その245 メス豚と女騎士
王都騎士団団長の何とか男爵から聞き出した今回の事件のあらまし。
それは実に拍子抜けするものだった。
彼はただの横領犯。言ってみれば、タチの悪い小悪党でしかなかったのだ。
【とはいえ、自分を探ろうとした部下を殺し、浮浪者に武器を与えて商人を襲わせていた。このまま放置する事は出来んか】
どうしよう。面倒くさいし、いっそこの場で殺しておくか?
殺さない、と言った約束を破る事になるが、約束した相手がこの世にいなくなるなら誰にもバレない訳だし。
コイツがこの屋敷に隠していた装備もまるっと手に入るし、一石二鳥――
いや、待て。男爵がさっき言ってた何とか伯爵。
男爵は伯爵から装備を売ってくれるように持ち掛けられた、という話だった。
伯爵は王都の南に位置するパルモ湖畔で、何か大掛かりな軍事行動を起こそうとしている節がある。
その計画ために大量の装備を必要としているとかなんとか。
男爵がどこまで彼に話したかは分からないが、相手は男爵が装備を隠し持っている事は知っているはずだ。
ならば男爵を殺して装備を奪うと、今度は我々が伯爵から狙われる恐れすらある訳だ。
うわっ。面倒くさ。
【かと言って、みすみす目の前の装備を手放してしまうのも惜しいし・・・。ぐぬぬぬっ、どうしたものか】
その時、私の頭のてっぺんがツンツンと突かれた。
あ。黒マントの月影の頭の事じゃなくて、その中の子豚の頭ね。
『要警戒』
ジブリかよ。
私の頭をつついたのは、頭上の水母から伸びた触手だったようだ。
水母の警告に、ハッと耳をすましてみると、屋敷の奥で物音が聞こえる。
これは人間の足音。それも一人や二人じゃない。
何人もの人間が屋敷の中を捜索しているのだ。
まさか、私が戻らないのに焦れたドン・バルトナ達が乗り込んで来た?
いや、それなら正面の玄関ドアが開いたはずだ。
この音は屋敷の奥から次第に近付いて来ている。
侵入者は裏口から入って来たのだ。
【まさかコイツらの増援か?】
私は、私の魔法をお腹に食らって絶賛悶絶中の男爵を見下ろした。
どうする? 殺すなら邪魔が入る前。今が絶好のチャンスだ。
だが迂闊に殺せば伯爵のヘイトが我々に向く恐れがある。
どうする?
◇◇◇◇◇◇◇◇
ほんの少し前。
屋敷の裏口のすぐ外に武装した十人程の騎士団員達が集まっていた。
彼らの先頭に立つ指揮官らしき小柄な騎士が、小声で部下に命令を下した。
「私の掴んだ情報によれば、この屋敷にバローネ団長の横領の証拠品があるのは間違いない。それらしい品を見つけても、絶対に一人で先走るな。下がって仲間が揃うのを待つように」
どうやらこの指揮官は若い女性のようだ。カンテラの明かりの中、長いまつ毛と細い顎、そして気が強そうな引き締まった赤い唇が見える。
彼女は王都騎士団の副団長、リヴィエラ・ビアンコ。
リヴィエラはつい先日、彼女の上司――王都騎士団団長バリアノ・バローネの犯罪の情報を掴んだ。
彼は横領した団の装備を貴族街の外れの古屋敷に隠匿しているという。
即座に現場に向かおうとしたリヴィエラだったが、彼女の行動は腹心の部下に止められた。
「ラルク、なぜ止める! ようやく団長の悪事の尻尾を掴んだんだぞ!」
「ようやく掴んだ情報だからこそです。騎士団には団長に逆らえない者も多い。迂闊に手を出せば逆にあなたが罪に追い込まれるかもしれません」
「そんなはずは――」
そんなはずはない。――とは言い切れなかった。
王都騎士団という閉じられた社会の中では、団長のバローネは絶対権力者。王様と言ってもいい存在だった。
そしてリヴィエラは、自分が周囲から、女であり若輩者であると侮られている事も分かっていた。
悔しそうに唇を噛むリヴィエラを、腹心の部下――ラルクは慰めた。
「先ずは急いで情報の裏取りを行いましょう。同時に、信頼できる部下を集めるんです。団長を糾弾するのはそれからでも遅くはありません」
「そう――だな。よし。お前に任せた」
こうして行動を開始したリヴィエラ達だったが、捜査は思っていたよりも難航する事になる。
なにせ犯人は騎士団団長。団のどこに彼の手の者がいるか分からないのだ。
苦しい捜査の中、二人は今夜、団長のバローネが仲間を率いてこの屋敷に向かった事を知った。
(もしや団長は証拠品の隠し場所を、どこかに移すつもりでは?)
このまま指をくわえて見ていたら、折角の証拠をみすみす失ってしまうかもしれない。
そう考えると、リヴィエラは居ても立っても居られなくなった。
彼女は悩んだ末に決断した。
「ラルク! 急いで団長の後を追うぞ! 今夜、全ての決着を付けてやる!」
リヴィエラはラルクに命じると、急いで部下を集め、バローネ団長の後を追ったのであった。
二人が集めた騎士団員は七人。いずれも若く、まだ汚職に染まっていない青年達だった。
「裏庭には馬車があった。この屋敷にバローネ団長達がいるのは間違いない。追い詰められた彼らは何をして来るか分からない。戦いになるかもしれないので覚悟を決めておくように」
リヴィエラの言葉に彼らは緊張の面持ちで頷いた。
「では行くぞ。団長達に気取られないように、屋敷の中では物音立てないように注意しろ」
だが、屋敷に入るとすぐに、彼らは隠密行動の難しさに気が付いた。
どんなに息をひそめて注意深く行動していても、十人もの武装した騎士が動けばどうしてもそれなりの音が出てしまう。
ましてや痛んだ床板は踏むだけでも軋み音を立ててしまった。
「副団長。これでは相手に我々の存在を気取らせないようにするのは難しいのではないでしょうか?」
「・・・確かにな。分かった。相手に気付かれないようにするよりも、速度の方を重視しよう。いいな?」
リヴィエラは自分達の存在を隠すよりも、探索の速度を重視する事にした。
しかし、こうなってしまえば、いつ、団長達に自分達の存在がバレてもおかしくはない。
屋敷を奥へ奥へと進むにつれ、次第に彼らの中で緊張感が高まっていった。
やがて――
「副団長。この先から声が聞こえます。それに明かりも見えます」
「――全員警戒しろ。襲撃に備えるんだ」
リヴィエラは彼らの前に出ると、自らドアを押し開けた。
「なっ?!」
そこは屋敷の玄関ホールだった。
いくつものカンテラの光の中、十人程の騎士団員達が床に転がっている。
どうやらドアの向こうから聞こえて来た声は、彼らのうめき声だったようだ。
全員が床に倒れる中、ポツンと一人だけ佇む黒い影。
頭から足の先までスッポリと覆う黒いマント。
マントの外に僅かに覗いている顔は、人の顔を模した不気味なマスクで覆われている。
その姿は禍々しく、どこか現実離れしているように思えた。
リヴィエラはいつ、自分が剣を抜いたのか全く自覚していなかった。
気付いた時には剣先を得体の知れない黒マントの怪人に突き付けていた。
「貴様、何者だ! ここで一体何をしている!」
いつもは凛とした彼女の声が、この時ばかりは緊張で――そして若干の恐怖で――上ずっていた。
黒マントはピクリとも動かない。
マスクの下の黒々とした双眸は、まるで品定めをするようにジッとリヴィエラを見つめていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
結局、私は男爵を殺す事は出来なかった。
決断をためらっている間にゲームセット。侵入者達が玄関ホールまでやって来てしまった。
軋んだ音を立ててドアが開くと、そこには小柄な騎士が立っていた。
彼は部屋のありさまにギョッと目を剥くと、腰の剣を抜き放ち、剣先を私に突き付けた。
「貴様、何者だ! ここで一体何をしている!」
えっ? 女性だったの?
私は剣を向けられた事より、相手が女である事の方に驚いてしまった。
確かに、騎士にしては小柄だし、妙に線も細いと思ったけどさ。
それはそうと、現実の騎士って男女で全く同じ鎧を着てるんだな。
何を言っているんだって? ホラ。アニメやゲームに出て来る女騎士の鎧って、おっぱいが付いているじゃん。
アレってそうか。視聴者に分かりやすくするための演出だったのか。なる程、おっぱいが付いてれば女って分かるもんな。ほーん。へーっ。
「な、なぜ黙っている?! ひょっとして人間ではないのか?!」
おっと。考え事をしていたら返事が遅れてしまった。
てか、人間じゃないって何だよ。一瞬、正体がバレたのかと思ってドキッとしたわい。
【俺の名は月影。コイツらに襲われたのでな。返り討ちにした所だ】
「こんな場所で、こんな夜更けに一体何を――」
「副団長! あそこに! バローネ団長です!」
背の高い、涼しげな目元イケメンの騎士が女騎士の隣に立つと、床で悶える中年男爵を指差した。
女騎士は男爵と私を交互に見比べると、男爵の方に駆け寄りたそうに足をジリジリと前に出した。
【・・・・・・】
「よし! 彼らを拘束するんだ! 倒れている者達にも油断はするな!」
私が気を利かせて壁際まで下がると、女騎士は待ちかねたように部下を引き連れて踏み込んで来た。
負傷した男達は痛みを堪えながら逃亡を図ったが、一人残らずその場に取り押さえられてしまった。
「団長。観念して下さい」
「ふざけるな! 貴様! 俺にこんな事をしてタダで済むと思っているのか!」
男爵は歯ぎしりをしながら女騎士を睨み付けるが、イケメン騎士に押さえつけられている状態では凄みに欠ける。
というか、元々、小悪党だからな。
そんな風に脅しをかけられたところで、うるさいだけと言うか、見苦しいだけと言うか。
こうして男爵とその部下達は、突然現れた女騎士達によって、あれよあれよという間に拘束されてしまったのだった。
次回「メス豚、職質を受ける」




