その266 メス豚、注目を浴びる
翌日。
私はちょび髭ことガルメリーノ・ガナビーナが用意してくれた馬車に揺られていた。
目指すは流麗な白亜の城。
大モルト軍の本陣となっているコラーロ館である。
馬車のイスの上で、傷だらけの亜人の大男が、落ち着きなく体を揺すった。
クロコパトラ歩兵中隊の第一分隊隊長、カルネだ。
「なあおい、馬車ってのはみんなこんなに乗り心地が悪いのか? それにガタガタ揺れるしうるさいし、これなら自分の足で走った方がまだマシだぜ」
小柄な亜人の青年が、隣に座るカルネをジロリと睨み付けた。
クロコパトラ歩兵中隊の副官、ウンタだ。
「いいから隣でゴソゴソするな。俺には馬車の揺れよりもお前の動きの方が不快だ」
「わ、悪かったよ。しかし、前に人間の町で馬車を見かけた時には、『一度は乗ってみたいなあ』とか思ったもんだが、実際に乗ってみると話は別だ。こうも乗り心地が悪いシロモノだったとはなあ」
どうやらカルネは馬車の乗り心地が気に入らないようだ。
つき合わせてしまって悪いとは思うが、私は未だにクロコパトラボディーを歩かせる事が出来ない。
だから車イスを押してくれる者がどうしても必要となるのだ。
特に車イスから別の場所に移る時――例えば今のように馬車に乗る時――なんかは、カルネの馬鹿力に頼らざるを得ないのである。
勿論、水母に頼めば、魔力操作で宙に浮かせてくれるのだが、今回は大モルト軍のお偉いさんとの会談だ。
むやみに魔法を使って、相手の護衛を警戒させない方がいいだろう。
昨夜、私達の所に急遽、会談の連絡が入った。
相手はもちろん、大モルト軍の総指揮官――ではなく、彼の奥さん。
なぜに? とは思わなくもないが、女同士で腹を割って話そう、とかそういう考えなのかもしれない。
あるいは単に、亜人の中に人間の(中身は豚なんだけど)女王がいると知って、興味本位で呼び出したとか。
う~ん、後者の方がありそうな気がするな。
見世物にされてるようで面白くはないが、相手は敵の最高権力者の奥さんだ。
上手く取り入る事が出来れば、後日の交渉で少しでも有利に事を進められるかもしれない。
なにせ私らは、大モルト軍に対して伝手がないどころか、少し前までガチの殺し合いをしていたんだからな。
将を射んと欲すればまず馬を射よ。外堀を埋めておくのに越したことはないだろう。
ちなみに今日のメンバーは四人。
一人は女王クロコパトラこと私。そして従者としてウンタ。車イス係としてカルネ。最後にピンククラゲの水母である。
特に水母には、今回、重要な役目をお任せする予定となっている。
頼りにしてますぜ、水母先生。
「ん? 到着したのか?」
ふと気づくと馬車が速度を落としている。
カルネは窓から身を乗り出すと、「おおっ?! ま、待て! 俺は敵じゃないぞ! 女王クロコパトラの・・・ええと、そうそう、車イス係だ!」などと慌てて手を振っている。
どうやら館の警備の兵に一斉に振り向かれて焦ったらしい。
外から「亜人だ」「俺、亜人なんて初めて見た」というざわめき声が聞こえて来た。
「カルネ・・・あんたね」
「い、いや、これって俺が悪いのか? ちょっと窓から顔を出しただけじゃねえか?」
「いいからもう引っ込め。このバカが」
ウンタがカルネの襟首を掴んで、窓から引き剥がした。
ちなみに、ちょび髭ことガルメリーノは、案内役として先行している馬車の方に乗っている。
館の兵士はちょび髭から説明を受けたらしく、そのまますんなりと門を通してくれた。
それでいいのか、大モルト軍? などと思わないでもないが、所詮、兵士は平民。
貴族のちょび髭に逆らう事など出来はしないのだろう。
こうして我々は無事、大モルト軍の本陣、コラーロ館へと足を踏み入れたのであった。
私ことクロコパトラ女王は、カルネに抱きかかえられて馬車を降り、車イスへと座らされた。
水母が触手を伸ばして身だしなみを整えようとした所を、慌てて止める。
「ヒソヒソ(ちょ、水母! 周りの兵士達に見られてるから!)」
『おっと、無意識』
お茶目か。
水母はクロコパトラ女王の膝の上に乗せられたひざ掛け? クッション? お気に入りのピンクの塊という事になっている。
ここで正体をバラす訳にはいかないのだ。
コッソリ周囲を見回すと、兵士達は呆然としたまま立ち尽くしている。
特に不審に思っている様子はないようだ。どうやら誰にも気付かれなかったらしい。
ちょび髭が兵士に声をかけた。
「それで? 誰が部屋まで案内してくれるのだ?」
「――えっ? あっ! は、はい! わ、私です!」
鎧に大きな家紋を付けた兵士が名乗りを上げた。
身なりもいいし、どこぞの貴族の家臣なのかもしれない。
「そ、それではこちらに」
私達は兵士に先導されて館に入った。
ここがコラーロ館。
王都を出発する前に、寄せ場の元締めドン・バルトナから聞かされた館か。
「ボソリ(水母、よろしく)」
『既に実行中』
兵士とちょび髭が訝しそうな顔で振り返った。
「ええと、今、何かおっしゃいましたか?」
「さてな? そう言えばカルネが何か言ったようじゃが」
「俺か?! え~と、あれだ。スゴイ家だな」
「・・・それはどうも」
兵士は微妙な顔で前に向き直った。
元々、この国の貴族が建てた館を接収して使っているだけなので、褒められた所で嬉しくもなんともないのだろう。
カルネが少し乱暴に車イスを揺らした。
おい、よせ止めろ。倒れたらどうする。私は自力じゃ起き上がれないんだぞ。
広い廊下を進む事少々。我々が案内されたのは一階の応接間だった。
ひょっとして、事前に私が車イスという知らせを聞いて、階段を使わずに済むようにしたのかもしれない。
使えるヤツだなちょび髭。
最初は「私達はハズレを掴まされたなあ」とか、思っていたけど、今や私の中でお前の評価はうなぎ登りだよ。
広さは十畳程。いかにも貴族の屋敷、といった感じの豪華な部屋だ。
やたらとお金のかかっているのが分かる、超豪華な一室――と言って伝わるだろうか?
伝わらない? 表現が貧しくてマジすまん。
カルネがテーブルの前に車イスを停めると、ウンタはサイドテーブルの上にドサリと荷物を置いた。
これは私達、亜人村のお土産品だ。
内容はドライフルーツに動物の毛皮。その他、あれやこれや。
まあ、ぶっちゃけて言えばワイロである。
魚心あれば何とやら。贈り物が嫌いな人間はこの世にいないんやで。つまらないものですが、どうぞどうぞ。
・・・いや、困った事に、本当につまらないものにしか見えんのだが。
こんな豪華な部屋に置かれてしまうと、どうしても見劣りしてしまうと言うか。ぶっちゃけ、随分とみすぼらしい気が・・・
これでも一応、亜人村の選りすぐりの品を持って来たつもりなんだがのう。
逆効果だったりする? しない?
「従者のお二人は別室でお待ち下さい」
「分かった」
「じゃあな、クロ子――パトラ女王」
ウンタとカルネが部屋を去ると、私と水母だけが残された。
私の膝の上のピンククラゲがフルリと震えた。
『確認中』
私は部屋の中を見回した。
「う~ん。私ら以外の会談にも使われるかもしれないし、念のためにチェックしとこうか」
『了解』
ピンククラゲボディーから触手がニュルリと伸びると、戸棚と壁の隙間に入り込んだ。
『設置完了』
水母が何をしているのか。それは――
コンコンコン。
「――コホン。入れ」
「失礼します」
ドアが開くと、侍女がワゴンを押して入って来た。
彼女は一瞬、私の姿を見てハッと息を呑んだが、すぐに我に返ると慌ててお茶の準備を始めた。
ていうか、間が持たんな。話でもするか。
「手際が良いな」
「ありがとうございます」
「良い香りじゃ」
「左様でございますか」
「良い茶器じゃ」
「左様でございますか」
いや、話題が全然広がらないんだが。
あれか? 人種差別か? 亜人の女王なんぞとは話が出来ん、とかそういうのか?
クロコパトラは人間だよ? 中身はメス豚だけど。人種とか以前の問題だったわ。
結局、彼女はお茶を淹れ終わると、お茶菓子のクッキーを置いて下がってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
応接間を出た侍女は、集まっていた同僚達の所に駆け込んだ。
「本当にスゴイ美人! 何か話しかけられたけど、何て答えたか覚えてないわ!」
侍女達は一斉に色めき立った。
「でしょ?! でしょ?! あんな美人、王都の社交界にもいないわ!」
「そうそう! 色白い、肌キレイ、凛とした佇まい! あんな美人がどうやって野蛮な亜人を従えているのかしら?!」
「亜人って、女王と一緒にいた男の人達の事よね? 人間と動物を合わせたみたいな顔をしていたけど、言葉って通じるのかしら? それとも動物みたいに吠えるとか?」
「あの黒いドレスも素敵よね~。今まで見た事も無い意匠だけど、亜人の女はみんなああいったドレスを着ているのかしら」
亜人は人里離れた僻地に隠れ住んでいる。
そのため、多くの者達にとってのイメージは、山野の奥地に住む野人――文明に取り残された原始人である。
そんな亜人の村を人間の女性が治めているという。
一体どのような女性であれば、野蛮で危険な亜人達を従える事が出来るのだろうか?
そして今日。この館に女王クロコパトラが現れた。
彼らは、一分の隙も無い美貌、というものに初めて出会った。
まるで一流の画家の描いた傑作に命が吹き込まれ、絵から抜け出して動き出したのではないかと思われるようなその姿。
白い肌。濡れた瞳。艶やかな長い黒髪。しなやかに伸びた手足。魅惑的な曲線を描くボディーライン。
女王クロコパトラの姿を見た者達は、男女の区別なく心を奪われ、魅了された。
「正に”やんごとなきお方”といった感じよね。例え執権アレサンドロのお姫様でも、流石にあの女王には敵わないんじゃないかしら?」
「ちょ、バカ! 何言ってるの!」
ウットリと女王クロコパトラの美貌を思い浮かべていた同僚の背中を、隣の侍女が慌てて叩いた。
「何よ、痛いじゃな――あっ!」
叩かれた侍女は大袈裟に声を上げると、何かに気付いてギョッと目を剥いた。
彼女の視線の先には、派手目な顔の巻き毛の女性の姿が。
大モルト軍の指揮官、ジェルマン・”新家”アレサンドロの妻、アンナベラである。
「執権がどうかしましたか?」
「お、奥方様・・・あ、いえ、その・・・」
アンナベラの生家は執権アレサンドロ家。
彼女は正真正銘、執権のお姫様の出なのである。
「し、失礼致しました!」
侍女は逃げるようにバタバタと走り去ってしまった。
他の侍女達も、慌てて同僚の後に続いた。
「アンナベラ様・・・」
「私は彼女に質問しただけですよ?」
アンナベラはお付きの侍女に、すまし顔で答えると、軽く居住まいを正した。
「それでは噂の亜人の女王様に会いに行きましょうか」




