その128 ~ルベリオの帰還~
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アロルド城落ちる。
その報告をイサロ王子は王城で聞いていた。
「まさか! こんなに早く――」
「アロルド辺境伯はどうなった?」
王子の副官、”目利きの”カサリーニ伯爵は、報告をもたらした騎士を問い詰めた。
「城は完全に焼け落ち、生死不明との事です。陛下がおっしゃるには、おそらくは城と運命を共にされたのではと・・・」
「バカな! あの御仁が亡くなられたというのか?!」
アロルド辺境伯は知勇兼備の名将として勇名を馳せていた。
辺境伯という立場上、あまり中央で高く評価されることは無いが、”四賢侯”ルッソン・ルジェロ将軍が現役を退いた今、この国で彼を超える将は他にはいないとまで目されていた。
想像外の悪い知らせに、カサリーニ伯爵自慢のカイゼル髭が細かく震えた。
イサロ王子は青白い顔で立ち上がった。
「伯爵。物資の補給と、兵の補充にはどのくらかかる?」
「後二日は――」
「ダメだ。明日には出立する。急がせろ」
イサロ王子の軍は、隣国ヒッテル王国の増援軍との戦いで生じた負傷兵の搬送と、追加の兵の補充のために王都へと戻っていた。
また、イサロ王子の個人的な事情としても、後方基地であるランツィの町まで付いて来た妹のミルティーナを、王城まで連れ帰る必要があった。
今頃ミルティーナは、危険な前線近くへ出た事が母親にばれて、大目玉を食らっているはずである。
それであのお転婆娘が大人しくなるなら、わがままを聞いてやった甲斐もあるというものだが、さほど期待は出来そうもないだろう。
「しかし、一体なぜ大モルトが突然攻めて来たのか?」
王子の疑問は直ぐに解決した。
宰相ペドロ・アンブロスが、部下からの報告を持って王子の所へやって来たのである。
宰相は他国に忍ばせた諜者からの報告書を持っていた。
「ちっ。そうかヒッテル王国――」
王子は大きく舌打ちをした。
言われてみれば確かに腑に落ちる点も多い。
イサロ王子は苦虫を嚙み潰したような表情になった。
これまで王子の兄、今は亡きアルマンド王子はアマディ・ロスディオ法王国を。先日戦死したカルメロ王子はカルトロウランナ王朝を。
二人の王子はそれぞれ大陸の三大国家の一国を後ろ盾にして、長年次期国王の座を巡って争っていた。
それと同じように、隣国ヒッテル王国の国王は大モルトと懇意にしていたのだ。
より正確に言うなら、大モルトの実質的な支配者である”執権”アレサンドロ公爵家との繋がりを持っていたのである。
「遠交近攻。戦術としては常道ですな」
宰相の声に力は無い。元外交官として、隣国の動きに気付けなかった自分を恥じているのだ。
遠交近攻――遠きに交わり、 近きを攻む。つまり、「遠い国とは親しくし、近くの国を攻略する」といった意味の言葉である。
隣国はその原則にのっとって、大モルトと接近。この国の背後を突くように要請したのである。
「幸い、イサロ王子のご活躍で、最悪の事態は免れました」
そう。もしイサロ王子の奇策――亜人の女王に協力を求め、彼女の導きでメラサニ山を踏破、敵軍の背後の領地を直接攻める、という作戦――が成功していなければ、今頃ヒッテル王国の軍はまだ国内に居座り、王子の軍は身動きが取れない状態にあったはずである。
そうなればこの国は、隣国ヒッテル王国軍と大モルト軍を相手の二正面作戦という、最悪の事態を迎えていたのは間違いない。
イサロ王子は力無くかぶりを振った。
「――八万もの軍で攻め込まれては同じ事だ」
大モルト軍だけでも規格外の戦力である。こうなってしまえば、ヒッテル王国軍がいようがいまいが大した違いは無いだろう。
王子の顔色が悪いのも当然といったところか。
正にサンキーニ王国は風前の灯火。亡国待ったなしの瀬戸際にあった。
「そもそも、大モルトが大軍を動かしたことが予想外でした」
大モルトは、四つのアレサンドロ家が常に互いの喉笛を食い破ろうと争う修羅の国である。
そんな状況で他国に向けて大軍を動かすなどあり得ない。今まではそう考えられていた。
「だが実際に八万の軍が動いている。宰相閣下。今まで諜者からその兆候は知らされていなかったのですか?」
今更過ぎた事を言っても仕方がない。しかし、カサリーニ伯爵はどうしても今回の侵攻が不自然に思えて仕方がなかった。
宰相は禿げ上がった頭を左右に振った。
「アレサンドロ四公爵は今まで通り、表に裏に争いを繰り返していた。確かに最近でこそ目立った戦は無かったが、それでも長年の不和が解消された様子は微塵も無かった」
「しかし、それではこの度の出兵が説明出来ない。なぜアレサンドロ――」
「もう良い、伯爵。今は敵の事情を推し量っている場合ではない。我々がどう動くか。それが問題だ」
現在、国王バルバトスは自らが諸侯の兵を率いてアロルド領の救出に向かっている。
残念ながら僅かな差でアロルド伯を救う事はかなわなかったが、領内の敗残兵を吸収し、今ではその戦力は三万程度だという。
対する大モルト軍は八万。
戦力は倍以上の開きがあるが、こちらには地の利がある。戦場を選べるアドバンテージはやはり大きい。
対する大モルト軍は、そもそもの戦力が上回るだけでなく、初戦の勝ち戦で勢いに乗っている。
さらに、寄せ集めのサンキーニ王国軍に対し、兵の装備と練度も間違いなく上だ。
大モルト軍は、多少の不利など食い破れるだけの力と勢いがあった。
「俺の部隊の戦力は?」
「元々の部隊が五千。ランツィの町で合流したイサロ王子に対する援軍が二千五百。これらの中から負傷者を外し、新たな兵を加えてギリギリ一万、といったところでしょうか」
「一万・・・父上の軍と合わせても四万か」
一万の軍と言えば聞こえは良いが、その半数近くは装備どころか槍すら持っていないただの人数合わせである。
現在、宰相の部下が王城の武器庫を開いて彼らに武器を貸し与えている。
辛うじて武装した農民兵。それが王子の部隊の実情であった。
「今はそれでも、ないよりはまし、と思うしかない。伯爵。この度の大モルト軍の目的はどこの辺にあると思う?」
「・・・申し訳ありませんが、私では分かりかねます。普通に考えれば隣国ヒッテル王国の要請を受けての進軍。ならばヒッテル王国が軍を退いている以上、これ以上の進軍はないでしょう。無用な戦いで傷付いても意味はありませんからな。あるいはこの機にアロルド領を手に入れるつもりかもしれません。しかし――」
「しかし、その場合は敵の戦力が多すぎる、か。口を挟んですまなかった。続けてくれ」
「はっ。ご賢察の通り、アロルド領を手に入れるのが狙いにしては敵軍の規模が大きすぎます。”牛刀をもって鶏を割く”と言いますが、四公爵家が争う大モルトにおいて、領地の守りを薄くして出兵するのは、みすみす他家に”狙って下さい”と言っているも同じです。私にはどうもその点が腑に落ちません」
カサリーニ伯爵は”目利きの”カサリーニの異名を持つ。
その洞察力は多くが認める所だが、今回の件は手元の情報があまりにも少なすぎた。
「この王都まで進軍するつもりでは?」
「それこそ可能性としては低いでしょう。先程も言いましたが、アレサンドロ家は長く領地を空けられません。常に他家が狙っていますからな。国を落としたとしても、領地が奪われてしまえば何処に戻ればいいのか・・・」
この時、イサロ王子は伯爵の言葉に僅かな引っかかりを覚えた。
しかしその感覚は、”極めてささやかな違和感”といったものだったので、彼が引っかかりに意識を向けた途端、その感覚は指の間からするりと抜けてしまった。
それに王子はこのタイミングで待ち望んだ来訪者を迎えたので、すぐに意識をそちらに持っていかれてしまったのである。
「殿下! ラリエール男爵がお見えになりました!」
「! ルベリオが戻ったか! 入れろ!」
彼の軍師、ルベリオ・ラリエールが戻って来たのだった。
部屋に入って来たのは、まだ幼い、どこか中性的な印象を持つ少年だった。
「イサロ殿下におかれましては――」
「そういうのは構わないと言っているだろう。ルベリオよ、良く戻ってくれた」
片膝をついて恭しく首を垂れるのは、グジ村でクロ子の世話係だった、あのルベリオである。
彼は紆余曲折の末、今は男爵となって王子の片腕――軍師として彼を支える立場となっていた。
「お前の部隊の活躍で、俺達は隣国ヒッテル王国を退ける事が出来た。さすがは俺の軍師だ。俺も鼻が高いぞ」
「そんな! 殿下! もったいないお言葉です!」
日頃からあまり褒められ慣れていないのか、ルベリオは首まで真っ赤にしてパタパタと手を振った。
「それよりもクワッタハッホ様とアモーゾ様の部隊をお返し致します。この度の戦いではお二人共大変なご活躍でした」
「ああ、あの二人は役に立ったのか。意外と掘り出し物だったのかもしれないな」
イサロ王子の遠慮のない言葉に、ルベリオは「ああ、この人はお変わりないな」と、なぜかホッとさせられた。
(ほう・・・この少年が王子の抱えるルサリソス)
カサリーニ伯爵は品定めをするような目で、じっとルベリオを見つめた。
ちなみに彼の言うルサリソスとは、大二十四神の中で知恵や学問をつかさどる男性神の事である。
(この少年が、亜人を魔法部隊として配下に入れるように、王子に進言したと聞いている。卑しい生まれ故の常識の無さなのか、あるいは常識を超えた特別な発想の持ち主なのか・・・。いや、実際に亜人の女王と接触したのみならず、彼女と同盟関係を築き、此度の作戦を成功へと導いている以上、虚言癖や妄想癖の類ではあり得ないか)
ルベリオの知恵が本物なのか、あるいは上辺だけの見せかけのメッキなのか。
現時点では”目利きの”カサリーニにとっても、判断の付かない難問だった。
次回「メス豚、凱旋する」




