その172 メス豚、拍子抜けする
私は三度目となるEX最大打撃の魔法を発動した。
フワリ。
こちらの陣地の奥、五か所でそれぞれ二個ずつ岩が宙に浮き上がった。
私は合計十個の岩を慎重に操作する。
間違っても王子軍の真上で落としてしまう訳にはいかない。
もし、そんな事をすれば、パニックに陥った王子軍の兵士達によって、私達は袋叩きにされてしまうだろう。
とはいえ、別々の場所で同時に物を浮かせるのは、私にとっても結構な重労働だ。
義体の内部に熱がこもるのを感じる。
どうやら私の角が――魔力増幅器が、負荷に耐え兼ねて熱を発しているようだ。
膝の上のピンククラゲがフルリと震えた。
『これ以上の負荷は危険領域』
「・・・わ、分かってる。けど、ここで押さないと」
敵は今、私の攻撃によって混乱している。しかし、一度落ち着いてさえしまえば、タネを見破るのは簡単だ。
今回、私が仕込んだ罠――酸欠エリア。
しかし、トラップはあくまでも埋め立て地で囲まれた堀の中だけ。
場所で言えばたったの四か所に過ぎないのだ。
埋立地の外の堀は危険でも何でもない。
敵軍は外から大回りして攻めればいいだけなのである。
敵に気付かせないためにも、混乱から立ち直らせてはいけない。
このトラップはあくまでも初見殺し。
一度のチャンスで敵を殺せるだけ殺す。
『・・・条件付き了承。次の岩は対岸の敵に落下させるのが効果大』
「そう。分かったわ」
流石に私の目では、離れた五か所もの戦場を同時に見る事は出来ない。
それに、同時に十個の魔法をコントロールするのに必要な集中力は、生半可なものではない。
そこで、私は水母に状況判断をお願いして、自分は魔法の制御のみに全力を注ぐ事にした。
水母はこう見えても、魔法科学文明が生み出したスーパーコンピューターだ。
同時並行作業はお手の物である。
『もっと奥、奥、奥、左右の岩を投下。次いで遠い左右の岩を投下。・・・真ん中投下準備――今』
「ふう・・・。今回は随分と奥まで運んだわね」
私は自分の攻撃の成果を確認した。
どうやら水母は、堀の向こう。敵陣の奥に岩を投下させたようだ。
『クロ子の意向を汲んだ』
「直接、指揮系統を攻撃して、敵が事態の収拾に動く事を妨げた訳ね」
分かっているじゃないの。
現状、敵はなすすべなく右往左往している。
堀の中には、酸欠で死んだ敵兵の死体がゴロゴロ転がっている。
全体でどれくらいの被害が出ているのだろうか?
「ふう。次の攻撃に行くわよ」
『負担増。次は近くに落下させる事を提案』
「それは――いや、水母の判断に任せるわ。信頼しているからね」
『・・・了解』
水母は一瞬、驚きで言葉が出なかったのだろうか。
少しだけ黙り込んだ後、満足そうに小さくフルリと震えた。
こちらの陣地に攻め込んでいた敵軍が、後退を始めた。
私達はその後も二度、追い打ちの落石攻撃を仕掛けたが、敵は脇目もふらずに後退し、そのまま遥か後方の本陣まで引き下がってしまった。
残されているのは、僅かばかりの見張りの兵士のみ。
いっそ気持ちの良い程の逃げっぷりだった。
「・・・敵には、随分と優秀な指揮官がいるようね」
自分達の負けや失敗を認められずにズルズルと現状維持を続け、結果として被害を拡大させるのは、凡庸なリーダーのやりがちなミスだ。
これは何も戦争に限った話ではない。
アプリゲームの課金ガチャだってそうだし、多分、パチンコや株式投資、会社経営でも同じ事が言えるだろう。
人間、それまでに突っ込んでいる物が大きくなればなる程、損切りの判断が遅れがちになるものなのだ。
私達は敵軍の再攻撃に備えていたが、いくら待っていても敵に動きは無かった。
そうこうしているうちに、太陽は頂点に達し、お昼になってしまった。
結局、午前中の戦いは、最初の一度きりで終わってしまった事になる。
ここでショタ坊が私に提案した。
「敵に何か動きがあれば、直ぐに女王にお知らせします。一度本陣まで下がって、食事と休憩を取られてはいかがでしょうか?」
水母も私の角の――魔力増幅器の具合を気にしていたので、ここはありがたくショタ坊の言葉に従う事にした。
とはいえ――
「とはいえ、拍子抜けじゃの。”五つ刃”などと物々しい輩も出て来た事じゃし、もっと激しい戦いになるかと思うておったが」
「そ、そうですか? 私には十分に激しい戦いだったように感じましたが」
私の言葉に、ショタ坊は冷や汗を浮かべた。
そりゃあアンタが田舎の村のショタだからじゃない? 私のイメージする戦場って言ったら、ボカンボカンと砲弾が破裂して、銃で撃たれた人間がバタバタと倒れるものだから。
まあ、この世界では砲弾どころか、まだ火薬自体が発明されていないみたいだけど。
それはさておき。そんな訳で我々は一度後方まで下がる事になった。
結果から言うと、結局、敵はこの日、再び攻撃に出る事は無かったのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここは戦場の後方。大モルト軍本陣の幕舎の中。
指揮官、カルミノ・”ハマス”・オルエンドロは、目の前の光景が信じられずにいた。
先程、敗戦の知らせがもたらされたばかりである。
しかし、耳を疑うような報告も、この極めつけの悪夢の前には、ただの前置きにしか過ぎなかった。
「ち、義父上。ま、先ずは横になったまま報告する事をお許しください。ゴホッ! ゴホッ! ・・・そ、そして申し訳ございません。お預かりしていた兵を数多く死なせ、家名に傷を付けてしまいました」
苦しい息の中、か細い声で敗戦の報告をするのは、カルミノの娘婿、”古今独歩”ボルティーノ・オルエンドロ。
彼は戦場から担架で直接、この場所まで運び込まれていた。
長年、戦場で過ごしたカルミノはひと目見て気付いていた。
ボルティーノの命は――眩しい才能を持つ若者の命は――今まさに尽きようとしている。
ボルティーノの顔にはハッキリと死相が浮かんでいた。
カルミノが絶句する中、ボルティーノは最後の力を振り絞って報告を続けた。
「敵は・・・敵は理解不能な怪しげな技を使います。しかし、同時に扱える技の数は、ゴホッ! ゴホッ! 技の数は十。へ、兵を集中させずに、広く散開させれば、十分に対応は可能です。ゴホッ! ゴホッ! はあ、はあ・・・。 堀に落ちた兵がやられた技は・・・ぐっ・・・不明ですが、おそらくは毒の類かと。わ、私の配下の”五つ刃”、”不死の”ロビーダに調べさせれば、何か分かるかと思います。あの者は毒や暗殺の術に長けておりますので。はあ、はあ・・・あ、あれは仕込みが必要な、いわば罠。わが軍の兵士は・・・攻撃を受けたのではなく、・・・罠に・・・かかったのです。はあ、はあ・・・」
誰もが黙って青年の声を聞いていた。
ボルティーノという聡明な若者が戦場から持ち帰り、最後の命を燃やして伝える情報。その値千金の言葉を、一語一句聞き逃すまいと、彼らは耳をそばだてていた。
今朝、戦場に向かったボルティーノは、全身から威光が溢れ出ていた。
しかし今、ここにいるのは、哀れな姿の死にかけの若者である。
その鎧は血にまみれ、大岩に潰されて無残にも潰れた下半身は、見苦しくないようにマントで覆い隠されている。
不幸にもクロ子の落とした大岩は彼の真上に落ちていた。
咄嗟に直撃こそ逃れたものの、大岩は彼の下半身を押しつぶし、ぐちゃぐちゃにしてしまったのである。
ボルティーノの顔は血の気を失って土気色に変わり、目の周りは大きく窪み、まるで別人のようである。
下半身と共に、内臓も大きく傷付き、助かる見込みは無かった。
死はもう彼の目前に迫っている。
将来を嘱望された若者の痛ましい最後の姿に、将軍達は皆、心を痛め、涙を浮かべていた。
「・・・義父上」
「何だ息子よ」
ボルティーノは、無様な姿を見せた自分を、まだ息子と呼んでくれた事が喜しかったのだろうか。苦しい息の中、ほんの少しだけ小さな笑みを浮かべた。
彼は最後の力を振り絞って手を伸ばした。
カルミノは慌てて膝をつくと、息子の手を握った。
青年の目から一滴の涙がこぼれ落ちた。
「し・・・死にたく・・・ない。妻の待つ・・・ハマスに・・・帰・・・い・・・」
それが”古今独歩”――過去から現在に至るまで、比べるものがいないほど優秀である――と呼ばれた、才気あふれる青年の最後の言葉だった。
それは、国や家の未来を心配する憂いでもなければ、志半ばにして散る悔しさでもなかった。
愛する妻の下に帰りたい。ただそれだけの、ささやかな望みだった。
こうして古今独歩ボルティーノ・オルエンドロは戦場に散った。
「息子よ! 息子よ! う・・・うおおおおおおおあああああっ!!」
カルミノは声を上げて慟哭した。
幕舎の中は、悲しみに暮れる将軍達のすすり泣きの声で溢れるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
この日、古今独歩ボルティーノ・オルエンドロが預かった兵数は約三千。
彼はそれを”五つ刃”の配下に付け、戦場に送り出した。
この戦いで、直接戦場で死んだ兵士の数は、約千二百人。
戦いに参加した兵士の三分の一強が、命を落としたという計算になる。
これは驚異的な数であり、割合である。
兵器が未発達なこの世界では、戦いそれ自体で戦死者が出る事はあまり多くは無い。
戦場での戦死者の大半は、勝敗が完全に決まった後に、戦う気力を失くして逃げる敗者が、勢いに乗った勝者に打ち取られる場合がほとんどなのである
あるいは負傷兵となった者達が不衛生な密集状態におかれて、感染症や疫病で死ぬ例も多い。
つまり、戦いでの人死には、どちらかと言えば少ない方であり、戦死者というのは、むしろ戦場の外でより多く発生するものなのである。
この日、クロ子が殺した敵兵の中には、五つ刃の最年少、”フォチャードの”モノティカもいた。
クロ子はこの戦いで、敵の指揮官・古今独歩だけではなく、貴重な戦力の一角をももぎ取っていた事になるのだった。
次回「メス豚、腫れ物に触るような扱いを受ける」




