その179 ~イサロ王子の投降~
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イサロ王子軍の投降準備は、大きな混乱もなく行われた。
当然、兵士達が抱いている不安は小さな物ではない。
しかし、この何も無い丘で、遥かに格上の大モルト軍を相手に半月以上もの間持ちこたえたイサロ王子に対し、将兵達の信頼は厚かった。
ある意味、今となっては信奉にすら近い物があったのかもしれない。
彼らは「殿下が降伏を決めたのであれば、きっと自分達にとって悪くはならないのだろう」と考え、王子の決断を受け入れたのである。
大モルト軍が見守る中、イサロ王子軍は陣地を放棄。
武器をその場に置いて、丘を下って行った。
若い騎士が、鎧で身を固めた騎士にフラリと近付いた。
「やれやれ、俺達が持ちこたえていたのに、まさか、本隊の方が敗けるとはな」
「おい、ベルナルド! 兵士達に聞こえるぞ!」
小声で愚痴をこぼしたのは、若手貴族コンビの優男、ベルナルド・クワッタハッホである。
アントニオ・アモーゾは友人の軽率な発言を窘めた。
兵士達には、国王軍の敗北も、この国が大モルト軍に降伏した事も知らされていない。
この情報を知っているのは、主だった貴族達だけで、彼らには厳重な緘口令が敷かれていた。
「今更、混乱も動揺もあったもんじゃないだろう。武器は無い、敵は目の前だ。大人しく投降するしか道は無いだろうに」
「かもしれないが、最後まで気を抜くな。それに殿下には何かお考えがあるのかもしれない」
ベルナルドは「どうだかな」と、キザな仕草で肩をすくめた。
ちなみに彼は、ここ最近のトレードマークとなっていた無精ひげをそり落として、以前のような伊達男っぷりを取り戻している。
戦いが終わったという事で、武勲目当ての敵に狙われないように兵士に紛れる必要もなくなったのだ。
もっとも本人は、「何事も第一印象が大事だからな。新しいご主人様のご機嫌取りに伺うのに、『こんな薄汚れた輩はいらない』と捨てられてはかなわん。せめて見た目だけでも取り繕わないと」などと冗談交じりで言っていたのだが。
「・・・なあ、ベルナルド。敵は俺達をどうすると思う?」
「さてな。殿下や伯爵には利用価値があるだろうが、俺達しがない男爵家の子倅には、価値があるとは思えないないからな。実際、実家も俺達の身代金を払ってくれるかどうか怪しいものだし。報復と見せしめを兼ねて、全ての恨みを俺達におっ被せた挙句に、コレかもな」
ベルナルドは自分の首に手刀を当てると、トントンと叩いた。
アントニオは鎧の中で首を縮めた。
「ゾッとしない未来だな。もしそうなったら、殿下は我々の助命に動いてくれるだろうか?」
「お前も地方領地出身だろうに、王族なんかに何を期待しているんだ? ――と、言いたい所だが、俺もあの人なら期待したくなっちまう」
王都に住む王族と、地方領地の間には確執、ないしは壁が存在する。いや、この場合は”格差”と呼んだ方がいいかもしれない。
王族は地方領地の困窮を顧みないし、地方領主も、税だけ取って何もしてくれない王族を信用していない。
ベルナルドもアントニオも、王都で王族と王宮貴族達の腐敗を目の当たりにし、彼らには希望も期待も感じなくなっていた。
そんな諦観を抱いた二人の前に現れたのがイサロ王子だった。
王子は良い意味で王宮擦れしていなかった。
王宮という権力の中枢。この腐敗にまみれた場所で、イサロ王子のような(多少、皮肉屋ではあっても)まともな人物がどうやって育ったのか。
二人は黒いカラスの群れの中に白いハトを見付けたような、驚きと場違い感を感じていた。
「それにしても、クロコパトラ女王がこの場にいないのが幸いだった。あの方の不幸を見るくらいなら、俺は一人でも大モルト軍に切り込み、わずかなりともあの世の道連れにしていたところだ」
「・・・戦場に出て来るような将で、お前程度に切られる相手はいないと思うぞ」
ベルナルドは鼻息も荒く宣言するが、アントニオの言うように、彼の剣の腕はそこらの兵士に毛が生えた程度でしかない。
道連れどころか、一太刀のもとに切り捨てられてしまうのがオチだろう。
(クロコパトラ女王か・・・)
アントニオは亜人の女王の美貌を思い浮かべていた。
クロコパトラ女王はあの雨の夜、亜人の部下共々、王子軍の陣地から姿を消してしまった。
翌朝になって陣地でも王女の不在に気が付き、大きな騒ぎになったが、そのすぐ後に投降のゴタゴタが発生したので、それどころではなくなってしまったのである。
陣地から女王の姿が消えたと知った時の、ベルナルドの取り乱しようはなかった。
「すぐに辺りを調べましょう! 俺の部隊が行ってもいい! いや、ぜひ俺に命じて下さい!」
ベルナルドは王子に詰め寄った。
幸いな事にその日も敵の部隊は姿を現さなかった。
もっとも、イサロ王子は、もう敵は攻撃をして来ないだろうと考えていた。
なにせ、大モルト軍の本隊は既にサンキーニ国王を捕らえているのだ。
最早、王子軍は抵抗出来ない。そして敵としては、わざわざ戦って犠牲を出すのも馬鹿馬鹿しい。
そもそも攻め込む気なら、書状を持った使者を無事に通すはずがないのだ。
「――いや、それには及ばない。女王の軍には裁量の自由を約束してある。おそらく独自の判断でこの陣地を放棄したのだろう」
「そんな! 女王は我々を見捨てたのですか?!」
「おい、よせベルナルド! お前、どうかしているぞ!」
違う。おそらくは、見捨てられると判断して、先手を打って逃亡したのだ。
イサロ王子は確信していた。
女王がどのような手段で国王軍の敗北を知ったのかは分からない。しかし、驚異的な魔法を操る女王の事だ。
誰も知らない情報収集なり情報伝達なりの魔法を隠し持っていたとしても、なんら不思議ではないだろう。
荒れるベルナルドをなだめるのにアントニオは苦労させられた。
翌日、国王軍の敗北を知らされてからは、それどころではなくなったものの、ベルナルドは未だに事あるごとに女王を心配しているのだった。
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国王からの書状を受け取ったあの日の夜。王子は副官のカサリーニ伯爵と軍師のルベリオと共に、今後の対応を協議していた。
その中には当然、クロコパトラ女王への対応もあった。
王子は大モルト軍との交渉の切り札として、クロコパトラ女王の存在を利用する気でいた。
同盟相手として参戦してくれた女王には悪いという思いはあるが、現状で王子には手持ちのカードがほとんどない。
類まれなる美貌と、人知を超えた魔法の持ち主である女王の存在を利用しない手は無かったのである。
しかし、この考えは即座にルベリオに反対された。
ルベリオは日頃の彼からは考えられない程、断固たる姿勢でイサロ王子に詰め寄った。
「女王クロコパトラは、殿下が思われているよりも、遥かに殿下にとって必要となる人材です。絶対に手放してはいけません」
イサロ王子はルベリオの言葉の内容よりも物言いが癇に障った。
彼は持ち前のひねくれた性格が顔を出し、つい少年に皮肉を言ってやりたくなった。
「ふん。手放すなと言われても、あちらが名指しで要求して来ては逆らえないだろう。なにせ俺達は敗者だ。勝者には何をされても逆らえない」
「それでもダメです。仮に交換条件を申し込まれても――それこそ、国王陛下の身柄との交換を申し込まれても、突っぱねて下さい。決して言う事を聞いてはなりません」
流石にこれは言い過ぎだ。王家に対して不敬にもほどがある。
王子はムッと眉をひそめた。
しかし、ルベリオは王子の機嫌を損ねてでも。仮に厳しい処罰を受けたとしても、王子のためにここだけは譲れないと覚悟を決めていた。
「女王の魔法は一軍の戦力に匹敵します。これは過小評価の可能性はあっても、過大評価である可能性は大変に低いと思われます。殿下はあの方を一人、味方に付けるだけで、大陸最強の近衛兵部隊を手に入れたも同然なのです。
殿下が大モルトの虜囚として人生を終えるつもりであるのならば構いません。しかし、私は殿下がここで終わる方だとは思っていません。殿下がご自身の将来をお考えであれば、絶対に今、女王を手放してはなりません」
「ラリエール男爵! 殿下に対して言葉が過ぎるぞ!」
カサリーニ伯爵に一喝され、ルベリオは口をつぐんだ。
しかし、彼は真っ直ぐに王子の目を見たまま逸らさない。
(どうやらこの少年は、殿下の勘気を被ってもこの場は一歩も引くつもりはないようだ)
日頃はどちらかと言えば、柔和で自信が無い態度が目に付く少年の、この頑固な姿に、伯爵は驚き、目を見張った。
(頑固――いや違う。この少年は一途に殿下の事を考え、自分の身を顧みず進言しているという事か)
伯爵はルベリオの意外な芯の強さを見せつけられた思いがした。
この睨み合いに折れたのはイサロ王子の方だった。
「・・・分かった。お前の言う通りにしよう」
「殿下?!」
「――言うな伯爵。俺とてどうかとは思う。だがな。コイツはこうなったら聞かないのだ。それにこうして言葉を飾らない時のコイツには私心がない。俺にこんな態度を取るのは、今までは母上と妹のミルティーナくらいだった。ならばこれも母上の説教だと思えば、たいして腹も立たないというものだ」
「そんな。お母上のお言葉だなんて、僕にはもったいない・・・」
「お言葉じゃない。説教だと言ったろうが。――まあいい。俺だって女王には感謝しているのだ。昨日の戦いでは随分と活躍してくれたそうだしな」
イサロ王子は、何だかズレた部分で恐縮するルベリオを睨み付けた。
カサリーニ伯爵は二人に対して何も言えなかった。
しかし、後から思えば、伯爵がルベリオを王子の側近として、特別な目で見るようになったのはこの時からかもしれない。
こうして、この時の話は王子がルベリオの進言を聞き入れる形で終わった。
しかし翌朝、巡回中の兵士がクロコパトラ女王が亜人の兵士共々、陣地から姿を消しているのに気付いた。
結果として、クロコパトラ女王の身柄は、最初から利用しようにも利用出来なかったのである。
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ルベリオは丘の下を見下ろした。
どこにこんなに人がいたのかと思われる程、イサロ王子軍の隊列が長く続いている。
これほど多くの将兵の命が、今後の自分達の言動一つにかかっている。
ルベリオはその責任感を実感し、ひり付くような息苦しさを覚えた。
(いや。僕の感じる重圧なんて、殿下のものとは比べものにならない)
ルベリオは、自分の背後をチラリと振り返った。馬で移動するイサロ王子は無表情で、何を考えているのかは全く読み取れない。
不安? 憤り? 悲しみ? 戸惑い? 不満? そのどれでもないようで、どれでもあるように思えた。
(あの時は言い過ぎてしまったな)
あの日、クロコパトラ女王の扱いを巡って、ルベリオはかなり厳しい事をイサロ王子に言ってしまった。
しかし、ルベリオは反省はしていても後悔はしていなかった。
女王の力はイサロ王子がもう一度力を取り戻すためには、絶対に必要なものだと確信していたからである。
ルベリオは、聡明な頭脳と、既存の価値観に縛られない若い感性で、クロコパトラ女王と亜人の部隊が持つ潜在的な力を感じ取っていた。
「きっと僕にもまだ、殿下のために出来る事があるはずだ。今回の戦に敗けたくらいがなんだ。殿下が諦めるまで僕も絶対に諦めないぞ」
ルベリオは、ともすれば怯えそうになる心を、懸命に奮い立たせるのだった。
次回「混乱する王都」




