その18 ~敵軍の陣地より~
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その頃。
クロ子達、イサロ第三王子軍の野営地のずっと後方では、敵の軍がこちらも野営をしていた。
煌々と松明の明かりが照らされる陣地の奥、ひと際大きな天幕では、一人の若武者が今も苛立ちを抑えきれずにいた。
全軍の指揮官、ロヴァッティ伯爵家ドルドである。
ドルドは当主である父の代理として、このロヴァッティ伯爵軍を任されていた。
歳は20代後半。すらりと伸びた体は日に焼けて引き締まり、その端正で彫りの深いマスクと相まってまるで神話に登場する軍神を思わせた。
ドルドは乱暴にイスを蹴って立ち上がると、側に控えた側近を怒鳴り付けた。
「まだ追撃の準備は整わんのか!」
「全軍、全力で部隊の再編に取り組んでおります。若にはしばしのご辛抱を」
「そう聞かされてからどれだけの時間が経ったと思っている! これでは弱った敵をみすみす取り逃がしてしまうではないか!」
今朝の戦いはこちらの勝利に終わったとはいえ、味方にも想定外に多くの犠牲者が出ている。
開戦前の予想よりも圧倒的に敵軍の数が多かったためだ。
どうやらサンキーニ王国は事前にかなり詳しくこちらの陣容を掴んでいたらしい。
それでも勝利を手にする事が出来たのは、ロヴァッティ伯爵領で研究中の貪竜部隊が決定的な活躍をしたためである。
しかし戦いの後、貪竜のほとんどは倒れて使い物にならなくなっていた。
戦に勝ちながらも、ドルドが敵軍に対する追撃を行えなかったのは、負傷者が多かったという事もあるが、この貪竜達の後処理に思ったよりも時間が取られたためでもある。
「”狂竜戦隊”はどうなっている?」
「――それでしたら、私から直接ご報告申し上げます」
天幕に入って来たのは背の低い痩せた初老の男。
貪竜の部隊――狂竜戦隊を任されている、魔法舎のルゲロニ所長である。
「狂竜の約半数は使い物になりません。16頭は魔法の使い過ぎで体がもたずに死亡しておりました。7頭は激しい衰弱状態で、こちらももう長くはもたないでしょう。研究のため死体を領地へ送る手配をお願いします」
涼しい顔でいけしゃあしゃあと要求を述べる所長。
ドルドの額に青筋が浮かんだ。
「そんな事よりも、今戦える狂竜はどれだけいるのだ!」
「現在動けるのは残りの28頭となります。先程言ったように全体の約半数ですな」
今朝の戦いで狂竜は決定的な活躍をした。
その戦力を追撃戦に使わない訳にはいかない。
ドルドは目を細めてうなり声を上げた。
「半数か・・・少ないな」
「それでしたら」
黙って二人の話を聞いていた側近の男が声を上げた。
「この先、緩衝地帯の奥に山と湿地帯に挟まれた隘路があります。そこで戦うのはいかがでしょうか」
「ふむ。詳しく話せ」
側近の説明によると、緩衝地帯の敵国側には山と湿地帯の間を縫うように作られた街道があり、敵軍はそこを通ってこの地まで来たのだそうだ。
「帰りも敵軍はそこを通るのは間違いないと思われます。そしてわが軍が後方から食らいついても、敵は前に逃げる事しか出来ません。反転して戦おうにも左右は山と湿地帯に挟まれているため、軍を広く展開する事が出来ないからです」
「なるほど。泛地を攻めるというわけだな。街道という狭い場所で戦うのなら、敵は数の利を生かせない。我々は敵を追撃しながら攻撃し放題という訳か」
兵法においても泛地――通行が難しい地――では行軍を緩めるな、とされている。
敵軍もそんな場所で戦おうとは考えないだろう。
逆にこちらはあえてそこを戦場に選ぶ。これは良いアイデアのようにドルドには思えた。
今朝の戦いで勝利したといっても、まだ敵の方が数が多い上、こちらは多数の負傷者を出している。
(現実にはイサロ第三王子軍は多数の負傷者とそれを上回る脱走兵を出しているため、彼らが思っているより兵力差は埋まっているのだが・・・)
狂竜戦隊の半数が使えない以上、正面から挑むような愚は避けるべきだろう。
ドルドは勇猛ではあったが、考えなしに突っ込むような猪武者ではなかった。
それどころか若くして『ロヴァッティの守り刀』として国の内外に知られる、知勇を兼ね備えた大器であった。
今はまだ感情によって行動が左右される甘さもあるが、いずれ経験を積んで落ち着きが出ればひとかどの将となることは間違いない、と噂されていた。
「よし。お前の策で行く。部隊の再編成が終わり次第、追撃を開始する。敵が隘路に入るまで距離を取って交戦は控える事! 将兵にそう通達せよ」
「はっ!」
「ドルド様、それでしたら狂竜戦隊を前面に押し出してはいかがでしょうか」
ルゲロニ所長の提案に訝しげな表情になるドルド。
「それだとわが軍が攻撃出来ないではないか」
狂竜戦隊はまだ研究途上の部隊のため、数多くの欠点を抱えている。
戦う度にその多くが自滅する、こちらのコントロールが効かない、等々。
それらの欠点の一つに、一度攻撃を始めると敵味方の区別がなくなる、というものがある。
今朝の戦いで当初から投入出来なかったのもそれが理由だ。
十分に味方を下げてからでないと、危なくて使えなかったのだ。
戦闘力が高く、制圧力は桁外れだが、使用状況は極めて限定される。
狂竜戦隊は慎重な運用を要求される未完成な戦力なのだ。
「問題無いでしょう。敵陣奥深くまで真っ直ぐ突っ込ませればいいのです」
「それでどうやって回収するのだ?」
一度暴走を始めた狂竜はこちらのコントロールを受け付けない。
魔法を放ちながら倒れるまで、文字通り狂ったように突撃するだけなのだ。
「多くは途中で死ぬと思われます。生き残ったものもやがてそこらで野垂れ死にするでしょう」
貪竜は魔法で獲物を捕らえる。外科手術によって魔法を使う度に暴走する狂竜と化している以上、彼らはもはや自分では餌を捕らえる事もままならない。
狂竜は人間から餌を与えられなければ生きていけないのである。
「サンプルは取れましたし、弱った個体を生かして連れ帰るのも手間がかかります。有効に使って処分してしまえばよろしいかと思います。閣下の軍は狂竜戦隊が通過して混乱した敵軍に襲い掛かって刈り取ってしまえば良いのです」
「・・・考慮しよう」
竜を実験動物とするだけに飽き足らず、さらには自分の生み出した狂竜を使い捨てにしても何も感じない所長の態度に、流石にドルドも嫌悪感を抱かずにはいられなかったようだ。
しかし彼の言葉自体は理にかなっていると分かっているのだろう。その提案を受け入れる事にしたようだった。
ドルドの天幕から出たルゲロニ所長は小さくフンと鼻を鳴らした。
「考慮しようだと? 馬鹿め。自分の目で見てもまだ魔法の力が分からないのか。馬鹿に付ける薬はないとは正にこの事だな」
吐き捨てるようにドルドを非難するルゲロニ所長。
ドルドの実家ロヴァッティ伯爵家の先代当主は名君と呼ばれた傑物だった。
彼は父の後を継ぐと長年にわたって停滞していた領地の開発に力を入れた。
その中で彼は領内に学問研究所――究明館を作り、内外の有識者を集めて様々な研究を行わせた。
それは農業技術の開発から、領地の特産物の探索、軍事技術の検討に天文学の研究等、数多くのジャンルにわたっていた。
ルゲロニが所長をしている魔法研究の学舎――魔法舎もその一部であった。
しかし、ロヴァッティ伯爵家が今の当主に代替わりすると、究明館の予算は大きく削られる事になった。
現当主は、金食い虫で中々成果の出ない究明館の存在を疑問視していたためである。
究明館の各学舎は、予算を得るために具体的な成果を出す事を求められるようになった。
現在の学舎は時間がかかる基礎研究は敬遠され、即実性のある実証実験等に比重が置かれるようになっていた。
そしてルゲロニ所長の魔法舎も、何か目に見える成果を出す必要が出てしまったのである。
研究者肌のルゲロニ所長は昨今の究明館の風潮を苦々しく思っていた。
学問の目的は知識の探求であって、即物的な成果のみを求めるような事があってはいけない。
そのような結果主義が横行していては、時間も手間も掛かる基礎研究がおろそかになってしまう。
ルゲロニ所長は常々そう考えていた。
「現在の究明館は先代様の時代に積み重ねた研究結果を食いつぶしているだけだ。貯えた技術も知識もやがては汲みつくされるのが目に見えている。今のロヴァッティ伯爵家にはそれが分かる者がいない。全く嘆かわしい事だ」
今回の出兵は狂竜戦隊の実験という側面が大きい。
本来、ちょっとした小競り合いを起こして、そこに狂竜戦隊を投入する予定だったのである。
ロヴァッティ伯爵家の軍事を預かるドルドがわざわざ出向いているのも、その成果を自分の目で確認するためだ。
サンキーニ王国が大軍で押し寄せて来たのはイレギュラーだったが、逆に考えれば、狂竜戦隊の活躍の場が出来てツイていたのかもしれない。
いくつかの問題点はあったものの、今回の戦では十二分に狂竜戦隊の存在感を示す事が出来たと言えた。
「50頭以上の狂竜を潰す事になったのは痛いが、これで来年度の予算が増えるのであれば帳消しに出来よう」
人間にとって魔法は未知の技術だ。
その広大なフロンティアに人類はようやく足を一歩踏み入れただけに過ぎない。
予算はいくらあっても足りない。
ルゲロニ所長は、生き残った狂竜達の様子を見るために竜舎へと足を運ぶのであった。
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日付をまたいだ夜の三時、ドルドの軍は野営地を引き払って出発した。
夜の間に敵軍との距離を詰めるつもりなのである。
奇しくも同時刻、イサロ王子軍も陣地を引き払って行動を開始していた。
両軍は昨日に引き続き今日も戦火を交える事になる。
場所は山と湿地帯に挟まれた土地、アマーティ。
後に『アマーティの戦い』と呼ばれる戦いの始まりであった。




