その229 ~謎の黒マント~
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オスティーニ商会の屋敷は大騒ぎになっていた。
商会主の息子、ブラッドとその家族が賊に襲撃されたのである。
御者から知らせを受けた屋敷の使用人達は、現場となった通りに慌てて駆け付けた。
そこで彼らが見たのは、何者かによって蹴散らされた賊の姿だった。
ブラッドは足にケガを負い、長男のバジリオは肋骨を骨折していたものの、命に別状は無かった。
使用人達はブラッド達を無事に保護、屋敷に連れ戻ったのであった。
「父さん。ブラッドです」
「入れ」
重厚なホワイトアッシュのドアが開くと、三十前後の身なりの良い男が部屋に入って来た。
オスティーニ商会の次期商会主、ブラッドである。
ブラッドの父――ロバロ老人は酒の入っていたタンブラーを置くと、息子のために棚からもう一つタンブラーを取り出した。
「あ、いえ。足のケガもあるので、今夜は酒は止めておきます」
ブラッドはそう言うと自分の左足に目を落とした。
「そうか。痛むか?」
「まあ、それなりに。バジリオのケガに比べれば大した事はありませんが」
ブラッドはヒョコヒョコと左足を庇いながら歩くとソファーに腰かけた。
ロバロ老人は自分のタンブラーに酒を注いだ。
「それでバジリオの容態は?」
「ずっと痛みを堪えていましたが、先程ようやく寝入りました。少し熱もあるようで、今はベルタが診ています」
息子のバジリオは折れた肋骨のヒビのせいで、少し息を吸い込むだけで苦しむようになっていた。
医者の診察では治るのに一月程かかるとの事である。
ロバロ老人は眉間にしわを寄せ、痛ましげな表情を浮かべた。
「そうか。可哀想に」
「命が助かっただけでもあの子は幸運です。あの黒マントには感謝してもし足りません」
「黒マント・・・か」
ブラッド達を襲撃者から救った謎の怪人(※inクロ子)は、その見た目から黒マントと呼ばれていた。
ブラッドはテーブルに肘をつくと、早速本題に入った。
「それで、父さん。襲撃者達は結局、何者だったんですか?」
「王都の外から流れ着いた無宿人共だ。本人はネクロラの信徒を名乗っているがな」
黒マントことクロ子が片付けた襲撃者は七人。
そのうち四人はその場で死亡が確認されていた。
残った三人のうち、傷の軽い者は応急処置を施され、厳しく尋問が行われたのである。
「報復の神ネクロラの・・・。では彼らが最近、王都を騒がせている商会荒らしですか。他の商会を襲ったのも彼らだったんでしょうか?」
「いや、違う。王都に来たのは二日前だと言っておった。商会荒らしの噂を聞いてマネをした単なる模倣犯だ」
ブラッドは疑り深い父親が、こうもハッキリと言い切った事に違和感を覚えた。
ロバロ老人はテーブルの隅に置かれた剣に目を向けた。
ブラッドも部屋に入った時から目に付いていた物である。
「それは・・・ひょっとして襲撃者が持っていた剣ですか?」
「そうだ。さほど珍しくもない数打ちの品だが、それでもヤツらが持つには不相応な剣だった。食い詰めて王都に流れて来た者が持っているような品ではない」
そもそも鉄というのは庶民にとっては手が出ない――とまでは言わないが、十分に高価な代物である。
食い詰めた挙句に犯罪に手を染める者達なら、絶対にその前にこの剣を売って食事に変えていたはずである。
「本人は『ネクロラの信徒から貰った』と言っておった。その際にそやつから色々と吹き込まれたようだ」
自称・ネクロラの信徒は彼ら食い詰め者達に武器を与えると、『今、この国が危機に瀕しているのは、商人共が欲に溺れ、人々を苦しめて私腹を肥やしていたせいだ』『神の裁きが大モルト軍という形を取って現れたのだ』などと説いたそうだ。
その話に乗せられた彼らは、復讐のため商人を襲う事を決意したのだという。
「つまり、私達が襲われたのはたまたまで、オスティーニ商会を狙ったものではなかったと? 父さんはそれを信じているんですか?」
「ウソをついているようには見えなんだ。多分、本当に偶然だったんじゃろう」
ブラッドは少し肩から力が抜けた。
今夜の凶行がオスティーニ商会を狙ったモノではなく、行きずりの犯行であった可能性が高くなったためである。
金貸しを営むオスティーニ商会は、人から恨みを買いやすい。
客は金を借りる時には、こちらをまるで神様のように拝み倒して来るが、いざ返済の期限が来ると、こちらを血も涙もない悪魔のように憎悪する。
どんなに世間の評判の良い人格者であっても金が絡むと人間が変わる。ブラッドはその事実を良く知っていた。
「そのネクロラの使徒とは何者でしょうか? 無宿人に武器を与え、商人を襲わせる事で彼らに何の益があるのでしょう」
「益・・・あるいはヤツらは利益のために動いているのではないのかもしれん」
「?」
長く商売の世界に身を置いているブラッドは、つい、人の行動を損得で推し量ろうとしてしまう傾向にある。
しかし、人間は必ずしも理屈だけではない事をロバロ老人は知っている。
あるいは今、彼自身が国のために損得勘定を抜きに動いているからこそ、そう考えたのかもしれない。
「ワシの方で分かったのはそれくらいか。それで? お前達を救った黒マントとやらだが、本当に何も心当たりはないのか? いくら相手が剣の心得の無い素人とはいえ、一人で七人もの賊を倒し、ロープも何も使わずに建物の屋根に飛び上がったとなれば、ただ者ではあるまい」
「それが、全く」
ブラッド一家の窮地を救った謎の怪人黒マント。
女性のように小柄な体(※ただし声は明らかに男だった)。全身を隙なくスッポリと覆った黒いマント。
息一つ切らす事無く、十人近くの敵を無力化する桁外れの技量。
ケガ人をひと目見ただけで、正確に容態を診断出来る高い医療知識。
屋根から屋根に飛び移る常識外れの跳躍力。
「これほどの人物であれば、私や父さんの耳に入らないはずがないのですが」
「ふむ。あるいは王都の外から来たのかもしれんな」
「黒マントも無宿人と? ――あ、いや。どこかの貴族家の使用人という可能性ですか」
現在、大モルト軍総指揮官ジェルマンからの降伏勧告を受け、王都の貴族街には国のあちこちから領主達が集まっている。
黒マントはそれら地方領主のお抱えの護衛ではないだろうか?
ロバロ老人はそう考えたのだ。
「護衛――ですか。しかし、騎士ではないと思います。黒マントは剣を抜きませんでした。それどころか、攻撃のためにマントから手を出した所すら見えませんでした」
「それでいてあの威力か。恐ろしいヤツだな。何か特殊な戦闘技術を身に付けているのは間違いあるまい。なる程。騎士団ではあり得んか」
ロバロ老人は屋敷に運び込まれた死体の傷を思い浮かべた。
死体はまるで皮膚が弾けたかのように、体の表面が大きく抉れていた。
ちなみにその死体は屋敷の裏庭に安置されている。
ロバロ老人は即座に衛兵の詰め所に人を向かわせたが、今の王都は大モルト軍との戦いのため、戦える者は根こそぎ出払っていて人手が足りない。
当然、衛兵も例外ではなく、王都の治安は以前とは比べ物にならない程悪くなっていた。
「どこかの諜者、といった所か。だがそれだとお前達を助けた意味が分からない。いや、あるいは襲撃もその者が裏で手を回したのやもしれん。だとすれば、今夜の一件はオスティーニ商会に近付くための何者かの狂言か」
「まさか。演技で命を奪うでしょうか? それに黒マントは名前すら告げずに立ち去っています。オスティーニ商会に近付くのが目的であれば、自分の顔を見せるかせめて名前くらいは名乗っていくでしょう」
「むっ。それは・・・いや、確かにお前の言う通りだ」
ロバロ老人は「むうっ」と唸り声を上げた。
確かに息子の言う通り、顔も見せていない、名前も告げていないでは、仮に後日訪ねて来た所で本人と確認のしようがない。
そもそも、もしも黒マントがどこかの貴族家の諜者――工作員だったとしても、わざわざこんな手の込んだ事をする必要はない。
主人の名を使って、客として堂々と屋敷に訪ねて来ればいいのである。
ロバロ老人は酒を一気にあおるとタンブラーをテーブルに置いた。
「まあいい。ワシは今から屋敷の様子を見て回って来る。何も無いとは思うがあんなことがあった後だ。もしもという事があるやもしれんからな」
「では私も」
「その足でか? いいから無理をするな。ベルタとアンネッタも不安に思っているだろう。今夜ぐらいは一晩中家族の側にいてやるといい」
こうしてロバロ老人は屋敷の見回りに向かった。
使用人達は夜を徹して屋敷の警備を行ったが、襲撃者どころか猫の子一匹現われはしなかった。
そしてブラッドは随分と久しぶりに家族全員揃って一つの部屋で寝たのだった。
翌日。
襲撃者の凶行から一夜明け、ようやく衛兵が屋敷を訪れた。
その後は昨夜の事情聴取に犯人の引き渡し、死体となった犯人達の運搬、現場検証に、オスティーニ一家の護衛の見直しと、屋敷の中はいつも以上に慌ただしくなっていた。
そんな屋敷の一室で、使用人のマルチェが、ブラッドの長女アンネッタを引き留めようとしていた。
「お嬢様、お待ちください! 今、屋敷を出るのは危険です! 昨夜はあんなことがあったばかりじゃないですか!」
アンネッタは大きなつば広の帽子に地味な服で外に出ようとしていた。
一応、彼女なりにこれでも変装しているつもりなのだろう。
しかし、一見地味とはいえ、ツギ一つあたっていない、丈夫さよりもデザイン重視の作りの良い服のため、誰の目から見ても裕福な家の子供である事は明確だった。
「けど、黒マント様を見つけないと! 私、あの時お礼を言っていないの! それどころか、助けてもらったのに怯えてばかりで・・・あの人はバジリオのケガだって診てくれたのに。そんな恩知らずなマネは許されないわ!」
アンネッタは安全な自宅で一晩寝た事で恐怖も消えたのだろう。
自分が黒マント相手にお礼の一つも言えなかった事に後ろめたさを感じているようである。
「そんな事を言っても、どこをどう捜すおつもりなのですか? 何かあてでもあるのですか?」
「それは――ないけど。そうだ! 昨日の場所に行けば何かヒントくらい見つかるかも!」
マルチェは「だったら」と言った。
「お屋敷でお待ち下さい。あそこには衛兵と屋敷の皆さんが行ってます。何か見つかればお嬢様にもお知らせするように私から頼んでおきます」
アンネッタは大きく足を踏み鳴らした。
これはイライラが溜まった時に彼女が見せる仕草だ。マルチェは「これはマズいぞ」と内心で冷や汗を流した。
周囲に当たり散らし出す前にどうにかしないと。
「わ、分かりました。私がその男を捜して参ります。だからお嬢様はお屋敷でお待ち下さい」
「マルチェが? アンタにそんな事が出来るの?」
マルチェは渋々頷いた。
「誰にも言わないで下さいね。私は先日から、大旦那様の言いつけでバルトナ様とお仕事をさせて頂いております。バルトナ様は王都の手配師を纏められている方で、この王都であの方の目の届かない場所はありません。
今からあの方の所までひとっ走りして、黒マントの男を捜して貰えるように頼んで来ます。きっと見つかりますので、お嬢様は屋敷で連絡を待っていて下さい」
「手配師って寄せ場の? アンタそんな相手を知っているんだ」
アンネッタはマルチェの言葉に目を丸くして驚いた。
「・・・そう。だったら私が捜すよりもずっと確実よね。分かった。頼んだわ」
「では、早速行ってまいります」
マルチェはアンネッタにぺこりと頭を下げると、急ぎ足で屋敷の裏口から出て行ったのだった。




