その257 メス豚と初見殺し
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商業区画のひと気のない路地で、大モルト軍イリーガル部隊のリーダー毒蛾は、黒マントの怪人と対峙していた。
部下は黒マントの謎の攻撃にやられてしまい一対一。
黒マントは余裕の現われだろうか。毒蛾をあざ笑った。
【なんだ、怒ったのか? それとも自分の失敗を認められないか? ああそうか。反省出来るおつむもないか。だからそんな傷だらけになったんだな。いつまでも失敗を繰り返していれば、そりゃあ傷だらけにもなるか】
――ふん。見え透いた挑発だ。
毒蛾は心の中で吐き捨てた。
(俺を町のチンピラだとでも思っているのか? その程度のチャチな煽り文句で俺が怒り狂って判断を誤ると?)
毒蛾は黒マントの男から目を離さないようにしながら、構えたナイフに足元の少女の姿を――オスティーニ商会の長女アンネッタの姿を――映した。
毒蛾は黒マントの――クロ子の狙いをほぼ正確に読み取っていた。
(俺を激怒させて、こちらから動くように仕向けるつもりか。娘を人質として利用されたくないんだな)
彼は挑発に乗ったふりをしながら、冷静に頭を働かせていた。
傷だらけの醜い顔も、こういう時は表情を読み取られ辛くて便利である。
(問題はヤツの攻撃方法が読めない事だ。一体どんな武器を持っているのか分からんが、コイツはピクリとも動かないまま、俺の目の前で部下を倒してのけた)
不気味な男だ。
毒蛾は改めて目の前の黒マントの男を観察した。
小柄な体。黒いマントは頭から足先まですっぽりと覆っている。外見からは相手の装備どころか性別すらも分からない。ただし、低い声はどう聞いても完全に男だ。
唯一、マントの外に露出しているのは、飾り気のない木彫りのマスクのみ。
しかもそれすらもどういう仕組みなのか、ぽっかりと開いた眼窩の向こうは黒々とした闇に覆われ、装着者の目元すら確認出来ない。
徹底して自分の素性を隠し通す。そこには偏執的、いや、いっそ病的とも言える異常な妄執を感じさせた。
毒蛾が所属する大モルト軍の諜報部隊ですら、これほどまでに完全に情報を秘匿する者はいなかった。
(コイツの目的は娘の救出。そのために俺に接近戦を仕掛けさせ、さっきの見えない攻撃で俺を仕留めるつもりだ)
毒蛾は左腕を頭上に構えた。
(ならばあえてその策にはまったと見せかける! 黒マント! この俺を侮った事をあの世で後悔するがいい!)
毒蛾は黒マントに向けて走り出した。
一見、怒りに駆られて衝動的に襲い掛かったかようなこの状況。
しかし、実はこれこそが毒蛾の常套手段――必殺必勝の型だったのである。
毒蛾は生まれつき感覚が鈍かった。
暑さ寒さが分からず、痛みにも鈍い。いわゆる感覚鈍麻と呼ばれる遺伝子病の持ち主だった。
ケガをしても痛みが無く、骨が折れていても気が付かない。
彼は昔から痛みに騒ぐ者達を見ては、「なぜみんなこんな事で大袈裟に騒ぐのだろう?」と不思議に思っていた。
青年になった毒蛾は騎士団に入ったが、同期との訓練では負け知らずだった。
相手は痛みを恐れて、守りに入った攻撃しか出来ない。
そんなものでは痛みをものともしない毒蛾に敵う訳が無い。
やがて彼は自分の事を超人だと思うようになっていた。
しかし、そんな状況も一年、二年と続くと変わって来る。
この頃になると、模擬戦で毒蛾が負ける事が増えるようになっていた。
当然だ。
痛みと恐怖を克服して確かな実力を付けた者と、勝利に慢心して研鑽を怠った者。
その差が腕前として結果に現れたのである。
しかし、毒蛾は納得しなかった。
(こんな勝ち負けになどには何の意味も無い。模擬戦などルールに縛られたまやかしだ。真剣じゃないからコイツらは余裕を持って戦えるだけだ。もしもこれが実戦なら――痛みの伴う戦いなら、俺は絶対に誰にも負けはしない!)
こんな不満を抱える毒蛾が、特殊な実戦部隊へと――”草葉”のイリーガル部隊”棘”へと転属したのは必然だったのかもしれない。
棘の非情な任務は彼の性格に非常にマッチした。
水を得た魚となった毒蛾は、組織の中でメキメキと頭角を現し、遂には部隊の隊長を任されるまでになったのである。
(この黒マントがどんな技を隠し持っているかは知らないが、俺には通じん!)
左手で頭部を守り、右手にナイフを構えるこの形は、毒蛾が数々の実戦の中で編み出した必勝のスタイルだ。
この構えで突っ込んだ時、相手は十中八九、頭部を攻撃してくる。
当然だ。胴体は武器で守られているが、頭を守っているのはむき出しの左腕でしかない。
そんなもので剣の攻撃を防げる訳は無いし、仮に防げたとしても左腕は骨まで達する大きなダメージを負ってしまうだろう。
最悪、腕が切断されてしまうかもしれない。
そうなれば痛みと出血で身動きは取れなくなり、戦いの決着は付いたも同然である。
しかし、毒蛾は痛みを感じない。彼は左腕が切り落とされようが怯む事は無い。
そして、左腕も切り落とされる事は決して無い。
一見、むき出しに見える左腕。
しかし、実はその中には太さ五センチもの鉄の棒が埋め込まれているのである。
手術の跡は毒蛾本人にも分からない。傷だらけの体の中でも、特に左腕には無数の傷が集中しているからである。
鉄棒を仕込んだ左腕で相手の攻撃を受け止め、そのまま懐に飛び込んでナイフを突き立てる。
単純だが、痛みを感じない彼にしか出来ない必中の技である。
知らなければ対応出来ない、変則的な攻撃。
意識の外を利用する、反則級の邪道技。
そんな完全初見殺しの必殺技がクロ子に襲い掛かる。
(? なんだ? あのイヤな感じがしない。攻撃して来ないつもりなのか?)
毒蛾は一瞬戸惑いの表情を浮かべた。
実は先程、毒蛾はクロ子が放った魔法の発動を、”殺気”と言う形で感じ取っていたのだ。
数々の修羅場を潜り抜けた事で彼が培った超感覚。
そう。これこそがクロ子が最も恐れていた事。
殺し合いの場においては、毒蛾も”五つ刃”の”双極星”コロセオや、”一瞬”マレンギのような強者だったのである。
(来ないというなら、構わん! こちらから行かせてもらう!)
戸惑いはほんの一瞬でしかない。黒マントが攻撃して来なかったのは意外だったが、後わずかでナイフの間合いに入る。
毒蛾は最後の一歩を踏み出した。
踏み出そうとした。
その瞬間。毒蛾の目の前に石の壁が現れていた。
そんなはずはないが、彼の主観としてはそうとしか感じられなかった。
そして痛みは感じなくても衝撃まで受けない訳ではない。毒蛾は石の壁に激しくぶつかり、息を詰まらせた。
――ぐふっ! ち、違う! 石の壁が現れたのではない! 俺は何かに躓いて倒れたんだ!
そう。彼は石畳の上にうつ伏せに倒れていた。
すぐ目の前に黒い布地が――黒マントが見える。
毒蛾はハッと顔を上げた。
しかし、黒マントの不気味な仮面はずっと正面を向いたままで、彼の方を見ていなかった。
「何だ? 何を見ている?」
毒蛾は知らなかった。
黒マントは――月影は、ピンククラゲ水母が骨組みを作り、そこにマントを被せただけの物である事を。
顔の部分から覗くヒップホップ・ダンスマスクは、「顔がないのは流石にマズいんじゃない?」とクロ子に言われた水母が作った物であって、仮面の奥は何も無いただの空洞である事を。
そして毒蛾の正面。黒マントの隙間から自分を狙う黒い子豚がいる事を。
【最も危険な銃弾】
パンッ!
乾いた破裂音と共に、毒蛾の意識は消滅した。
こうして毒蛾は血塗られた生涯に幕を閉じたのであった。
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おお。予想外に上手くいったわい。
私は密かに悦に入っていた。
傷だらけのキズ男は、怒りに顔を歪めると、ナイフを構えて突っ込んで来た。
どうやら私の挑発が成功したらしい。
私はキズ男をギリギリまで引き付けると――
(最大打撃)
無詠唱で魔法を発動した。
いやまあ、無詠唱って言うか、口に出さずに魔法を発動させただけなんだけど。
魔法名を唱えるのは私のこだわり、と言うか、気合の現われだ。
しかし、今回は相手に魔法の発動を気付かれる訳にはいかない。
私は自分ルールを封印して、黙ったままで魔法を発動させた。
最大打撃の魔法は質量兵器。岩や木なんかの塊を持ち上げる。ただそれだけの効果に特化した魔法である。
私はその魔法を王都の石畳に――キズ男の足元の大きな石に使った。
二~三十センチ程浮き上がった大きな石に、キズ男は思いっきり脛をぶつけた。こ、これは痛い。
不意を突かれたキズ男は、突っ込んで来た勢いのまま石畳に転倒した。
(よし! 狙い通り)
キズ男はゴツンという鈍い音と共に顔面を強打。
うわっ。これって死んだんじゃね? と思ったら、キズ男は意外と平気そうに顔を上げた。
いやいや、全然平気じゃないだろ。額がパックリ割れて血がダラダラ流れているんだが。
とはいえ、流石に意識はもうろうとしているらしく、上を見上げて「何だ? 何を見ている?」などと呟いた。
いやそれ、こっちのセリフだし。
てか、お前怖いよ。ゾンビかよ。
【最も危険な銃弾】
私は慌てて最も危険な銃弾を発動。
不可視の弾丸はキズ男の顔面を捉え、赤い血の花を咲かせた。
不死身のゾンビ男も、頭部破壊されては無事では済まなかったようだ。
うつ伏せに倒れてピクリとも動かなくなった。
やった・・・のか?
『水母、確認お願い』
『顔面骨粉砕骨折。心停止。呼吸停止。対象の死亡を確認』
水母先生の診断で、キズ男の死亡が確認された。
そうか。死んだのか。
私はようやくホッと一息ついたのであった。
『いやあ、それにしてもこうも上手くいくとは思わなかったわい』
最初にキズ男を怒らせる事で冷静さを奪い、襲い掛かって来た所で密かに最大打撃の魔法を発動する。
頭に血が上った相手は、足元の岩に気付かずに躓いて転倒。無防備になった頭部に最も危険な銃弾の魔法を叩き込む。
これぞ私が編み出した新技。”忍者殺し”である。
旧亜人村での戦いで、私は”五つ刃”の忍者野郎と戦った。
この手強い忍者野郎には、私の魔法がことごとく通用しなかった。
追い詰められ、ピンチになった私だったが、忍者野郎は何かに躓いて転倒。
私はその隙を突いて最も危険な銃弾を食らわせ、辛くも勝利したのだった。
この”忍者殺し”は、その時の経験を元に編み出した、究極の初見殺し技――”達人殺しの技”なのである。
まあ、今回のように足元に大きな石か岩が無いと使えないのだが。
しかし、今のは見事だった。
実戦で使ったのは初めてだったけど、これってかなり使える技なんじゃない?
私は新技の成果に満足するのであった。
次回「その258 メス豚、感謝される」




