その118 ~ストラトーレ砦の攻防~
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クロ子達、ルベリオ別動隊がメラサニ山を越えて隣国ヒッテル王国へと到達した翌日。早朝。
ロヴァッティ伯爵領を東西に貫く街道を臨むストラトーレ砦は、近隣から集められた兵士でごった返していた。
ガチャガチャと武具を鳴らしながら落ち着きなく歩き回る者。戦の前の腹ごしらえに勤しむ者。体力温存を決め込んでいるのか、ふてぶてしく横になる者。
彼らの多くはいわゆる地侍と呼ばれる者達で、地元の有力な商家や庄屋が貴族家と結びつき、部下を武装化させたものである。
その装備は騎士団に劣るものの、恐れ知らずの若者達は意気軒昂。攻撃の指示を今か今かと待ち構えていた。
そんな彼らを指揮するのはストラトーレ男爵家の騎士団。
現在、彼らは砦の指揮官に集められ、これからの方針を打ち合わせの最中だった。
砦の奥の指揮所では、指揮官が騎士団員達を前に難しい顔をしていた。
昨日発見された謎の集団は、付けていた紋章から、隣国の王家の部隊だという事が判明している。
行軍の疲れを取るためだろう。敵軍は山から下りる事無く野営を始めた。
その際のテントの数から、敵軍の大体の人数は判明している。
総数約四百人前後。周囲に別の部隊は無し。
「おかしい。数が少なすぎる」
そう。彼らは敵の狙いが読めずにいたのだ。
可能性としては、本隊に先駆けての先遣隊だが、険しいメラサニ山を越えて大部隊を移動させているという可能性は低い。
では彼らは、山を通って迂回して来た伏兵なのだろうか?
その場合、敵本隊は街道を移動中でなければならない。しかし、敵軍が国境を越えて進軍中などという話はどこからも聞かされていなかった。
「どうする? 打って出るか?」
「・・・いや。しばらく敵の様子を見よう」
指揮官の消極的とも言える策に、しかし幹部の男は何も言い返さなかった。
相手が山に立てこもっている以上、現状では地形的には敵の方が優位である。
わざわざこちらにとって不利な場所に攻め込む必要は無いだろう。
それに、やはり敵の別動隊の存在が気にかかる。
敵の狙いは、手薄になった砦に別動隊で攻撃を仕掛ける事かもしれないのだ。
そう考えると、現状では相手の様子を見るのも悪くは無いと思われた。
そもそも彼らは防衛隊であって、その主任務は領地を守る事にあり、敵を倒して武勲を上げる事には無い。
そういった性格もあり、昨日からの彼らの行動は、敵部隊の様子を探る事と、存在するかもしれない敵の別動隊を探す事に終始した。
そんな中、遂に敵軍が動き始めたのである。
「敵軍に動きあり!」
偵察部隊からの報告に、その場の空気がサッと引き締まった。
「敵軍は明け方未明に野営地を引き払い、武装状態で全軍、山を下り始めました」
「メラサニ山に砦を作るつもりでは無かったのか」
実は彼らが一番恐れていたのはそこである。
敵がストラトーレ砦に対して、いわゆる付城戦術を取るのではないか、と警戒していたのだ。
付城戦術とは、敵の城に対して砦を築く策の事を言う。
四六時中、目の前の敵から「いつでも攻め込めるぞ」と圧迫を受けていれば気も休まらないし、兵の士気にもかかわる。
逆に敵は野営をしなくても良くなるため、兵の体力の温存にもなる。
この策のデメリットとしては、そもそも敵の目の前に砦を築くのが困難な上に、必然的に長期的な策となるためにその維持にも膨大なコストがかかる。
国力に余裕がなければ取る事の出来ない策なのだ。
しかし、全軍をもって山を下り始めたという事は、敵に砦を築く意思は無いという事だ。
そして武装状態という事は、彼らが目指しているのはこのストラトーレ砦に違いない。
彼らの指揮官が余程抜けている人間でなければ、山の上からこの砦が見えているはずである。
仮にどこか別の場所を目指すにしても、行軍中に砦の部隊から攻撃を受けるのは分かり切っているからである。
決して無視するはずはないのだ。
しかし、その場合にも疑問が残る。
指揮官は首をひねった。
「だとすれば敵の狙いは何だ?」
常識的に考えて、たかだか四百の部隊でこの砦が落とせるはずはない。
ましてや現在、この砦には敵の十倍の戦力、四千の兵が集結している。更に後方からも続々と追加の兵士が集結中である。
普通に考えてこれだけの戦力差があれば、砦を出て野戦をしかけても鎧袖一触、ロクな被害も受けずに一方的に敵軍を葬り去る事が可能だろう。
現実において戦いは数なのだ。
もちろん過去に寡兵が大軍を破った記録はあるが、その場合でも、大抵は負けた方が大軍を生かす事が出来ずに遊兵を作り、局地的に互角以下の戦いを強いられた結果でしかないのだ。
産業革命以前で、かつ、まだ大量殺戮兵器が発明されていないこの世界では、戦力とは集められた兵の数とほぼイコールと考えてもいい。
それがこの世界の戦の常識だった。
しかし、だからこそ彼らは思い違いをしていた。
常識とは、あくまでも過去の積み重ねで作られたある種の固定観念であり、この世の絶対的なルールなどではない。
新しい存在の登場によって、常に書き換えられる概念なのだ。
そしてストラトーレ砦の将兵にとって不幸な事に、敵の小集団の中にその”新たな存在”が存在していたのだ。
彼らはクロ子を――亜人の守護者、女王クロコパトラの存在をまだ知らない。
その敵集団が砦の前に姿を現したのは、それから一時(※約二時間)程後の事になる。
実戦慣れした指揮官に率いられているのだろうか? 彼らは巧妙に弓矢の届かない位置に立ち止まると、左右に広がって隊列を整えた。
砦の上では、砦の幹部が敵の軍を見下ろしていた。
彼は指揮官から実戦部隊の指揮を任されている。
砦の指揮官はどちらかと言えば文官寄りで、その年齢もあって、前線で指揮を執るタイプでは無かったのだ。
「別動隊は無しか。本当に敵は何がやりたいんだ?」
幹部の男は怪訝そうな表情を浮かべた。
いくらなんでも敵の戦力が少なすぎる。あるいは敵は戦う意思がないのではないか?
その思い付きに彼はハッとした。
「門を開いて打って出ますか? 準備は整っていますが」
副官が彼に指示を仰いで来た。
幹部の男は慌てて部下を止めた。
「いや。相手の狙いが知りたい。ひょっとしたら戦う意思はないのかもしれない。念のために少し様子を見よう」
相手はこちらに投降するつもりなのかもしれない。
その可能性に思い至ったからだろう。彼は無意識に”敵”を”相手”と呼び変えていた。
「投降? 敵国の内応者という意味ですか?」
「そうだ。だとすれば相手も国境を大ぴらに越える事は出来ない。周囲の目に付く事は出来ないからな。危険を冒してまでメラサニ山を越えたのも分かるというものだ」
可能性としてはどうかとも思うが、わずか四百の兵で砦を攻めようとしているよりも、そちらの方がまだ説得力があるように思えた。
副官も納得の表情を浮かべた。
その時、砦の中から大きな歓声が上がった。
幹部の男は周囲を見渡すと、怒りの声をあげた。
「誰だ、正門を開いたヤツは! バカが勝手な事を! 止めろ! 連れ戻せ!」
どうやら手柄を狙った跳ね返りの者達が抜け駆けを考えたようである。
おそらく、敵軍の少なさに気が大きくなってしまったのだろう。
あるいは血気盛んな若者による暴走かもしれない。
正門が大きく開け放たれると、兵が次々と砦の外に出た。
彼らは砦の前に広がり、野戦の準備を整えつつあった。
「くそっ! 勝手に正門を開きおって! もし相手が内応者だった場合、我々が策を潰した事になるんだぞ!」
幹部の男は額に青筋を浮かべながら踵を返した。
彼は自分で直接現場に向かって、兵士の暴走を止めるつもりでいた。
「お待ちください! あれを! 敵軍に動きがあります!」
副官の声に慌てて振り返ると、敵の部隊の中央が割れる所だった。
やがて非武装の男達が輿を担ぎながら部隊の前へと進み出た。
粗末な輿だ。ありあわせの材料で作られたとしか思えない。
しかし、その上に乗っているのは、粗末な輿に似合わない存在だった。
そう。輿に座るのは、見た事もない黒いドレスを着た美女だったのだ。
まだ若い女だ。艶のある黒髪に張りのある白い肌、ドレスを押し上げる丸みをおびた胸元。
その膝には正体の分からないピンク色の小さな塊を乗せている。
凛とした気品漂う佇まいからも、ひと目で彼女がやんごとなき存在である事が知れた。
あまりに意外な光景に、彼らの頭は理解が追いつかなかった。
「女だと? あの女、こんな所に輿で来たのか?!」
「担いでいるのは亜人奴隷か。しかし、なぜこんな場所にドレスの女が?」
なぜ見るからに高貴な女性が、奴隷の担ぐ(※実際は奴隷ではないのだが)粗末な輿に乗って現れたのだろうか?
そしてなぜ、メラサニ山を越えて来た隣国の軍と行動を共にしているのだろうか?
手柄を求めて砦の外に出て来た血に飢えた兵達も、戦場にそぐわない美女の登場に戸惑い、すっかり言葉を失くしていた。
混乱する周囲の反応をよそに、美女はゆっくりとした動きで両手を上げると――言った。
「EX最大打撃」
次回「メス豚、砦に挑む」




