その112 メス豚、つかの間の解放感を味わう
崖の上まで登った亜人の青年ウンタは、肩にかけたロープを手近な木に結ぶと崖下に放り投げた。
「クロコパトラ女王。駕籠のロープも木に結び直すが構わないよな」
「そうね。お願い」
ウンタ一人が登って来る分には大丈夫だったが、流石に何人もの男がこのロープに取り付いたら、駕籠の重量では支えきれずに崖下直行便となってしまうだろう。
私の返事を受けて、ウンタはさっきとは別の木にロープを縛り付けると、こちらも崖下に放り投げた。
「いいぞ、カルネ! 登って来い! 予備のロープを忘れるなよ!」
ギシッ、ギシッっとロープが軋む音が響くと、しばらくしてカルネと別の亜人が登って来た。
彼の名前は・・・ええと、何だったかな。どうも私は人の名前を覚えるのが苦手でいかん。
トレーディングカードのカード名や属性や効果なんかはすんなり覚えられるんだがなあ。
君らもクロ子十勇士なんだから、名前も十勇士っぽくサスケとかサイゾーとかに改名してくんないかな。
「ハア! ハア! おっかねえ! 死ぬかと思ったぜ!」
「・・・これ、俺達ならともかく、人間のヤツらは登って来れるのか?」
カルネともう一人は、崖の上に登って来るなりぶっ倒れた。
「どうだろうな? それよりロープをよこせ。四百人もいるんだ。一本や二本のロープじゃいつまでかかるか分かったもんじゃない」
ウンタは私をとがめるような目でチラリと見ると、カルネ達を手招きした。
二人は渋々体を起こすと、たすき掛けにしていたロープを手分けして木に結び始めた。
「カルネ、ひと結びじゃダメだ。巻き結びを二重にしろ。この高さだ。落ちたらひとたまりもないぞ」
「くそっ。おい、下のヤツ! 人間達がロープを持っていたら借りて持って来い! 長さが足りなくても繋いで使えばいい! これじゃ数が足りねえぞ、数が!」
手際よく作業を続けるウンタ達。
そうこうしているうちに、下に残っていた亜人達が次々にロープを伝って登って来た。
「し、死ぬかと思った! 戦場に行くのは承知したが、崖から落ちて死ぬのはゴメンだぜ」
「おい、ウンタ。俺達は猟の時に崖を登る事もあるだけマシだが、人間達は大丈夫なのか?」
「・・・俺が知るかよ。クロコパトラ女王に聞けよ」
クロ子十勇士の視線が私に集まった。
ふむ。やっぱりこのルートは無理があったか。
けど、ここを登らないと、随分と大回りしなきゃいけなくなるんだよなあ。
結局、どのルートを辿っても、大なり小なりこの手の崖は越えないといけないし。
「鍛えているから大丈夫なんじゃない? きっと」
「そうか? さっきから死にそうな顔でこっちを見上げているぞ」
むむっ。死にそうと来たか。
う~ん。これは最初から躓いてしまったのかもしれんな。
崖の下に下ろされた何本ものロープを伝って、男達が続々と登って来た。
「死ぬ! もうダメだ! 死ぬ!」
「そこで倒れるな、後続の邪魔になる! 倒れるなら奥まで行ってから倒れろ!」
「動けないヤツは誰か運んでやれ! よし、いいぞ! 次の班だ! 来い!」
どうやら私達は人間の兵を甘く見ていたようだ。
彼らは危なげなく次々と崖の上に登って来た。
――いや、流石に危なげなくはないか。結構ギリギリっぽいように見えるな。
「亜人が登れる崖を、よもや俺達クワッタハッホ騎士団が登れないとは言わさんぞ! 騎士団の根性はどこにやった?!」
「アモーゾ騎士団! クワッタハッホに後れを取るな! ワッショイ! ワッショイ!」
ヒイヒイ言いながら登って来る兵に、崖の上から暑苦しいエールが送られる。
何と言うか、凄く体育会系です。
学生時代、インドア派だった私には無縁の世界だわー。
よもや異世界で体育会系の男共に囲まれる事になろうとは。
運命とはどこでどう転ぶか分からんものよのお。
先頭を切って登って来たガッチリ君が、私の駕籠へとやって来た。
ウンタがサッと立ち上がると駕籠の横につく。
「クロコパトラ女王。部隊が崖の上に集結したところで、部隊に大休止を取らせたいのですが、いかがでしょうか?」
この世界の軍隊の行軍は、小休止と大休止の二つの休憩が存在する。
というか、この辺の事情は地球とさほど変わらないようだ。同じ人間なんだから当たり前か。
小休止は大体一時間ごとに五分から十分程取られる短い休憩だ。その間、兵士は荷物を下ろし、座って休みを取ったり水を飲んだりする。
水くらい歩きながら飲めば良さそうなものだが、疲労が溜まって来るとそれすらも億劫になるようだ。
以前、王子軍の輜重部隊に加わっていたショタ坊村の面々も、小休止になると待ちかねたように座り込んで水を飲んでいた。
大休止は大体一時間程の長い休憩で、靴を脱いで足の疲れを取ったり、湯を沸かして食事をしたりする。
もちろん行軍が軍事行動である以上、状況によっては小休止すら取らずにぶっ通しで何時間も移動する事だってある。
休憩はあくまでも”原則としては”、という話だ。
「あの、女王?」
おっと、少々考え込んでしまった。ガッチリ君が怪訝な顔で私の方を見ている。
ここまで、私が思っていたよりも彼らは健脚だった。この調子ならこの後のスケジュールも問題ないんじゃないかな?
「よしなに」
「分かりました。おい! 手の空いている者はこの辺りの下生えを払っておけ!」
ガッチリ君は部下に指示を飛ばしながら私の前から去って行った。
休憩か。いいな。私も休憩したいな。
「ウンタ。私も休憩~」
「・・・分かった。おい、カルネ!」
「何だ?」
ウンタの呼びかけで、手持ち無沙汰にしていたカルネ達十勇士が集まって来た。
「人間達はこの後、長目の休憩を入れるようだ。ヤツらが崖登りに気を取られている間に、クロコパトラ女王には休んでもらおうと思う」
「休むって――ああ、そういう事か」
ウンタの言いたい事が伝わったのだろう。カルネ達は一様に納得の表情を浮かべた。
「クロコパトラ女王は休憩中。俺達は人間を誰もこのカゴには近付けさせない。いいな?」
「もちろん」
カルネ達は駕籠を担ぐと、人間達から離れた場所まで運んだ。
ここまで来れば大丈夫かな?
バリバリッ
美女の背中が割れて、可愛い子豚ちゃんが誕生した。
ぷはーっ、生き返るわー! 山の空気ってうんまぁい!
「あまり遠くに行くなよ」
『分かってるって。ふんふんふん』
私は早速、ブヒブヒと嗅ぎまわりながら周囲の散策を開始するのだった。
どうだろう? 私の食欲を満たしてくれる物が何かあるかな?
どうやら美食の追及に熱が入り過ぎてしまったようだ。
いつの間にか、随分と私は遠くまで足を延ばしていた。
やっべ。
『風の鎧!』
「ワンワン!」
『(フルフル)』
私は身体強化の魔法を使うと、ダッシュ。風のように駕籠へと駆け戻った。
コマの頭に乗った水母が呼びに来てくれなければ、危うく集合時間に遅れる所だったわい。
さすが水母。頼りになるわ。
「クロ子――クロコパトラ女王。お前、遠くには行くなって言っておいただろうが」
こちらを睨み付けるウンタ。イヤン。許してん。
私のせいじゃないの。私を惑わすこの山の味覚が悪いのよ。
「いいから早くしろ。人間達はもう出発の準備を終わらせてるぞ」
言われるまでもないぜ。とうっ。ボディー・イン。
ああっ、もうすっかりお馴染になった、この全身を包み込む圧迫感・・・
ううっ。いくらなんでも食べ過ぎたかな。お腹が押されてこみ上げて来たんだけど。
あれっ? ここでリバースしたら、私、窒息するんじゃない?
地味に私ピンチかも?
人知れず私が肉体の衝動と戦っていると、ショタ坊が駕籠までやって来た。
「クロコパトラ女王。出発の準備が整いました」
「さ、左様か。カルネ」
「おう。せーの」
私の指示でカルネ達が駕籠を担ぎ上げた。
おおうっ、ゆ、揺らすんじゃないぞ。
そーっとな。そーっと。割れ物を扱うようにそーっとだぞ。
オイ、だからそんなに乱暴に揺らすなって。出ちゃうだろうが、色々と。色々出ちゃうから! 私の具が出ちゃうから!
次回「メス豚と第二の難所」




