その15 メス豚、ボブから話を聞く
私は恐竜ちゃんに抱きかかえられたまま運ばれている。
現在王子軍は陣地を放棄して全軍撤退中である。
兵士達が狭い道にひしめき合っている。
直前まで柵の外に堀を作る工事に駆り出されていたショタ坊達も、突然の撤退命令に慌てて荷物を纏めて付いて来ている。はずである。
ここからでは見えないけど、この列の最後の方を歩いているんだろう、きっと。
恐竜ちゃんに騎乗している騎士は、相変わらず私の存在を無視している。
ちなみに今私を運んでくれているのは、私に魔法を教えてくれた例のママ恐竜ちゃん――ではなく、その息子の方である。
この軍には恐竜ちゃんの子供達が三匹加わっていて、彼はその中でも特に私と仲良しな恐竜だ。
名前はボブ。
本当は名前は付いていなかったんだけど、名無しだと会話がし辛いので私が勝手に名付けた。
なぜボブかと言えば、何となくボブっぽかったからだ。
理由は特に無い。
さて。そんなボブに運ばれながら、私は彼に今朝から前線で何があったのかを色々と尋ねてみた。
恐竜ちゃん達には隊長格の騎士が乗っている――つまりはこの戦いの推移を知る立場にあったのだ。
部隊の後方に構えていた私達より詳しく事情を知っているに違いない。
ボブはのん気な性格で今回の戦いの事にもあまり興味がなかったようだが(いや、これに関しては恐竜ちゃん達全体がそうかもしれない。所詮は人間同士の争いで、彼らにとっては関係の無い話だからだ)、断片的な彼の話と現状を照らし合わせる事で、どうにか全容を把握出来た気がする。
てなわけで、何がどうなって私らが今ここでこうしているのか、私の推測も交えてお話ししよう。
夜のうちに陣地を出た王子軍は、合戦の場として目を付けていた荒地に部隊を配備した。
その陣形は、いわゆる”長蛇”と呼ばれる横並びの形だったようだ。
相手に対して人数で勝る以上、策を弄する必要は無いと考えたのだろう。
いっせーので殴り合えばどうしたって数で勝るこっちの方が有利なのだ。無難な選択っちゃあ無難な選択だな。
そして予想通り敵もこの荒地に陣を敷いていた。
そもそも、過去も何度か同じ場所で戦った事があったらしい。
数千対数千がぶつかる野戦ともなれば、どうしても場所が限られて来るのだろう。
事前の情報通り、相手の兵数はこちらの半数程度だったようだ。
相手もこちらに合わせるように”長蛇”の陣形を組んだ。
というか、ひょっとしたらこの世界では他の陣形が無いのかもしれない。
一口に陣形といっても様々な形がある。
”魚鱗”だの”鶴翼”だのという名前に聞き覚えはないだろうか?
えっ? 知らない? 結構有名どころだと思うんだけどなあ・・・
それらの陣形は平和になった江戸時代、兵学者が飯のタネにするために考え出したのではないか? とする説がある。
実際に戦で使われていたものではなく、あくまでも机上の学問だったのではないか、というのだ。
確かに戦国時代の頃は、戦国大名にとって戦力の大半は地方豪族の国衆だった。
陣形通りに動く合同訓練なんていつやってたんだ? って話になるわな。
訓練を受けた職業兵士が戦っていた第二次世界大戦の時ですら、陣形を生かした歩兵運用がされたという話を聞かないのだ。
ダイナミックに陣形を組み替えて全軍をまるで手足のように動かして戦う、というのはあくまでも軍事ロマンであって、現実に即したものではなかったのかもしれない。
夢が無い世の中だのお。
さて、あったのかなかったのか分からない陣形の話はさておき。
どちらも同じ形で兵を配置したのなら、当然数の多いこちらの方が有利になる。
こうして白々と夜が明け、ついに合戦が始まった。
弓の間合い、投げヤリの間合い、そしてヤリの間合い。
両軍は次第に距離を詰め、突出していた部隊が相手に切り込むと、そこから本格的な戦いが始まった。
序盤は王子軍が攻勢だったようだ。
恐竜ちゃん達も指示を伝えるために部隊の後方で走り回っていたらしい。
あれっ? 恐竜ちゃん達は魔法で戦わないの?
どうやら恐竜ちゃん達の魔法は行軍の時や敵陣に切り込む時のためのもので、戦力としては計算されていなかったみたいだ。
魔法というのはあくまでも個人的な武勇のためのもので、魔法部隊として運用されているわけではないらしい。
王家から借りている恐竜ちゃんを危険にさらせない、という事情もあるのかもしれないけど。
でもそれっておかしくない?
嫌な言い方をすれば、戦場に連れて来ている以上、恐竜ちゃんはある種の兵器なのだ。
勝つために兵器を使い潰す覚悟が無いというのはどうだろうか?
とはいうものの、日本でも戦国時代には騎馬武者は戦う時には馬から降りて戦っていたという話も聞く。
馬は高価な生き物なのでケガをさせる訳にはいかなかったからだ。
中世以前の合戦は、近代戦に比べてどこか牧歌的な所があったのかもしれない。
おっと、話が逸れた。
そんな訳で戦いの序盤は王子軍が押していたらしい。
とはいうものの、敵を崩す所までは中々行けなかったようだ。
これは王子軍が血気に逸るあまり、部隊間の連携が取れずに兵力の差を有効に生かせなかったのと、人数の少ない敵軍の方に守備的な意識が高まり、固く守っていたせいだと思われる。
こうして戦いが膠着気味になったその時、敵軍の秘密兵器が王子軍に襲い掛かったのだった。
それは悪辣にして外道。
生命の尊厳を踏みにじる、倫理に外れた悪魔の所業。
存在すら許せない悪夢のような兵器だったのだ。
敵軍の秘密兵器が登場したのは敵左翼後方からだったらしい。
敵部隊はこちらの右翼に襲い掛かった。
「ぎゃああああっ!」
「何だ?! 何が起こった?! うわああああっ!」
「なんだ、あいつらは?! ヒッテル王国は正気か?!」
秘密兵器の攻撃に味方右翼は総崩れになった。
その時ボブは丁度右翼に近い位置にいたため、直接その時の光景を目にしたんだそうだ。
それは50頭程の竜の群れで構成された部隊だったらしい。
竜と言ってもボブを含めた恐竜ちゃんは”走竜”という種族で、その時現れたのは、”貪竜”と呼ばれる別の種族だったんだそうだ。
ちなみに走竜はジュラシックなヴェロキラプトルを可愛くしたような感じなのに対し、貪竜は四つ足のイグアナに近い姿をしているらしい。
貪竜は尻尾を含めた体長は5m程。肉食だが性格は臆病で人間を襲うような事はめったにないそうだ。
魔法を使って小石を弾丸のように飛ばし、主に大型の鳥を仕留めて食べる。
飢えれば子山羊や子馬を狙う事もあるらしい。
そんな貪竜の群れが魔法を乱射しながら王子軍の左翼に襲い掛かったのだ。
以前にも説明したと思うが、魔法は非常にコスパが悪い。
同じ仕事量をこなそうと思ったら、大抵の場合は手足を使ってやった方が楽に済む。
私が戦った野犬のリーダーが数回の魔法の発動でグロッキーになったのが良い例だ。
だったらお前はどうなんだって?
私はナチュラルボーンマスター・クロ子ですから。
持って生まれた才能が違いますよ才能が。
ぶっちゃければ魔法は鍛えれば鍛える程、その発動速度も威力も伸ばす事が出来る。
私は生まれた時から無意識に翻訳の魔法を使っていたために、自然と鍛えられていたのだろう。
だったら魔法を使う生物も鍛えればいいだろうって?
そう思う人は、犬が腕立て伏せをしたり、猫が腹筋をしたりしている所を思い浮かべてみればいい。
そんな姿を見た事がありますか? ちなみに私は無い。
生物界広しといえど、しんどい思いをしてまで体を鍛えるような奇矯な生き物は人間くらいだ。基本的に他の生物はその日その日を生きている。
実際、魔法のトレーニングは精神的にも体力的にもキツイものがあるからな。
私だって自分の命がかかっていなければここまでやったかどうか。
貪竜の使う魔法はまるで横殴りの石の雨のようだったと言う。
その鬼気迫る様子にボブはすっかり怖気づいてしまったんだそうだ。
『いやあ、そうは言うけど、実際に見たらクロクロだって絶対ビビっておしっこチビったって』
『誰がクロクロじゃい。私の名前はクロ子だって言っただろーが』
それにレディーはおしっこをチビったりしない。しないったらしない。
てかボブ、アンタおしっこチビっちゃったわけ?
『い、いや、ボクはチビったりしてないよ。クロクロならチビるに違いないって言っただけ』
明らかに挙動不審になるボブ。こやつめ、語るに落ちたな。
まあいいや。とにかくチキンなボブが怯えるほど貪竜の群れの様子は常軌を逸していたらしい。
『こっちの言葉なんて全然通じない程おかしくなっててさ。ずっと「もう辛いのはイヤ、苦しいのはイヤ」って叫びながら走って来るんだよ。あんな竜なんて初めて見たよ』
その時の光景を思い出したのか、ブルリと体を震わせるボブ。
『チビった?』
『今のは違うよ! 確かにおしっこをしたらブルってなるけど、今のは違うから!』
必死に言い訳をするボブ。はいはい、分かった分かった。
こんなに大きな体をしているものの、ボブはまだまだ子供なのだ。
それならお前はどうなんだって? いやまあ私は精神的にはもう16歳ですから。
子供以上、大人未満のお年頃ってヤツ?
ボブは言葉を探しながら話を続けた。
『苦しいのはイヤって言ってるくせに、メチャクチャに魔法を使うんだ。あんなに魔法を使ったら絶対に苦しいはずなのに、全然苦しそうじゃないの。それなのに苦しいのはイヤっておかしいよね?』
ボブは自分の感じた違和感を何とか私に伝えようと言葉をひねり出した。
ふむふむ、なるほど。
ボブの言う通りだとすれば、確かにおかしな話だ。
魔法は使い過ぎれば苦しくなる。
それは私も散々経験しているから良く分かっている。
それほどデタラメに魔法を使えば貪竜は絶対に苦しいはずだ。なのに苦しんでいる様子が無かったらしい。そのくせ、正気を失くす程「あんなに苦しいのはイヤ」と叫んでいる。こんな矛盾はない。
果たしてどういうからくりなのか・・・
――!!
この時、私は不意にある事を思い付いた。
それは命の尊厳を弄ぶ悪辣な発想だった。
正直言って自分でも、たったこれだけの話でなぜこんな突拍子もない事を思い付いたのかは分からない。
しかし、いや、もしもの話だが、もし隣国で私の考えた通りの事が行われたのだとすれば、今のボブの話に一応の説明は付く。
・・・いや、だとしても本当にこんな事が実現可能なんだろうか?
もし可能だとしても、この方法を思い付き、なおかつ実行に移したヤツは余程の外道か悪魔に違いない。
『クロクロ?』
『ボブ。その貪竜の話、他の走竜からも聞けないかな?』
確認が必要だ。そのためにはもっと情報が欲しい。
私の真剣な雰囲気が伝わったんだろう。ボブは『う・・・うん。他にも見ているヤツは何匹もいるから』と請け負ってくれた。
『それとボブ。私の名前はクロクロじゃなくてクロ子だから』
『う~ん、覚え辛いんだよなあ。黒い豚なんだからクロクロで良くない?』
何でだよ! 三文字の名前の最後の一文字だけが覚えられないっておかしくね?!




