その127 ~燃えるアロルド城~
お久しぶりです。
更新を再開します。
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アロルド領はサンキーニ王国の西端に位置する領地である。
この地を治めるアロルド家は、いわゆる”辺境伯”として、昔から他領とは一線を画す大きな権限を王家から認められていた。
それは関税の自主権、砦や城の自由な建設、貴族間の婚姻の自由、領民の移動の自由、戦争参加の拒否権、等々。
アロルド領はサンキーニ王国に所属しながら、半ば自治区のような扱いで存在していた。
クロ子が知れば、『それって、私が狙ってたヤツじゃん!』とショックを受けたことだろう。
なぜ、王家はこれほどの大きな譲歩をアロルド家にしているのだろうか?
それはアロルド領が三大国家の一角、大モルトと国境を接しているからである。
王家はアロルド家を味方として繋ぎとめるために大盤振る舞いをしていたのだ。
つまりこの地は国防の上での防波堤であり、アロルド家は国を守る防人の役目を担っているのである。
国内におけるもう一つの国。治外法権。
そのアロルド領に大モルトの軍勢が押し寄せていた。
その数、約五万。ただしこれは本隊の戦力となる。
更に三万の兵がそれぞれ一万と二万に分かれ、別動隊としてこの地を目指していた。
つまり侵攻軍は合計八万の大軍勢なのである。
対するアロルド軍は領地を逆さに振っても最大二万~三万。現実的には一万五千をかき集めるのが関の山だろう。
しかも彼らのほとんどは武装も練度も最低限の二流以下の兵である。まともな戦力として数えられるのはせいぜい一万といった所か。
数の上だけでも戦力比は八対一。絶望的な差と言ってもいい。
大モルト、国境を突破して領内に進軍中。
突然の報せに、アロルド家は上を下への大騒ぎとなった。
しかし、数で圧倒する敵軍に対して取れる手段など限られている。
要害の地での籠城戦である。
「コルターツィ砦へありったけの部隊を派遣しろ!」
「ご当主様! それではこの城の防衛が手薄になります!」
「バカが! 砦が抜かれればどの道この城はお終いだ!」
アロルド伯は使えない側近を怒鳴りつけた。
コルターツィは領都から約二日の距離にある、山に挟まれた渓谷である。
アロルド伯は山の上に堅牢な要塞を築いていた。
そしてアロルド城と城下町は、建設当初、防衛戦を想定した設計で作られていた。
しかし、領地が豊かになるにつれ、町はどんどんと肥大化。度重なる増築を重ねた結果、城下町の防衛力は昔よりも大きく落ち込んでいた。
とてもではないが、八万の大軍を相手に持ちこたえる事は出来ないだろう。
「戦力分散の愚を冒すな! コルターツィ砦は要害の地! 戦力さえあれば十分に持ちこたえられる!」
とかく四賢侯に注目が集まりがちなサンキーニ王国だが、アロルド伯も音に聞こえた有能な人物である。
彼の決断に迷いは無く、彼の育てた将兵達は士気も高く、一騎当千の強者揃いだった。
アロルド伯の策は、堅牢なコルターツィ砦で敵を足止めしている間に王都からの援軍を待ち、前後から敵を挟み撃ちにするというものであった。
本来であればアロルド城でその策を取りたい所だが、この城では八万もの敵の攻撃を耐え凌ぐのは難しいと思われた。
コルターツィ砦は険しい渓谷の上に作られた難攻不落の砦である。
精鋭たちは谷底の街道を行く大モルト軍に、崖の上から激しい攻撃を加えた。
狭い谷底では、大軍勢も数の利を十分に生かす事が出来ない。
大モルト軍は一旦谷の外まで退却。そこに陣を敷き、本腰を据えて砦の攻略へと取り掛かった。
しかし、コルターツィ砦に立てこもっているのは、アロルド伯が自ら鍛え上げ、信頼を寄せる精鋭軍である
彼らは連日、苛烈な攻撃を受けながらも、敵の猛攻を良く耐えた。
戦線はこのまま膠着状態に陥ると思われた。
アロルド伯と城下の人々は、固唾を飲んで戦いの推移を見守った。
そんなアロルド伯の下に凶報が届いたのは、防衛戦が始まって十日後の事だった。
「コルターツィ砦が落とされただと・・・」
コルターツィ砦抜かれる。
その知らせにアロルド伯の顔面は蒼白となった。
「どういう事だ! 大モルト軍は砦を攻めあぐねていたのではなかったのか?!」
「それが――どうやら敵の狙いは砦の部隊を、砦の中に封じ込める事にあったようです」
大モルト軍は陣を敷き、激しく戦闘を行う事で、砦と後方を完全に分断していた。
その上で彼らは砦の上方、砦を見下ろす山へと一軍を進めていたのだ。
「山に?! まさか、水源を守る砦を落とされたのか?!」
「・・・はい」
山の上に作られた砦は確かに堅い。しかし、高い山に作れば作る程、砦は共通の弱点を抱える事になる。
それが”水”である。
難攻不落のコルターツィ砦唯一の泣き所は、砦内に水源が――井戸が無い所にあった。
掘っても掘っても水の出ない空井戸しか掘れなかったのである。
そのため砦では、隣接する山の水源から引いた上水道に頼り切っていた。
当然、この弱点はアロルド軍も知っている。そのため水源にも砦が築かれ、常に守備隊が配備されていた。
「敵は夜陰に紛れて水源の砦を襲撃。砦の将兵が異常に気が付いた時には既に落とされていた模様です。さらに夜明けと共に再び敵の猛攻が始まり、砦を取り戻すための兵も出せず、防衛戦に忙殺される事になったようです」
水源には殺された兵士の死体が投げ込まれ、砦には腐敗した水が流れ込むことになった。
砦も汲み置きしておいた水を少しずつ飲んで、数日は渇きを耐え凌いでいたが、それでも限界は訪れる。
救援の要請を出そうにも、砦の周囲は敵軍が取り囲んでいて猫の子一匹通れない。
欲望に負けて腐った水を飲んで腹を壊し、脱水症状で死んだ者もいるだろう。
こうしてコルターツィ砦は渇きによってみるみる戦力を低下させていった。
「しまった・・・砦の外に後詰めの部隊を用意しておくべきだったか。そうすれば水源の砦を失った時点で手を打つ事も出来たはずだし、砦と呼応して彼らを救う事も出来ただろうに」
アロルド伯は後悔の臍を嚙んだが後の祭り。
とはいえ、仮に砦の外に部隊を配置していたとしても、敵軍に真っ先に狙われて撃破されていただろう。
また、全軍で砦を守らなければ、どの道、防衛のための戦力が足りていなかったはずである。
戦いには”たら””れば”が付き物とはいえ、アロルド伯の後悔にはあまり意味は無かった。
「・・・敵軍の指揮官は誰だ? かの有名な”百勝”ステラーノ候か、あるいは賢将と名高いボローティー候か」
ステラーノ、ボローティーは共に、大モルトを代表する名将である。
これほど鮮やかな策は、かの名将達以外には考えられなかった。
しかし、連絡の兵の答えは予想外のものだった。
「アレサンドロ家の当主が直接指揮を執っていると聞いています」
「当主自らが戦場に出ているのか?! そんなまさか!」
アレサンドロ公爵家は大モルトを実質的に支配している名家である。
というよりも、王家はもう百年も前から、執権であるアレサンドロ家の完全な傀儡となっている。
アレサンドロ家は本家となる執権アレサンドロ以下、公方アレサンドロ、北部管領アレサンドロ、南部管領アレサンドロの大きく四つに別れ、それぞれの傘下が入り乱れ、常日頃から血で血を洗う争いを繰り広げている。
大モルトは戦の炎の絶える事のない修羅の国なのだ。
そんな大モルトで、当主自らが領地を離れて他国に攻め込む事などあり得ない。
他のアレサンドロ家に「どうぞ自分の領地を奪って下さい」と言っているようなものなのだ。
そのためアロルド伯は、今回の敵軍を連合軍――各アレサンドロ家が戦力を出し合った混成軍――だと考えていた。
「指揮官はジェルマン・アレサンドロ。アレサンドロ家の中でも一番新興の”新家”アレサンドロと呼ばれる家の当主との事です」
「新家アレサンドロの当主ジェルマン・・・聞き覚えは無いな」
ジェルマン・アレサンドロは父親の代に財を成し、金で分家の立場を手に入れた、一番新しいアレサンドロ家である。
彼はつい先日、アマディ・ロスディオ法王国との国境に近いサイラムの町を救い、町を包囲していた法王国軍を散々に打ち破った事もある。
知勇にも秀でた、ひとかたならぬ逸材であった。
余談となるが、その時の法王国軍を手配したのがカルドーゾで、後に彼はクロ子の怒りを買い、グジ村の村長宅で共犯のアルマンド王子共々、彼女の魔法で心臓を撃ち抜かれて死亡している。
考え込んでしまったアロルド伯に代わり、側近の男が連絡兵を問い詰めた。
「そ、それで敵軍は今どうなっている?!」
「敵は砦の備えに五千を残し、谷を通過。二日後にはここへと到着すると思われます」
「ふ・・・二日後」
側近は絶句した。
ここに至り、彼らは決断を迫られていた。降伏か、あるいは戦っての死か、それとも城を捨てて逃げるか。
アロルド伯の決断は早かった。
「・・・残った兵を城に集めろ」
「伯爵!」
アロルド伯は即座に籠城戦を決意した。
彼は戦えない者達――城下の市民と部下の妻子を逃がし、自分達は城に立てこもり、彼らが逃げるまでの時間を稼ぐ事にしたのである。
「降伏は趣味ではないからな。いや、冗談だ。アレサンドロ家は苛烈だ。降伏しても奴隷のように使い潰され、どこかで野垂れ死ぬのが関の山だろう。
かと言って、足の遅い民を連れて逃げたところで、たった二日の距離ではすぐに敵に追いつかれてしまう。
ならばせめて我々がこの地で敵軍を引きつけ、家族や民が逃げる時間を稼ぐ方が良いだろう」
死を覚悟しながらも、泰然自若とした態度を崩さない伯爵に、うろたえていた周囲の者達は顔を伏せて恥じ入った。
「それに既に王城には報告を入れている。今頃は陛下が軍をまとめてこちらに向かっているはずだ。きっと我々が持ちこたえている間に到着するだろう」
「おおっ! そうすれば味方との挟み撃ちも可能ですな!」
全く勝ち目のない戦いではないと分かり、側近達の目に力が戻った。
彼らとて、味方の軍を倒した敵軍に対して、一矢報いたい気持ちは残っているのだ。
「急げ! もう時間は残されていないぞ! 文官は大至急、城下の民をまとめて王都を目指せ! 途中の村々で避難勧告を行うのを忘れるな! 武官達は兵を全員王城へと集めるのだ!」
「「「「「はっ!」」」」」
こうしてアロルド伯の籠城戦が始まった。
しかし、雲霞の如く群がる敵兵に、城の防衛はあまりに無力だった。
サンキーニ王国国王バルバトスが、自ら軍を率いて救援に訪れた時、アロルド城は炎に包まれていた。
辺境伯は既に城と運命を共にしていた。
こうしてサンキーニ王国にその人ありと謳われた名将、アロルド辺境伯は、戦の炎に焼かれてこの世を去った。
彼と彼の精鋭達が命を賭して稼いだ時間は半月。この僅かな時間が値千金の意味を持つか、あるいは破滅の時を僅かに先送りしただけに過ぎないのか。
この時点で知る者は誰もいない。
次回「ルベリオの帰還」




