その151 ~燃える集積場~
◇◇◇◇◇◇◇◇
時刻は深夜。場所は大モルト軍によって物資集積場として使用されている村の中。
今は接収された村長の家の寝室で、中年男が不機嫌そうなうなり声を上げていた。
「・・・なんだ? 妙に外が騒がしいな」
男は面倒くさそうにベッドの上で寝返りを打った。
そのままシーツを口元まで手繰り寄せるが、シーツは男がこぼした酒を吸ってじっとりと湿っていた。
鼻を突く酒の匂いと不快な肌触りに、男は舌打ちをすると汚れたシーツを脇に押しやった。
四十絡みの中年男である。夜目にも金のかかった高価な部屋着である事が分かる。
それもそのはず。この男は大モルトの貴族家当主、しかも”執権”アレサンドロ公爵家の傍系、オルエンドロ家に連なる者なのである。
”執権”アレサンドロ家では、アレサンドロという家名は、直系である公爵家しか名乗る事を許されない。
そのため、アレサンドロの血族であっても、分家など傍系の家系では、”アレサンドロ”ではなく、”オルエンドロ”を名乗る慣習があった。
つまり、オルエンドロ家とは”執権”アレサンドロの領地内では、実質、最上級の名家に当たるのである。
もちろん、同じオルエンドロ家の中でも、家の格とも呼ぶべき序列が存在する。
ちなみに現在、イサロ王子を攻撃している迂回部隊の大将はカルミノ・オルエンドロ。
数あるオルエンドロ家でも、特に本家との血のつながりが濃い、有力な一族となる。
大都市”ハマス”を本拠地とする事から、”ハマス”オルエンドロ家とも呼ばれている。
対してこの中年男は、オルエンドロ家の中でもかなり末端に近い、領地も痩せた土地しか持たない、力の弱いオルエンドロ家の当主であった。
「くそっ! まだ騒ぎは収まらないのか。こんな時間に一体何をやっている」
闇の中、男は苛立ち紛れに頭を掻きむしった。
最近薄毛が気になる頭皮から、髪の毛が抜けるとハラハラと枕元に落ちた。
彼は大将であるカルミノから、直々に輜重部隊の警備を命じられていた――と言えば聞こえは良いが、実際は貧乏くじを引かされただけに過ぎない。
他の部隊が戦いで功績を上げ、都市での略奪に熱を上げている間も、彼と彼の部隊は後方の基地から前線までせっせと物資を送り続けていた。
「いやあ、アロルド城の攻略で私の部隊は三百人も犠牲を出してしまいましたよ」
「手ごわい相手でしたからなあ。私も虎の子の騎士団が一つ潰されてしまいました。将来を楽しみにしていた騎士団だったんですが」
「どこも苦労されていますな。安全な後方で物資を運搬しているだけの部隊が羨ましい」
「はっはっは。違いない。物資など敵から略奪すればこと足りるモノですからなあ」
まるでチンピラ同士の武勇伝自慢のようだが、これでも本陣の天幕に集まった有力貴族家当主の会話である。
「輜重部隊が運んで来た物資のおかげで戦えるのでは?」とか、「犠牲を自慢するのは自分の無能をひけらかしているのと同じでは?」等とは思ってはいけない。
勇敢に戦えば犠牲は出るのが当然だし、安全な後方にいるのは命を惜しむ臆病者だ。
おかしな理屈だが、決して彼らが当主として無能な訳ではない。
常日頃からアレサンドロ家同士が血で血を洗う修羅の国、大モルトにおいては、むしろ彼らの価値観の方が普通であり、正しいのである。
同僚からの心ない嘲り、そして戦で手柄を立てる機会を奪われた事で、男はすっかり腐ってしまった。
かと言って、あの”ハマス”オルエンドロに訴え出るような度胸も無い。
彼は家の格をまるでそのままその身で体現したような小物だったのだ。
結局、男は昼間から酒におぼれ、誰かれ構わず当たり散らすようになっていた。
部隊の規範は緩み、勝手に隊を離れて周囲の村々に略奪に出かける者達は後を絶たなかった。
一部の真面目な部隊が任務を続けていたため、未だに大きな問題となってはいなかったが、もしも彼らの存在がなければ、当主は地べたに額を擦りつけながら、本陣の天幕で釈明しなければならなくなっていただろう。
「ええい! いい加減にせんか!」
いつまで経っても収まらない外の騒ぎに、遂に男の苛立ちはピークに達した。
男は手探りでテーブルの上のロウソクに明かりを付けると、飲みかけのまま置いていた酒の残りをあおった。
彼はベッドから降りると、ふと目に付いた乗馬用の鞭を手に取った。
何に使うつもりなのかは言うまでもないだろう。
男はイライラと手の中で鞭をしごきながら、蹴破るようにドアを開けた。
時間は深夜。月の無い闇夜は明かりが無くては歩けない。はずである。
しかし今は、赤々と照らし出された村の中、守備隊の兵士達が大慌てで右往左往しているのが見える。
なぜか?
その理由は彼らの向かう先、村の広場にあった。
そこにあるのは山と積まれた物資。
今、その物資は炎に包まれて燃え上がっていた。
「な・・・そんなバカな」
そんな、も、バカな、もない。
物資は、いや、ついさっきまで物資だったモノは、今や紅蓮の炎に包まれ、黒々とした煙を天に向かって噴き上げている。
一部の兵士達が懸命に砂をかけて消火しようとしているが、炎の勢いは一向に衰える気配が無い。
男は手近な騎士を捕まえて怒鳴った。
「おい! 何があった?!」
騎士は一瞬怯えたような目を向けたが、相手が自分達の当主と知って慌てて居住まいを正した。
「しゅ、襲撃です! 敵の襲撃がありました!」
「襲撃だと?!」
「はっ! 敵は暗闇に乗じて我々に襲い掛かり、物資に火をつけるとたちまち逃げ出しました!」
騎士が怯えていた理由は分かった。敵襲を受けて不安になっていた所に大声で怒鳴られたためだろう。
「それで、敵の追撃は行ったのか?!」
男の言葉に騎士は首を横に振って答えた。
「いえ。その、火を消し止めるのを最優先と考えましたので」
「バカめが! 敵に襲撃されてそのままにしておいたのか!」
敵をみすみす逃がしたとあっては、彼の面目は丸つぶれである。
今回の戦で功績を上げた他家との差は、取り返しがつかない所まで開いてしまうだろう。
それどろか、名門オルエンドロ家の面子を潰したとして、戦後に一族から激しく糾弾されるのは間違いない。
どうして俺がこんな目に。
絶望に男の酔いは一気に醒め、顔からはサッと血の気が引いた。
「追撃の部隊を編成しろ! 急げ!」
「しかし、それではこの火を消し止める者がいなくなります!」
男は理不尽な怒りに駆られるが、これは部下を放置していた彼が悪い。
彼は知らない事だが、現在、この村に残っている部隊の人数は百人にも満たない。
けが人を後方へ送っている者達もいるが、ほとんどの者は略奪のためにあちこちに散っているのである。
中には武勲を立てるために伝手を頼って、勝手に前線の部隊に潜り込んでいる者達すらいた。
怒りに男の額に青筋が立った。
男が鞭を振り上げ、騎士を怒鳴りつけようとした、その瞬間だった。
パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!
大きな破裂音が連続で鳴り響いた。
「なんだ?!」
驚いて立ち尽くす男。
彼は突然の事に頭が真っ白になってしまった。
そして男は頭を真っ白にしたまま、顔面を破裂させて死んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
私は良く目立つ位置で立ち止まっていた中年男を狙い撃った。
夜目にも分かる派手な服。おそらくこの部隊の指揮官か何かだろう。
つまりはお偉いさんである。
『最も危険な銃弾!』
パンッ!
小さな破裂音と共に、中年男の顔面が爆ぜた。
手応え十分。おそらく即死に違いない。
糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる中年男。その手から鞭がこぼれ落ちて地面に転がる。
鞭とはこれまた何ともロマン装備だな。
すっかり浮足立った敵兵は、組織だって抵抗する事は出来ないようだ。
もっとも落ち着いた所で、この闇の中、影から影へと素早く移動する私を捉えるのは難しいだろうがな。
そう。今の私はクロ子美女ボディーを脱ぎ捨て、黒豚クロ子となって襲撃部隊に加わっていた。
勿論、ショタ坊達にはないしょで、だ。
彼らにはクロコパトラ女王は、後方で襲撃を見守っていると言ってある。
今回の主役はショタ坊達と、カルネ達クロコパトラ小隊なのだ。
日が残っているうちに村を見渡せる山に到着した私達は、ショタ坊の指示で夜までじっくりと敵の警備体制を観察する事にした。
そこで判明したのは、なぜか敵は物資集積場にロクな数の守備隊を配置していない、という事だった。
そんな事ってあり得るのか?
ちょっと敵が何を考えているのか判断に困る所だが、だからといって見逃してやるという手は無い。我々にとってこれ以上無いほどおいしい状況だからである。
確かに、敵の動きが不気味といえば不気味だが、ここは、「たまたまラッキーだった」と思っておく事にした。
ショタ坊は私に、「この場所から敵の物資を焼く事が出来ますか?」と尋ねた。
出来るかどうかで言えば、もう少し近付けば可能だが、私は「出来んな」と否定した。
なんとなく、ショタ坊が私の能力の上限を探っているように感じたからだ。
いくら同盟相手とはいえ、手の内を全て明かす必要は無いだろう。いやまあ、私の考え過ぎかもしれんが。
それに、出来るからといって全てを私がやっていては、小隊員達が成長する機会を奪ってしまう。
これから王子軍に合流すれば、否が応もなく大軍vs大軍の戦いに組み込まれるだろう。
出来ればその前に、彼らにも一度戦いというものを経験させておきたかった。
といった私の意見が通り、襲撃には私と私の護衛のウンタを除く、クロコパトラ小隊全員が参加する事が決まった。
ショタ坊達の方からはショタ坊を含む全員が出る。
そう考えると私だけサボっているようだが、それは違うのだよ。
私はクロコパトラボディーから抜け出して、裏からコッソリと小隊員達をフォローする事にしたのだ。
「そうするとウンタだけが居残りだな!」
「・・・うるさい」
なぜか嬉しそうに絡んで来るカルネに対し、ウンタはウザそうに顔をそむけた。
まあまあ。クロコパトラボディーを守ってくれる役目はどうしても必要なんだからさ。
『不可解』
そういえばピンククラゲ水母も留守番だった。
これは、いざという時に、ウンタだけでは手が足りないだろうと思ったからだ。
最悪、クロコパトラボディーを破棄しなければならなくなった時にも、水母なら上手い具合に処理してくれるだろう。
「という訳だから。いざという時にはよろしくね、水母」
『釈然としない』
そんなこんなで夜も更けた時点で襲撃開始。
打ち合わせ通り、小隊員の圧縮の魔法に紛れて、私の最も危険な銃弾で援護を続けた。
これでショタ坊達からは小隊員が魔法で敵を倒しているように見える、という寸法である。
結論から言うと、この夜、我々は敵の輜重部隊を襲撃。見事に敵の物資を焼き払う事に成功した。
その後、我々は念のために再度突撃し、その際にはこの部隊の指揮官と思わしき人物を討ち取った。
少人数でありながら、敵の物資集積場のひとつを潰し、敵部隊の指揮官も討ち取った。
クロコパトラ小隊の初陣は大金星と言ってもいいだろう。
次回「カルミノ・オルエンドロ」




