その134 メス豚とアハ体験
クロ子式新兵訓練もいよいよ大詰め。
私は新兵達にとって必須の魔法を教える事にした。
それは圧縮の魔法。
これは”周囲の空気を圧縮するという効果を持つ”魔法だ。
しかし、新兵達は誰もその魔法が使えなかった。
なぜなら学校教育を受けていない彼らは、”自分達の周りには目に見えない空気という物がある”、という事を理解出来なかったのだ。
まあ、空気なんてあって当たり前。今まで意識した事もなかったのだろう。
彼らは「見えないし触れない物を圧縮しろと言われても出来ない」と言う。
そこで私は閃いた。見えないなら見えるようにすればいいじゃないか。
簡単な理科の実験の開始である。
というわけで、やって来ました、かつて角ペリカンがいた部屋。
流石に一度に四十人も入ると狭苦しくて仕方がない。男ばかりのむさくるしい絵面だのお。
この部屋は部屋の奥、三分の一ほどが小さなプールになっている。
以前、私が魔力増幅装置の手術を受けた後に散々魔法を試し打ちしたため、あちこち大きく抉れて無残な姿を晒している。
水母、まだ直してなかったんだ。
あれ以来使用していなかったみたいだし、修理は後回しにしていたのかもな。
『水母、よろしく』
『了解』
ピンククラゲ水母の触手が空中を操作すると、壁の窪みからコロコロと円柱が転がり落ちた。
水母の触手がスルスルと伸びると、円柱を持ち上げる。
円柱は巻かれた布だ。
水母は触手を使って、程よい大きさにカットした。
『その布を持って水に入って』
「「「「「イエッサー!」」」」」
布の枚数は10枚。全員の分はないので、余った者達は見学である。
ていうか、全員入れる程プールは広くないから。
水の深さは新兵達の脛まで。
彼らは布を持って二列に並んだ。
『布を水の上に浮かべて頂戴。そうそう。浮かんだら中に手を入れて膨らませて。違う、水の中から布の下から両手を突っ込んで。その状態で手を広げるようにして。そうそう。そこで手を抜いても――ほら、布は膨らんだままでしょ』
新兵達の「だから何?」といった視線が私に突き刺さった。
彼らの目の前の布は、真ん中がおまんじゅうのようにポッコリと膨らんでいる。
そして彼らは全員水の中に座り込んでいる。そうしないと布の下から手を入れられなかったからだ。
その時、小柄な亜人ウンタがハッと目を見開いた。
「そうか。これがクロ子の言っていた”空気”なのか」
そういう事。
私が彼らに作らせたもの。それは”タオルくらげ”だ。
お風呂で誰もが一度は作ったことがあるだろう。濡れたタオルの中に空気を閉じ込めて、ぷっくらと膨らませるアレである。
ちなみに我が家では”ぶくぶく”と呼んでいた。タオルを絞るようにしてお風呂に沈めるとブクブクと泡が出るからである。
「空気――これが空気だったのか」
「確かに見た事があるが、これって空気だったんだな。今まで考えた事も無かった」
「ああ。言われてみればそうだよな。何かがあるからこんな風に膨らんだままになる訳だし」
極簡単な実験だったが、見学組もみんな納得している様子だ。
こういうのってなんて言うんだっけ? アハ体験?
いままで認識していなかったモノを瞬間的に理解するあの感覚。
「ああ、そうだったんだ」「何で今まで気付かなかったんだ」って頭がスッキリするあの感じ。
こういった人間の心理っていうのは、異世界でも変わらないものなんだな。
知的興奮に沸き返る新兵達。
彼らにとっては中々経験できない新鮮な驚きだったのだろう。
そんな中、一人ウンタだけは真剣な顔でタオルくらげを見つめていた。
彼は手の平をタオルくらげにかざすと、何かを探るような様子を見せた。
「圧縮」
その瞬間。彼の目の前の布が真ん中からキュッと縮むと、パチンと何かが弾けるような音がした。
てか今のって――
「出来た――。これが圧縮という魔法か」
ウンタの言葉に周囲の男達が一斉に声を上げた。
「おい、ウンタ! お前今、何をやったんだ?!」
「さっきの音は何だったんだ?!」
「お前の方から何かを感じたんだが、あれってお前がやったのか?!」
ふむ。最後の男はウンタの魔法の発動を感じ取ったようだな。
魔法を使える生物は、他者が使った魔法の発動も感じ取る事が出来る。
私が魔法の存在を知るきっかけになったのも、恐竜ちゃんの発動した成造の魔法を感じたのが最初だった。
ただし、亜人は人間と違って魔法が使えるものの、脳内にある魔力を司る器官”魔核”が未発達である。
そのため、彼らは魔法を検知する能力が低い。
私が近くで魔法を使っても、誰も気付かない程である。
さっきの男は、魔力増幅装置によって魔核の機能が増幅された結果、ウンタの使った魔法を感じ取れたみたいだ。
魔法に対する感覚が鋭いのかもしれない。一応、顔を覚えておこうか。
私がそんな事を考えている間に、ウンタは詰め寄る仲間を手で押しとどめていた。
「待ってくれ。少し離れてくれ。もう一度試してみたい。――よし。・・・(すうっ)圧縮」
パチン
「「「「「おおおっ!」」」」」
何かが弾けるような音と共に、布は中心から絞られたようになった。
「何だ?! どうやったんだ?!」
「空気だ。この布の中には空気が入っている。だから布を両手で押し縮めるようなイメージで魔法を発動させてみた。そうしたら上手く出来たんだ」
「布を両手で・・・ちょっとやってみる!」
「両手で・・・ダメだ。両手じゃないのか?」
「この中には空気が詰まっている。空気が詰まっている・・・」
新兵達はそれぞれ自分のタオルくらげに戻ると、試行錯誤を開始した。
見学組もソワソワして自分達も加わりたそうにしている。
みんな新しいおもちゃを手に入れた子供みたいだ。
パチン。パチン
あちこちで空気が弾ける音が続いた。
「で、出来たぞ! やった! ははっ! そういう事か!」
「ああ。分かってみればなんてことないぜ」
「くそっ! もうちょっとなんだ! 手が届きそうで届かねえ!」
「この中には空気が詰まっている。空気が詰まっている・・・」
早くも成功させた男達が、嬉しそうに肩を叩き合っている。
ウンタは感覚を忘れないように、繰り返し魔法を発動させている。
あっ。そんなに魔法を使ったら・・・
「うっ・・・うぐぐっ」
ああ、言わんこっちゃない。
ウンタは口元を押さえながら水の中に手をついた。
魔法というのはメチャクチャ疲れるのだ。
こんなに便利なものでありながら、亜人は誰も魔法を使っていないのがその証拠である。
ぶっちゃけ魔法を使うより、手でやった方がはるかに楽で作業量をこなせるのだ。
ウンタは青白い顔をして吐きそうになっている。
気持ちは分かる。魔法の使い過ぎだ。
彼は今、乗り物酔いを何倍もキツくしたような強い疲労感に襲われているのだろう。
あれって苦しいよな。
ちなみに私は特訓の末、あの段階からもう一段階次の状態になるまで魔法が使えるようになっている。
とはいえ、流石にそんな限界突破状態は体にかかる負担が馬鹿にならない。
実戦でその状態になったのは、倉庫の火事を消そうとした時と、アマディ・ロスディオ法王国の外道騎士団共と戦った時くらいだ。
ろくに魔法を鍛えていないウンタは、最初の段階までが限界だろう。
ウンタは仲間に体を支えられながら水の中から上がった。
彼のいた場所には、見学組から別の男がちゃっかり入り込んでいる。
男達は顔を真っ赤にしながらウンウン唸っているが、そんなやり方では魔法は発動しないと思うぞ。
やはり魔法の発動も、運動神経の善し悪しならぬ、魔法神経の善し悪しがあるみたいだ。
早速成功させている者もいれば、ずっと出来ずに焦っている者もいる。
ウンタは乾いた床に倒れ込んだ。
彼は悔しそうに呟いた。
「もう少しで掴めそうだったのに・・・」
そう? 上手くやれてたじゃん。
後で知った事だが、ウンタは次の段階――タオルくらげを使わずに、何も無い空間に圧縮の魔法を使う段階――を見据えていたようだ。
つまり、仲間よりも一足先に、タオルくらげという補助輪を外して実戦で魔法を使う事を想定し、そのための訓練を開始していたのだ。
しかし、その矢先、彼の魔力は限界を迎えてしまった。
ウンタには悪いけど、いくら水母の魔力増幅装置で底上げしていると言っても、亜人はそもそもショボイ魔法しか使えない。
ショボイのを底上げして、かろうじて使用に耐えうる所まで引き上げているのだ。
ショボイショボイと、随分と上から目線だって?
私はホラ。ナチュラルボーンマスター・クロ子ですし。
魔力増幅装置ですら私の魔法に耐え切れずに、四本直結して負荷を分散しているくらいですし。
前人類の英知の結晶であるスーパーコンピューターも、私の才能に惚れ込んで(またとない実験動物と認めて)付いて来ているくらいですし。
ブヒヒのヒ。
私がコッソリ、鼻高々になっている間にも、新兵達の練習は続いていた。
出来た者からどんどん入れ替わり、出来た者も手ごたえを忘れないために、再びタオルくらげに挑んだ。
ていうか、やる気溢れる男の熱気でうっとおしいんですけど。
ひといきれで息が詰まるんですけど。
『・・・ねえ水母。この部屋より広くてこの練習に適した部屋って他に無いの?』
『存在する』
あるんかーい!
だったら何で私は、むさくるしいのをずっと我慢してたんだよ!
ああそうだよ! 水母に何も聞かずに、この部屋を選んだ私が悪かったんだよ!
私は早速、新兵達を集めると、水母の案内で別の部屋へと移動した。
そこはさっきの倍の広さで、半数ずつプールで練習出来る部屋だった。
ここから先の練習は快適そのものだった。
こうして新兵達はその日のうちに、全員がタオルくらげ相手に圧縮の魔法が使えるようになったのだった。
次回「ブラマニ川の戦い・前編」




