その260 メス豚、打ち明けられる
屋敷の中が妙にザワザワと騒がしい。
私はムッとしながら、床の上でゴロリと寝返りを打った。
『――全く。日曜の朝っぱらから煩いわね』
『ささやかな疑問?』
部屋の隅に浮かんでいたピンククラゲがフルリと震えた。
日曜が何かって? いや、意味なんて無いけど。「休日なのに煩い」ぐらいの感じで言っただけだし。
ここは私達が王都で宿泊しているボルケッティ商会の屋敷。
天蓋付きの豪華なベッドの上には、黒髪の絶世の美女――水母作成のクロコパトラ女王の義体が横たわっている。
昨日は王都騎士団の横流し集団と戦ったり、オスティーニ商会を襲った大モルト軍の工作員達と戦う事になったりと、心身共にハードな一日になってしまった。
そこで私は、今日は休日にすると隊員一同に通達。
一日中、部屋でゴロゴロして過ごす事に決めたのだった。
という訳でお休み~。私はパタンと耳を塞ぎ、目を閉じた。
コンコンコン。
そんな怠惰な眠りを妨げる、無粋なノックの音。
面倒なので無視していると、ガチャリ。勝手にドアが開いた。
・・・なんだよもう。
渋々顔を上げると、困った顔をしている小柄な亜人の青年と目が合った。
クロコパトラ歩兵中隊の副官のウンタだ。
「クロ子。起きているなら返事ぐらいしてくれ」
『だって今日は日曜だし』
「にちよう? 何だそれは? それよりクロコパトラ女王に客が来ているぞ。この間のガラの悪い男だ」
ガラの悪い男? ああ、王都の寄せ場の元締め、ドン・バルトナの事ね。
休日に見て嬉しい顔じゃないなあ。気も休まらないし。という訳でパス。
『気が乗らないから適当に追い返しといて』
「俺達も断ったんだが、カルネのヤツがな・・・」
『? カルネがどうかしたの?』
カルネは傷だらけの大男。
クロコパトラ歩兵中隊の特攻隊長――じゃなかった。第一分隊の隊長だ。
ウンタは言葉を選びながら言い辛そうに答えた。
「会えない理由はなぜだと聞かれたんで、アイツ咄嗟に『女王は今日は”女の日”だから会えない』とか言っちまって」
――は?
女の日ってあれか? 女の子の日って事?
バカじゃねえの?! 言うに事欠いて、何言ってくれてんの?!
お前らにはデリカシーってもんがないのかよ!
私から立ち上る殺気にウンタが慌てた。
「い、いや、カルネが言っただけだぞ。俺達は『クロ子に殺されるからよせ』と止めたんだ。言い訳としてもどうかと思うし」
『当たり前でしょ! 全くあのバカは! ・・・はあ。分かった。会うわよ。準備が出来たら呼ぶから、それまでバルトナは適当な部屋で待たせといて』
ここで会わないと、「クロコパトラ女王は生理が重い」とか思われそうだからな。
『あ。それとカルネは今日の晩御飯抜きで』
「わ、分かった。俺達全員で責任を持って見張っておく」
ウンタは慌てて部屋を後にした。
ちなみに豚の雌の発情期は21日。だから大体人間の女性と同じ周期で排卵を・・・って、何を言っているんだ私は。
『という訳で水母、義体の用意をよろしく』
『準備万端』
相変わらず頼もしい事で。
私は渋々義体の中に潜り込むのだった。
私は適当な空き部屋で用意を整えると、ドン・バルトナを連れて来て貰った。
昨日は私が帰った後も忙しかったのだろうか? 彼はお疲れの表情で、いつものウザい程の押し出しが無いと言うか、覇気のようなものに欠けている気がした。
「月影から話は聞いておる。装備は手に入らなかったらしいの。骨折り損のくたびれ儲けだったという事か」
「骨折り損? あ、はい。せっかく月影殿にも手伝って頂いたのに、ご期待に応えられずに申し訳ございませんでした」
こっちの世界には「骨折り損の~」という慣用句が無かったのか、ドン・バルトナは一瞬眉をひそめた。
しかしすぐに私が何を言いたいか察したらしく、話を合わせて来た。
ホント、如才ない男だな、コイツは。
「それで? 今日は詫びを入れに来たのか? 妾も暇ではないのじゃがのう」
今日は一日中ゴロゴロするのに忙しいからな。
代わりに何かプレゼントくれるなら遠慮なく受け取るけど。
しかしドン・バルトナは、私の言葉には答えず、顔を伏せたままジッと何かを考えている。
なんぞ?
しばし無言の時間が続く。
やがて彼は意を決したらしく、真剣な面持ちで話を切り出した。
「――いえ。本日は女王のお耳に入れたい話があって、やってまいりました」
「お、おう」
いや、そうでなくても怖い顔なんだから、あまりマジにならないでくれないかな。
「女王は月影殿からオスティーニ商会商会長、ロバロの事は聞いていますか?」
オスティーニ商会のロバロ? ロバロ老人の事か? そりゃ当然知ってるけど。
なにせ月影は私だからな。
私はコクリと頷いた。そして義体に自然な演技をさせられた事に、密かに満足した。
「そのロバロと私が密かに準備をしていた、とある計画があるのです。
ロバロが金を出し、私が部下の手配をしたその計画。
これはサンキーニ王国を踏みにじる大モルト軍に対して、大きな痛手を与える起死回生の一撃となるでしょう。
その目的は大モルト軍指揮官、ジェルマン・アレサンドロ及び、主だった将兵達の殺害。
しかし、仮に計画の全てが上手くいかなかったとしても、十分、大モルト軍を混乱させられるでしょう。
現在、この国では国王陛下が囚われの身となり、王都のすぐ近くまで敵の進軍を許しています。
しかし、我々はまだ負けた訳ではありません。国民全てが敗北を受け入れた訳ではないのです。
この計画を実行する事で、国中の貴族と民にその事実を思い出させ、発奮を促し、再び立ち上がるためのきっかけを与える。
これはそのための計画――少なくとも私はそのように理解し、そう考えておりました」
ドン・バルトナの口から語られたのは驚くべき内容だった。
彼らは自分達で大モルト軍を――その主だった将を殺害する計画を立てていると言うのだ。
ドン・バルトナとオスティーニ商会ロバロ老人が立てた計画。
それは大モルト軍の中枢を直接狙った殺害計画であった。
「指揮官の殺害。確かに上手くいけば大モルト軍を行動不能に追い込めるやもしれんが・・・」
そんな事が本当に可能なんだろうか?
大モルト軍にとってここは敵地だ。当然、襲撃には備えているはずである。
そんな厳重な警備を掻い潜り、敵の指揮官を狙い撃ちするなんて、私にだって出来る気がしない。
「何もせずにみすみす大モルトのヤツらにこの国をくれてやる訳にはいきません」
「デアルカ」
まあ、気持ちは分かるが。
自分達の土地を脅かす外敵に対して、最初から諦めて首を垂れるのではなく、敵わないにしても一矢なりとも報いてみせる。
その考え自体は、人間の国家に対して戦いを挑んだ私達亜人の村の立場と通じる物があったからだ。
とはいえ、この計画は大モルト軍の別動隊――ジェルマン・アレサンドロ率いる本隊に敗れて、今は国境近くまで撤退しているオルエンドロ軍――の事を考慮していない。
一度敗れたとはいえ、今でも侮れない戦力を残していると考えた方がいい。
本隊の力が衰えれば、彼らが再び息を吹き返すのではないだろうか・・・って、先の話はいいか。
「それより、なぜこの話を妾に打ち明ける? なんぞ月影に協力して貰いたい事でも出来たのかえ?」
そう。実はさっきからその点が引っかかっていた。
なぜドン・バルトナは、部外者の私に――亜人の女王クロコパトラに――自分達の秘密の計画を打ち明けたのだろうか?
可能性としては、月影の力が必要な、のっぴきならない事態に追い込まれたから、とも考えられるが・・・
「それは・・・協力して欲しい訳ではないのですが。いえ、やはり力を貸して頂けないでしょうか」
ドン・バルトナは少しだけ言いよどんだが、キッパリと言い切った。
「私はオスティーニ商会が――ロバロが信用出来なくなったのです」
迷いを捨てたのか、ドン・バルトナは堰を切ったように説明を始めた。
昨日のオスティーニ商会屋敷の襲撃の一件。その裏に隠された大モルト軍情報部隊の思惑。
サバティーニ伯爵の計画と、それにロバロ老人が支援者として加わっていた疑惑、等々。
なる程。なんで大モルトがわざわざ商会の屋敷なんて襲ったのかと思っていたら、そんな事情があったんだな。
「こちらの計画は既に準備が整っています。ロバロの指示で開始を遅らせていましたが、伯爵の計画の方を優先させたのかもしれません」
サバティーニ伯爵の計画はシンプルだ。
密かに兵士を集め、相手の不意を突いてスピード勝負で国王を奪還する。
力押し上等。力こそパワー。
幸い、と言っては何だが、国王は体調を崩して別の屋敷で療養中らしい。
指揮官ジェルマン・アレサンドロの宿泊しているコラーロ館を襲うよりは、警備も手薄になっているだろう。
やってみないと分からないが、意外と成功の目はあるかもしれない。
まあ、大モルト軍諜報部隊に計画がバレた以上、お察しといった所だが。
「ロバロはまだ私に何か隠しています。そもそも、今回のサバティーニ伯爵の件も事前に何も聞かされていませんでした。この計画で私はかなりの手下を館に潜り込ませています。ロバロの思惑や勝手な計画で彼らの身を危険に晒す訳にはいきません」
「それで月影か?」
「はい。月影殿は影のように物陰に身をひそめ、風のように屋根の上を駆け抜け、騎士団を圧倒する力の持ち主です。私は彼ならばロバロの思惑を潜り抜け、部下の命を救ってくれると信じております」
そう言って熱く語るドン・バルトナ。
どうやらすっかり月影の実力に心酔しているようだ。
褒められて悪い気はしないが、勝手に信じられてもなあ。
「まあよい。それで? 妾達に協力を求めるなら、お主らの計画とやらも聞かせてくれるのじゃろうな? 自分はロバロとやらに秘密にされて不満を抱えておきながら、自分は妾達に秘密にしたまま顎でこき使いますというのは通じんぞ?」
「もちろんです。今日はその覚悟を決めてやってまいりました」
ドン・バルトナが打ち明けてくれた、彼とロバロ老人が立てた計画。
大モルト軍の指揮官ジェルマン・アレサンドロと、その部下達を狙った殺害計画。
それは一介の商人と日雇い労働者の元締めが企んだにしては、かなり大それたものだった。
マジかよ。コイツらこんな事を企んでいたのか。
どうやら私は彼らの事を甘く見ていたようだ。
その場のノリで聞いてしまったものの、ぶっちゃけこれ以上関わり合いになりたくないんだが。
そして翌日。
私達を王都まで案内して来た、ちょび髭ことガルメリーノ・ガナビーナからの使いがやって来た。
大モルト軍指揮官ジェルマン・アレサンドロから、この国の領主達へ「拝謁するように」とのお達しがあったというのだ。
いよいよ来たか。
我々は緊張を胸に王都の南、大モルト軍が駐留しているパルモ湖畔へと出発したのだった。




