、思わぬ主人の好感触にパッと嬉しそうな表情を見せた。
単に若返ったという言葉に反応しただけかもしれないけど。
「あっと、フェイスパウダーはあるかの? 仕上げに使いたいんじゃが。無ければ無いで仕方が無いが」
「取って参ります!」
サンドラは素早く立ち上がると慌てて部屋を出て行った。
やがて彼女は大きな化粧箱を抱えて戻って来た。
「取って参りました!」
「お、おう」
一刻も待ちきれない、といった様子でイスに座るサンドラ。
そして私は大きく開かれた化粧箱の凄さに度肝を抜かれていた。
いや、待ってくれ。何が何やらさっぱり分からんのだが。
大量の化粧品の前に固まってしまった私の横から、アンナベラの手が伸びた。
「フェイスパウダーならこの段とこの段になります。どれを使いましょう?」
いやいや、なんでフェイスパウダーだけで十種類以上もある訳? ていうか、これだけ種類があって良く覚えてるな。私なんてさっきから目が滑って仕方がないんだが。
アンナベラは私に太い筆を手渡してくれた。ん? ああ、パウダーパフは無いのか。
「・・・ええと、なら(適当に)コレで。こうして顔のテカり易い部分に、ポンポンとパウダーを落すのじゃ」
こうしてテカリを押さえた所で、ベースメイクは完成。
「次はコンシーラーじゃ」
「こんしーらーですか?」
「コンシール」は「隠す」という英単語で、コンシーラーはベースメイクでは隠し切れなかった肌の粗をカバーするためのメイクとなる。
それが終われば次はファンデーションに移る。
そこの男性諸君。めんどくさいとか言うでない。女にだって私みたいにめんどくさいって思ってる者がいるんだからな。
ちなみに、そこから先はやり方を教えてアドバイスするだけしか出来ない。何度も言うけど、私だってメイクに関してはあまり詳しくはないからな。
◇◇◇◇◇◇◇◇
アンナベラは目の前の光景に激しい衝撃を受けていた。
(・・・女王の輝くような美貌。その美の秘密はこの化粧の方法にあったのね)
アンナベラが日頃行っているメイクは、素肌にいきなりファンデーションを塗るというものだった。
そのためにどうしても厚塗りになってしまい、クロ子が「ケバい」と感じるような派手なメイクになってしまう。
しかし、アンナベラは今まではそれが当たり前――化粧とはそういうものだと思っていた。
だが、クロコパトラから教えて貰った方法は違っていた。
先ずは入念に下地を整えた上で、最後にファンデーションを塗る。
既にベースが出来ているおかげで、ファンデーションも薄く塗るだけで十分となり、仕上がりも自然で上品な物となるのである。
(こんな方法があったなんて・・・)
アンナベラにとって、それは未知の体験、目から鱗であった。
だが、それもムリは無いだろう。
地球でも、化粧は人類の歴史とともに発展して来たが、庶民にとって身近な物になったのは近代になって以降と言われている。
昔は、西洋ではドーラン、日本ではおしろいと、直接顔にファンデーションを塗るのが当たり前だったのである。
今では化粧品産業は巨大なビジネス市場となり、メイク技術も大きな発展を遂げている。
クロ子の聞きかじりの知識ですら、アンナベラにとっては遥か未来の知識。遠い未来人のメイクだったのである。
「あの、奥方様。どうでしょうか?」
サンドラがアンナベラに振り返った。
その顔は沸き上がる喜びに、まるで光を放っているように見えた。
アンナベラの感覚では、メイクをしていないようにしか見えない――が、そんな訳はない。
彼女はサンドラの素顔を知っている。
今のサンドラの顔は、記憶にある素顔よりもずっと若く健康で、生き生きとして輝いて見えた。
「これがナチュラルメイクじゃ」
女王クロコパトラが、妙に成し遂げた感のある声で言った。
しかし、残念ながらその言葉はアンナベラの耳を右から左に抜けていた。
彼女の意識はサンドラの顔に――女王の施したナチュラルメイクに――釘付けになっていた。
「あの・・・女王。良ければ私にも・・・それを」
アンナベラは震える声で女王にお願いした。
大モルト軍指揮官、ジェルマン・”新家”アレサンドロは、本日最後の客との面会を終え、小さく息を吐いていた。
「この国の貴族共は、どうしようもない小者ばかりだな・・・。まあそちらの方が俺としては与し易いというものだが」
今日面会したサンキーニ王国の領主達は、皆、ジェルマンの顔色を窺い、保身を図る者達ばかりしかいなかった。
一族と領民の身を守るため、己のメンツを捨てて侵略者に頭を下げた――と考えれば、為政者として評価出来るのかもしれないが、少しぐらいは気骨を見せる者がいてもいてもいいのではないだろうか?
ジェルマンは自分の感情が理不尽な物であると知りつつも、そんな満たされない思いを抱いていた。
「何かお気に召さない事でもございましたか? 我が殿」
「奥か・・・」
開け放たれた入り口から、ジェルマンの妻、アンナベラが姿を現した。
「むっ?」
「何か?」
ジェルマンはアンナベラの顔を見上げ、小さく目を見張ったが「いや、別に」と言葉を濁した。
「この国の貴族共の弱腰にうんざりしていただけだ。跳ね返りのバカは困るが、そういう者達ばかりでは物足りぬ」
「左様でございますか」
その後、二人は今後の事について――主に、翌日以降に控えた貴族達との会談について――話し合った。
しかし、その時間はそれ程長くは続かなかった。
「殿。軍議のお時間です」
「むっ。もうそんな時間か。では奥よ、また後でな」
ジェルマンは部下に声を掛けられると立ち上がった。
アンナベラは夫の言葉に、どこか物足りなさそうに顔を伏せた。
ジェルマンは入り口の前で立ち止まると、肩越しに背後を振り返った。
「奥は・・・今日は珍しく化粧をしていないのだな。奥の素顔を見たのは随分と久しぶりな気がする。顔色も良いし、元気そうで何よりだ。その・・・なんだ。最初に見た時は思わず目を奪われたぞ」
ジェルマンは最後は早口にそう言うと、アンナベラの返事を待たずにそそくさと部屋を後にした。
アンナベラは驚きに目を大きく見開きながら、夫の後ろ姿を見送った。
ジェルマンは最後まで勘違いしていたようだが、勿論、アンナベラは素顔ではない。
彼女の顔はクロコパトラ女王によって施されたナチュラルメイクで輝いていた。




