その164 メス豚と復讐鬼
遠くで、ブオー、ブオー、と、角笛が鳴らされると、次第に戦の喧噪が遠のいて行った。
敵の攻撃の終了である。
「・・・敵が後退したようですね」
ショタ坊がホッと安堵のため息を漏らした。
何だか一仕事終えたような空気を醸し出しているけど、お前は何もやってないからな。
弓矢一本放ってないから。完全なお客さんだったから。
その点私は大活躍だったかな。
”二つ矢”アッカムという強敵を仕留めたし、赤鎧の強そうな部隊を壊滅させたし。
赤鎧の方はともかく、”二つ矢”の方は死体の上半身を消し飛ばしてしまったから、自己申告になってしまうんだが。
とはいえ、目撃者も大勢いるから、私の手柄に異を唱える者もいないだろう。多分。
指揮官の元優男君が、難しそうな顔で竪堀を睨んでいる。
「結局、敵に大きな動きはありませんでしたね。一体何が狙いだったのか・・・。いや。考えていても仕方がないか。おい! 工兵を編成しろ! 今の間に敵が竪堀を埋めた箇所を掘り返すんだ!」
ああ、そういえばあったねえ、そんな話。
敵が土嚢を積んで竪堀に道を作っているとかなんとか。
撤去しようにも、”二つ矢”アッカムに邪魔されて、工兵がびびって作業にならないとかなんとか。
結局、敵は埋め立てた道を使わなかったから忘れてたわ。
ホント、何がしたかったのか。
まあ、結果的には”二つ矢”アッカムも排除出来た訳だし、埋め立てた跡も今のうちに片付けてしまえば問題ないだろう。
放置しておいてこちらにプラスになる事なんて、一つも無いだろうからな。
敵の後退と入れ替わるように、攻め込んでいた味方の兵士達が帰って来た。
全員汗まみれで土まみれ。全身まっ黄色の土人間の集団になっている。
「オスカル隊集合!」「バルトロ隊集まれ!」「ジョイウッド隊! 整列!」
あちこちから黄色集団が一斉に戻って来たもんだから、陣地では誰が誰やら分からなくなっているようだ。
指揮官が被害を調べるために点呼を行っている。
クロコパトラ小隊も副官のウンタ以外は攻撃に参加しているからな。
隊員の無事を確認しておかねば。
この時、私はふと視線を感じて振り返った。
外から戻って来た兵士が陣地の兵士に腕を引かれている。その兵士と目が合った。
兵士の目はゾッとするような殺気を発していた。
「お前、脇腹をやられているじゃないか。おい、コイツを先に診てやってくれ!」
やられているのは脇腹という話だが、顔も負傷しているのかもしれない。
兵士は口元を布で隠しているが、その布は血を吸って赤黒く染まっていた。
負傷して気が立っているのだろうか? その兵士は周囲が引く程の殺気を振りまきながら、治療のために奥へと連れられて行った。
私は何となく、その兵士の目が頭にこびりついて離れなかった。
副官のウンタがハッと目を見開いた。
「何? カルネが戻ってないだと?」
戦いから戻って来た小隊員は三十九人。行方不明は、隊長のカルネただ一人だった。
全員、大なり小なりケガはしているようだが、特に大きな負傷は無い様子だ。
後で人間の目の届かない所で、水母に治療をお願いしよう。
中には何か手柄を立てたのか、妙に雰囲気を持っている者達もいる。
何と言うか、夏休み明けに「あ、コイツ休み中に彼氏と出来ちゃったな」って伝わって来ちゃうあの感じ。ちょっと違うか。
私? 私は自分を大事にしてたから。安売りをしない女だったんですよ私は。
彼氏がいなかっただけとか言ってはいけない。
「俺達も止めたんだが・・・」
「人間の兵士と競り合っていて、後に引けなくなったみたいなんだ」
「・・・あのバカが」
おっと、関係ない事を考えている場合じゃない。今は行方不明のカルネの話をしている途中だ。
どうやらカルネは人間の騎士と手柄争いをしているうちに引き時を失い、敵を追って深入りしてしまったらしい。
彼がやられた所を見た者がいない事から、案外、陣地に戻れなくなっているだけで、どこかで無事でいる可能性もある。
「水母。あんたカルネがどこにいるか分からない?」
『流石に不可能』
だろうなあ。
水母は見た目こそピンククラゲ?だが、その体は高度な観測機器の集合体である。
今まで様々な場面でお役立ちしてくれた便利キャラだが、流石にこの広い戦場の中からピンポイントにカルネ一人を見付けるのは無理のようだ。
ここで指揮官の元優男君が我々の所へとやって来た。
「クロコパトラ女王。あなたの部下ですが、まだ戻っていませんか?」
カルネが功を競っていたという人間の騎士(エルーニョと言うらしい)。その騎士の部下の話によると、彼もまだ戻って来ていないんだそうだ。
「ひょっとして、そちらにエルーニョの行方を知っている者がいるのではないかと思ったのですが・・・」
「残念ながらこちらも手がかり無しじゃ。何か分かったら知らせようぞ」
「お願いします。こちらも何か分かり次第、お伝え致します」
――カルネめ。みんなに心配をかけおって。
帰って来たら平隊員に降格してやる。
私達がカルネの消息を知るのは、次の敵の攻撃が終わった後。今日の戦いが全て終わった後での事になるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
小隊員達と話し込むクロ子を、物陰からジッと見つめる男がいた。
先程クロ子に殺気を飛ばした、口元を布で隠した負傷兵。
そう。彼は敵兵に紛れて敵陣に乗り込んだ、”赤備えの騎士”ポルカであった。
彼の代名詞とも言える赤い鎧は戦場に捨てて来た。
今、身にまとっているのは、敵兵の死体から奪った粗末な装備である。
クロ子に部下を殺された復讐を誓うポルカは、危険を承知で単身敵陣に乗り込んで来たのだ。
攻撃と攻撃の間とあって、陣地は人で溢れて混乱している。おかげでポルカが潜り込んだ事もバレてはいない。
しかし、いつまでも騙しおおせるはずもない。
もしも誰かに違和感を覚えられれば、その時点で敵に囲まれてしまうのは間違いなかった。
(本当なら、女に生まれた事を後悔させながら、散々いたぶって殺してやりたい所だがよ・・・)
ポルカは女王クロコパトラの美貌を見つめた。
あの極上の女を痛めつけたい。整った美貌をメチャクチャにして、足元に屈服させたい。
そんな歪んだ嗜虐心がムクムクと頭を覗かせる。が――
(流石に今の体じゃ、まともな戦いにならねえ。悔しいが命だけ奪って逃げ出すとするぜ)
さしもの彼も、今の負傷した体で、単身敵地で大立ち回りを演じられるとは考えていなかった。
脇腹の傷は応急処置をされたものの、激しく動けばすぐに開いてしまうだろう。
口内の負傷の方は、今は麻痺していて何も感じない。
こちらは見た目こそ惨たらしいが、幸い深い傷ではなかったらしい。出血も止まっているようだ。
ポルカははやる気持ちを抑えながら、陣地の間取りを頭に叩き込んでいった。
(あれは本陣に向かう道か。上手い具合にこの位置からは死角になってやがる。よし。女を殺した後は、身を隠しながらあの道を上に向かうか。適当なところで斜面を駆け降り、味方の陣地を目指す。これでいいだろう)
方針は決まった。というよりも、敵陣で取れる手段はそう多くない。
ポルカは早速行動を開始した。
ポルカは物資の箱に近付くと、布の積まれた箱の中に携帯用の火口を放り込んだ。
布は使用後の包帯だったようだ。直ぐに血が焼ける生臭い匂と共に黒い煙が立ち上った。
「おい! 物資が燃えているぞ!」
「一体どこのどいつだ! こんな場所で火を使ったヤツは!」
「お前達! 一体何をやっている!」
火はボヤのうちに消し止められたが、ポルカの目的は火事を起こす事ではない。
騒ぎを起こして、この場所に人目を集めるのが目的だったのだ。
ポルカは気配を消すと、素早くクロ子の乗る駕籠へと走った。
(しめた! 護衛が離れてやがる!)
その光景を見た時、あまりの幸運に一瞬目を疑った。
最悪、ゴリ押しを覚悟していたが、亜人達は突然の騒ぎにすっかり注意を奪われているようだ。
クロ子の駕籠の周囲には護衛する者は誰もいなかった。
味方の陣地の中とは言え、緩み切っているにも程があるというものだ。
ポルカは信じられない程のチャンスに、血が沸き立つほどの興奮を覚えた。
(間違いねえ! コイツは死んだ部下達がくれたチャンスだ! テメエらの無念を晴らしてくれと、俺を導いてくれたに違いねえ!)
ポルカは興奮で手を震わせながら大型ナイフを引き抜いた。
どうする? どうやって殺す?
背後から羽交い絞めにして、喉を掻っ切る?
あるいは悲鳴を出せないように口を押えて、心臓にナイフを突き立てる?
(喉だ! 心臓を刺して即死なんてさせてたまるかよ! この女には少しでも苦しんで死んで貰わなきゃ、死んだ部下達が浮かばれねえ!)
ポルカは女の背後から手を伸ばした。
彼の隠形術は完璧だった。女は彼の接近に全く気が付いていない。
後、一メートルで手が届く。後数秒で復讐が達成される。
彼は女の黒髪の匂いを、生温かい血しぶきの匂いを、嗅いだ気がした。
次の瞬間――
ドンッ
「ふぁっ?」
ポルカはマヌケな声を漏らした。
彼の手は何か見えない壁のようなモノに遮られ、数十センチのところで女の背中には届いていなかった
確かに彼の隠形術は完璧だった。
クロ子は彼の接近に気が付いていなかった。
しかしクロ子の――クロコパトラ女王の膝の上のピンククラゲは、その高度なセンサーで彼の接近を察知していたのである。
ポルカは慌ててナイフを突き出したが、ナイフの先は水母の操る魔法障壁に阻まれて、クロコパトラの背中には届かなかった。
(バカな! バカな! 俺は一体何を見ているんだ! こんなデタラメがあるはずがねえ!)
激しく混乱するポルカ。
しかし、ここでタイムアップ。彼の命運は尽きてしまった。
クロコパトラは振り返ると、背後のポルカを――こちらにナイフを突き出した不審な兵士の姿を――見付けた。
「最も危険な銃弾」
不可視の空気の棘がポルカの眉間を貫通。頭蓋骨の内部で空気の塊が爆発、膨張。
圧迫された脳は圧力の逃げ場を求め、後頭部を突き破って外へと飛び出した。
こうして赤備えの騎士ポルカは、地面に脳漿をまき散らしながら部下の待つあの世へと旅立ったのだった。
もしもこの小説が気に入って貰えたなら、私の書いた他の小説もいかがでしょうか?
次回「メス豚と通り魔騒動」




