その171 ~最大打撃《パイルハンマ》~
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ここは最前線。
堀の五か所に作られた埋め立て地。その真ん中。
サンキーニ王国側の陣に攻め込んだ、大モルト軍の兵士達は、予想外の光景を見て度肝を抜かれていた。
彼らの視線の先には、まるで見えないロープで吊られているかのように、大きな岩が二つ。フワフワと空に浮かんでいる。
対比物のない空中にあるため、正確な大きさまでは分からないが、どちらも小さな荷車程度はありそうに見えた。
岩は兵士達の注目を集めながら、次第に天高く昇っていくと――ゆっくりと前線に向かって近付いて来た。
「お、おいおい。じ、冗談じゃないぞ。あんな馬鹿デカい岩が落ちて来て来たら、ひとたまりもないぜ」
「ど、どけよ! 危ない! 危ないっての!」
大岩の進行方向の兵士達が、慌ててバラバラと逃げ出した。
人垣が二つに割れて、戦場に無人の道が出来る。
「な、なんなんだよ一体・・・」
髭の鎧武者、”フォチャードの”モノティカは、信じられない光景に立ち尽くしていた。
「モノティカ様! ここは危のうございます!」
「あのような大岩! もし落下して来たら、無事では済みませんぞ!」
モノティカの部下達が慌てて彼の体を押す。
モノティカは、まるで魂が抜かれたように大岩を見上げたまま、部下にされるがまま岩の進路上から横に逃れた。
ちなみに謎の大岩は、ここだけではなく、それぞれの埋め立て地の空で目撃されていた。
言うまでも無く、極み化されたクロ子の魔法。最大打撃が生み出した現象であった。
最大打撃の魔法は質量兵器。
物質を浮かせる現象に特化した魔法である。
効果を限定した魔法のため、その力は大きく、このような大岩も軽々と持ち上げる事が出来るのである。
残念ながら浮かせる効果にのみ特化しているため、移動速度は非常に遅い。
時速で言えば約四キロ。人が歩く程度の速度でしか動かせない。
そのため、狙われた相手は、見てからでも余裕を持ってかわす事が出来るのだ。
実際に大モルト軍の兵士達は、大岩の進路上から慌てて左右に逃げ出していた。
ただしそれも、十分な逃げ場がある兵士に限られるが。
「な、なんだあれは?!」
「こっちに来るぞ! おい、下がれ!」
「バカ野郎! 後ろがつかえているんだよ! 下がれる訳がねえだろ!」
「いいから前へ行け! こんな場所で立ち止まってんじゃねえよ!」
そう。堀に作られた埋め立て地、その橋の上では、今も突撃中の兵士達がひしめき合っていた。
狭い橋の上では左右には逃げられず、かと言って後ろに下がろうにも後続の兵士に押されて下がれない。彼らは仕方なく前へと出ようとするのだが、前は前で前線の兵士が立ち止まっていて動けない。
兵士達は恐怖に怯える目で、空中の大岩が自分達に近付いて来るのを見つめるしかなかった。
そして音もなく、巨大な岩は彼らの頭上に落下した。
「うわああああああああっ!!」
恐怖に駆られた兵士達が算を乱して逃げ出した。
しかし、狭い橋に逃げ場などあるはずがない。
彼らはバラバラと橋から転がり落ちた。
ドスン! ドスン!
兵士達の悲鳴と共に重苦しい音が連続で響いた。
運悪く岩の真下にいた兵士は、圧倒的な質量に押しつぶされて死亡した。
ゴロリ。
柔らかな埋め立て地が崩れると、大岩がゴロリと堀に転がり落ちた。
転落する岩に巻き込まれる兵士達。
戦場に彼らの悲鳴が響いた。
フォチャードのモノティカは、自軍を突然襲った惨劇に言葉も無く立ち尽くしていた。
何だ? 何が起きている? 我が軍の兵士達がやられている? これは敵の攻撃なのか?
その時、彼は脳天に雷が落ちたようなショックを受けた。
(これは敵の攻撃だ! 方法は分からない。けど、敵は何らかの方法で岩を浮かせ、橋の上の兵士達の真上に落としたんだ!)
モノティカは決して知恵の回る方ではない。――が、戦場に立つ武人としての直感で、一連の不可解な現象が、こちらを狙った敵の攻撃である事を察した。
そして、それを理解した時、彼は敵の狙いを察し、吐き気を催す程の強い怒りを覚えた。
(なんて卑劣な! 間違いない! 敵は橋の上に兵士達が集まるこの瞬間を待っていたんだ! 昨夜のうちに岩を落として埋め立て地を崩す事だって出来ただろう。けど敵はそれをしなかった。俺達が敵陣に攻め込み、橋の上の兵士達が前にも後ろにも逃げられなくなる状況。このタイミングが来るのをじっと待っていたんだ!)
悪辣と言うにはあまりにも悪辣。非道と言うにもあまりにも非道。
人間を虫か何かのように押しつぶす、敵の容赦のない攻撃に、モノティカは嫌悪感と共に頭の芯が熱を持つ程の怒りをたぎらせた。
しかし、彼はまだまだ甘く、お人好しだった。
敵の真なる狙いはその程度の物では無かったのだ。
彼らを待ち受けているのは、より非人道的な罠だった。
悲鳴を上げて橋の上を這いまわる兵士達。
だが、モノティカはその光景に違和感を覚えた。
この光景は何かがおかしい。
いや、何かが足りない。
「! 堀に落ちた兵士達はどうなった?!」
そう。聞こえて来るのは橋の上に残った兵士達の悲鳴だけ。
橋から堀の中に転がり落ちた兵士達の声も聞こえなければ、堀から這い上がって来る兵士達の姿も見えなかった。
思えば、最初に突撃をした時から違和感はあったのだ。
いくら盾を持って突撃したとはいえ、矢が命中して負傷、転落する兵士も少なくはなかった。
それでなくても不安定な狭い橋である。足を踏み外して転がり落ちた兵士だってかなりの数がいたはずだ。
あれは便宜上、橋と呼んでいるだけで、要はただの埋め立て地である。高さは約三メートル。
傾斜は緩やかで、転落死するような急角度でも、高さでもない。
落下の際に多少ケガをする者がいたとしても、直ぐに這い上がって来られるはずである。
しかし、堀から上がって来る兵士は誰もいなかった。
そう、誰もいなかったのである。
モノティカは慌てて堀の中を見回した。
橋から転げ落ちて倒れた兵士達。
その全員がぐったりと体を横たえ、動く者の姿はなかった。
もし、この時、モノティカがもっと落ち着いて注意深く観察していれば、堀の中に死んだ野鳥の姿をいくつも見付ける事が出来ただろう。
そして危険を察知し、周囲に注意を促したはずである。
しかし、この時、モノティカは完全に頭に血が上っていた。
そして彼は部下思いで責任感が強かった。
彼は負傷した兵士を助けるために、咄嗟に自ら堀の中に駆け込んだのである。
「モノティカ様?!」
「モノティカ様に続け! 味方の兵を助けるんだ!」
そして彼の後に周囲の兵士が続いてしまった。
この行動こそが悲劇の幕開け。モノティカは衝動的な判断で、部隊壊滅のきっかけを作ってしまったのである。
違和感は無かった。
戦場らしく、空気は少々濁って埃っぽかったが、それだけだ。
モノティカは堀の中で倒れた兵士に駆け寄ろうとして、勢いよく斜面からダイブすると頭から地面に突っ込んだ。
その際に石にでも打ち付けたのか、額がパックリと割れ、地面に赤い血が流れた。
しかし、それほどの重傷でありながら、モノティカが痛みを感じる事は無かった。
この時、既に彼は意識不明になっていたのである。
こうしてフォチャードのモノティカは、二度と意識を取り戻す事無く死んだ。
彼の後に続いた兵士達も全滅した。
さらに、倒れたモノティカを助けようと多くの兵が駆け付け、そして彼らも死んだ。
なまじモノティカが兵士に慕われていたのが、不幸の連鎖を生んでしまったのかもしれない。
そしてモノティカは非常に厄介な場所で倒れてしまった。
こうして、倒れた彼を助けようとして、多くの兵士が命を落とす事になるのだった。
”古今独歩”ボルティーノは、珍しく混乱していた。
彼の周囲では将軍達がなすすべなく右往左往している。
「何が起きている! 敵陣に切り込んだ部隊はどうなった?!」
空から落下した大岩によって、前線は完全に混乱を極めていた。
(たった十個の大岩で、完全に勝ちが決まった戦をひっくり返されたというのか?!)
ボルティーノは目の前の光景が信じられずにいた。
後方にいる彼が、事態の本質を理解出来ないのも仕方がない。
クロ子の狙いは、大岩による質量攻撃だけではなかったのだ。
むしろ大岩は、獲物を罠にかけるための手段でしかなかったのである。
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昨夜、クロ子は堀を見回している時にふと思いついた。
(あれ? これって使えるんじゃない?)
敵軍が堀に作った五か所の埋め立て地。しかし、埋め立て地は逆に考えれば、堀をいくつかの升に仕切っている事にはならないだろうか?
クロ子は堀の中を対象に選んで、とある魔法を発動した。
「EX酸素飽和度」
酸素飽和度の魔法は、一定範囲の大気中の酸素を消滅させる効果を持つ魔法である。
クロ子はしばらく様子を見た後、もう一度同じ魔法を唱えた。
「EX酸素飽和度。――あ、やっぱり」
魔法は一応発動したが、さっきの半分も手応えを感じなかった。
「手応えが無いって事は、酸素の消滅が無かったって事よね。つまり、堀の中の酸素濃度が戻っていない――堀の中は空気が滞留している、って事か」
埋立地によって封鎖された堀の中は、空気の流れが生まれず、結果として酸素の減った空気がそのまま残っているのではないだろうか?
あるいは対岸を埋め尽くすほどの、かがり火のせいもあるのかもしれない。
「二酸化炭素とか重い空気が堀に流れ込んで、酸素を含んだ軽い空気が流れ込むのを邪魔しているのかも。ねえ、どう思う? 水母」
『可能性はある』
「なしの要素もあるけれど、ありかなしかで言えばあり。って事か。――う~ん。よし、分かった」
こうしてクロ子は作戦を考えた。
そして彼女は、一緒に現場に来ていた”目利きの”カサリーニ伯爵に協力して貰い、急いで段取りを整えたのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇
クロ子の立てた作戦。
それは堀の中を低酸素状態の空気で満たし、落ちた敵兵を窒息死させるという、単純だがえげつないものであった。
大岩は敵兵を堀に落とす=罠にかけるための、手段でしか無かったのである。
しかし、クロ子という存在を知らない古今独歩ボルティーノにとっては、想像の埒外の悪夢であった。
「わ、若様!」
将軍の声にボルティーノはハッと我に返った。
どうやら、あまりのショックに呆然としていたようである。
将軍達の目は恐怖に見開かれている。
彼らが見つめるその先。
そこには青い空を背景に、音もなくこちらに近付いて来る巨大な岩の姿があった。
次回「メス豚、拍子抜けする」




