第七十三話 氷の女王
誰かに聞かれなかったか?
俺は周囲の気配を探り、誰もいないことを察するとホッと息を吐く。
「どうぞ」
「……」
フローゼは俺にタオルを渡し、自分は汚れたテーブルを綺麗に拭く。
なんと言っていいかわからず、俺は大人しく自分の口周りを拭いた。
「慌てるということは聞かれたくない相手がいるのですね」
「できればケルディアの全人類に聞かれたくないな。氷の女王に手を出したとバレたら、俺の命を狙う奴はガチで出てくる」
「そうでしょうか? 責任を取れと言われるだけだと思いますよ」
さらりとフローゼは言うと、新たな紅茶を入れ直す。
その言葉に俺は頬を引きつらせる。
そんな単純な話ではない。俺とフローゼとの関係は。
通じ合った男と女。それなら周りも責任を取れというだろう。しかし、俺とフローゼの関係は違う。俺たちの間には愛だの恋だのはなかった。いや、時間が経ったあとならあったかもしれない。
しかし、一番最初は間違いなくなかった。
「経緯を知ればだれもそうは言わないさ」
「言わなければわかりませんよ。私たちしか知らないのですから」
そう言ってフローゼは静かに紅茶を飲む。
落ち着いている。慌てているのは俺だけだ。
それだけ俺にとってフローゼとの関係は心に残るものだった。
フローゼはただの女王じゃない。
魔王との決戦後、多くの国がそうしたようにアイスヘイムも国民に明るい話題を提供するためにフローゼの縁談を取り決めた。
そしてフローゼの夫にはアイスヘイムの将軍が選ばれた。
国を守る将軍と女王の結婚。魔王軍との戦いで疲弊した国民は、その明るいニュースに歓喜した。
フローゼもその感情は理解していた。だから結婚も承諾したし、夫となる将軍をフローゼなりに愛そうと決めていた。
そして二人は結婚した。盛大な式が執り行われ、アイスヘイムの未来は明るいように思えた。
だが、城に侵入者を止めようとしてフローゼの夫は命を落とした。式から二日後のことだった。
たった二日で未亡人となった悲劇の女王。しかし、国のトップに立つフローゼには悲嘆に暮れる暇すらなかった。
そして悲しむことを自分に禁じ、国のために全身全霊をかけているときに俺がやってきた。俺もリーシャを失い、腑抜けていた時期だったため、互いに自分を重ねた。
違いがあったのはフローゼは悲しまず、俺はおおいに悲しんだ。しかし、悲しまないというのは人間には不可能なのだ。感情は封じきれない。
会話を重ねるたびにフローゼは俺の前で悲しみを口にするようになり、やがて俺たちは互いの傷をなめ合うように体を重ねた。
「その表情を見る限り、あなたなりに私のことは気にしているのですね」
「気にしないと思ったか?」
「ええ、捨てた女に興味はないかと思ってました」
「そういう性格なら楽だったんだがな……」
過去は過去と割り切れるなら二年も腑抜けなかった。
だからフローゼを忘れたことはない。ただ、自分から姿を消した手前、会いにいくこともしなかったし、できなかった。
あの時はそれが最善と思った。
「すまなかった……あの関係を続けることが良いこととは思えなかったんだ」
「……そうですね。あなたの判断は正しいと思います。私はあなたに依存していました。あのままいけばいずれ私はあなたがいないと駄目な女になったでしょうね」
「そうだな。たぶん俺もそうだ」
互いに依存しあい、常に傷をなめ合う。その関係がいいわけがない。俺たちはリセットする必要があった。転がり込んでおいて勝手な話だがな。
「あなたが消えてからずっと考えてました。あなたがなぜ姿を消したのか。そこであなたの活躍を耳にしたのです。私のように無理をして立ち直ったのか、今に希望を見出し立ち直ったのか。あなたは後者なのですね。少し悔しいです。私はあなたの希望にはなれなかった」
「……迷惑をかけた」
「それは私も同じです。私はあなたを逃げ道に使ってしまいました。あなたを保護したつもりが、あなたに保護されていた。あなたの手の中で守られることが心地よくて、あなたの前では女王にはなれなかったのです。ですから互いに気にするのは止めましょう。それが言いたかったのです」
そう言ってフローゼは穏やかな笑みを浮かべた。
その笑みを見て、胸の中にあったもやもやが晴れる。そういう風にフローゼも笑えるようになったのだ。
「ところで、今回はどんなご用件で聖王国に?」
「うん、ああ。フローゼは賢王会議で議題だった女の子を知ってるか?」
「存じてます。あなたが保護したと聞きましたが?」
「まぁな。形式上は義妹ってことになってる。日本では」
「まぁ、あなたが義妹に迎え入れるなんて。よほど気に入ったのですね」
「気に入った? ああ、そうだな。気に入ってるんだろうな。けど、今はちょっと意見が合ってないがな」
フローゼとの問題は解決したが、ミコトの説得はまだ済んでいない。エリスもミコトが乗る気にならなければ協力はしてくれないだろう。
さて、どうするか。
腕を組んで悩み始めた俺を見て、フローゼが提案する。
「聞かせていただけますか? もしかしたらお手伝いできるかもしれません」
「手伝いって……まぁいいか。俺はその子に万が一の時に備えて武器を持ってほしい。しかし、その子はブリギットの武器に操られた経験から武器を持ちたがらない。一応、今回はヴィーランドに武器を作ってもらえに来たんだが、本人が乗り気じゃないからその説得をどうするかで困ってるんだ」
「心配なのですね。その子が」
心配? ああ、そうだ。心配だ。
悲劇はいつ起こるかわからない。ミコトにはそれに備えてほしい。俺のように無力感に打ちのめされないように力を持っていてほしい。
今のミコトに必要なくても、未来のミコトには必要な力かもしれないから。
「どうすればいいと思う? 無理やり持たせるべきか?」
「本人が嫌がっているのですから、それはよくありませんね。どうでしょうか。その子の説得を私に任せてみるというのは」
「フローゼに? できるのか?」
「自信はあります。同じ経験がありますから」
同じ経験?
疑問を抱きつつ、俺は少し考える。
このまま俺が何を言ってもミコトは拒否する気がする。
ここは搦手で行くべきだろう。違う人の意見を聞けばミコトも聞き入れるかもしれない。
「わかった。お願いできるか?」
「お任せください。これでも女王です。人を諭すのは得意ですよ」
そう言ってフローゼはフローゼらしい穏やかな笑みを浮かべたのだった。
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