その182 ~仇討ち隊、東へ~
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サンキーニ王国王都にほど近い、作りかけで放棄された砦の跡地。
ここはつい先日まで、イサロ王子が立てこもり、大モルト軍と戦っていた場所である。
現在、この砦跡地にはカルミノ・”ハマス”オルエンドロ率いる、”ハマス”大モルト軍が駐留している。
そんな大モルト軍の陣地の外で、大きな騒ぎが起こっていた。
「どけ! ディンター! てめえみたいな腰抜けに用はねえ!」
「――この私が腰抜けだと? コロセオ。その足りない頭で良く考えてから口を開くんだな」
千人ばかりの武装集団が二つ。今まさにぶつかろうとしていた。
集団の先頭で激しく睨み合っているのは、二十代後半の二人の若い騎馬武者である。
片や身長二メートルにも達する恰幅の良い巨漢。片や均整の取れた長身で神経質そうな男。
巨漢の名はペローナ・コロセオ。長身の名はペローナ・ディンター。
”五つ刃”の”双極星”、コロセオとディンターである。
二人は共に極星――ペローナの名前を持つ男達だが、性格はまるで正反対。苛烈で直情的なコロセオに対して、ディンターは生真面目で、悪く言えば融通の利かない性格をしている。
元々この二人は仲が悪い。年齢も同じなら共に武勇にも秀でた二人は、昔から良く比較され、互いをライバル視して競い合っていた。
そんな二人が今まで同じ部隊でやって来られたのは、彼らの直属の上司、”古今独歩”ボルティーノ・オルエンドロが上手く彼らの手綱を握っていたからである。
しかし、そのボルティーノは、先日の戦いで若くして命を落とした。
また、アクの強い五つ刃のまとめ役でもあった彼らの同僚、”フォチャードの”モノティカの戦死もあって、五つ刃の結束は急速に失われつつあった。
「うるせえ! なんで俺達がいつまでもこんな所でジッとしてなきゃいけねえんだ! こんな場所にいたって、若様の仇は討てやしねえ! 俺達がやるべき事は一つ! 若様の命を奪った亜人の女王、魔女クロコパトラをぶっ殺しに行く事だ!」
「「「「おおーっ!!」」」」
「だ、だからと言って、お前達が勝手な行動をして良い理由にはならん!」
コロセオの言葉に彼の後ろの兵士達が賛同の雄叫びを上げた。
ディンターとその兵士達は、身の危険を感じて武器を構えた。
実のところ、ディンターも内心ではコロセオの言い分を――甚だ不本意ながらではあるが――認めていなくはなかった。
ハマス大モルト軍は、食料を調達に向かった部隊が戻って来るまで、この場で待機を続けていた。
しかし、それらの部隊が戻っても、指揮官のカルミノはこの場を動こうとはしなかった。
彼の娘婿であるボルティーノ・オルエンドロ。古今独歩の異名を持つ才能あふれる若者の死は、それほどカルミノの心に大きな影を落としていたのである。
カルミノは、将来を嘱望していた跡継ぎを失ったショックでふさぎ込み、軍議の場にも出なくなっていた。
将軍達もカルミノの気持ちをおもんぱかって、黙って彼に従っていた。
しかし、兵士の中には、なかなか行動を起こそうとしない上層部に不満を感じている者も少なくなかった。
中でも直情的なコロセオは、復讐の怒りをこれ以上堪える事が出来なくなっていたのである。
睨み合う双極星の二人。
互いの部下達も武器を構えて、正に一触即発といった空気が辺りに立ち込める。
そんな最中に、第三の武装集団が近付いて来た。
彼らを率いる騎馬武者は、三十歳半ばの古武士然とした男。
「”一瞬”の?! テメエも俺を止めに来たのかよ! だがいかにお前でも――」
「若様のかたきを討ちに行くというのだろう? ならば俺も同行しよう」
「まさか?! 正気ですか?! マレンギ!」
男の名は”一瞬”マレンギ。五つ刃の最年長にして、数々の剣術流派を極めた名の知れた剣豪である。
一対一での切り合いなら、五つ刃でも敵う者はいないと言われている。
「おおっ! 一瞬も一緒に来てくれるなら頼もしいぜ!」
「待ってください! マレンギ! このバカはともかく、あなたに抜けられては困ります!」
「何だとディンター! テメエ、誰がバカだ!」
ディンターは、いきり立つコロセオを無視して、マレンギに詰め寄った。
彼は周囲に聞かれないように声を潜めた。
「――本隊の”新家”アレサンドロから、合流するように命令が来ています。今は勝手な動きは控えて下さい」
「知っている。もっとも大殿は軍を動かす気配はないようだが」
実は数日前に、遠征軍総司令官ジェルマン・新家アレサンドロから、ハマスの別動隊に、『至急、こちらと合流するように』との指示が届いていた。
ジェルマンの意図は明らかだ。
ハマス別動隊は、ジェルマンの本隊よりも王都により近い場所にいる。
ジェルマンはカルミノが独断専行して、敵の王都に入る事を警戒しているのだろう。
マレンギは僅かに口角を上げた。
「新家アレサンドロの言いたい事は分かる。自分達が苦労して獲物を仕留めたというのに、なんら武勲の無い我々がのこのこ一番乗りをして美味しい肉にありつくというのが我慢ならないのだろう」
「・・・武勲が無いというのは、言い過ぎだと思いますがね」
ディンターは不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
「まさか。その武勲を上げるために、コロセオに同調してかたき討ちに出る、とか言うつもりではないでしょうね?」
ディンターは露骨に軽蔑の眼差しでマレンギを見たが、マレンギは気にした様子も見せなかった。
「つまらん邪推はよせ。俺は若様を倒した亜人の女王の魔法に興味があるだけだ。もちろん、かたきを討つ機会があればそれを逃すつもりもないが。――おっと、最後の五つ刃、今となれば四つ刃も来たようだぞ」
「・・・”不死の”ロビーダ。まさかあなたまで」
陰気な印象の黒ずくめの男――不死のロビーダも部隊を率いていた。
「あなたまで、かたき討ちに行くなどと言い出しませんよね? あなたは人よりも情に薄い男だ。親が殺されたって眉一筋動かさない人間じゃないですか」
「――お前は俺を何だと思っているんだ? まあ、確かに、実の子供を奴隷商人に売った親など、野垂れ死のうが殺されようが何も感じはしないが」
ロビーダは馬に積まれた荷物を指差した。
「見ての通りだ。俺もお前達に同行する」
「おおっ! これで五つ刃のうち、三人が揃ったな! こうなりゃ怖いものなしだ! 亜人の女王がどんなにすげえ魔法を使おうが、俺達の前には敵じゃないぜ!」
コロセオは大きな拳を分厚い手のひらに打ち付けた。
バチンと大きな音が鳴り響くと、兵士達は一斉に喜びの声を上げた。
今や風は完全にコロセオに吹いていた。
信じられない光景にディンターは愕然と立ち尽くし、彼の兵士達は怯えて、この場から逃げたそうにしている。
コロセオは鷹揚な態度でディンターの兵士に呼びかけた。
「お前らだって若様の仇は討ちたいだろう。どうだ? 俺達と一緒に来るか?」
しかし、彼らは目の前で上司を裏切る覚悟を持てなかったようだ。チラチラと周囲の様子を伺い、互いにけん制し合うだけで誰も動こうとはしなかった。
コロセオはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、馬の手綱を引いた。
「来ないならそれでもいい。だったら、俺達の邪魔だけはするんじゃねえぞ」
コロセオは無造作に馬を進めた。
ディンターとすれ違う瞬間だけ、彼の体に力が入ったが、ディンターは馬上で力無く項垂れているだけで何の反応もしなかった。
彼はその事に若干物足りなさそうな表情を見せたが、何も言わずにこの場を去って行った。
次いで一瞬マレンギは、ディンターに、「お主も来るか?」と声をかけたが、返事が無いと知ると、特に気にする様子もなくコロセオの後を追った。
不死のロビーダに至っては、ディンターに視線を向ける事すら無かった。
ディンターは指先が白くなる程、強く手綱を握りしめていた。
「クソ・・・私だって若様の仇は討ちたい。しかし・・・」
ディンターはこの後の言葉を続けられなかった。
古今独歩ボルティーノとフォチャードのモノティカ が死んだあの日の戦い。
あの時、橋の上で部下を指揮していたディンターは、直接クロ子の魔法による攻撃――EX化した最大打撃による巨石の攻撃――を受けていたのである。
目ざとく敵の指揮官を見つけたピンククラゲ水母の指示で、落石はディンターをピンポイントで狙った。
幸い巨石は狙いを逸れ、彼に命中する事はなかった。
ディンターの目の前に落ちた巨大な岩は、数名の兵士を押しつぶし、土嚢で作られた橋を崩しながら、堀の中に転がり落ちた。
それは正に悪夢そのものの光景だった。
押しつぶされ、原形をとどめない兵士の死体。土煙を巻き上げながら転がり落ちる巨大質量。巻き込まれる兵士の悲鳴。そして堀に落ちたが最後、糸の切れた操り人形のようにパタパタと倒れる兵士達。
この戦場は、かつて彼が一度として感じた事がない程、人の命というものが軽かった。
ちっぽけな人間では抗いようもない、圧倒的で暴力的な死。
一般の兵士にも、彼らを従える将軍にも、古今独歩ボルティーノにすらも平等に訪れる、気まぐれで理不尽な死。
いや。既にここは戦場なんかではない。”人が殺される場所”だ。
ディンターが死ななかったのは、たまたま運が良かっただけ。運命のダイスの出目が違っていれば、運命の山札から引いたカードが悪ければ、惨めに屍を晒していたのは彼の方だったのだ。
それを思い知った時、ディンターは女王クロコパトラを――クロ子を恐怖した。
ハマス・オルエンドロの命令が無い事を理由に、クロコパトラと戦うのを避けたのである。
クロ子の魔法はディンターの命を奪う事は出来なかった。しかし、ディンターの心に拭い去れない恐怖心を植え付けていたのだった。
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この日、三人の五つ刃、双極星ペローナ・コロセオ、一瞬マレンギ、不死のロビーダと、彼らに率いられた兵、合計三千はハマス・オルエンドロの部隊を離れ、独自に仇討ち隊として行動を開始した。
彼らはイサロ王子軍の捕虜――ルベリオの護衛だった男――の案内で、クロコパトラ女王の居場所となるメラサニ山を目指した。
仇討ち隊の行軍は東へと進み、やがて目的地となるメラサニ山へと到着した。
クロ子が亜人村に帰り着いてから、丁度二週間後の事となる。
いよいよボルティーノの復讐戦が始まる。
意気上がる仇討ち隊であったが、そこには準備万端整えて、手ぐすねを引いて待ち構えるクロ子の存在があった。
こうしてメラサニ山の戦いが始まったのである。
次回「メス豚、敵軍の到着を知らされる」




