その197 ~混迷する”ハマス”オルエンドロ軍~
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ここは大モルト軍別動隊、”ハマス”オルエンドロの指揮する部隊である。
”五つ刃”、”双極星”ペローナ・コロセオ率いる仇討ち隊が、独断で軍を抜けてから約半月。
驚くべきことに、ハマス軍はまだ、イサロ王子軍と戦った砦の跡地から動いていなかった。
指揮官のカルミノ・”ハマス”オルエンドロが、跡継ぎとなる”古今独歩”ボルティーノを失ったショックから、立ち直れていなかったためである。
彼は自分の天幕に引きこもり、昼間から酒浸りになっていた。
流石にこんな状況が長く続けば、兵士達の間にも不安が広がってくる。
自分達はいつまで、こんな何も無い場所にいなければならないのだろうか?
戦わないなら、もう家に帰りたい。
兵士達の間から生まれた里心は、みるみるうちに他の兵士達に伝染し、やがては大きな不満へと変わっていった。
こういう時にこそ、部隊を束ねる隊長は兵士を抑え、なだめなければならないのだが、彼らも同様の不満を抱いていたため、事態の悪化に歯止めがかからなかった。
流石に将軍達はこの状況を憂慮し、指揮官に――カルミノに――報告したのだが、カルミノは病気を理由に軍議に出る事を拒否。彼らの言葉に耳を貸さなかった。
こうしてハマス軍の士気は、目に見えて低下していった。
大モルト遠征軍の本隊――総指揮官ジェルマン・”新家”アレサンドロ――から、何度目かの合流の命令書が届いたのは、そんな状況の時だった。
戦死して今は故人となった古今独歩、ボルティーノ・オルエンドロ。彼の親衛隊の中でも最強を誇る五つ刃。その五人の中で唯一、このハマス軍に残っている”双極星”ペローナ・ディンター。
ディンターの整っているがどこか情の薄そうな顔は、この半月程の間の気疲れですっかり痩せこけていた。
なまじ生真面目な性格が災いして、五つ刃としての責任を必要以上に感じているせいである。
「なんで私だけがこんな目に。もし今、五つ刃達が帰って来てくれたら――それがあのコロセオでも、私は心から感謝して最高の笑顔ととっておきの酒で出迎えるものを」
コロセオとは”双極星”ペローナ・コロセオ。ディンターと同じ極星の名を持つ五つ刃の同僚である。
ディンターはこんな事を言っているが、もしも彼らが戻って来たら、絶対にコロセオにだけは文句を言うのは間違いない。
苛烈で直情的なコロセオに対し、ディンターは生真面目で融通が利かない。二人は同じ名前でありながら、まるで水と油のような関係なのである。
新家アレサンドロからの伝令がやって来たのは昨夜の事。至急本隊に合流するように、との命令であった。
最初の命令が来てから、既に半月。
その間にも再三の催促が届いていたが、今回の命令には続きがあった。
――もし、この指示に従い、合流しないのであれば、反乱の意志ありとみなす――
反乱扱いとは乱暴なようだが、こちらが総指揮官の指示に半月以上も従っていない以上、そう疑われても仕方がない。
ましてや別動隊を率いているのは”ハマス”オルエンドロ。”執権”アレサンドロ傘下の有力貴族である。
新家アレサンドロが過剰に警戒するのも当然と言えた。
理屈は分かる。当然とも思うが、新家ごときに反乱呼ばわりされるのは、それはそれで面白くない。
それがハマス配下の将軍達の偽らざる気持ちだった。
格の上ではハマスはあくまでもオルエンドロ。アレサンドロの下でしかない。
しかし、将軍達の中では、新家は三役にも就いていない、どこの馬の骨とも知れない木端アレサンドロでしかない。
それに対して、自分達の指揮官はオルエンドロとはいえ、執権アレサンドロの分家でも最高位にあたるハマス・オルエンドロなのである。
”実力的には自分達の方が上”。彼らはそう考えていたのであった。
しかも、腹立たしい事に、ジェルマン・新家アレサンドロは、「自分は執権アレサンドロ家当主、アンブロード・アレサンドロから直々に、指揮官として任命された」「俺の命令に背く事は執権アレサンドロ家に背く事と同義である」などと書き添えていた。
まるでこちらを挑発するかのように書かれたこの一言が、更に将軍達を激昂させたのである。
「この、虎の威を借りる狐めが!」
「我らを従わせるのに、自らの器ではなく、本家様の威光を利用するとは!」
「本家様の名前を出せば、我らが頭を下げて従うとでも思ったのか! 度し難い下衆め!」
クロ子辺りが聞けば、「いや、あんたらが自分達の当主に言う事を聞かせれば良かっただけじゃん。何で自分達で何もせずに、総指揮官の命令に文句を言う訳?」などと、呆れたかもしれない。
この場にいないクロ子の感想はともかく。
ジェルマン・新家アレサンドロの命令書は、将軍達の強い反感を買ったのだ。
「反乱だと? そう思いたければ勝手にそう思っているがいい!」
「おうよ! お前が本家様から直接命じられたのであれば、わが殿も本家様から直接、遠征に加わるように命じられたのだ!」
「その通り! お前の理屈で言うならば、いわば我らは同等の立場よ!」
彼らの意見はあまりに自分勝手で屁理屈もいい所だが、彼らが新家アレサンドロというものに抱く複雑な感情――蔑みであり、嫉妬であり、妬みであり――が、正常な判断を失わせていたのは間違いない。
結局、将軍達はこの命令書を無視する事にした。
”双極星”ディンターは、この決定に耳を疑った。
「バカな! 軍においては指揮官の命令は絶対だ! そんなデタラメが通じる訳がないだろう! 本当に反乱軍にされてしまうぞ!」
ディンターは青ざめたが、軍の中での彼の立場は、一部隊の指揮官に過ぎない。
ましてや彼は感情よりも規律を優先する。そんな彼が上位者である将軍達の決定に異を唱える事は出来なかった。
そもそも、家柄の低いディンターの言葉を、プライドの高い将軍達が聞き入れるとは思えない。
ディンターは絶望に天を仰いだ。
(もし、若様が――”古今独歩”ボルティーノ様が亡くなられていなければ、こんな馬鹿げた決定は絶対にありえなかったものを・・・)
そもそも、古今独歩ボルティーノ・オルエンドロが生きていれば、義父のハマス当主は引きこもったりはしていないはずである。
もしもあの時、彼が戦死していなければ。もしもあの時、五つ刃で戦死したのが、全員のまとめ役の”フォチャードの”モノティカでさえなければ。
これ程の酷い状況には、ならなかったのは間違いない。
「・・・愚痴を言っても状況は好転しない、か。今は自分の出来る事をしなければ」
ディンターは急いで三通の手紙を書き上げると部下を呼んだ。
「この手紙には、我が軍の現状が詳しく書かれている。急いでこれを敵討ちに出ている五つ刃に――双極星コロセオと不死のロビーダ、そして一瞬マレンギに、それぞれ届けてくれ」
「はっ!」
ディンターの部下は馬を飛ばすと、街道を東へと向かった。
次第に小さくなっていくその姿を、ディンターは祈るような気持ちで見つめていた。
(頼んだぞ。コロセオは私からの手紙だから開きすらしないかもしれないが、不死のロビーダと一瞬マレンギなら、ハマス軍の置かれた現状を知れば、きっとコロセオを説得して戻ってくれるはずだ。
私一人では無理でも、五つ刃の――親衛隊全員の力があればあるいは・・・。最悪な事態になる前に頼む。間に合ってくれ)
古今独歩ボルティーノ・オルエンドロの親衛隊。中でも五つ刃は、その武勇でハマス内でも一目置かれている。
ディンターは自分達の名前が持つブランド力で、発言力を得ようと考えたのだ。
こうして二日後。ディンターの部下はサンキーニ王国の東、ランツィの町へと到着した。
この町では五つ刃の一人、古武士風の男、一瞬マレンギが物資の手配のために駐留していた。
マレンギは手紙を受け取るとその場で封を切った。
「なるほど・・・そちらの状況は理解した」
マレンギはディンターからの使いをねぎらうと、他の二人宛ての手紙も渡すように言った。
「後は全てこちらで引き受けよう。前線では亜人達と激しい戦いが続いている。その疲れた体で向かっても、途中で亜人の伏兵にやられるだけだ」
「し、しかし、私はこの手紙を直接、五つ刃の皆様に渡すように命じられておりますので」
「だから、その役目はこちらで引き継ぐと言っている。それともお前はこの俺を、五つ刃を信用出来ないと言うのか?」
マレンギは気分を害したのか、スッと目を細めた。
ただそれだけで、使いの男は背筋に氷柱を当てられたような戦慄を覚えた。
「い、いえ! 決してそのような事は!」
マレンギは今度は何も言わずに手を出した。ディンターの使いは震える手で仕方なくコロセオとロビーダ宛ての手紙を渡した。
マレンギは手紙を机の引き出しにしまうと、ドアを顎で示した。
「ご苦労。ゆっくり休むといい。二人から返事があれば知らせよう。下がれ」
「・・・はっ」
使いの男は部屋を後にしながら、二人からの連絡など永遠に届かないのではないかと直感した。
そして彼の予感は的中してしまう。
ディンターからの手紙はマレンギの所で止まり、二人の手に届けられる事はなかった。
マレンギはハマス軍の窮状を知りつつ、その情報を握りつぶしたのである。
次回「メス豚と決戦前夜」




