その211 メス豚と仇討ち隊の壊滅
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業火に包まれる亜人村。大柄な髭の武将が憎々しげに表情を歪めていた。
”五つ刃”、指揮官の”双極星”コロセオである。
「コロセオ様! 幸い敵は攻めてこない様子。ここは一旦、村の外に避難致しましょう!」
「左様! このままでは煙に巻かれてしまいます!」
火災による主な死因は、炎による火傷ではなく、煙による一酸化炭素中毒死や窒息死だという。
そうでなくとも煙は視界を遮るし、呼吸を困難にする。
彼らが言うように、逃げ場がなくなる前に避難した方がいいだろう。
「それしかねえか・・・」
コロセオは、いかにも渋々といった感じに頷いた。
とはいえ、既に兵士達は逃げ出している。
仮に自分が「ダメだ」と言った所でどうしようもない。コロセオにもそれくらいは分かっていた。
「村の外に出たら、昼間に部隊を展開した広場に兵を集めろ。真っ暗な森の中だ。かがり火を焚けば、明かりを目印にして兵士達は勝手に集まって来るだろう。亜人共の襲撃にだけは十分に気を付けろ」
「「「「はっ!」」」」
コロセオは部下を引き連れて移動を開始した。
結論から言うと、彼の心配した敵の襲撃は無かった。
だが、村から逃げ出した兵士達が無事だった、という訳ではない。
むしろ彼らを襲ったのは、その逆の運命だったのである。
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私は村の中を忍者野郎から逃げ回っていた。
『てか、逃げてる訳じゃないから。戦いやすい場所まで敵を誘導しているだけだから』
『言い訳無用。後方注意』
私の背中のピンククラゲがフルリと震えると――
ガキン!
敵の放ったスリケンが、金属音を立てて、水母の魔法障壁にはじかれた。
背後から陰気な声が響いた。
「むっ。今のは見えていなかったはずだが。その防御の魔法は、真後ろにも死角はないのか」
くっそっ! あの忍者野郎、もう追いついて来やがったのかよ!
風の鎧の身体強化でも振り切れないって、どうかしてるぞ。
『敵の方が一枚上手』
水母の説明によると、敵は村の道を熟知していると予想されるらしい。
わざわざ私が逃げ辛くなるように、私を追い込むように後を追いかけているんだそうだ。
・・・マジかよ。
てか、こっちだってやられっぱなしじゃないんだよ!
『この野郎! 食らえ、最も危険な銃弾!』
私は目の前の壁を蹴って三角飛び。空中で振り返ると、最も危険な銃弾の魔法を放った。
しかし、残念ながら敵はそんな苦し紛れの攻撃にやられてくれるようなタマじゃない。
忍者野郎は走りながら少し体を屈めただけで、私の攻撃を躱してしまった。
シット! 足止めにすらならないのかよ!
私は空中で半回転。地面に着地すると、再び豚走に移った。
背中のピンククラゲがフルリと震えた。
『逃亡を推奨』
『それは――いや、ヤツはここで倒す!』
私は思わず弱気に傾きかけた気持ちを引き締めた。
この作戦は私にとっても正念場。もしも失敗すれば、敵の物量に押し負けてジリ貧になる未来しか見えない。
絶対に成功させる。
そのためには邪魔者を――あの忍者野郎だけは、絶対に排除しておかなければならない。
ヤツは日頃は後方に控えて、中々前に出て来ない。
こうして誰も邪魔が入らない状況で、一対一になるなんて、滅多にないチャンスなのだ。
幸運の女神には前髪しかないという。チャンスというのはその場限り。この幸運をみすみす逃す手はない。
『――ならば、村から出る事を推奨』
『村の外で戦えって事?』
確かに、村の外なら煙も無い。
忍者野郎も今のように、空気の渦で最も危険な銃弾の発生を見てから躱す、といった芸当は出来ないはずだ。
だが、村の外には逃げ出した敵兵もいる。
そもそも、忍者野郎が私の後を追って来るかどうか。
コイツとしては、有利な場所を手放したくないだろうしな。
『・・・考えていても仕方がないか。このままじゃ埒が明かない。分かった! あんたの策に乗るわ!』
『意外な返事』
うぉい! なんだよ今のリアクション!
言ってみたのはいいけど、実はただの思い付きだった。そういうオチか?! そうなのか?!
『否定。――至急脱出』
水母、あんたね・・・まあいいか。仮に忍者野郎が付いて来なかったら、その時はその時。対策は後で考える事にしよう。
私は一番近い土塁に向かって全速力。サッと駆け上ると、村の外に向かって大きくジャンプしたのだった。
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ここは村をぐるりと取り囲む深い堀。
かがり火の明かりも、村の火事も、深い堀の中まで照らす事は出来ないようだ。
村から逃げ出した兵士達は、土塁の崩れた場所――さっき岩が浮かび上がって崩れた箇所――へと殺到した。
土塁を越えると直ぐに堀の険しい斜面が待っている。
村を飛び出した兵士達は、転がり落ちるように真っ暗な堀の中に駆け込んで行った。
堀の深さは約六メートル。幅は約八メートルの空堀(※水を張っていない堀)である。
バシャン!
先頭を走る兵士は。冷たい水に飛び込んで悲鳴を上げた。
「冷たっ! 何だ?! これは水だ! おい、押すな!」
「と、止まれ! 水だ! 危ない!」
暗くて全く見えなかったが、堀の中はいつの間にか水で満たされていた。
深さは一メートル程だろうか? 大体、兵士達の腹から胸の下辺りまでが浸かるくらいである。
幸い、溺れる程の深さではない。
ただ、山の沢から流れて来た水は、手足が切れそうなほど冷たかった。
「ダメだ! 止まれ! ガフッ・・・ゲホゲホ」
「止め・・・ブハッ! だ・・・はあはあ! た、助け・・・」
あちこちから水に落ちた兵士達の悲痛な声が上がった。
しかし、後続の兵士達のあげる声にかき消されて届かない。
兵士達は次々に堀の――水の中に飛び込んで行き・・・
そして次々と溺れ死んでいった。
ここは村の裏手。山の上の池から流れ出た水は、溝を伝ってここから掘の中に注がれている。
村の入り口近くは、逃亡中の兵士達が殺到しているが、流石に山の奥側に逃げようとする者はいないようだ。
兵士達の叫び声を遠くに聞きながら、五十人程の男達が堀に向かって手をかざしていた。
彼らは全員、額に角が生えている。クロコパトラ歩兵中隊の隊員達である。
「カルネ。力の入れ過ぎだ。そんなに力むと直ぐに魔力が尽きちまうぞ」
「わ、分かってるって。けど、俺はこういう細かい操作が苦手なんだよ。――と、いけねえ。今度は弱くし過ぎて切れちまった。ええと、成造・水」
彼らはさっきからずっと成造の魔法を使って、堀の中の水が一方向に流れるように操作していた。
成造とは、物を集めたり動かす効果を発揮する魔法である。
山の上の池から流れて来た水は、そのままにしておけば自然に堀の中で二手に分かれ、村の反対側で――丁度、村の入り口付近で合流するはずである。
しかし、彼らは全員で水の流れを制御する事で、堀の中で水がグルグルと循環するようにコントロールしているのだった。
だが、彼らはなぜ、そんな事をしているのだろうか?
その時、一人の隊員が上流を指差して叫んだ。
「おい、見ろ! 人間の兵士だ! 兵士の死体が流れて来たぞ」
彼らの見つめる先――墨を流したような真っ黒な水面に、兵士の体がプカリと浮かび、水の流れに乗って漂って来た。
死因は溺死だろうか。彼の体にはどこにも外傷は無かった。
この兵士の死体を皮切りに、次々と兵士の死体が流れて来るようになった。
「・・・クロ子の言う通りになったな」
「ああ。全員溺れているぜ」
そう。それは闇の中、堀に飛び込んで――そして溺死した兵士の死体だった。
だが、堀の水の水深はたかだか一メートル。大の大人が溺れ死ぬような深さではない。
勿論、水に毒を混ぜている訳でもない。これほど大量の、しかも致死性の毒を作れるほどの生産性は亜人の村にはなかった。
ではなぜ、兵士達は溺れ死んでしまったのだろうか?
日本での水難事故の割合のトップは海での事故である。
河川での事故は海の半分程度となる。
しかし、夏のニュースで海水浴客の映像を見れば分かるように、海に行く者の数の方が、川に行く者の数よりも圧倒的に多い。
ならば川と海、どちらがより危険かは、あえて言うまでもないだろう。
なぜ川が海よりも危険なのだろうか? それは川には流れがあるためである。
水の流れによって生み出される水圧は、流れの速さに対して、比例するのではなく二乗になるという。
つまり、水の速さが二倍になった場合、体にかかる水圧は――体にかかる圧力は――二倍ではなく二乗、四倍にもなるのだ。
クロ子は堀の中で水を循環させる事で水圧を生み出した。
堀に飛び込んだ兵士達は水圧に足を取られて転倒する。
彼らは鼻を摘ままれても分からないような暗闇の中、立ち上がる事も出来ずに、もがきながら溺死してしまったのである。
指揮官の”双極星”コロセオが、亜人達の夜襲を警戒して、装備を付けたままでいるように命じていたのも彼らの不幸だった。
判断としては決して間違いとは言えないものの、重い装備と水を吸って体にまとわりつく服は、水中で兵士達の自由を奪った。
彼らは、まるで重りを付けられた上で体まで縛られたような状態で、闇の中、冷たい水の中を歩かなければならなかった。
戻りたくても、後ろからやって来る仲間に押されて、前に進まざるを得ない。
そして一人が足を取られて転倒すれば、次々に仲間が巻き込まれる。
暗い堀の中。多くの兵士がクロ子の仕掛けた悪辣な罠に飲まれ。無残にも命を落としていった。
”双極星”ペローナ・コロセオの仇討ち隊。
彼らはこの僅か半時(※約一時間)にも満たない時間で、溺死者五百人という、壊滅的な被害を負ってしまうのである。
次回「メス豚、傍観する」




