その167 メス豚は残業が嫌い
私は兵士達のテントの集まる二の丸から、一段高い丘に作られた本丸――王子軍の本陣へと戻って来た。
私は無意識に駕籠の後ろ――ここからは見えないが――私の駕籠の後ろに続いているはずの、担架を振り返った。
担架に乗せられているのは亜人の大男。クロコパトラ小隊の小隊長カルネである。
カルネは丘の下で死にかけていた所を、王子軍の兵士達が発見、保護されたのだ。
どうやら手強い敵の将と一騎打ちの末、どうにか止めを刺す事に成功したものの、そこで力尽きて倒れてしまっていたらしい。
相手は赤い鎧を着ていたという話なので、ひょっとすると私が昼間攻撃した赤鎧の部隊の生き残りだった可能性もある。
――こんな事になると知っていれば、あの場でキッチリ全員殺しておいたんだがな。
私は「今度から攻撃する時には最後まで止めを刺そう」と心に誓ったのだった。
カルネは全身切り傷だらけの打撲だらけで、無事な個所を探す方が難しい程だった。特に背中の刺し傷が深かった。
天才外科医も真っ青な腕前を持つ、頼れる対人インターフェイス水母のおかげで、現在、それらの傷は残さず縫い合わされている。
水母が言うには、昼間のうちに適切な応急処置がされていたから良かったものの、そうでなければ確実に命を落としていたんだそうだ。
前線で治療を受けられるなんて、カルネはなんて運が良かったんだろう。
とはいえ、感染症までは防げなかったようで、今は熱を出して寝込んでいる。
本来であれば絶対安静だが、亜人の大男は目立つのか、野次馬共がテントの周囲に集まって落ち着いて治療に専念出来そうもない。
それに、昼間の通り魔男の一件もある。
今は全員で纏まっていた方が安全だろう。
私はカルネを我々のテントに連れて帰る事にした。
担架を水母の魔力操作で浮かせてもらえば、移動の衝撃も最小限で済む。
その分、私の駕籠を浮かせる余裕がなくなり、駕籠を担ぐ隊員達には重たい思いをしてもらう事になるが、仲間のためとあって、誰からも不満は出なかった。
そんなこんなで、我々は重症のカルネを回収して、割り当てられたテントに戻って来た。
こうして私達の長い一日が終わったのだった。
私はテントの中に入った途端、『とうっ!』バリバリバリ。
待ちかねたように義体の背中を突き破り、外に飛び出した。
嗚呼、この解放感よ!
いくら以前よりも居住性が上がっているとはいえ、一日中窮屈な義体の中に閉じこもっていたのだ。
私のストレスはマッハだったのだよ。
私は休日のパパのように、テントの中でグデンと寝っころがった。
あー。ホッとするわー。もう何もしたくないわー。お芋が食べたいー。どんぐり食べたいー。
てか、泥んこ遊びがしたい。泥だらけになってキャッキャウフフしたい。
どうにかショタ坊を言いくるめて、テントの中にヌタ場(※泥浴び場)を作れないもんだろうか?
私はブフー、ブフーと、安堵の鼻息――ため息を漏らした。
どうやら私は、自分で思っていたよりも強いプレッシャーを感じていたらしい。
今日は誰一人欠ける事無く、無事に戦いを終えられた。
私はその事にホッとすると共に、腰が砕けそうになる程の脱力感を覚えていたのだ。
ん? 「カルネはみんなに心配をかけた罰で平隊員に降格させる」とか言ってたけど、どうするのかって?
んなの、無事に戻って来たんだからノーカンだよノーカン。
私達の戦いの目的は生き延びる事。命が無事ならそれ以上の戦果は無いんだっつーの。
しかし、残念な事に私の至福のひと時は長くは続かなかった。
テントの外から私の副官、ウンタが声を掛けて来たのだ。
「クロコパトラ女王。いいか? 例の人間の子供が女王に会いに来ているんだが」
ショタ坊が? ちいっ。今日の仕事はもう終わったと思っていたのに。何だよもう。
私は帰宅間際に上司がやって来て、残業を告げられた時のOLのような気持ちになりながら(前世は女子高生だったので、あくまで想像でしかないんだけど)、渋々クロコパトラボディーに戻るのだった。
ううっ。面倒じゃのう。
私はショタ坊に連れられて王子様のテントへ向かっていた。
こんな夜更けにテントにお呼ばれするなんて。もしや夜伽を申しつけられるのでは。
ここで初めてを迎えちゃう? どうしようドキドキ。
などという艶話な訳もなく、テントの中には普通に王子と彼の副官のロマンスグレーのオジサマ。それと、昼間の元優男君が待っていた。
もしや私とショタ坊が来るまで三人で「アッー!」なプレイを――って、いくら急な残業のお知らせで気が乗らないからって、雑なボケを続けるのはもういいか。
「クロコパトラ女王?」
「・・・ウンタを残して他の者はテントの外へ」
ウンタは私の副官であり、護衛だからな。
とはいえ、ぶっちゃけここにいる全員が一斉にかかって来ても、彼らの攻撃では水母の魔力障壁は抜けないだろうが。
そもそも、相手の攻撃が届く前に返り討ちにする自信もあるし。
それはさておき、雁首並べて今から何の話をされるのやら。
「今日はクロコパトラ女王に随分と世話になったようだな。感謝する」
話はイケメン王子のどこかそっけないお礼の言葉から始まった。
ああ、これ分かったわ。絶対に面倒な話だわ。
だって、王子は見るからに、「何でこの非常時にこんな事を」とか思ってるのが丸分かりだから。
そんな王子の態度に、ショタ坊と元優男君がハラハラしているし。
王子の余裕の無い表情から察するに、王子軍に何か良くない事が起こっているのは間違いない。
それを王子から相談されたショタ坊と元優男君が、私を引き込むように無理やり説得したのだろう。
王子の気乗りしない態度から見て、うんざりするほど激烈にプッシュされたようだ。
私が頼んだ訳でもないのに。やれやれ、何とも迷惑な。やれやれ。
ロマンスグレーのオジサマは、一応様子見といった所か。
距離を置いて、私の対応を見てから判断したい。そんな感じだろう。
ふむ。変に揉めても面倒だし、先ずは下手に出ておくとするか。
「左様か。力になれたなら何よりじゃ」
王子の眉がピクリと跳ねた。
どうやら私が手柄をひけらかさなかった事に驚いたようだ。
いやいや、私、そんな自意識過剰じゃないですから。
実際、どれだけ役に立ったのか、よー分からんし。
てか、ショタ坊達はどれだけ王子に私の力を吹聴したんだ? すっかり警戒されているじゃないか。
ここでショタ坊が身を乗り出した。
「あの、クロコパトラ女王の魔法を見込んで相談があるんです!」
ふむ。主人の横から口を挟んで来るとは、余程切羽詰まった状況にあるようだな。
これは思ったよりも厄介な話かもしれん。
私はさっきまで嫌気がさしていた残業気分が薄れ、気が引き締まって行くのを感じていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
陣地の西側。
大きく掘られた穴の中に、今日の戦いで死んだ兵士達の死体が、次々と投げ込まれていた。
兵士達はここでひとまとめにされて埋葬される。いわば共同墓地のようなものである。
それでもこうして葬られる死体はまだマシな方である。
大抵の死体は戦場に放置されるまま、動物に食い荒らされ、誰からも弔われる事なく朽ち果てていくのだから。
そんな共同墓地のすぐ横に、一人の騎士の死体が葬られようとしていた。
一般の兵と別扱いになっている事からも分かるように、彼は爵位を持つ貴族の一族であった。
名前はハスター・エルーニョ。
亜人の大男カルネと戦の功を争い、”二つ矢”アッカムの放った矢に倒れたあの若い騎士である。
エルーニョの死体は、竪堀の埋め立て地の撤去作業をしていた工兵達によって発見された。
残念ながら発見された時点で、既に彼はこと切れていた。
体に残った二本の矢。そして背中には複数の刺し傷。
”赤備えの騎士”ポルカが命じた、”赤馬隊”の騎士達の攻撃。どうやらあの時の攻撃が致命傷となったようである。
エルーニョの遺体は清められた上で布に包まれていた。
彼の副官が、ナイフで遺髪を切り取ると、白い布で包んで従者へと手渡した。
副官は厳かに告げた。
「では各自、エルーニョ様との別れを――どうした?」
兵士達のざわめきに副官は背後を振り返った。
そこに立っていたのは、大きな体の亜人だった。
「お前は・・・確かあの時の亜人」
「・・・邪魔をするつもりはねえ。そいつから借りていた物を返しに来ただけだ」
大きな体の亜人――カルネは、全身に包帯を巻かれ、呼吸も荒く、体も頼りなくフラフラと揺れているような状態だった。
まだ熱は引いていないのだろう。顔からは血の気が引き、ビッシリと油汗が浮かんでいた。
まるで墓穴からはい出した死者のようなカルネの鬼気迫る姿に、周囲の兵士達はすっかり気圧されてしまっていた。
カルネはおぼつかない手つきで腰紐に挿していた剣を抜いた。
刃こぼれの酷いボロボロの剣だ。大量にこびりついた血が、握りまで黒く変色している。
良く見れば刀身も曲がっているようだ。
どうやら鞘に納めていなかったのではなく、歪んでしまったせいで鞘に入らなかったらしい。
柄にはエルーニョ家の紋章がレリーフされている。
カルネの体を傷付け、最後には彼の命を救うきっかけを作った、あの剣である。
「確かに返したぜ」
カルネは副官に剣を押し付けると・・・従者が持つ酒の瓶に目を止めた。
彼はいきなり手を伸ばすと、従者の手から酒瓶を奪い取った。
「あっ! それはエルーニョ様の!」
カルネは従者を押しのけると、そのまま酒をぐいっと一口あおった。
この乱暴な行為に、周囲の男達が一斉に殺気立った。
カルネは全身の痛みと熱とで意識が朦朧としているのだろうか?
辺りに緊張感が漂う中、我関せずとばかりに、ゴクリと喉を鳴らして酒を飲み込んだ。
彼は口元を拭うと、地面に横たえられた死者へと振り返った。
「陣地に戻ったら、とっておきの酒をおごってくれるって約束だったよな。確かにお前が言ったように・・・うぐっ、俺なんかには勿体ない・・・じ、上等な酒・・・だった・・・ぜ。へへっ」
カルネは最後の力を振り絞って酒瓶に栓をすると、崩れるように膝をつき、震える手で遺体の横に酒瓶を置いた。
死者との約束を全て果たした男は、ここでようやく張り詰めていたものが切れたのだろう。
そのまま倒れ込むと意識を手放した。
周囲の兵士達は感情の持って行き場を失い、顔を見合わせて困惑している。
このタイミングで、カルネの行方を捜していた亜人達が現れた。
彼らによると、カルネはいつの間にかテントを抜け出していたのだという。
「本当は歩けるようなケガじゃないんだ。それなのに、まさかこんな場所まで来ているなんて」
カルネは、エルーニョとの約束を守る、ただそれだけのためにここに来たのは間違いない。
二人の間にどんな交流があったのかは、本人達にしか分からない。
しかし、カルネは重傷の我が身を顧みず、死者との約束を守る律義さと男気を見せた。
亜人は礼儀を知らない卑しい動物でもなければ、誇りを持たない汚らわしい獣でもない。
この出来事は、兵士達の間の亜人に対する認識を大きく変えるきっかけとなった。
亜人達は苦労してカルネの体を担ぐと去って行った。
この後、カルネは泥のように眠り続け、丸二日間、目を覚ます事はなかった。
結局、彼はエルーニョの墓に挨拶も出来ずにこの地を去る事になるのだが、それはまだほんの少し先の話となる。
次回「メス豚、相談を受ける」




