その132 メス豚とハイポート
クロ子式新兵訓練も本日で六日目。
私の前に並んでいるのは、額に角を生やした亜人の若者達。
今日からはいよいよ施設の外での訓練である。
私は新兵達に、事前に水母に用意してもらっていた背嚢を背負うように命令した。
「「「「「サー! イエッサー!」」」」」
キビキビとした動きで、素早く背嚢を背負う新兵達。
初日の姿とは雲泥の差だ。
彼らの成長ぶりに、私は心の中で密かにうれし涙を流した。
『今日のお前達への訓練は”ハイポート”だ! どうだ?! 嬉しいか?!』
「「「「「サー! イエッサー!」」」」」
『そうか嬉しいか! 本当に嬉しいんだな?!』
「「「「「サー! イエッサー!」」」」」
『良く言った! ならば付いて来い!』
はっはっは。この欲しがり屋さんめ。
いい感じに私のやる気に火をつけてくれるじゃないか。
よかろう。今日も楽しい訓練としゃれこもうじゃないか。ヒャッハー!
私は新兵共を連れて、水母の施設の外へと出るのだった。
六日ぶりの(角手術を受けた者達にとっては九日ぶりの)外の光!
――まあ、私は毎日、訓練を終えた後は村に帰っていたんだけどな。
お前だけズルいって?
これは新兵達のための訓練だから。私のための訓練じゃないから。
『全体止まれ! 鬼教官、お願い』
『鬼教官、否定。私の名称は水母』
最近すっかり鬼教官っぷりが板について来た鬼教官が、私に頼まれて触手を伸ばした。
スパン!
適当な木の枝が彼の触手によって切り飛ばされた。
おおう。スゴイ切れ味だな。なんだか背筋がゾクッとしたわ。
・・・別に怒ってる訳じゃないよね?
『怒る、意味不明。私は感情を持たない』
おおっ。感情を持たないって設定はいいね。何やら中二キャラっぽくて萌えるぜ。
いやまあ、水母の本体はコンピューターだから、感情が無くても別におかしくはないんだけど。
あれ? でも水母って、結構イラついたりご機嫌だったりしていない? 私の目にそう見えているだけ?
鬼教官は木の枝を地面に立てると、支えていた触手を離した。
パタン。
棒は私から見て右斜め前へと倒れた。山の上に向かう方向だ。
『この方向にひたすら真っ直ぐ駆け足だ! 途中に何があっても止まる事も迂回する事も許さん! 分かったな?!』
「「「「「サー! イエッサー!」」」」」
これぞクロ子式新兵訓練・特別ハイポート。その名も”直進行軍”!
最初に棒を倒し、倒れた方角に向かってひたすら直進する。
例え障害物があっても迂回することは許されない。
崖があれば崖を乗り越え、谷があれば谷を渡る。
男子たるもの、曲がることは許されないのである!
自衛隊のハイポートはそんなのじゃないって? 細けえこたぁいいんだよ。
『それでは直進行軍、開始ぃ!』
「「「「「サー! イエッサー!」」」」」
ノリで始めた直進行軍式ハイポートだったが、想像以上の難物だった。
時に大きな岩を乗り越え、時に膝まで冷たい水に浸かって沢を渡り、我々はひたすら駆け足を続けた。
ていうか、障害物の頻度が半端ないんだけど。
鬼教官。あんたわざとこのコースを選んだんじゃない?
『故意、否定。偶然』
それにしては、障害が厳しいような。
ひょっとして水母の正体は、意思の芽生えた人工知能で、自然を破壊する人類を滅ぼそうとしたためにあの岩山に封印された、とかじゃないよね?
長い年月の間にすっかり忘れていたけど、鬼教官になって人間の苦しむ姿を見ているうちに、忘れていたかつての記憶を思い出したとかなんとか。
『全く意味不明。理解不可能』
おっと、退屈のあまり、つい妄想が口をついて出ていたようだ。
いやね。今も苦しそうに走っているみんなには悪いけど、風の鎧の魔法で身体強化した私にとっては、この程度の行軍は散歩にもならないんだわ。
こんな下らない事でも考えていないと、ついつい、文字通りに道草を食いたくなってしまうというか、美食の追及に心惹かれてしまうのよ。
かといって魔法を使わないと置いて行かれちゃうし。
ホラ私って体の小さな子豚だから。
私は正面に現れた五m程の崖をヒラリと駆け上った。
このくらい軽い軽い。
新兵達はヒイヒイ言いながら崖をよじ登っている。
全員汗まみれに泥だらけ、草の汁やら葉っぱやらで、全身迷彩服を着込んだようになっている。
今ならそこらに転がれば、史上最強のスナイパー”白い死神”シモ・ヘイヘだって彼らを見付ける事は出来ないだろう。
『足並みが乱れているぞ! 歩調ー! 数え!』
私の掛け声に、私のすぐ後ろを走る小柄な亜人の青年、ウンタがかすれた声を出した。
「いち、いち、い――」
『声が小さい!』
「い・・・いち、いち、いちにい! いち、いち、いちにい!」
やけくそ気味のウンタの掛け声で新兵達の足並みが揃った。
彼は私がちゃんと名前を覚えている数少ない亜人の村人だ。最初に私の部下に志願して来た男でもある。
そのためだろうか。今は自然と全員のリーダーの立場になっている。
同じような立ち位置に大柄な男、カルネもいるが、こっちはリーダーというよりも、みんなの兄貴分といった感じだ。
ふむ。ウンタは私の副官、カルネは第一分隊の隊長を任せて、第一分隊は親衛隊的な立ち位置にしてもいいかな。
つまりは、組織の頂点は私、女王クロコパトラ。その下に副官のウンタ。同列に第一分隊を率いるカルネ。この三角形を組織の中心、司令部として、第二分隊以下をその下に編成する。
うん。悪くない感じだ。
『クロ子、クロ子』
『ん? どうしたの水母――って、あ』
どうやら考え事をしているうちに、知らず知らずのうちに走るペースが上がっていたようだ。
私の遥か後方で、新兵達が死にそうな顔をしながら追いつこうと必死に走っているのが見える。
あちゃあ。悪い事をしたなあ。
『鬼教官』
『・・・なにそれ。ひょっとしてさっきの意趣返しのつもり?』
あんたやっぱり感情あるんじゃないの?
私の背中で、ピンククラゲが誤魔化すようにフルリと震えた。
丁度程良い時間だったので、ここで休憩を取る事にした。
さっきのダッシュは休憩前のラストスパートという事にしておこう。誰かに聞かれたらそう言って誤魔化そう。そう決めた。
「ぜえ・・・ぜえ・・・ぜえ・・・」
「はあ・・・はあ・・・はあ・・・」
全員ぶっ倒れて荒い息を吐くだけで、誰も一言も言葉を発しない。
そもそもさっきのダッシュを疑問に思うような、精神的な余裕もない様子だ。
・・・・・・。
結果オーライかな。
ガサガサと茂みが揺れると、アホ毛犬とブチ犬が姿を現した。
「ワンワン! ワンワン!」
『黒豚の姐さん。何かあったんですか?』
嬉しそうに私に鼻面を押し付けて来るアホ毛犬はコマ。
私に尋ねて来たブチ犬は、コマのパパで野犬の群れのまとめ役、マサさんだ。
どうやらマサさんは、私が大勢亜人の男達を率いているのを見て、村に何かあったのか警戒しているみたいだ。
『そういうのじゃないの。マサさんにも紹介しておくわ。彼らは私の部下になったから。今後、額に角の生えた亜人の村人は私の部下と思って頂戴』
『? 亜人は元々姐さんの群れじゃなかったんですか?』
マサさんは不思議そうに小首をかしげた。
ああ。マサさんにとって亜人の村人ってそういう認識だったのね。
『違う違う。亜人の村人の――群れのリーダーはモーナよ。私が良く話をしている亜人の女の子がいるでしょ? あの子よ』
『すると、姐さんはあの亜人のリーダーの下に付いていたんですか?』
マサさんは重ねて尋ねて来た。亜人の村の中での自分達の立ち位置が気になるのだろう。
『う~ん。下じゃないかな。協力関係だから同列?』
『しかし、この亜人達は亜人の群れから離れて、姐さんの群れになるんですよね? 協力している群れから奪ったんですか? それはマズくないですか?』
ああうん。ちょっと説明がし辛いかなあ。ていうか、その表現だと私が下衆過ぎやしないかね?
『まあその辺はおいおい説明していくから。今は彼らが私の新しい群れの一員になったという事だけ知っといて』
『――分かりました』
マサさんは少し不満そうに頷いた。
私が新しい群れを作ると聞いて、心中穏やかではいられないのかもしれない。
犬って序列を気にするからね。
コマは倒れた新兵達の匂いを嗅ぎまわっては、鬱陶しそうに追い払われている。
それでも気になるのか、今度は別の亜人の匂いを嗅いでいる。
余程彼にとって気になる匂いがこびりついているようだ。
それはそうとして、調子に乗って随分遠くまで来てしまったようだ。
これって日が落ちるまでに施設に戻れるかな?
まあ、戻れなければ戻れないで、そこら辺で適当に野宿すればいいか。
この時の私は、人間は道具も持たずに体一つで野宿なんてしない、という事を忘れていた。
普通、人間は土ごと野草の根を食べたりしないし、水たまりの水を飲んだりしないし、乾いた土の上で直接寝たりもしない。
新兵達は日の落ちた真っ暗な山の中、懸命に水母の施設を目指した。
帰りつけないと野宿が決定するのだ。彼らは必死だった。
ようやく施設にたどり着いた時。緊張の糸が切れたのだろう。彼らは食事もとらずにベッドに倒れ込み、泥のように眠りに付いたのだった。
次回「メス豚と魔法訓練」




