その227 メス豚と夜ウォーキング
私は屋根の上で夜風に吹かれていた。
暗い王都の町並みを銀色の月明かりが照らす。
ここは王都アルタムーラの商業区画。まだまだ宵の口。夜の九時くらいだというのに、町はすっかり寝静まっていた。
『さて。どこから見て回ろうかな。水母。どこかオススメはあったりする?』
『情報の不足』
私の背中でピンククラゲがフルリと震えた。
こんな所で何をしているかって? これから夜のお散歩に行くところだよ。
せっかくこうして王都にやって来たんだし、あちこち見て回らない手はないだろう。
夜なら人目にも付かないしな。
旅の途中はずっとちょび髭と彼の護衛がいたから、夜も部屋の中でジッとしていなければいけなかったが、今夜は彼らはいない。
ちょび髭は私らをこの屋敷に案内すると、直ぐに去って行ったのだ。
何でも大モルト軍は貴族街の屋敷を接収しているそうで、そっちで寝泊まりするとかなんとか。
ここは私達が宿泊しているとある商家の屋敷。名前は確かボルシチだったか。
『否定。ボルケッティ』
そうそう、それな。ボルケッティ。
という訳でここは商人の屋敷。代官の屋敷じゃないから警護の衛兵もいない。
絶好のお散歩チャンスと言えるだろう。
ちなみにボルシチことボルケッティ商会は、王都でも最大手の木材屋さんだそうだ。
木材と言っても、家の建材や家具に使う木材ではない。ここで扱っているのは燃料用の木。
つまりは薪屋さんという訳だ。
この国に攻め込んで来た大モルト軍数万。彼らが一日に摂る食事の量はバカにならないし、その食事を作るためには膨大な量の薪が必要となる。
それらの消耗品は基本的には現地調達だが、それら全てを略奪だけで賄うのは限界がある。
勿論、根こそぎ行えば可能かもしれない。
その場合、大モルト軍の通った後は、文字通り草木一本、麦の一粒すら残らないだろう。
そもそも木というのは、生の状態だと水分を多量に含んでいるため、ロクに火が付かないのである。
それじゃ薪として使えない。
そんな苦労をするなら、現地の商人に調達してもらった方が楽というものだ。
という訳で、ボルシチッチィ商会は『ボルケッティ商会』そうそうボルケッティ商会。ボルケッティ商会は大モルト軍に薪を納める仕事をしているのだった。
その繋がりで、今回、白羽の矢が立ってしまったようだ。あるいは、貧乏くじを引かされた、とも言う。
商会の社長さんは、ちょび髭から私ら亜人の世話をするように命じられた瞬間、明らかに笑顔が引きつっていた。
なんかスマン。心苦しいが我々も君のお世話にならければ路頭に迷ってしまうのだよ。何とか頼む。
てな訳で、彼は自分の屋敷を我々に提供。我々は無事に王都でのねぐらを確保出来たのであった。
『う~ん、そうだ。貴族街。そっちを見に行こうか。風の鎧』
我ながらナイス思い付きだ。どうせなら、普通の家よりお金のかかった豪邸を見て回りたい。
ちょび髭がどんな所で寝ているのか、少しだけ気になるしな。
私は身体強化の魔法をかけると、ヒラリ。
屋根から屋根に飛び移った。
一先ず、この辺りで一番大きくて高い建物。あそこを目指そうか。あの屋根から見回せば、貴族街がどの方向にあるかなんて一発で分かるだろう。
町は死んだように寝静まっている。
何だかちょっと不思議な感じだ。
夜の学校に忍び込んだら、こんな風に感じるのかもしれない。想像でしかないけど。
冷たい夜風が肌に気持ちいい。
私、今、充実している! 夜の町サイコー!
私は久しぶりの解放感に、ブヒブヒ鼻歌を歌いながら夜の王都を堪能していた。
その時、下の通りで何か大きな音が鳴った。
次いで馬のいななき。そしてガヤガヤと大勢の男達の声。
何か事故でも起きたのかな?
私は足を止めると耳を澄ました。
せっかくだから騒ぎを見に行こうと思ったのだ。要は野次馬だな。
しかし、無人の町は音が反響して事故現場の方角は良く分からなかった。
私はブヒッと鼻を鳴らした。
『水母。この音がどこから聞こえて来るか分かる?』
『下方向』
案外近いな。
月明かりがあるとはいえ、街頭も何もない真っ暗な通りなのでまるで見えないわ。
私は屋根を伝って事故現場に急行した。
――いやいや、どう見ても事故現場じゃないだろう、コレ。
私は驚きのあまり立ち尽くした。
一台の馬車が通りの角で立ち往生している。
どうやら左の後輪が壊れているらしい。大きく左に傾いている。
そんな馬車を、十人程の男が取り囲んでいる。
この町の浮浪者か何かだろうか。全員、髪と髭をボサボサに伸ばしている。
粗末な服のくせに、妙に本格的な武器を手にしているのが気になる所だ。
彼らの足元には身なりの良い親子。
母親らしき女性が二人の小学生くらいの子供を抱き、男達から守ろうとしている。
父親らしき男性は足を押さえてうずくまった状態で、武器を突き付けられている。
どこからどう見ても、野盗に襲われている金持ちの一家だ。
ていうか、ここって一国の王都じゃないの? 人里離れた寂れた街道ならともかく、なんでこんな場所で馬車が野盗に襲われてる訳? 治安悪すぎだろ。
ピンククラゲ水母がニュルリと触手を伸ばすと私の頭をツンツンと突いた。
『見てるだけ?』
『ハッ。予想外の光景に頭が飛んでたわ。ええと、そうね。どうしようか?』
あの親子を助ける理由が無い。と切り捨てられる程、私の心はドライじゃない。
いやまあ、さすがに千人もの軍勢に囲まれていたら、素直にゴメンなさいして逃げてしまう所だが。
しかし、ロクに武装もしていない十人程度の男なら、私の魔法なら問題無く片付けられるだろう。
そういう事が当たり前に思えてしまう所に、「私も変わったな」とかしんみりしないでもないけど。
おっと、今はそれどころじゃなかった。
あの金持ち一家(?)を助けるのは問題無い。問題は私がこの国では”魔獣”として恐れられているという所にある。
私はかなりの有名人。こんな場所で暴れれば、間違いなく大騒ぎになるだろう。
ぶっちゃけ、それでも別にいいっちゃあいいのだが、魔獣は亜人と協力関係にある事が既にバレている。
王都に滞在中、ずっとクロコパトラと魔獣、一人二役を演じなければいけないのはさすがに面倒だ。
私が介入をためらっている間に、父親らしき男が伸ばした手を男が足で踏み付けていた。
男の子が父親を助けに行こうと立ち上がるのを、母親が必死に抱きしめて止めている。
親子の叫び声。その一生懸命な姿に男達が野卑な笑い声を浴びせる。
何という胸糞の悪さよ。
しかし、町には人がいないのか、誰も彼らの声を聞きつけて助けに来ようとはしない。
さすがにこれ以上は見ていられない。
こうなれば姿を見られようが、騒ぎになろうが関係あるかい。このまま黙っている方が私の精神衛生に悪いわ。
私が飛び出そうと心を決めた瞬間、水母がヒョロリと触手を伸ばした。
『提案。要注目』
彼が指差した先には、黒く大きな旗が垂れ下がっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ぐううううっ」
オスティーニ商会の馬車を襲った襲撃者は、食い詰め者の流れ者達のように見えた。
父親のブラッドは伸ばした手を踏みつけられ、痛みに歯を食いしばった。
「おい、遊んでんじゃねえよ。とっとと殺してずらかるぞ」
襲撃者の一人が剣を手にブラッドに近寄った。
「パパ! 止めろお前達! パパから離れろ!」
「バジリオ駄目! 動かないで!」
長男のバジリオが男の前に立ちはだかろうとしたが、母親に抱きすくめられた。
「お金なら差し上げます! 後も追いません! だから私達に手出しをしないで頂戴!」
母親の必死の懇願を男達は鼻で笑い飛ばした。
「お前ら金持ちはいつもそうだ。金さえあれば何でも思い通りに出来ると思ってやがる。ああ、勿論金は貰うぜ。命も貰うがな」
「おい、コイツはなかなかいい女じゃねえか。連れて帰って楽しまないか?」
「はっ。そいつはいい」
大柄な男が母親の手を掴むと乱暴に立ち上がらせた。
「ママ!」
「コイツ! ママを放せ!」
「うるせえ! クソガキ!」
別の男が横からバジリオを蹴り付けた。少年は数メートルも吹っ飛び、石畳の上に転がった。
彼の姉が泣きながら弟に駆け寄る。
「バジリオ! バジリオ、大丈夫?! ――きゃあっ!」
「ギャンギャンうるせえよ。このガキ」
太った男が少女の髪を掴んで引っ張った。
悲鳴をあげる少女の髪から、無造作に髪飾りをむしり取る。
「ガキのくせにいいモン付けてるじゃねえか。おい、そっちのガキからも頂ける物は頂いちまえよ」
「分かってる。殺した後で身ぐるみ剥いじまえばいいだろ」
「バジリオ! アンネッタ!」
襲撃者の凶刃が月光に冷たく光りを放つ。
母親の目から涙が流れた。
幼い命が理不尽にも奪われようとしたその瞬間だった――
タッ
軽い音を立てて、通りの真ん中に黒い影が舞い降りた。
――怪人。
それほどこの言葉が似合う存在もいないだろう。
身長は高くはない。頭からスッポリと黒い布を被っている。
小柄な男か、あるいは女か。そのシルエットは風に吹かれる度にフワフワと曖昧に揺れ、どちらとも言えない不思議な感じだった。
不審な点はそれだけではない。
この怪人は空から降りて来た。しかし、この辺りには丁度良く飛び降りられそうな窓は見当たらない。
屋根の高さは地上から10メートルは超えている。
この怪人はどこからどのようにしてこの場に現れたのだろうか?
襲撃者の一人が、勇気を奮ってこの不気味な存在の前に立つと、勢い良く剣を突き付けた。
「な、なんなんだテメエは!」
男の声は残念ながら恐怖と緊張で上ずっていた。
次の瞬間。
パンッ!
乾いた音と共に、何の前触れもなく男の腹が弾けた。
次回「メス豚、親子を救う」




