その237 メス豚、乗せられる
先日のお礼を言いに来た金持ち親子。
会談の最中、頬にキズのあるヤクザ風の男――寄せ場の総元締めドン・バルトナが妙な事を言い出した。
「そちらの月影殿。彼に会わせて頂けませんかね? 俺は彼に仕事を手伝って貰う約束をしているんですよ」
私の副官、ウンタがチラリと横目でこちらを見た。
あれは「お前、また勝手な約束をして」とでも言いたげな目だ。
いや、誤解だから。私は――月影はコイツと何の約束もしていないから。
ドン・バルトナが言う月影とは例の黒マント。私の変装の一つだ。
確かに昨夜、私は月影の姿で彼らと会ったが、そんな約束は何もしていない。
「――月影からそのような話は聞いておらんがの」
「わざわざ女王陛下にするような話ではないと思ったのではないでしょうか? 俺と彼が個人的に交わした約束ですので」
「分かった。月影が戻った後であやつから聞いておこう」
「――後で、ですか? それはいつの話になりますか? こっちも立て込んでまして。あまりのんびりはしていられないんですよ」
私の言葉にもなぜか引かないドン・バルトナ。
しかも引くどころか逆にグイグイ来る始末だ。
(あっ。さてはコイツ。私を利用しようとしてるな)
私はあくまでも空っとぼける男の姿にピンと来た。
コイツはこの場に月影がいないのをいいことに(実際はいるのだが)、彼の上司――クロコパトラに、「仕事を手伝うと約束した」と思い込ませようとしているんじゃないだろうか?
要は舌先三寸で既成事実を作ろうとしているのだ。
何というクソ度胸。
相手のテリトリーでこうまで堂々とウソがつけるとは。
コイツの心臓には剛毛が生えているに違いない。
「おい、バルトナ! 私達の邪魔をしないと言うからお前の同行を許したのだ! これ以上、女王陛下に失礼は許さんぞ!」
話がおかしな流れになり始めたのを察したのだろう。金持ちパパが心臓剛毛男を叱責した。
しかし、その程度の言葉では心臓剛毛男は止まらない。なぜなら彼の心臓には剛毛が生えているからである。
「ブラッド様。コイツはあんた達にも関係のある話だ。ここは口を挟まないでくれませんかね」
「私達に関係が? 一体、何の事を言っている?」
「これ以上はここではちょっと。この場にはあなたのご家族もいますからね。まあ、それぐらいヤバイ話である事は間違いありませんよ。
女王陛下、この先は月影殿と直接話をしたいんですが」
心臓剛毛男は金持ちパパの言葉を遮ると私に詰め寄った。
ヤバイ話ね。ぶっちゃけ私もそういうのは勘弁して欲しいんだけど。
私の冷ややかな視線を感じたのだろう。心臓剛毛男は「失礼、少々お待ちを」と言うと席を立った。
彼は壁際で欠伸を噛み殺しているキズだらけの大男、カルネに声をかけた。
「おい、そこのアンタ。ヒマそうだな。ちょっと頼まれてくれないか?」
「あん? 俺の事か?」
「ああ。俺の馬車の中にこのくらいの樽があるはずだ。そいつを持って来て欲しいんだ。重い物だからな、アンタくらいにしか頼めそうにない」
カルネは「断っていいか?」と言いたげな目で私を見た。私は小さく頷いた。
何で私達がコイツの頼みを聞かなきゃならんのだ。必要なら自分で取りに行けばいいのだ。
カルネは小さく「しゃーねーな」と呟くと部屋を出て行った。
えっ? 行くの? 何で?
後で聞いたら、彼は「言う事を聞くのか?」という意味で私を見たようだ。
全く逆の意味じゃん。コミュニケーションってのは難しいな。
その後は特に会話も無く、気まずい時間が流れた。
金持ちパパはすっかりドン・バルトナを警戒しているようである。
やがて廊下からカルネのドシドシという足音、そして金属の擦れ合うガチャガチャという音が近付いて来た。
「おい、これを見ろよ! クロ子――じゃなかったクロコパトラ女王! コイツはスゴイお宝だぜ! なあ、本当に貰ってもいいのか?!」
彼が抱えていたのは大きな樽。その中には何十本もの剣が入っていた。
カルネは樽をドスンと床に置いた。
「ちょ、カルネ。あんた何を言ってるわけ?!」
カルネは樽から剣を一本抜き出すと、ためつすがめつ眺めた。
「馬車にいたヤツらがそう言ったんだ。俺達にくれるために持って来たってよ。俺達の村にも人間の軍から奪った武器があるが、コイツはそのどれよりもいい品だぜ。見ろよ、専用の鞘も付いているぜ」
大モルト遠征軍を撃退した際、我々は多数の武器や防具を鹵獲している。
しかしその大半は兵士の持っていた槍。しかもほとんどが粗末な品で、中には穂先が真っ赤に錆びついたものすらあった。
剣は数も少なく、鞘までセットで揃っている物は更に少なかった。
樽一杯に詰まったまともな剣。これにはカルネだけではなく、ウンタも興奮気味に目を輝かせている。
心臓剛毛男はカルネにニヤリと笑いかけた。
「アンタならきっと気に入ってくれると思っていたよ。クロコパトラ女王。コイツは月影殿に手伝って貰う仕事の報酬。その前払い分だ。きっと彼も喜んでくれると思いますぜ」
「前払いだって?! こんな武器がまだ貰えるっていうのか?!」
ウンタが思わず驚きの声を上げた。
カルネは心臓剛毛男に詰め寄った。
「なあ、剣もいいが、防具はないのか? 俺の体に合う装備は中々手に入らないんだ」
「そうだな。必ずとは約束出来ねえが、多分、新品の防具が手に入ると思うぞ。まあ、全ては月影殿の手腕次第だ」
「新品?! マジかよ!」
カルネは勢い良く私に振り返った。
その目はすっかり乗り気になっている。
この様子だと、「月影が受けないなら、その仕事は俺が受ける!」とか言い出しそうだな。
私は義体の中で小さくため息をついた。
いやまあ、実際、私にとっても、今の話は大変に魅力的だ。
何せ私らの装備は敵軍からの略奪品。今回はその中でも比較的見栄えが良い物を選んではいるが、所詮は寄せ集め。しかも全て兵士が戦場で実際に使っていた中古品だ。
特に防具は酷い。
あちこちキズだらけだし、へこんでいるしで見栄えはかなり悪い。
そんな装備を着こんだ我々は、良く言っても、戦場帰りの傭兵団、悪く言えば、街道を荒らす盗賊団、といった感じだ。
これが戦場ならそれでもいいが、我々が向かうのは大モルト軍の指揮官との交渉の場。
そんな場所では実用性に加え、相応の見栄えが求められる。ボロボロの見た目では、相手に侮られてしまう。
そうでなくても我々は亜人――人より劣る卑しい存在だと思われているのだから。
(この剣だけでもかなり嬉しい。それに加えて新品の防具まで。ぐぬぬっ。中々痛い所を突いてくるわい。
交渉の場で笑われないためにも、ここはコイツの言葉に乗っておくべきか)
ぶっちゃけ私なら、よっぽど無茶な仕事でない限りどうにかなると思う。
最悪、コイツをぶっ殺して、依頼自体を無かったことにしてしまってもいい訳だし。
そうなった場合、前払いの剣は返さなくてもいいよな?
私の不穏な視線を感じたのだろうか? ドン・バルトナは居心地が悪そうに身じろぎをした。
心臓剛毛男のくせに、こういう勘だけは鋭いんだな。
「あの、俺が何か?」
「・・・いや、何でもない。良かろう。月影に連絡をする。心臓剛毛――じゃなかった、バルトナ。お主は屋敷に残っておれ。妾が許可するゆえ、あやつと仕事とやらの話をするがいい」
「へへっ、感謝致します女王陛下」
嬉しそうな心臓剛毛男。それとカルネ。
私は「コイツの言葉に乗った」のではなく「上手く乗せられた」のではないかと思い、釈然としない気持ちになるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ブラッド親子はクロコパトラ女王に挨拶をすると、ドン・バルトナを残したまま屋敷を後にした。
娘のアンネッタは月影がいなかった事を残念がっていたが、さすがに残って会いたいとは言い出さなかった。
ブラッド親子の馬車が去ると、屋敷の本来の主人、ボルケッティも母屋に戻って行った。
彼はブラッドを出迎えるため、今朝から全ての用事をキャンセルしてずっと待機していた。
今からでも仕事に戻るつもりなのだろう。
一方、屋敷に残ったドン・バルトナは別室に案内され、そこで月影の帰りを待つ事になった。
(さて、月影のヤツが戻って来るまで、どのくらい待たされる事になるのやら)
わざわざ屋敷に残れと言われた以上、まさか二日も三日も待たされるとは思えない。
どんなに遅くても今日中には会えるのではないだろうか。
(焦っても仕方がねえ。ここは気長に待つ事にするか)
ドン・バルトナは気持ちを切り替えるとテーブルに足を投げ出した。
彼は入り口で彼を見張っている小柄な亜人に――クロ子の副官ウンタに――声をかけた。
「なあ、この屋敷に酒は無いのか? せめて酒でも飲んでねえと間がもたねえよ」
「今、探して来る」
「あ、つまみも頼むぜ。丁度小腹が空いていた所だ。出来れば腹にたまるヤツがいい」
「・・・」
ウンタはドン・バルトナの図々しい要求には答えず、黙って部屋から出て行った。
「ちっ。辛気臭いヤツめ。さっきのデカイ亜人と違って、アイツとは反りが合いそうにねえな」
ドン・バルトナは口の中で小さく文句をこぼした。
その時だった。
ガチャリ。
ドアの開く音にドン・バルトナは振り返った。
「何だ早いな。酒は――って、アンタかよ。おいおい、随分と早く戻って来たんだな」
【女王から話は聞いた。俺に仕事があるそうだな】
そこに立っていたのは全身黒ずくめのマントの男。
男前の低い声(CV:杉田〇和)。
女王クロコパトラの”影”。月影であった。
次回「メス豚とヤバい仕事」




