第九話 縮地練習法
家に帰ってくると、明乃は屋敷の外れにある道場に籠っていた。
胴着と袴を身に着け、体術の稽古で明乃は汗を流す。
それは明乃にとっては日課の稽古ではあるが、ここ数日は少し内容が違っていた。
「はっ!」
気迫の声と共に明乃は瞬時に移動する。
魔力を足に込めて身体能力を向上させる移動法。魔力強化などと呼ばれる基本的な技術だ。
もちろん明乃はそれを取得しており、いまさら確認が必要な技術でもない。
明乃が目指しているのはその先だった。
「あの時の斗真さんはもっと速かった……」
明乃が目指しているのは襲撃のときに斗真が見せた高速移動。
魔力強化など比べ物にならない瞬間移動。つまり縮地だった。
「こう? 違う……」
自分なりに動いてみるが、どれだけ魔力を込めようが斗真のような瞬間移動にはならない。あくまで速く動いているだけだ。
何度やってもあのときの斗真のようにはいかない。
襲撃事件以来、ずっとチャレンジしているが成功したことは一度もなかった。
ならば斗真に聞けばいいという話になるのだが。
「あの人が素直に教えてくれるはずありませんから」
呟き、唇を尖らせながらまた明乃は稽古に取り掛かった。
明乃が斗真に教えを請わないのは、斗真が教えてくれるわけがないという思いが三分の一程度。
では残りの三分の二はなにか?
東凪本家の娘として生まれ、強大な魔力をもっていた明乃は子供の頃から周りに尊重され、一目置かれて育ってきた。
もちろん、それに驕ることなく明乃は修練を重ね、優秀な魔術師になったわけだが、それゆえに明乃に対して眼中にないという態度をとる人間はこれまで誰一人としていなかった。
そんな中、現れたのが斗真だった。これまで経験したことがないほど明乃はぞんざいに扱われ、まったく戦力としてみなされなかった。実際、斗真のレベルからすれば明乃は戦力外であり、その事実が明乃のプライドをとても傷つけていた。
それなりに一人前になったと思っていたのに、自分はまだまだ未熟なのだと思い知らされ、多くを守る側だと思っていたのに守られる側だと思い知らされた。
そして思い知らされたがゆえに明乃は斗真に〝認められたい〟と思っていた。それゆえに明乃は斗真に教えを乞うことはしないのだ。教えを乞うて縮地を会得したとしても斗真は明乃を認めないからだ。
独力で縮地を会得し、足手まとい扱いはもうさせない。そう明乃は心に誓っていた。
「守られるだけなんて、もう嫌ですから」
そう呟いて明乃は気持ちを入れなおす。
しかし、どれだけやっても縮地への糸口は見つからない。
今日も結局駄目だったかと諦めそうになったとき。
道場に誰かが入ってくる気配を明乃は感じた。
「どうしたんですか? 斗真さんも稽古ですか?」
「よく俺だってわかったな?」
「お父様は私が稽古しているときは気配を消して入ってきますから。他の人なら無言で入ってくる無礼はしません」
「へぇ、じゃあ次からは俺も気配を消すことにするか」
「お任せします。それで? 何しにきたんですか?」
自分の秘密稽古を邪魔にしに来たのかと明乃は斗真を警戒する。
実力は認めたとはいえ、斗真のいい加減な性格は明乃にとっては許容できないものだった。そのため、言動もついつい攻撃的になってしまう。
斗真ならばろくでもないことをしかねない。そんなことを考えていた明乃に対して、斗真はごく自然な口調で告げた。
「いやあまりにもベクトルの違う稽古をしてるから可哀想になってな。どんだけ頑張ってもそれじゃ縮地はできないぞ?」
「なっ!?」
バレていた!?
そのことに明乃は衝撃を受けた。どれくらい斗真が見ていたかは不明だが、見ていただけで稽古の内容がバレるなんて。
そのことへの驚きと自分の目論見が崩れ去ったことに対する動揺を明乃は隠せなかった。
「な、な、な、なにを言ってるんですか!?」
「ん?」
「わ、私は魔力強化による移動法について探求していただけです! べ、別に襲撃事件のときに見た斗真さんの移動法を真似しようとか思ってませんから! そ、そうですか! あれは縮地って言うんですね! 別に興味とかありませんでしたから!」
言ったあとに明乃は頬が赤くなるのを感じた。
自分で言っておいて馬鹿な嘘だと思ったからだ。
これまでの人生でほとんど嘘をついてこなかった明乃は嘘をつくのが下手なのだ。そのことに自覚もあるため、明乃は恥ずかしさで消え去りたくなった。
「へぇ……そうなのか」
「そ、そうです! 変な勘繰りはやめてください!」
「ま、そういうことにしておいてやる」
大人な対応をされてさらに明乃は頬を赤くする。
それは気恥ずかしさと怒りによるものだ。本質的に明乃のことを歯牙にもかけていない斗真は、いちいち明乃の嘘を突くようなこともしないのだ。
その斗真の認識が明乃には腹ただしかった。そしてその程度にしか認識されていない自分の実力にも腹が立った。
「まぁ稽古をしていないなら別にいいんだが、護衛対象に強くなってもらって、俺が楽をしたいから縮地のコツを教えてやろう」
「え!? こ、困ります!」
教えられては認めてもらえない。
計画が台無しになるため、明乃はそう言う。しかし、そんな明乃を見て斗真は笑う。
「なんで困るんだよ?」
ニヤリとからかうように笑うと明乃の反発を誘う。
それに明乃は見事に引っかかった。
「と、斗真さんみたいな人に教わるより、もっと違う人に教わったほうがいいと思うからです!」
「覚える気はあるんだな? ならコツくらい聞いておけ」
自分の失言に気づいて明乃は口を押えるが、もう後の祭りだ。
出てしまった言葉は戻らない。
後悔する明乃に対して、斗真はさらに煽る。
「まぁコツ程度で会得はできないだろうから安心しろ。そんなに簡単なもんじゃない」
「……なんだか私じゃ無理だっていう風に聞こえますけど?」
「いや、そうは言ってない。人よりも頑張ればできるんじゃないか?」
その瞬間、明乃の中で何かが切れた。
人よりも頑張れば。つまり人よりも頑張らないとできないと斗真は言ったのだ。
センスがないと言われたも同然なため、明乃の中にある負けず嫌いの心に火がついた。
「わかりました! ご指導のほどよろしくお願いします!」
「オーケー。じゃあやろうか」
そう言って斗真は道場の中央に無造作に立った。
そして挑発的な笑みを浮かべながら、クイクイと明乃に手招きした。
「とりあえず体術でかかってこい。俺は一歩も動かないから。触れることができればお前の勝ちだ」
「馬鹿にしてますよね?」
「してないぞ。これは俺もやった稽古だ。成果は……お前次第だな」
稽古といえば丁寧な解説と見本という印象がある明乃は、斗真の雑な稽古に戸惑いを覚えた。
しかし、根がまじめなためそういうものなのだろうと受け入れ、素直に斗真に接近する。
しかし。
「きゃっ!?」
斗真に触れる瞬間。
明乃は何かに弾き飛ばされて大きく後退を余儀なくされた。
それが何か理解できず、困惑の表情を明乃は浮かべるが、斗真は気にせず手招きする。
「どうした? 向かってこないと勝てないぞ?」
「馬鹿にして!」
再度、明乃は斗真に突っ込むがすぐ近くでまた〝弾かれた〟。
その後、死角から突っ込んでみたり、最大加速で突っ込んでみたりした明乃は突っ込むのをやめた。
「もう終わりか?」
斗真の挑発を無視し、明乃は分析を開始する。
何もない空間で何度も弾かれるわけがない。そこにはトリックが存在する。
そのトリックはなにか。決まっている。
「魔力ですね?」
「さぁ? どうかな」
反応を見て確信する。
斗真は明乃が近づいたときにタイミングよく、魔力を爆発させているのだ。一定方向に向かって。
だから明乃は斗真に近づくと勢いよく弾かれる。
とはいえ、それがわかったところで攻略にはならない。
それを阻止するためには今より速く動く必要がある。魔力強化ではなく、縮地が必要ということだ。
「でも、どうやって……? あれ?」
明乃は考え込みながらふと気づく。
今、斗真がやっている一定方向への魔力爆発は、自分でも使えるのではないか、と。
自分の背中側にベクトルを向ければ魔力強化以上の高速移動が可能となるのではないか、と。
そこに気づき、そしてこの稽古の真の意味を明乃は理解した。
「……縮地というのは魔力によって身体能力を強化したものではなく、魔力を一定方向に向かって爆発させることで加速する移動法なんですね?」
「まぁ気づいたことは褒めてやる」
けど、やれるかどうかは別問題。
斗真はすぐに気づいた明乃の聡明さと冷静さに感心しつつ、様子をうかがう。
まだまだ感情の制御で未熟さが出るものの、戦闘において見るべきところはしっかり見ている。
考えながら動くこともできるし、やはり天才肌なんだろう。
なにせ斗真はそのことに気づくのに三日はかかった。馬鹿な奴ならば一生気づかない。注意して喰らわないと魔力を爆発させているという発想に行き当たらないからだ。
問題はここから。
一定方向に向かって魔力を爆発させ、加速を得る。言うのは簡単だがやるのは難しい。そもそも方向を限定させて魔力を爆発させると言うこと自体が難しいのだ。
おいそれとできるわけが。
そう斗真が油断した瞬間。
明乃の足元で強大な魔力が爆発した。
「なっ!?」
床がぶっ壊れ、明乃の姿が消える。
真っすぐ向かってくる明乃は完全にコントロールできていない。猪突猛進の極みのような突撃だ。
ただし猪というよりはミサイル。そんなことを考えながら斗真は明乃が怪我をしないように受け止め、勢いを完璧に殺す。
しかし、さすがに油断していたため、体勢が崩れて明乃を抱えたままその場で転倒してしまう。
「おわっ!?」
「きゃっ!?」
お互いに叫びながら転ぶ。
下になったのは斗真。上に乗っかる形となったのは明乃。
最初に異変に気付いたのは斗真だった。右手に何やら柔らかい感触がある。手のひらに収まるくらいであり、かつ独特の弾力と柔らかさを持つそれは。
明乃の胸だった。
「……」
「っ!?」
転倒したときに斗真の腕が胴着の中に入ってしまったのだ。怒られる前に右手を抜くが、気付かれないわけがない。
咄嗟になにか言うべきだろうなと判断し、斗真は余計な一言を正直に口にした。
「意外にあるんだな。もうちょっと小さいと思ってた」
「っっっ!!!!????」
馬乗りのような状態で明乃は右手を振りぬき、斗真の頬を張る。
斗真ならば避けることは簡単だったが、さすがにタダ揉みはまずいと感じて、それを甘んじて受け入れる。
パチンと甲高い音が響き、明乃は勢いよく斗真の傍から離れていく。
両足をぴっちりと閉じ、両手で自分の体を抱きしめる様子はまるで、無力でか弱い少女のようであった。
「なっ、なっ、なっ!! 何するんですか!?」
「落ち着け、理不尽娘。お前が突撃してきた事で起きた不慮の事故だ」
「なっ!? 避けるという選択肢はなかったんですか!?」
避けたら怪我しただろうが、と言おうとして怒り心頭の明乃には意味のない言葉だなと思い、斗真はその言葉を飲み込んだ。
「動かない約束だったからな」
「なんでそんなところで律儀なんですか!? そもそも斗真さんなら転ぶようなミスをするはずがありません! だから今のは作為的行動です!」
「おいおい、俺だってミスくらいする。まさかお前が未完成ながら縮地を使うとは思わなかった」
「煽てたって許しませんからね!」
わーわーと叫ぶ明乃に呆れ、斗真はため息を吐く。
胸を揉まれたくらいで何をと思わなくはないが、それをいえばさらにうるさくなるだろうと判断し、斗真はそのまましばらく明乃からの罵詈雑言を受け続けたのだった。
「聞いてますか!?」
「あー、聞いてる聞いてる」
「聞いてませんね!? 全然反省してない!? やっぱり斗真さんはろくでなしです!」