その19 ~アマーティの戦い始まる~
初戦で敗北したイサロ王子軍を追うドルド軍。
彼らが戦場に選んだのは山と湿地帯に挟まれた隘路、アマーティ。
今ここにアマーティの戦いが始まろうとしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「敵軍はこの先! 四半時(30分)前にここを通過しております!」
物見に出ていた兵がドルドの下に報告に来た。
「やっと追い付いたか!」
昨夜のうちに野営地を引き払ったドルド軍は敵軍の背後を突くべく、駆け足で街道を行軍中であった。
彼らが戦場に選んだアマーティはこの少し先だ。
追い付くには絶好のタイミングであると言えた。
「敵の殿は?!」
「最後尾は荷車の部隊でした。奴らの国がもう近いため我々の追撃は無いと高をくくっているのでは?」
最後の言葉はあくまでも物見の主観であり、余計な一言だ。ただ、物見がそう考えたという事は、目に入る範囲にめぼしい敵部隊がいなかったという事でもある。
ドルドは素早くそう判断すると、馬上から指示を飛ばした。
「全軍に最後の休憩を取らせろ。その後は再び駆け足で敵の背後に食らいつく!」
こうしてドルドの軍は小休止に入った。
再び駆け足を続ける事約20分程。街道の向こうに人の集団が見えて来た。
こちらから見えるという事はあちらからも見えるという事である。
彼らは慌てて走っているように見えるが、荷車の遅さが足を引っ張って思うように速度が出せない様子だ。
輜重部隊程度なら狂竜戦隊を使うまでもなく蹂躙出来そうだが、引き返した敵兵と迂闊に乱戦にでもなれば狂竜戦隊を投入するタイミングを逃してしまう。
暴走する狂竜は敵味方の区別がつかない。ここは当初の予定通り、最初から狂竜戦隊を押し出す方が良いだろう。
「全軍停止! ルゲロニに狂竜戦隊を出すように伝えろ!」
「はっ!」
兵士達が息を整えている中、狂竜戦隊の準備が整えられていく。
昨日の戦いでどの竜も体に多数の傷を負っている。
中には明らかに部位を欠損している個体もあり、厚い皮の下からピンク色の肉がのぞいていた。
痛々しい姿だが、兵士が彼らに向ける目には同情はない。
そこに見られるのは、怖れであり、怯えであり、おぞましい物に向ける嫌悪感でもあった。
彼らの多くは昨日の狂竜戦隊の狂ったような戦いぶりを見ていたからである。
また実際に目の当たりにしていない者達も、仲間の噂話で狂竜達の暴走を聞いていた。
それは命がけで戦った狂竜に対してあまりの仕打ちとも言えた。
しかし、狂竜はそんな周囲の人間からの刺すような視線を受けても、何一つ感じていない様子だった。
彼らの心はとっくに壊れているのである。
ドルドの前に痩せた小男、ルゲロニ所長がやって来た。
「狂竜達は真っ直ぐ敵軍に突っ込ませます。その後は命が続く限り直進しますので・・・」
「分かっている。迂闊に敵軍に突っかけて巻き沿いを食わないようにしろと言うのだろう。将には指示があるまで部下を抑えるよう命令を出している」
ドルドはチラリとルゲロニ所長に目をやると不快感を露わにした。
生粋の武将であるドルドは、このおぞましい策が戦いに有効だと頭では理解していても、感情の方が納得出来ずにいるのだ。
ルゲロニ所長はドルドの心の葛藤を察しているのか、単に気付いていないのか。表情一つ変えずに部下に準備するように命じた。
「始めます」
「分かった。先頭の兵は注意しろ! 狂竜は敵味方の区別がつかんぞ!」
ドルドの声に兵士達が慌てて狂竜から距離を取った。
彼らの視線を集めながら、狂竜戦隊がその巨体にそぐわぬ速さで突撃を開始した。
敵の輜重部隊の叫び声がここまで聞こえて来る。
蹂躙の時間の始まりである。
その時、ドルドはふと違和感を覚えた。
その原因は何かと考えている間に、側近がポツリと呟いた。
「あれは何だ? ヤツらが背負っているのは・・・ ただの板ではないようだが」
狂竜の突撃に荷車を棄てて逃げ出す輜重部隊の男達。
彼らは皆、大きな板状のものを背負っていた。
遠目の利く者が側近の疑問に答えた。
「あれは竹ですね。近くの山に群生地でもあったのでしょう」
彼らは切った竹を束ねて板状にしているようだ。
「なるほど、考えたな。あれを盾にして狂竜の放つ礫から身を守るつもりなのか」
兵士ですらない貧乏な村人は、武器も防具も持たずに体一つで軍に同行している。
おそらく彼らは狂竜戦隊の魔法の猛威を目の当たりにして、僅かでも我が身を守ろうと、なけなしの知恵を絞って昨夜のうちにあの盾を用意したのだろう。
「多少の効果はあるかもしれませんが、先ず無意味ですな」
ルゲロニ所長がバッサリと切り捨てる。彼らが見守る中、狂竜達が一斉に魔法攻撃を開始した。
横殴りの石の雨に男達の背負った竹の盾はあっさりと砕かれて、バタバタと倒れていった。
あの程度の盾で狂竜の攻撃が防げるようなら、防具を身に着けた兵士相手に役に立たない。
最初から分かり切った事だったのである。
「? ヤツら恐怖のあまりどうかしてしまったのか?」
もはやなすすべなく狂竜戦隊に蹂躙されるばかりかと思われた男達だったが、彼らは道を外れると湿地帯の方へ走り出したのだ。
そんな所に逃げても、水中に深く積もった泥に足を取られて動きが鈍ったところを狂竜の魔法に狙い撃ちにされるだけだ。
混乱してとにかく広い方へと逃げ出してしまったのだろうか?
彼らは葦の中に分け入ると、立ち止まって何かを始めた。
「盾を捨てているのか?」
少しでも身を軽くするためだろうか? 彼らは背中の盾を下すと足元に放り投げた。
そして次々とその上に座り始めたのだ。
その時、ドルドはようやく最初に感じた違和感の原因に気が付いた。
男達は全員長い棒を持っているのである。
杖だとしても、一人残らず全員が持っているというのは流石に不自然だ。
とはいえ武器にもならないただの棒なので、ドルドは気が付くのが遅れてしまったのである。
男達は竹の盾の上で棒を構えると水中に突き立てた。
彼らを乗せた竹の盾――いや、竹の小舟は半ば沈みながら辛うじて水上を進み始めた。
この意外な光景にドルド達は理解が追い付けなかった。
「いかん!」
初めに気が付いたのはルゲロニ所長だった。
彼は半狂乱になって狂竜達へ叫んだ。
「ダメだ! これ以上ヤツらを追ってはいかん! 戻れ! 戻るんだ!」
だが当然、彼の声は狂竜達には届かなかった。彼らは逃げる男達を追って次々と葦の中――水中へと入って行った。
水中の泥に足を取られる狂竜達。竹の舟はどんどん彼らを引き離していく。
こんな状況では狙いもろくに定まらないのだろう。狂竜達は水中をもがきながら明後日の方向へと魔法を飛ばしている。
「貪竜は泳ぎが得意な竜ではない・・・ 泳ぎと魔法で体力を奪われた竜達は急速に消耗して溺れ死んでしまうだろう。・・・まさかこんな事になるなんて」
愕然とした表情で立ち尽くすルゲロニ所長。
彼の言葉から事情を察したドルド達は顔を見合わせた。
「つまり、作戦は失敗したという事か?」
誰かのこぼした言葉がここにいる全員の気持ちを代弁していた。
確かに、狂竜戦隊を押し出す作戦は失敗したかもしれない。しかし、まだ戦いが終わった訳では無い。
余りに予想外な光景を目にしたために、この瞬間、迂闊にも彼らはその事を忘れてしまっていたのだ。
突如角笛の音が辺りに響くと、彼らの横、山側から敵の軍勢が襲い掛かって来た。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「これは勝ったな」
奇襲が始まった途端にボツリと呟いたのはカイゼル髭の壮年の将――カサリーニ伯爵だった。
彼は無表情に馬上から敵軍に襲い掛かる味方の兵を見下ろしていた。
「今日の戦いはまだ始まったばかりかと」
「いや、これは決定的だ。ロヴァッティの若造ではここから劣勢を巻き返す事は出来んよ」
カサリーニ伯爵の言葉に副官は訝しげな表情を浮かべた。
しかし懸命にも疑問を挟む事無く飲み込んだ。
カサリーニ伯爵は『目利きのカサリーニ』とも呼ばれている。
その先を見通す見識と洞察力は多くの者達から神がかり的とまで言われている。
その彼がここまで言い切るのだ。間違いなどあるはずがないだろう。
「まさか殿下の策がここまで見事にはまるとは。口先だけの小賢しい子供だと思っていたが、どうしてどうして。あれほどの敗北をしたその日のうちに、まさかこれほどの策を考え出すとはな。流石の俺も予想すら出来なかった。果たしてその胆力、いかほどのものか。端倪すべからざる人物とは正にあの方の事を言うのだろうよ」
副官はギョッと目を見開いた。
まさかイサロ王子が、『目利きのカサリーニ』の予想を超えるとは――そしてカサリーニ伯爵本人がその事実を認めて王子をベタ褒めするとは思いもしなかったのだ。
副官の表情に気が付いたのだろう。カサリーニ伯爵はいつもの不愛想な顔のままやや口角を上げた。
どうやら彼なりに面白がっているようだ。
「俺とてこの世の全てを洞察していると己惚れているわけではないぞ。予想外な事などいくらでも――多少はある。殿下は俺の上を行く器だった。それだけの事だ」
カサリーニ伯爵はそう言うと山を見上げた。彼の視線の先にはイサロ王子が全軍を見下ろしているはずである。
「あるいは俺は付く相手を間違えてしまったのかもしれんな」
彼が支える第二王子は、最近彼を煙たく感じている様子が見て取れた。
それでも第一王子よりは人物であると考えたために、尽力していたのだが・・・
どうやら自分の判断は早計だったようだ。
眼下の街道からときの声が上がった。
どうやら街道を先行していた部隊が引き返して来たようだ。
奇襲を受けて混乱した敵軍に襲い掛かっている。
カサリーニ伯爵は馬首を巡らせた。
どのみち今はイサロ王子の作戦に従わなければならない。下手に第二王子に義理立てしてこの場で動かなければ国に戻ってから自分の立場が悪くなる。
もしそうなれば第二王子は彼を切り捨てにかかるだろう。
伯爵は副官に指示を出すと、戦いに参加するために斜面を駆け下りるのだった。




