その125 ~カルメロ王子の死~
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窮地に陥っていたカルメロ王子指揮下の魔獣討伐隊。
しかし、彼らにもたらされた情報は驚くべきものだった。
「イサロが・・・まさか」
ランツィの町に集結していたイサロ王子の軍が、隣国ヒッテル王国の増援を打ち破ったのだという。
勢いに乗るイサロ王子軍は敵を国境の向こうに押しやり、カルメロ王子を救うため現在こちらに進軍中との事。
味方の敗戦を知った敵将ドルドは撤退を決めた。
現在ドルド軍は急な撤退に、蜂の巣をつついたような大騒ぎになっているそうだ。
「間違いありません。ヤツらの慌てふためく様はこの目でしかと見ております」
「それに敵がそんな状態でも無ければ、我々がこうして逃げ出す事など到底不可能でした」
カルメロ王子に訴えているのは、先日の戦いで捕虜として敵に捕らえられていた兵士達である。
彼らは敵陣の混乱に乗じて、味方の陣地まで無事に逃げおおせたのだ。
「イサロ殿下が敵を打ち破ったのか! 流石は殿下はアマーティの英雄であられる!」
「ああ。若くして、我が国の誇る四賢侯の一人、ルジェロ将軍の薫陶を受けただけの事はある!」
喜びに沸く魔獣討伐隊の将達。
イサロ王子がルジェロ将軍に薫陶を受けたというのは初耳だが、彼らの中ではそういう事になっているようである。
というよりも、アマーティでの勝利が、巡り巡ってなぜかそういう形に落ち着いているらしい。
しかし、この喜びの中、一人だけ顔から血の気が引いている者がいた。
この部隊の指揮官、カルメロ王子である。
そもそも今回の出兵は、イサロ王子のアマーティでの勝利に対し、自身も軍事的な手柄を上げるためにカルメロ王子が仕組んだものだった。
しかし現実には、メラサニ山の魔獣に翻弄されて成果を出せなかったばかりか、今は敵軍に襲われた所をイサロ王子に助けられそうになっている。
正に恥の上塗り、面目丸つぶれである。
(これではまるで、俺はイサロの引き立て役ではないか!)
彼は王都の民が自分を嘲笑する声を聞いた気がした。
絶望の淵に沈むカルメロ王子。しかし、ここで彼は一縷の望みを見出す事になる。
エーデルハルト将軍が逃げて来た兵に、今の敵陣の様子を詳しく尋ねたのだ。
「我々が逃げ出すのを見ても、それどころじゃない様子でした。多くの兵が武器も持たずに素手で逃げ出していました」
「武器も捨ててか? それは酷い慌てようだな。それで――「待て! 今の話は本当か?!」
それは王子にとって暗闇の中に差す光だった。
王子はイライラしながら兵士達の返事を待った。
「あ、はい。敵陣には打ち捨てられた槍や盾が大量に「そんなものはどうでもいい! 俺が聞きたいのはそんな話じゃない! 敵は武器も持たずに逃げ出したのかと聞いているんだ!」
突然、王子にとんでもない剣幕で詰め寄られ、兵士達は戸惑うばかりだった。
彼らは額に冷や汗を浮かべながら、もつれる舌を懸命に動かした。
「あの、ええと、我々が見た兵士はほとんど武器を持っていませんでした」
「そ、そうです。コイツの言う通りです。鎧を付けずに逃げ出す者も珍しくはなく、敵の将が勝手に逃げ出す部下に怒鳴り散らしていました」
「将軍、聞いたか! 今こそ反撃のチャンスだ!」
「は、ええっ?!」
カルメロ王子は床几を蹴って立ち上がった。
「誰か俺の馬を持ってこい! 今から敵の背後を突く! 急げ!」
カルメロ王子達は馬を飛ばして敵の陣地を目指した。
従うのは数十騎ほどの部下だけである。
「殿下! 先行し過ぎです! この速度では兵が付いて来る事が出来ません! 手綱を緩めて下さい!」
「急げ! イサロにだけ手柄を上げさせてなるものか!」
王子は焦りに駆られるまま、更に拍車を入れた。
彼の馬は良く主人の思いに応え、風のように軽快に走った。
「敵の陣地だ!」
「見ろ! もぬけの殻だぞ! 撤退の情報は本当だったんだ!」
先程の兵の話の通り、敵陣には槍や盾があちこちに捨てられていた。
「思っていたよりも破棄された物資が少なくないか?」
「ああ。武器を捨ててでも食料の積み込みを優先させたのかもしれんな」
彼らの会話はカルメロ王子を苛立たせた。
「そんな話はどうでもいい! 今は敵が丸腰で逃げているという事こそが重要だ! ここで追撃をかけて勝利を手にするのだ! ええい、後続の兵はまだ到着せんのか!」
弟のイサロ王子に負けないためには、ここで自分も大きな戦果を上げなければならない。
カルメロ王子は強い焦りを覚えていた。
「もう待っていられるか! 俺は行くぞ! お前達だけでも付いて来るがいい!」
「で、殿下!」
体にまだアルコールが残っていたのも良くなかったのだろう。
王子はすっかり雰囲気に酔い、戦に勝った気分になっていた。
自分が敵の仕掛けた餌に食いついたとも気付かずに。
馬を走らせる王子達が、逃げる敵の背後を捉えたのはそれからすぐの事だった。
思ったよりも敵の逃げ足は鈍かったようだ。丸腰の兵が荷車を押しながら逃げている。
その無防備な後ろ姿に、王子は舌なめずりをすると腰に佩いた剣を抜いた。
「追い付いたぞ! 我が国に侵攻して来た下衆共め! その代償を己が命で支払うがいい!」
「殿下! お待ちを! お前達、殿下をお守りするのだ!」
「はっ!」
カルメロ王子達は一丸となって兵士に切りかかった。
満足な装備も持たない兵士達は、ろくに身を守る事も出来ずにバタバタと切り伏せられていく。
このひと月、陣地で苦しい防衛戦を強いられ続けてきた王子達は、血に酔ったようになりながら犠牲者の屍を築いていった。
「ははは! どうした、逃げるばかりで抵抗する事も出来んのか! 無様なヤツらめ! ここには俺に向かってくる気骨のある者はいないのか?!」
しかし、カルメロ王子が調子に乗れたのもここまでだった。
突如角笛が鳴り響くと、周囲から一斉に土煙が立ち昇ったのだ。
「しまった! 伏兵だ! 殿下、これは敵の餌です! 我々はまんまと敵の仕掛けた罠にかかったようです!」
「な、なんだと?!」
王子は慌てて馬首を巡らせるが、時すでに遅し。
彼らの背後は敵が回り込んでいた。
「おいおい。こんなに簡単に網にかかるとは思わなかったぞ」
呆れ声に振り返ると、そこには顔の左半分を漆喰で固めた異形の将が立ちはだかっていた。
「まさか大将自らが兵も引き連れずに、僅かな手勢で追って来るとはな。信じられずにいたあまり、思わず合図を出すのが遅れてしまった程だ。
それにしても、撤退中の輜重部隊を打ち取った所で大した手柄にもなるまいに。本気でこんなものが欲しかったのか? どれだけ浅ましい男なんだお前は」
「な、何者だ貴様! 俺を愚弄するか!」
悲しいかな、カルメロ王子の声はすっかり上ずり、懸命に虚勢を張っているのが見え見えだった。
王子はこの男の持つ雰囲気に――他者を圧倒する狂気に――すっかり呑まれてしまっていたのだ。
「こんな小人をひと月も相手にしていたかと思うと、我が身が哀れになってくるわ」
男は兵に合図を送った。
「殿下! 危ない!」
「なっ!」
エーデルハルト将軍が王子の前に飛び込んだその瞬間。周囲から一斉に矢が飛んで来た。
ドドドドドッ!
矢は将軍と王子の周囲の将達に次々に突き立った。
彼らを乗せた馬は悲しそうに一声鳴くと、ドウッと大地に倒れ込んだ。
「ぐうっ・・・おのれ」
「将軍! どうした将軍! どこをやられた!」
「我が身を盾に主人を守ったか。苦しめるには惜しいヤツだ。ひとおもいに冥府神の下へと送ってやれ」
「はっ」
兵士達が近寄ると、手にした槍をエーデルハルト将軍の体に深々と突き立てた。
「殿下、お逃げ下――ぐはっ」
「将軍!」
エーデルハルト将軍がこと切れると共に、周囲の部下達にも次々と槍が突き立てられていった。
カルメロ王子は、ガクガクと震えながら彼らが殺されるのを見ている事しか出来なかった。
「そんな・・・お前達は武器を捨てて逃げ出したはずだ。なのになぜ・・・」
「まだ気付かないのか? どれだけ愚かなんだお前は。そんなものはお前達をおびき寄せるための餌に決まっているだろうが。これ見よがしに武器を捨てたのに見事に引っかかりおって」
そう。ドルドは軍を半分に分けて先行させ、伏兵として待機させていたのだ。
そして残りの兵士には武器を捨てて逃げ出すように指示を出した。
算を乱して撤退しているように見せかけたのも、敵の捕虜が逃げるのを放置したままでいたのも、全ては、いつまでも亀のように閉じこもったままのカルメロ軍を、陣地の外に誘い出すための罠だったのである。
「本当なら、俺達の陣に破棄された物資を、お前達が漁っている所に襲い掛かる予定だったんだがな。お前の愚かさは俺の予想を超えていたよ。まさか兵も連れずに騎馬隊だけで追って来るとはな」
ドルドが手を伸ばすと側近の男が彼の槍を手渡した。
「さっきは中々愉快な事を唄っていたじゃねえか。確か”俺に向かってくる気骨のある者はいないのか?!”だったか? そら、お望み通りここに気骨のある者が現れたぞ。どうするんだ?」
ドルドが槍を構えると、カルメロ王子も慌てて血の付いた剣を構えた。
ゴテゴテと飾りの付いた華奢な剣だ。さっきまで刃筋も立てずに勢い任せに振り回していたため、今は半ばから微妙に折れ曲がっている。
ドルドは馬に拍車を入れて駆けさせると、無造作に一閃した。
「ひっ」と息をのみ、反応すら出来ないカルメロ王子。
哀れ、たったの一合も打ちあう事なく、槍の穂先はカルメロ王子の胸に突き刺さったのだった。
「グッ、ゴフッ」
「ふん。イサロの兄と聞いていたが、とんだ愚物だったな」
それがカルメロ王子がこの世で聞いた最後の言葉だった。
彼は最後の瞬間まで弟のおまけのような扱いを受けた事に傷付き、苦痛の中、この世の理不尽を呪いながら息を引き取ったのだった。
カルメロ王子は血だまりの中、もがき苦しみながら死んだ。
ドルドは何の感慨もなく、王子の死に様を見つめていた。
その時、陣地を見張らせていた兵が彼の下に駆け込んだ。
「敵の軍が陣に入りました! 現在ヤツらは我々の残した物資を漁っている所です!」
側近の男がドルドの側に馬を進めた。
「敵の将は討ちました。これ以上の戦いは時間を取られるだけかと」
「・・・・・・」
ドルドは足元に転がる死体をつまらなさそうに見下ろした。
確かに側近の言う通り。イサロの兄を、隣国の王子を殺すという目的は果たした。
予想外に手間取られたものの、苦しんで死んだことで若干は留飲も下がった。
だがそれだけだ。
こんな物では何の達成感も得られない。
まだ足りない。
もっと敵に痛みを味合わせてやりたい。流れる血が見たい。
「いや、予定通り陣地内の敵を討つ。全軍に指示を出せ」
「・・・はっ」
この日、カルメロ王子の魔獣討伐隊が壊滅した。
大将であるカルメロ王子を始めとする首脳部は討ち死に。討伐隊の兵もその半数が帰らなかった。
こうしてサンキーニ王国は、第一王子、第二王子の二人を失う事になった。
本人達の能力はともかく、立て続けに王位継承権を持つ者を失った事は、国にとって大きな痛手であった。
しかしこの悲劇ですら、この後、襲いかかる不運に比べればささいな問題。通過点にしか過ぎなかったのだ。
今、サンキーニ王国に巨大な試練が迫ろうとしていた。
次回「メス豚と落日の始まり」




