その174 ~慈雨~
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翌日は朝から雨が降り注いだ。
雨だから、という訳でもないのだろうが、大モルト軍は前線に姿を現さなかった。
どうやら今日は攻撃を行わないようである。
イサロ王子軍の兵士達は、ホッとすると共に、降って湧いた休日を各々が満喫していた。
「助かったぜ。体のかゆみで寝苦しくて仕方が無かったんだ」
「ああ、生き返るぜ」
兵士達は下着一枚の裸になって、雨水を浴びながら体を擦って垢と汚れを落としている。
この丘には井戸が一本しか掘られていない。
流石に飲み水に困るような事は無いが、それでも水が貴重品となっているのに変わりは無い。
貴族達ならともかく、兵士達は戦いが始まってからずっと、体を拭く水も支給されずにいたのである。
「お前達! 使ってばかりいないで、飲み水用にも確保しておけよ!」
「まあ、そう言ってやるな。まだまだ雨は続きそうだ。この様子だと今日一日は降り続くんじゃないか?」
早々に体を洗い終えた兵士は、今度は汚れた服を洗っている。
その後は沸かしたお湯を飲んで、冷えた体を中から温める。
久しぶりにふんだんに水を使えるとあって、兵士達にとっては良い骨休めになったようである。
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前日の敗戦で大モルト軍、”ハマス”オルエンドロ別動隊の受けた傷は大きかった。
あるいは今回のサンキーニ王国への侵攻が始まって以来、彼らが初めて経験する敗北らしい敗北だったのかもしれない。
死者の数は1226名。
戦死者の数だけで言えば、未だ三万を超えるハマス軍のほんの一部でしかない。
しかし、この日失った多くの命。その中には替えの効かない貴重な将の存在が含まれていた。
一人は”五つ刃”の最年少騎士。”フォチャードの”モノティカ。
とにかくアクの強い者達だらけの五つ刃の中にあって、彼はその裏表の無いな真っ直ぐな性格から、誰からも愛されるムードメーカーとなっていた。
彼の遺体は多くの兵士の死体と共に、未だに堀の中で回収されずにいる。
そしてもう一人は、”古今独歩”ボルティーノ・オルエンドロ。
ハマス・オルエンドロの娘婿でもある彼は、直接、前線で指揮を執っていた所をクロ子の魔法に狙い撃ちされ、瀕死の重傷を負ってしまった。
彼は激痛の中、軍の後退を指揮。
全てを見届けると、本陣の義父の下に直接報告に向かい、そこで息を引き取っている。
将来を嘱望された二人の若き英雄。その突然の死に、ハマス軍は深い悲しみに包まれた。
特に指揮官であり、ボルティーノの義父でもある、カルミノ・ハマス・オルエンドロの落胆は大きかった。
彼は自分のテントに引きこもり、喪に服した。
ボルティーノもモノティカも、周囲からの人望が特に厚い二人だった。
将兵達は各々が信じる神に祈りを捧げ、二人の魂が安らかに天に召される事を願った。
「ディアラ神もボルティーノ様の死を嘆いていらっしゃるのだ」
大二十四神の一柱、豊穣神ディアラは、大地に雨を降らせる雨神としても信仰されている。
この日一日、彼らは指揮官に倣って喪に服し、武器を手に取る事は無かった。
こうしてこの日は、この丘での攻防戦が始まって以来、初めて戦いの無い日となったのである。
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サンキーニ王国軍は、雨の中、前日に死んだ兵士達の回収を行っていた。
今朝になって、ようやくクロ子から――正確には水母から――堀の中に入っても大丈夫、との許可が出たためである。
死体の回収は憂鬱な作業だが、戦いは今後、いつまで続くか分からない。
もしも回収を怠った事で、腐敗した死体だらけの戦場で戦う事にでもなれば、たちまち兵士の士気は底をついてしまうだろう。
それに疫病の発生も恐ろしい。
気が滅入るからといって、おろそかにする訳にはいかなかった。
二人の騎士が兵士達の作業を見守っている。
見るからに頑丈そうな鎧を着た若い騎士と、薄汚れた鎧を着た髭の騎士。
イサロ王子軍の若手貴族コンビ、ベルナルド・クワッタハッホとアントニオ・アモーゾである。
彼らの部隊は死体回収作業の助っ人として、この場所に派遣されていた。
「・・・ベルナルド。お前、こうなるって分かっていたんだな」
アントニオが見つめる先では、兵士達が堀の向こう側――敵の支配地へと死体を積み上げている。
敵兵は積み上げられた死体を回収。奥の陣地へと運び去っていた。
「ここの作業は俺達に一任されているんだ。好きにやらせてもらうさ。これだけの死体の量だ。穴を掘って埋める手間だって馬鹿にならん。味方の兵の死体ならともかく、なぜ敵の兵のために俺達がそこまでしてやらなきゃならんのだ」
「そういう意味じゃない。敵兵の死体を渡す際に、敵が俺達に攻撃しないと分かっていたんだな、と言っているんだ」
ベルナルドはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「当たり前だ。兵士が味方の死体を回収して渡してくれる相手に対して、攻撃なんてするものか。というか、お前は兵士達の事が分かっていない。――いや、これはお前に限った事じゃないか」
ベルナルドは濡れた前髪を鬱陶しそうにかきあげた。
「俺達貴族は、自分達の領地を守るために、言い換えれば自分達の生活を守るために戦に出る。だが、兵士達は俺達に命じられて戦っているだけに過ぎないんだからな」
「それはおかしいんじゃないか? 敵軍がやってくれば自分達の村が略奪や支配を受けるんだ。だったら、彼らだって自分達の村を守るために戦っている事になるじゃないか」
アントニオの指摘にベルナルドはかぶりを振った。
「兵士のほとんどは村の農家の三男以下の男達だ。彼らは親から受け継ぐ農地もなければ、村ではろくに仕事もない。食うのにも困っているあぶれ者達なんだよ。極論すれば、彼らは村なんてどうだっていいんだ。むしろ略奪を受けて長男が死んでくれた方が、自分達にもチャンスが回って来ると喜ぶかもしれない。それに村のヤツらだって、本気で領地を守るつもりはないのさ。ヤツらにとってみれば、自分達の領主がサンキーニ王国の貴族だろうが、大モルトの貴族だろうが同じ事なんだからな。つまり兵士達はやれと言われるから仕方なく戦っているだけで、俺達と違って領地を守るために戦っている訳じゃないんだよ」
友人の言葉のあまりに辛辣な内容に、アントニオは言葉を失くしてしまった。
アントニオは、友人が常日頃から自領の兵士に対して、良く心を配っているのを見ている。
彼はそんな友人の姿を見て、「こんなに領民思いの領主の一族を主人に持って、クワッタハッホ領の者達は幸せだな」と思っていた。
アントニオは友人が皮肉屋である事を知っている。しかし、まさかそのベルナルドの口から、これほど冷酷な言葉を聞かされるとは思わなかったのである。
ベルナルドは友人の受けたショックに気付いているのか気付いていないのか、雨の中、死体の回収を続ける兵士達をジッと見つめていた。
「兵士達は命令されて仕方なく戦っているだけだ。だから戦場では、敵よりも味方の貴族の方が恨まれているなんて話はザラだ。そりゃあそうさ。兵士にとってみれば、勝てる指揮官こそが自分達の味方なのであって、負けて兵士を殺す指揮官はむしろ敵なのさ。相手の兵士が自分達の仲間の死体を引き渡してくれるなら、そりゃあありがたく受け取るだろうさ。兵士にとって本当の敵は目の前の他国の兵ではなく、みすみす味方を殺した無能な指揮官共なんだからな」
真面目なアントニオにとって、ベルナルドの言葉は決して納得出来るものではなかった。
しかし彼は、友人の言葉がいつもの皮肉だけではない事にも気付いていた。
ベルナルドの実家の領地クワッタハッホは、土地も貧しく領民も少ない貧乏な領地である。
戦のための領民を集めるのも苦労する土地柄だが、かと言って戦に参加しない訳にもいかない。
領地持ちの貴族の義務という事もあるが、より現実的な理由として、貧乏なクワッタハッホ家にとっては、戦の際に王家から出される報奨金が、まとまった現金を稼ぐほぼ唯一の手段だからである。
そんな中、指揮官であるベルナルドは、一人でも多くの兵を無事に領地に戻すために、常に腐心し続けていた。
厳しい台所事情の中、彼は兵士達を生かすために自ら剣を取って共に戦い、その中で彼らの心を知り、先程のような結論へと至ったのだろう。
「ベルナルド・・・お前は――」
「待て、アントニオ。あれを見ろ」
アントニオの言葉はベルナルドが上げた手で遮られた。
ベルナルドの指差す先。そこには使者の印である白装束を羽織った騎馬武者の姿があった。
騎馬武者は敵意の無い事を示すため、ゆっくりとした足並みで馬をこちらに進めて来る。
「死体の引き渡しの礼でも言いに来たのかな?」
「まさか。いくらなんでもそこまで律義ではないだろう。さて、何の使者だか」
降伏を勧告する使者にしてはタイミングがおかしい。
普通、そういったものは、圧倒的な勝利を背景に行うものであり、今回はまるで逆となる。
かと言って、不利を悟って和平を申し込んで来たとも思えない。
確かに昨日の戦いは、イサロ王子軍の圧倒的な勝利に終わった。しかし、全体的に見れば、ただの一局面の勝敗でしかなく、敵軍の圧倒的な優位はこゆるぎすらもしていないのである。
「・・・なんだかきな臭いな」
「同感だ。だが、だからと言って、通さないわけにもいかん。――イヤな予感がするぜ」
この時、二人はまだ知らなかった。
この使者のもたらす知らせは、イサロ王子の進退を左右するものとなるのだった。
次回「メス豚と残念なお知らせ」




