その13 メス豚は戦場を目指す
村の中が慌ただしい。
いよいよ王子軍が動き出したのだ。
たかだか数千の軍とはいえ、されど数千人。
当然それだけの人間が同時に動くなんてことは出来ない。
順番を決めて行軍する事になるのだが、こいつが案外時間がかかる。
そりゃそうだ。
確かウチの高校は全校生徒は千人に満たなかったはずだけど、それでも全校集会の時は体育館の出入りにそれなりに時間がかかっていた。
高校の話をされてもピンと来ないって? そんな人でも、一度くらいはTVで高校野球の甲子園大会の入場行進を見た事はあるだろう。
あれって確か一チームベンチ入り選手18人、旗を持っている人とプラガールの女の子も合わせると一高校当たり計20人。
それが49校分で合計で980人だ。
選手は三列になって行進しているとはいえ、全員の入場が終わるまでには結構な時間がかかった記憶はないだろうか?
高々千人弱の行進ですらそうなのだ。
人間の移動というのは時間を取られるものなのである。
そんな村のざわめきを私はぼんやりと眺めていた。
果たしてショタ坊は無事に戻って来る事が出来るだろうか?
普通に考えれば”勝ち確”のこの戦。人工として連れて行かれる村人は、最も安全な軍の後方に配置されるのは間違いない。
余程運が悪くない限り危険は無いだろう。多分。
だが、果たしてそうだろうか?
私はこの戦はどうも不穏な予感がしてならない。
さらに言えばショタ坊は、日頃から何かと貧乏くじを引かされるタイプだ。
例の女の子ちゃんに好かれている所からもそれが分かる。
だってあの子ってどう見てもプチ地雷ちゃんじゃない?
ショタ坊将来絶対に苦労すると思うわ。
メス豚のお前に言われたくないって? ブヒッ。うっさいわ。
まあ女の子ちゃんはともかく。もし軍が壊走するなんて事態にでもなったら、体格で劣るショタ坊はどうしたってみんなから取り残される可能性が高いだろう。
ショタ坊は兵士ですらないただの軍属だ。
もしも敵に捕まったら、わざわざ連れて帰るのも面倒なだけなのでその場でバッサリ。なんて事にもなりかねない。というか多分そうなる。
・・・
あかん。悪い方にしか考えがいかないわ。
ショタ坊には命を救われた恩がある。
彼はお婆さん達を喜ばせようと大事に育てていた魚を、私の命と引き換えに王子様に差し出してくれた。
とんだ甘ちゃんだ。私らはガチムチの財産であって、ショタ坊にとって身銭を切ってまで得る物は何一つ無いのだから。
でも、だからこそ私は――命を救われた事を知る私だけは、ショタ坊の厚意を忘れてはいけないと思うのだ。
恩には恩で報いる。
何の因果か今生の私は獣なんぞに転生してしまったが、心は今でも人間のつもりだ。
そして私がこれからも心は人間であると言い続けるのなら、誇りを失うような生き方だけはしてはいけない。
もしも私のイヤな予感が当たるならば、ショタ坊は無事にこの村に帰って来る事は出来無いだろう。
しかし、逆に考えるなら、これは受けた恩を返す絶好の機会ともいえるのではないだろうか?
一飯千金という言葉がある。
「国士無双」と名高い武将の韓信がまだ若かった頃の話だ。
若き日の韓信がお腹を空かせて川で釣りをしていると、その姿を見かねた老婆がご飯を食べさせてくれた。
韓信は喜んで「いつか必ずこの恩を返します」と言うと、老婆は「私はアンタを哀れんで食事をあげたんだ。恩返しなど望んでいないよ」と言って怒ったんだそうだ。
後に韓信は出世して王になると、その時の老婆を捜し出して千金を与えたという。
ショタ坊もこの老婆と一緒で、見返りを期待しての行動では無かったんだろう。
ならば私は韓信になろう。
豚の身で千金は無理だが、もしも命の危険がショタ坊を襲うというのなら、私は彼を守る事で命を救われた恩を返そうじゃないか。
仮に危険が無かったのならその時はその時。
次のチャンスを待つ事にしよう。そうしよう。
心は決まった。
そうと決まればこうしてはいられない。
私は夜に備えて昼寝をするために、いそいそと寝床に戻るのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ルベリオは支給された粗末なテントの中で目を覚ました。
テントと言っても辛うじて雨露をしのげる程度のもので、彼らは地面に直接毛布を敷いて寝ていた。
彼ら、というのは同じ村から来た村人の事で、狭いテントの中ではルベリオの他にも二人の男が今もイビキをかいていた。
ここはイサロ王子の軍の陣地だ。まだ外は薄暗い。
昨日は行軍に陣地の設置にと、彼らは慣れない作業の連続に疲れ果て、自由になった途端に倒れ込むように横になった。
同じテントの二人は今も泥のように眠っている。
なぜ自分だけこんな時間に目が覚めてしまったんだろう?
ルベリオはボンヤリとした頭で自分の腹の上に乗る重たい塊を押しのけた。
塊?
黒い塊はもぞもぞと動くと「ブヒッ」と鳴いた。
ルベリオはその生き物に見覚えがあった。というより村長の家で毎日彼らの世話をしていた。
それは丸々と太った可愛らしい黒い獣――彼がクロ子と名付けた子豚だった。
「んなっ?!」
思わず漏らしたルベリオの声に、テントの二人のイビキが止まった。
ルベリオはハッとすると、これ以上騒いで二人を起こさないように子豚を抱えてテントからはい出した。
雲一つない空にはまだチラホラと星が残るものの、東から薄っすらと白みかけている。
放射冷却現象による早朝の冷気がルベリオの肺を刺激した。
周囲にはビッシリとテントが立ち並び、所々からイビキが洩れている。
ルベリオはクロ子を抱くと、朝露に靴を濡らしながら足早に陣地の端に向かった。
ようやくテントの集団から抜け出すと、ルベリオはクロ子を地面に下した。
クロ子はブヒブヒと地面を嗅ぎまわり始めた。
「お前・・・ 僕に付いて来ちゃったのか。まいったなあ」
ルベリオはため息をつくと大きく天を仰いだ。
「ロックが柵の扉を閉め忘れたのかも。けど、よりによってなんで僕の所に来るかな」
ルベリオは村長の息子がいい加減な仕事をしたせいでクロ子が脱柵したと思っているようだ。
もちろん違う。
クロ子は村が寝静まるのを待って、いつものように魔法で土の橋を作って柵を越えたのである。
疑われたロックには気の毒だが、日頃の彼を知る者なら自業自得と思った事だろう。
ルベリオはその場にしゃがむと、夢中になってドングリを探しているクロ子を見つめた。
「良いかクロ子、僕は殿下の軍と一緒に戦に行かないといけないんだ。誰かに見つかる前に早く村に帰りな――って、僕は子豚を相手に何を言っているんだろうな」
ルベリオは自分の言葉に頭を抱えてしまった。
言って聞くなら世話はない。かと言って彼に出来る事は何も無かった。
「いいか? 絶対に付いて来ちゃダメだからな。分かったな?」
ルベリオは子豚相手に念を押すと急いでテントに戻って行った。
クロ子は大人しくジッと座ったままでいた。
その姿にルベリオは後ろ髪を引かれつつも、子豚の思わぬ聞き分けの良さに少しだけホッとするのだった。
「輜重部隊、出発するぞ! 自分達の荷物を持って荷車の後ろに並べ!」
慌ただしく朝食を終えると行軍の開始である。
軍隊は早飯早グソ。何をするにも迅速な行動が求められるのだ。
テントを片付け終えたルベリオ達は、めいめいが自分の荷物を置いた場所に向かった。
ルベリオも自分の荷物を手にしようとして、そこに見慣れた黒い塊を見つけた。
「ブヒッ」
「クロ子?! お前何でここにいるんだよ?!」
ルベリオの荷物の前にチョコンと座っているのは、今朝別れたばかりのクロ子だった。
「おい、貴様何だその豚は?!」
「あ、いえ、これは、その・・・」
たまたま周囲を巡回していた走竜に乗った騎士が、ルベリオを見とがめた。
”走竜”とはクロ子が”恐竜ちゃん”と呼ぶ小ぶりな竜の事で、魔法が使える戦力として騎士団の隊長クラスに配備され、重宝されていた。
「ブヒッ」
「ギョエッ」
「むっ。どうした?」
突然、彼の騎乗した走竜が立ち止まると、「ブヒッ、ブヒヒ」「ギョエッ、ギョエッ」と豚を相手に鳴き声を交わし始めた。
その姿はまるで会話を交わしているようにも見えた。
「おい、いい加減にしろ!」
慌てた騎士が手綱を引くが、走竜は一歩も動かない。
やがて子豚が走竜にトコトコと歩み寄ると、竜は前足でチョコンと子豚を抱え上げた。
「・・・ちょっと待て。何をしている」
「・・・・・・」
騎士とルベリオの間に何とも言えない微妙な沈黙が落ちた。
「隊長! こちらの出発が遅れていると他班から問い合わせがありました! 何かあったんですか?!」
馬に跨った別の騎士が男に声を掛けて来た。
隊長と呼ばれた男は「何でもない!」と怒鳴るとそのまま走り去って行った。
どうやら彼は何も見なかった事にするつもりのようである。
「あっ・・・ クロ子?!」
結局クロ子は走竜に抱きかかえられたまま、ルベリオの前から去って行ってしまった。
ルベリオは何とも言えない微妙な気持ちのまま騎士の背中を見送るのだった。
その後、行軍の休憩時間の度にクロ子は何事も無かったかのようにルベリオの前に顔を出す事になる。
どうやらクロ子と走竜の間で何か約束事が交わされたようなのだが、詳しい事情をルベリオが知る事は無かった。




