その131 メス豚と新兵達
唐突に始まったクロ子式新兵訓練。
その初日は筋トレと立ったり座ったりだけで終わった。
立ったり座ったりに意味はあるのかって?
本当は軍隊の定番、匍匐前進をやらせたかったのだが、どう説明すれば良いか分からなかったのだ。
この子豚の体では、見本をやって見せるわけにもいかないし。
そもそもあれは、頭の上を弾丸が飛び交う現代戦だからこそ必須な技能であって、未だ中世そのもののこの世界ではさほど重要とも思えない。
今回はスルーしてもいいんじゃないだろうか。
『本日の訓練はこれで終了! 別室で休め!』
「はあ、はあ、や、やっと終わった・・・」
「何なんだよコレ・・・」
床の上にぐったりと寝転がる男達。
『誰がここで休めと言った! 立て!』
「「「「「! サー! イエッサー!」」」」」
慌てて立ち上がる男達。
私は彼らを率いて別室へと向かった。
四人部屋が十個。水母に頼んで寝床もちゃんと用意してもらっている。
と言っても、木で組んだ粗末なベッドに、目の粗いシーツが一枚だけだが。
「あ、思ったよりもまともな部屋なんだな」
「良かった。全員で床に雑魚寝かと思ってた」
そんな部屋だが、実は彼らの村での生活と大差は無い。
亜人の村というのは、ろくに物も無い貧乏生活なんだよ。
旧クロ子十勇士の小柄な亜人、ウンタが私に振り返った。
「なあ、クロ子。寝床を準備してくれているみたいだが、俺達もここに泊らないといけないのか? そんな話は聞いていなかったから、家族には何も言っていないんだが」
『それなら大丈夫。あんた達の家にはモーナから連絡がいっているはずだから』
村長代理のモーナには、彼らの家族に「今日から水母の施設で訓練を始めるから、当分家には帰れない」と、連絡を入れて貰っている。
なぜ、事前に本人達に教えなかったのかって? そんな事をすれば逃亡を図る者が出るかもしれないじゃないか。
「(逃亡って・・・)」
「(いや。こんな事になると知っていれば、俺なら逃げ出した)」
「(・・・違いない。俺もだ)」
ひそひそと会話する男達。
『夕食は水母が用意してくれるから。というか、これからは毎食水母の食事ね』
「「「「「うげっ」」」」」
水母の出す食事とは、例の謎栄養食である。
かつてこの施設で飼育されていた角生物が、みんな大きく育っていた事からも、栄養価に優れているのは間違いない。
ただし味はロクなもんじゃない。
マズいという訳ではないが、とにかく”美味しくない”のだ。
『何? 最前線では食事が食べられるだけでもありがたいんだからね。ここでは食事が出て、寝床があって、シーツまである。これで文句を言っていたら、あんた達戦場になんて出られないわよ』
「「「「「(言いたい事は分かるけど・・・)」」」」」
とにかく、初日の新兵訓練はこれにて終了である。
私は彼らの世話を水母に任せて村に戻る事にした。
何でって? 流石にあの謎栄養食はちょっと・・・
外に出ればいくらでも食べる物があるのに、それを我慢して味気ない食事は出来ないかなあ。
お前だけズルいって? だったらあんたも私と一緒に、生でドングリやダンゴムシを食べる?
こうして、クロ子式新兵訓練は始まった。
日を追うごとに新兵達の目からは光が消えていき、私が何を言っても「サー」と「イエッサー」しか言わなくなった。
右を向けと言えば右を向くし、その場で跳ねろと言えば飛び跳ねる。
その素直っぷりは、今日はまだ一度も鬼教官の電気ショックの出番が無い程だ。
水母はちょっと残念そうにしている――って、そっちは別にいいか。
今の彼らであれば、迷いなく死地にも飛び込んでいくだろう。
人間兵器の誕生は近い。
私は何という恐ろしい物を生み出してしまったのだろうか。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「もう限界だ! いつまでこんな事をさせられるんだ!」
新兵達は激発寸前だった。
クロ子はすっかり従順になったと思っているようだが、そんなはずはない。
彼らは電気ショックがイヤだから、渋々従っているだけである。
しかし、その我慢もついに限界を超えようとしていた。
「もう四日だぞ! 俺達は四日も、ずっとこの洞窟の中に閉じ込められて、苦しい思いをさせられているんだ!」
「・・・おまけに飯は最悪だしな」
ここは彼らに与えられた四人部屋。
今日も厳しい訓練を終え、へとへとになってベッドに倒れ込んだ所だった。
「というか、本当に四日なのか? 確かにこの部屋で寝るのは四回目だが、ここでは昼も夜も分からないだろう」
「そんなのはどうでもいいんだよ! 問題はいつまでこんな事をさせられるのかって事だ!」
「確かに。終わりが見えないのはキツイよな」
クロ子の訓練は、事前にメニューが決められていない。
その日の彼女の思い付きによって決定されている。
そして訓練自体も、「何回」という回数は決めずに行われている。
それはクロ子の前世が、部活の経験も無い女子高生だからだ。
つまり彼女にも、どの程度の回数が適切なのか、良く分かっていなかったのだ。
そのためクロ子は訓練中の男達の苦しむ姿を見ながら、「そろそろ限界かな?」と思うまで続けさせていた。
しかし皮肉な事に、このグダグダで拙い訓練メニューが、クロ子の望む”心を折る”という効果を最大限に発揮していた。
人間、「終わりの見えない苦しみ」ほど苦痛を感じる物はない。
何回やれば終わる。ここまでたどり着けば終わる。後何分間我慢すれば終わる。そういったゴールが見えているからこそ、人間は苦しみの中、気力が維持出来るのだ。
何をやらされるか分からない(クロ子本人も決めていないから)。何回やればいいのか分からない(クロ子本人も決めていないから)。ただひたすらに苦痛に耐えるだけ。
そんなさながら拷問のような訓練に、新兵達の心はギリギリの所まで追い込まれていた。
「――もう限界だ。逃げようぜ」
部屋に沈黙が落ちた。
全員の頭にずっと浮かんでいた言葉。それを男は口にしたのだ。
「逃げる」ではなく、「逃げよう」と、他人を巻き込もうとしている所に、男の不安が表れていた。
ゴクリ。誰かが緊張に喉を鳴らした。
「けど、俺達は手術で角を生やすと決めた時、クロ子と約束させられたじゃないか」
クロ子との約束。
クロ子は水母の手術を受ける際の条件で、男達にいくつかの約束をさせていた。
それは、絶対に自分の指示に従う事、であり、勝手に部隊を抜けない事、であり、機密を外に漏らさない事、である。
「たったの四日でその約束を破るのか?」
「そ、それは――こんな目に会うなんて知らなかったからだ! 知ってたら俺は絶対にこんな手術を受けなかった!」
男は屁理屈をこねると、忌々しそうに額の角を触った。
「しかし、逃げると言ってもどうする? ドアは開かないし、というか、ドアノブすら無いし、食事はそこの(彼はそう言って壁の長方形の窪みを指差した)窪みに落ちて来るだけだぞ」
「・・・確かにそうだが。いや、全員の力を合わせれば出来るはずだ」
「どうするんだ?」
彼の計画はこうである。
明日、いつものように訓練が始まったら、隙をついて全員でクロ子と水母に襲い掛かる。
例えクロ子でも、不意を突かれればなすすべはないはずだ。
「俺達四人で襲い掛かるのか?」
「いや、不満を覚えているのは俺達だけじゃないはずだ。俺達が動けば他の奴らだってきっと動くに違いない」
「た、確かに! 全員でかかればクロ子だって・・・。もしもクロ子の方に付くヤツがいたとしても、今ならそれは少数だろうしな」
「ああ、ウンタはクロ子に付きそうだ。けど、カルネが向こうに付くとマズいな。あいつは力がある」
男達は膝をつき合わせて、明日の脱走計画を練った。
ガタン!
大きな音と共に、壁の窪みにいつもの食事が姿を現した。
「またこのマズい飯か・・・」
「なあに、コイツを食うのも今夜が最後だ」
「そう思うと感慨深――くはならないな。別に」
「俺はもう一生見たくもないぜ。早く母さんの作る飯が食いたいよ」
地獄の先に光明が見えたからだろうか? 男達はこの四日間で初めて笑顔を見せながら食事を終えたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ヒソヒソ(おい、行けよ)」
「ヒソヒソ(お前から行けよ)」
「ヒソヒソ(どうするんだ。やるんじゃなかったのかよ)」
「ヒソヒソ(やるなら早くやれよ)」
翌日。クロ子を襲うと決めた男達だったが、今も互いに押し付け合うだけで全く動き出せずにいた。
それもそのはず。彼らは隣国の脱走兵狩りの際に、クロ子が瞬時に魔法で人間の体を撃ち抜く所を見ている。
あの強力な魔法が、もしも自分達に向けられたら?
少しでも想像力のある人間なら、足もすくむというものである。
また、直接その現場を見た訳ではないが、村が人間の軍に襲われ、多くの村人が攫われた時には、クロ子は村人を救けるため兵士相手に大立ち回りを見せ、数多くの人間を殺しているという。
彼らは今更ながら、自分達が手を出そうとしていた存在の恐ろしさを思い出し、身動きが取れなくなっていたのだ。
彼らがチラリと周囲の様子を伺うと、そこかしこで何人もが同じように何かを押し付け合っている。
どうやら昨夜、他の部屋でも、彼らと同様の話し合いが行われたようだ。
他の者達も限界だったのだろう。
そんな空気が伝わって来るものの、全員が牽制し合っているだけで何も動き出せずにいた。
クロ子は表面上は大人しく言う通りに従う彼らを見て、満足そうにブヒっと鼻を鳴らした。
(今の彼らであれば、迷いなく死地にも飛び込んでいくだろう! 最悪の人間兵器の誕生は近い!)
完全な勘違いなのだが、その誤りを指摘する者はここにはいなかった。
次回「メス豚とハイポート」




