その230 メス豚、暇を持て余す
我々が王都に到着してから一夜が明けた。
私はノックの音で目を覚ました。
『むうっ。誰?』
「ウンタだ。入るぞ」
そう言って入って来たのは、小柄な亜人の青年。
クロコパトラ歩兵中隊の副官のウンタだ。
「そろそろ昼だぞ。いつまで寝てるつもりだ」
『もうそんな時間? どうりでお腹が空いたと思った』
朝寝坊してしまったのも仕方がない。
昨夜はコッソリ屋敷を抜け出して王都見学をしていたのだ。
ちょっと出かけるつもりが、つい興が乗ってしまい、戻って来た時には午前様。それからようやく眠りについたのである。
私はキョロキョロと辺りを見回した。
前世でもお目にかかった事の無い豪華な寝室だ。広い部屋に高い天井。亜人の村の家なら一軒丸ごと入るかもしれない。――いや、流石にそれは言い過ぎか。
部屋の中央。まるでお姫様が寝るような天蓋付きのベッドに、絶世の美女が横たわっている。
黒く艶やかな髪に、長いまつ毛。まっすぐ通った鼻筋に赤く濡れた唇。
スラリと伸びた白い手足。黒いドレスを押し上げているのは女性らしい柔らかな曲線。
クロ子美女ボディーである。
豪華なベッドに眠る美女。なんつーか絵になる光景だのう。
ん? お前は義体の中に入ってないのかって?
たりめーだろ。いくら居住性が改善されたからって、あんなもんの中で寝られるかよ。
床でゴロゴロ転がって寝てたっつーの。
ベッドがあるのに床で寝た理由? いや、最初はベッドで寝ようとしたけど、すぐに水母に追い出されてしまったんだよ。
私のよだれが義体のドレスに付いたら困るんだってさ。全く失礼しちゃうわ。ブヒブヒ。
『――って、あれ? 水母は?』
「車イスの調子を見るって、駕籠の所に行っているぞ」
私は――と言うか、亜人の女王クロコパトラは歩けない。まだ私がクロ子美女ボディーをそこまで使いこなせないからだ。
かと言って、打ち合わせ場所やパーティー会場の中を駕籠でうろつく訳にもいかない。
そこで水母が用意してくれたのが車イスだった。という訳なのだ。
旅の間も何度か使ってみたものの、サスペンションが無いのが地味に辛かった。
可能な限り駕籠で移動したいと思った所存である。
ウンタが鎧戸を開け放った。
暖かい外気が流れ込むと共に、昼の太陽光が明るく部屋を照らした。
うおっ! ま、まぶしっ!
『ところでお腹空いたんだけど、何か食べる物はある?』
「今朝、ここの人間がやって来て、俺達の飯を置いて行ってくれたぞ。台所に行けばまだ残っているはずだ」
それは朗報。どれどれ、王都の味覚を堪能させて貰おうかね。
そのままの姿で部屋を出るのかって? どうせこの屋敷には我々しかいないからな。
私はトテトテと歩くとドアの前で立ち止まった。
どうしたねウンタ君。早く開けてくれたまえよ。
ウンタは呆れ顔になりながらもドアマンの役を果たしてくれたのだった。
我々が宿泊しているこの屋敷。
王都の商業区画のちょい外れ。閑静な住宅地に位置する二階建ての物件である。
オーナーはボルシチ――じゃなくて、そうそう、ボルケッティ。
薪屋としては王都でも最大手なんだそうだ。
彼はちょび髭の頼みを快く引き受け(※個人の感想です)、我々にこの屋敷を提供してくれたのだった。
ちなみに敷地内にはもう一軒、ここよりも大きな屋敷があって、そちらがボルケッティ一家が住む母屋となる。
我々に提供されたのは、離れという訳だ。
離れと言ってもそこは大手商会の屋敷。その大きさは大したもので、クロコパトラ歩兵中隊の隊員五十人がまとめて宿泊している。
まあ、私以外は数人同部屋の雑魚寝だが。
それでも亜人の村の家よりも過ごしやすいのか、隊員達は嬉しそうに部屋割りを決めていた。
『ブヒブヒ。ごちそうさまでした』
私は取り分けて貰った食事をぺろりと平らげた。
「なんだクロ子。こんなに美味い料理なのにあまり嬉しそうじゃないな? 日頃のお前は食ってばかりなのによ」
傷だらけの大男、カルネが不思議そうに言った。
美味いかどうかで言うと、う~ん、普通? てか、人を食いしん坊キャラみたいに言わないで欲しいんだけど。これでもレディーなんだからさ。
『みんな「美味い、美味い」って喜んで食べているから、美味しいんじゃない? ホラ、私は豚だし味覚が人と違うから』
「そういうモンなのか?」
そういうモンなのさ。人間と同じ味覚だったら、どんぐりなんて渋くて食べられたもんじゃないだろ?
豚は味覚が弱い。逆に匂いには敏感なんだが。
『一度食べてみたかっただけだから、次からはいらないかな。せっかく美味しく作ってもらった料理が勿体ないし。私の分は生のお芋や虫でいいから』
「芋はともかく、王都に虫なんているのか?」
「後でハンスに聞いてみるか」
ハンスは私達の世話係を命じられた屋敷の使用人だ。
だんご鼻の気の弱そうなオジサンで、家族揃って住み込みで働いているそうだ。
ちなみにこの時の私の一言が元で、後日、彼は虫取り網と虫かごを持って、商業区画中の屋敷の庭を駆けまわる羽目になるのだった。なんかスマン。
「それはそうとクロ子。俺達はどうすりゃいいんだ?」
『どうするって、何が?』
「何をしていればいいかを聞いているんだよ。何もする事がなくて困っていたんだ。まさか一日中、何もせずにゴロゴロしている訳にはいかないだろ?」
いつの間にか隊員達が台所に集まっていた。
彼らは口々に今日の予定を聞いて来た。
『てか、私にだって分かんないし。全て相手のお偉いさんの予定次第。私らはここに待機して、ちょび髭からの呼び出しがあれば即参上するのが仕事なんじゃない?』
「待機って、一体何をすりゃいいんだ?」
『何もせずに待ってるのが待機よ』
「はあっ?! なんだそりゃ! 何もしないって、マジで言ってるのかよ!」
後で分かる事だが、実際は呼び出しの前日には連絡が入るらしい。
それまでは王都にさえいれば――すぐに本人に連絡が付く状態であれば――どこで何をしていてもいいようだ。
実際、今回の招集で集まった領主達は、自分の屋敷でお茶会やサロンを開いたり、また、他家のそれらに出かけたりと、積極的に他の貴族家と交流を計り、情報を共有していたようだ。
国家の存亡という未曽有の危機に、彼らは裏では手を回し、表では互いに手を取り合い、必死に生き残りの術を探っていたのである。
こんな風にのんべんだらりと無為に時間を過ごしていたのは、我々くらいだったのだ。
いや、だって仕方がないじゃない。そんな事知らなかったんだし。
そもそも、私ら亜人だし。付き合いのある貴族なんてないし。
お茶会にだって呼ばれてないし、自分達でお茶会を開いても来てくれる相手もいないし。
「しかし、何もしないってのもなあ」
『だったら庭で体でも鍛えていれば?』
「ええ~っ。・・・いやまあ、何もしないでいるよりはいいか」
彼らは渋々仲間を誘うと庭に出て行った。
まさか本当に行くとはな。やることがないなら昼寝でもしてればいいのに。
その後、突然庭で取っ組み合いを始めた亜人達に驚いて、世話係のハンスが血相を変えて駆け込んで来るのだった。
といった訳で夜。
隊員達は日が落ちると共にぐっすり眠っている。
亜人の村は貧乏だからな。みんな健康老人のように早寝早起きなのだ。
ああ、私は違うぞ。前世では現代っ子だったからな。夜更かしどころか徹夜でゲームだってしたもんだ。
私はピンククラゲ水母を連れてコッソリ屋敷を抜け出した。
さあ、夜ウォーキングの時間だ。
昼寝をしたので睡眠時間もバッチリ。お目目もパッチリ。
今宵はどこに向かおうかな。
『とりあえず、今日も貴族街でいいか』
昨夜の散歩でザッとは見て回ったが、まだまだ見落としも多い。
今日はそういう所を重点的に回ればいいだろう。
『じゃあ最初は昨日と同じルートで』
私は昨夜のように、この辺で一番高い建物を目指した。
その途中、私はふと眼下の光景に違和感を覚えた。
『なんだろうこの感じ。特にどこがどうとは言えないけど・・・。ねえ水母。あんたに分かる?』
『明かりが付いてる』
それだ!
この通りだけ点々と明かりが付いている。
いや、違う。明かりを持った男があちこちに立っているのだ。
『何だろう。ちょっと気になるわね』
私は好奇心を刺激された。
どうせ目的のない夜ウォーキングだ。見に行って損するものでも無いだろう。
私はヒラリと地面に降りると影から影へ。
男達の背後にコッソリ回り込んだ。
特に目立った所の無い男達だ。着ている服も町で良く見かける一般的なものに思える。
誰も武装をしていない所を見ると、昨夜の野盗の仲間という訳ではなさそうだ。
彼らは緊張感の無い様子で、時々周囲を見回しながら仲間と会話をしていた。
話の内容は、食事に女。奥さんや親の愚痴。知り合いの悪口。
面白みの欠片もない、典型的な無駄話だ。
『虚無』
『・・・確かに。これ以上ここにいても意味は無さそうね』
それでも待っていればそのうち何かが起きるのかもしれないが、そこまで粘るには退屈過ぎる。
堂々と明かりを付けている所からも、何か後ろ暗い事をやっているのではなさそうだ。
だったら、別にいいか。
私は『風の鎧』。この場を立ち去る事にした。
「しかし、黒マントだっけ? そんなヤツ本当に見付かるのかね」
男の呟きに私は足を止めた。
「俺達誰もそいつを見た事ないんだぜ。もし、今夜も現場に現われても、そいつかどうかなんて分からないんじゃないか?」
「まあな。『見れば分かる』とは言われてるが、頭から足先までスッポリ黒いマントで覆われているってだけじゃなあ」
現場。足先までスッポリと覆った黒いマント。
――あっ! そう言えばここって、昨夜私が野盗から金持ち親子を助けた通りじゃなかったっけ?!
えっ? てことは何? 黒いマントって私の事?
コイツら私を捜しているわけ?
ここで昨日と同じ時間に見張っていれば、私が現れるんじゃないか。そう考えてここにいるって事?
マジで?
『可能性あり。どうする?』
『どうするって・・・相手の正体も目的も分からないんじゃ、どうしようもないんだけど』
見た感じ、野盗の仲間のお礼参りのせんは薄いと思う。
だったら金持ち親子が捜しているのか、あるいは噂を聞いた第三者の手の者か。
このままスルーしてもいいが、知らない誰かが私を捜しているってのもちょっと気持ちが悪い。
『――一応、相手の確認だけでもしておくか。水母、よろしく』
『了解』
私はヒラリと屋根に飛び乗ると、昨日使った旗を回収しに向かったのだった。
次回「メス豚と大商人」




