その10 メス豚、大きな借りを作る
私の目の前にはガチムチ親子が立っている。
村に訪れた王子様のために私を潰してもてなすつもりなのだ。
一か八か戦って活路を開くしかない!
分の悪い賭けというのは百も承知だ。
ここで事を起こせば、周囲で立哨している王子様の護衛達が殺到するだろう。
一撃で決める!
私は魔法を発動した。
その瞬間、なんとガチムチが僅かに体を屈めたのだ。
コイツ! 私が魔法を使おうとしているのが分かったのか?!
人間には魔法の発動を感じられない。
私がマナ受容体と名付けた器官が無いからだ。
だからガチムチは私の殺気に反応したのだろう。
この化け物め!
けど、私だって黙って殺されるつもりは無いんだよ!
私の魔法が今まさに放たれようとしたその瞬間――
柵の外から大きな声が聞こえた。
「ほ、ホセさん! 待ってください!」
いつの間にか柵の入り口を開けてショタ坊が立っていた。
極限まで戦いに集中していたせいだろうか、私としたことがショタ坊の足音に気付かなかったとは。
ショタ坊は肩で大きく息をしている。多分ここまで走って来たんだろう。
大きなボロ布の塊を重そうに抱きかかえていた。
「ハア、ハア、こ・・・これを王子様に」
「これは! なんと立派なパーチだ!」
大きな布の中身はビックリする程大きな魚だった。
私の体よりデカイんじゃなかろうか?
どうやらショタ坊は濡らした布を巻いて、ここに持って来るまで鮮度を保っていたようだ。
「川で捕まえた魚をずっと池で飼っていたんです。良く育ったらお婆ちゃん達に食べてもらおうと思って」
ガチムチはいつものムッツリとした顔を嬉しそうにほころばせている。
ええっ? お前そんなに魚好きだったの? だったらなんで豚なんて飼ってるわけ?
引くわー。
ちなみに後日知った事だが、パーチというのは大型の淡水魚で、縁起の良い魚として好まれているんだそうだ。
要はあれだ。日本ではおめでたい席ではタイが好まれるようなもんだ。
めでたい、から、タイ。
そんな感じでパーチも、おめでたい席や、祝いの席の定番メニューらしい。
例えて言うなら、大きなタイの尾頭付きが届けられたみたいなもんだ。
そりゃあガチムチも嬉しそうな顔になるわけだ。
「本当にいいのか?」
「・・・はい。お婆ちゃんも王子様に食べてもらった方が嬉しいと思います」
それはどうなんだろうね。私だったら自分で食べた方が嬉しいと思うけど。
ショタ坊は巨大魚をガチムチに差し出した。
「これから戦に行くんでしょう? 是非」
これも後で知った事だけど、パーチはめでたい時だけじゃなく、戦争の時にもゲン担ぎで食べられる事が多いんだそうだ。
戦場の食事にも、干したパーチの切り身が出されるらしい。
昔の日本でも合戦の前には戦勝祈願やゲン担ぎが盛んに行われていたらしいからな。
色んなタブーやしきたりが事細かく定められていて、中には戦い前の三日間は奥さんとエッチしちゃダメ、なんてものもあったんだそうだ。
ガチムチはショタ坊から巨大魚を受け取ると、チラリと私の方を見た。
私は一瞬身構えたが、ガチムチは二度と私の方を見る事は無かった。
助かった・・・のか?
いかんいかん。まだそうと決まったわけじゃないぞ。
私は安堵のあまり緩みそうになった気持ちを懸命に引き締めた。
「分かった。殿下にはお前から献上されたと伝えておこう」
「い、いえ、とんでもない! 僕の名前なんて殿下のお耳に入れる価値はないですよ!」
ショタ坊は慌ててわちゃわちゃと両手を振った。
なにやら萌える仕草やね。ひょっとして狙ってる?
まあ本気で焦っているっぽいし天然なんだろうね。
ショタ坊らしいちゃあ、らしいか。
「俺の耳に入れる価値があるかどうかは俺が決める事だ。お前達が決める事じゃない」
その時、ここには場違いな涼やかな声が響いた。
全員がハッと家の方に振り返った。
ガチムチ親子が開け放っていた裏口に立つのは金髪のイケメン。
この国の王子様だ。
王子様は何事か考えながら手の中のペンダントを弄んでいる。
イケメン王子が持つには何だか不釣り合いな野暮ったいデザインのペンダントだ。
「殿下、いつからそこに?」
王子はガチムチの言葉を無視してショタ坊に問いかけた。
「お前の名は?」
「は、はい! ルベリオと言います!」
王子はあっさりと「そうか。覚えておこう」とだけ言った。
私は王子の気の無い返事を聞いてピンと来た。
あ。これって絶対覚える気の無いヤツだ。
ショタ坊は頬を染めて興奮しているけど、偉い人のリップサービスだから。
岩男も憎たらしそうにショタ坊を睨んでいるけど、お前が嫉妬するようなもんじゃないから。
王子様的には最初から覚える気すら無いから。
てかお前ら二人共ピュア過ぎるだろ。可愛いすぎて萌えるわ。
王子様は今一度手の中のペンダントを見つめると、「まあいい」と呟いてあっさりと家の中に引っ込んだ。
唐突に現れて唐突に去った王子様の態度に、ガチムチ親子は毒気を抜かれたような顔で王子の消えた裏口を見つめていた。
しかし、もう王子が顔を出さないと分かると、魚を手に家の中に戻って行った。
どうやら今度こそ本当に助かったらしい。
私は体から力が抜けてペタンと地べたに座り込んだ。
「食べられなくて良かったな、クロ子」
私は驚いてショタ坊を見上げた。
今日はショタ坊がたまたま魚を持って来てくれたおかげで助かった。
たまたま? そうだろうか?
あと少しでもショタ坊の到着が遅れていたらどうなっていたか。
私は無謀な賭けに挑んで返り討ちに合っていたかもしれない。
あの時、ショタ坊は肩で息をしていた。額にもびっしりと汗が浮かんでいた。
全力で走ってここまで来たのだ。
何故ショタ坊がそこまで急ぐ必要があったのだろうか?
――ショタ坊は私が王子の晩餐に出される事を知っていたんだ。
それしか考えられない。
ショタ坊はどこかで今日私が潰される事を知った。
そして私の命を救うために、お婆さんに食べて貰おうと思ってずっと大事に育てていた魚を王子様に献上する事に決めたのだ。
「クロ子?」
私はショタ坊に頭を下げた。いや違う。意識せずに頭が下がったのだ。
今日、私はショタ坊に命を救われた。
ショタ坊はいつか潰される私のために、大事な魚を手放した。
なんてお人好しなヤツなんだ。
私はいつかここを出ていく。でも絶対に今日の事は忘れない。
今の私はメス豚だけど心は人間――日本人だ。
私にだってプライドがある。
恩には恩で報いる。
この気持ちを忘れてしまったら、私は心身ともに獣に落ちてしまうだろう。
ショタ坊はいつもと違う私の神妙な態度に不思議そうな顔をしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
イサロ王子は訝しげな表情で手の中のペンダントを見つめた。
「さっきコイツに反応があったのは何だったんだ・・・」
先程、仕事の合間に部屋を出た王子は、裏口が開いているのがたまたま目に留まった。
外には村長親子の後ろ姿が見えた。
何となく二人を見ていた王子は、不意にこのペンダントが熱を持ったのに気が付いたのだ。
人間の体にはマナ受容体が存在しない。
それは逆に言えば、もし魔法で狙われていたとしても察知する事が出来ない、という事でもある。
そのために作られたのがこのペンダントなのだ。
このペンダントには魔法に反応する希少な物質が封じられている。らしい。
その物質が魔法の発動を捉えると、ペンダントが熱を持って所持者に知らせる仕組みとなっている。
つまりこのペンダントは、護身のための簡易魔法検知器なのであった。
ペンダントは弱い魔法には弱く。強い魔法には強く反応する。
先程王子がこのペンダントから感じた熱はただ事ではなかった。
戦場でもなければお目にかかれない程の強力な魔法が発動しようとしている!
それを察知した王子はギョッとして周囲を警戒した。
しかし魔法は形を成す前にあっさりと散ってしまった。
王子は狐につままれたような気持ちでぼんやりと佇んでいた。
「普通に考えて、俺を狙った者に間違いは無いのだが・・・」
それにしては腑に落ちない。
襲撃者は何故途中で魔法の発動を諦めてしまったのだろうか?
家の周囲で立哨している護衛が襲撃者の存在に気付いた様子は無い。
魔法の発動は人間には察知できないのだから当然だ。それに周囲には魔法を使える”竜”の姿は無かった。
「まさかこの土地には、竜以外に魔法を使える生き物がいるのか? はっ! それこそ馬鹿げている」
王子は自分の言葉を自分で否定した。
ちなみに王子の言う竜とは、クロ子が言う所の”恐竜ちゃん”の事である。
”魔法は竜にしか使えない”。これは常識だ。
昔から「角の生えた生き物は魔法を使えるようになる」とは言われてはいるが、これは眉唾だろう。
大方ペンダントの調子が悪くなっただけに違いない。
王子はそう結論を出した。それが一番高い可能性に思えたからだ。
魔法に関してはこの国は大きく遅れている。
このペンダントも他国から取り寄せた特別な品だ。
どんな不具合があってもおかしくはない。
だが王子は自分の出した答えに心からは納得する事が出来ずにいたのだった。




