第六十六話 東凪明乃の一日
今回もまったり回
追記
活動報告に過去編をのっけました。良ければ読んでみてください。
東凪明乃の朝は早い。
五時には起きて身だしなみを整えると、道場へと向かう。
そこで東凪家の分家の者たちと日課となっている朝稽古をし、汗をシャワーで流す。
そして学校へ行く支度を整えると、父である雅人が待つ本家の者しか使えない部屋へ向かう。
「おはようございます。お父様」
「おはよう。明乃」
いつもどおりの挨拶。
しかし、最近では変化が加わった。
「おはよー、アケノ」
眠そうな目をこすりながら、子供たちを連れてミコトがやってきた。
本家の者しか使えないこの部屋で、雅人と食事ができるのはごくわずかな人間だけなのだが、雅人が強引にその伝統を打ち破ってミコトたちと食事ができるようになっていた。
そのことを明乃は内心ではとても喜んでいた。分家の者たちの目がある手前、表には出さないが。
「おはようございます。ミコト、それに皆さんも」
「おはよう……アケノ姉ちゃん」
「おはよう、アケノお姉ちゃん……」
子供たちは明乃に挨拶し、そして雅人にも挨拶をする。
本来なら真っ先に雅人に挨拶すべきなのだが、そこを雅人は気にはしなかった。
にこやかに子供たちへ挨拶を返す姿は子煩悩な親といった印象だった。
そんな子供たちはそれぞれ自分の席につくが、明乃とミコトは空いてる席を同時に見つめる。
「トウマはまた寝坊だねー」
「あの人はまったく……」
「ボクが行こうか?」
「今日は私が行きます」
性根を叩き直さねば。
そう意気込んで明乃は早足で斗真の部屋へ向かう。
部屋の扉をそっと開けるとベッドでだらしなく寝ている斗真の姿があった。
無防備な姿だが、明乃に敵意がないことをわかっているから晒しているのだ。一度だけ明乃が攻撃の意思をもって踏み込んだとき、斗真はすぐに反応して反撃の準備までしていた。
そのときに次は本当に反撃してしまうかもしれないからやめろと忠告されていた明乃は、そっと斗真に近づく。
そして優しく斗真の体を揺すった。
「斗真さん、朝ですよ」
「んん……わかった」
これがまったくわかっていないサインであることを明乃は知っている。目も開けておらず、声も寝惚けた声だ。
明乃は呆れつつ、さきほどより強く揺するが斗真は反応を示さない。
まだまだ夢の世界にいる斗真に対して、明乃は強硬手段に出る。
「わかったなら起きてください!」
掛け布団を引っ張りはがし、斗真を包む温かさを奪う。
しかし、斗真は子供のようにシーツに包まって起き上がろうとしない。
「もう! どうしてそうろくでなしなんですか!」
怒りながら明乃はさらにシーツを斗真から奪う。
体を包む物がなくなったことで、ようやく斗真は目を開けた。
そして明乃の姿を認めると。
「……おやすみ」
「寝ないでください!」
ミコトではない。だから攻撃が来ない。そう判断して斗真は即座に二度寝の体勢に入ったが、明乃が抗議する。
しかし、斗真は枕で耳を塞いで抵抗した。
「あと五時間……」
「そしたらお昼ですよ!」
「いいじゃないか、別に……」
斗真は言いながら目を閉じる。
しかし、明乃はそんな斗真の襟首をつかんでベッドから引きずり下ろした。
そのまま引きずっていく。本来なら明乃の細腕で斗真を引っ張ることはかなり困難なのだが、魔力による強化でそれは成立していた。
朝からこんなことで魔力強化を使う羽目になるとは。明乃は呆れながら斗真を部屋まで引きずっていった。
「あ、おはよートウマ」
「トウマ兄ちゃんおはよー」
「トウマお兄ちゃん、また寝坊だよー」
「うるさい……朝から耳元で大声を出さないでくれ……」
わいわいとうるさい子供たちに抗議しつつ、しかたなく斗真は自分の席につく。それを見て雅人が食事を開始した。
のろのろと箸を動かす斗真を注意しながら、明乃はまだまだ日本の食事に慣れていない子供たちの面倒も見る。
「斗真さん、しゃっきとしてください」
「うーい……」
「骨がいたーい」
「はい、どうぞ」
朝の定番である焼鮭も、こちらに来たばかりの子供たちからすれば未知の食べ物だ。
骨に手痛い反撃を食らった子供の鮭をほぐしてあげ、野菜を食べない子供を注意する。
「しっかり食べないと大きくなれませんよ?」
「でもこれ苦手ー」
「苦手ならば克服しないといけません。野菜に負けているようでは強くなれませんよ?」
まるで母親のような口ぶりで明乃に注意された子供は、仕方なく野菜を口にしていく。
そんな忙しい朝を終えると、明乃は家を出る最後の準備を始めた。
ミコトを含めた子供たちは東凪家が雇った家庭教師による授業だ。いきなり学校に通わせても授業についていけない上に、日本で生活するためには常識も学ばせなければいけない。
引き取った以上は立派な大人に育てるという雅人の考えの下、雅人自身が選んだ家庭教師が東凪家には出入りするようになっていた。
玄関を出ると、その家庭教師とすれ違い丁寧に挨拶をしてから明乃は車に乗る。
別に車通学じゃなくても通える距離にあるのだが、護衛がしやすいということでずっと車通学だった。
そんなこんなで忙しい朝を乗り越え、学校についた明乃を待っていたのは一番の親友である栞だった。
「おはよう、明乃ちゃん」
「おはようございます。栞ちゃん」
校門で待ち合わせ、二人で下駄箱のところへ向かう。そこで靴を履き替えるのだが、毎回毎回明乃は自分の下駄箱を開けるのをためらってしまう。
「今日は何通あるかな?」
「できればなしというのが理想です……」
「無理じゃあないかなぁ。あ、やっぱり」
意を決して明乃が下駄箱を開けると、そこには何通もの手紙が入っていた。中には小包に入ったプレゼントもあり、明乃はそれを見るたびに辟易させられる。
「困りますって言ってるのに……」
「恋は抑えられないんだよ」
そう言って栞は明乃を茶化しつつ、手紙やプレゼントを持つのを手伝いながら一緒にクラスに向かった。
■■■
放課後、二人はクラスに残ってとある作業をしていた。
「へぇー、ついにサッカー部の藤堂先輩も動いたんだ」
感心しながら栞は手紙の差出人の名前をメモしていく。
一方、明乃は勝手に下駄箱に入れられた手紙を丁寧に開封して読んでいく。
そして読み終わると、それに対する返信の手紙を書いていく。
朝貰ったラブレターへの返信を放課後に書いて、相手の下駄箱へ返す。これが最近の明乃の日課となりつつあった。最初は一人一人会って返事をしていたのだが、それでは身が持たないため、こうして手紙で返事をし始めたのだ。
それが広まってからは明乃を校舎裏に呼び出す者はいなくなった。
「有名政治家の息子で、全国大会常連の我がサッカー部のエース。しかも顔もいいし、背も高い。みんなから慕われるくらい性格もいいし、成績だって毎回トップ10争い。優良物件ですが、いかがですか?」
「私には勿体ない物件です……」
言いながら明乃はスラスラと返事を書いていく。
手紙には熱い思いが綴られており、読んでいると恥ずかしくなるような言い回しもあるくらいだが、最近ではそれを平然と読めるうえに返事も書けるようになってきた。
とはいえ、明乃の返信はだいたい決まっている。男性と交際する余裕はないので、ごめんなさい。要約すればすべてこうだ。
四名家筆頭である東凪家の次期当主である明乃は多忙であり、男性と交際する余裕は本当にない。そして致命的なことに明乃は男性と付き合うということに一切の興味がなかった。
「またまた、ご謙遜を。まぁ明乃からすれば見劣りしちゃうか。藤堂先輩でも」
「そう言うんじゃないんですよ、本当に……」
「まだ男性と付き合うとか考えられない? こんだけアタックされても?」
「そうですね。私は東凪家の跡取り娘ですから」
「ま、そうだよね。明乃のお婿さんはお父さんが決めるだろうし、明乃に見合うだけの魔術の名家出身じゃないとね」
そう言いながら栞は新しい手紙の差出人を見る。
そして顔をしかめた。
「うわー、また風間君だ」
「またですか?」
栞は顔をしかめ、明乃は困惑の表情を浮かべる。
風間というのは明乃たちと同じ学年の少年で、何度も何度も明乃にラブレターを送ってくる常連だった。
顔も整っており、運動神経も抜群。同学年の中では屈指の優良物件だが、明乃はあまり好感を持てずにいた。
その理由は風間が明乃を彼女にしようとするわけにあった。
「あの人は……私のことが好きなわけじゃないですからね……」
「そうだね。彼、東凪家の跡取り娘、つまり魔術界の姫だから明乃ちゃんにラブレターを送ってるのよ。彼、本気で姫を守る騎士に憧れてて、将来は聖騎士になりたいって言って、今は猛特訓中らしいし」
「聖騎士ですか……」
大層な夢だ。笑う気はないが応援する気にもなれない。それほど聖騎士の壁は大きい。
魔術の素人がそれに匹敵するまでに成長するのは、かなりの奇跡が必要になる。
無論、不可能ではない。実際にそのレベルすら超えてしまった人物を明乃はよく知っているからだ。
「返事はどうするの? 現実を思い知らせる?」
「どういうことですか?」
「私を守りたいんだったら、この人を倒してからにして! って言って佐藤さんを全面に出すの」
「そんなことしたら斗真さんは絶対に逃げますよ……」
展開が予想できるため、明乃は栞の話をまともに取り合わない。
風間に対してもこれまでと同じように返事を書き、今日の作業を終える。
あとはこれを下駄箱にいれるだけだ。
「明乃ちゃんに彼氏ができるのはまだまだ先かなぁ」
「たぶんできないんじゃないでしょうか」
「そうだよねぇ。近くにいる男性のレベルが高いもんね、明乃ちゃん。お父さんはすごい素敵だし、護衛の佐藤さんはすごく強いし、ああいうのを見せられると高校生の男子は子供に見えちゃうよね」
「お父様はともかく、斗真さんは強いだけですよ? 人間的に素晴らしいところを見つけるほうが難しい人ですし」
ろくでなしオブろくでなし。
そんな称号があれば間違いなく斗真に贈っているだろうと明乃は確信していた。
一緒に暮らし始めれば、斗真のろくでなしさがよくわかる。何が一番気に入らないといえば、できるのにやらない。つまり怠惰なのだ。
「そうかな? 護衛してるときってすごい素敵だったよ?」
「緊急時以外じゃろくでなしなんです。朝起きないですし、身だしなみはだらしないですし、隙があれば手を抜こうとするし」
「よく見てるんだねー」
からかうような栞の言葉に明乃は顔を赤くする。
どうして赤くなるのか、明乃にも理解できなかったがなんだか無性に恥ずかしかった。
「べ、別に見てるわけじゃありません! 目につくだけです! 護衛ですし」
「といいつつ、どこにいるか探せないけどね。護衛中は」
そう言われて明乃は顔をしかめる。
護衛をしているときの斗真は本当に見つからない。
家に帰れば確実に明乃より先に帰っている。しかし、確実に今も周りにいる。
嘲笑われているようで、どうしても腹立たしい。まだまだお前は未熟だと暗に言われているようなものだからだ。
「いつか見つけます。絶対に」
「あはは、明乃ちゃんは佐藤さんに夢中なんだね」
「どうしてそういう解釈になるんですか!?」
「恥ずかしがらなくてもいいのに~」
「恥ずかしがってません!」
こんなやりとりをしつつ、明乃は学校での一日を終えた。
そして家に帰って、また稽古をしてその後の夕飯時。
明乃はまた子供たちの世話を焼きながら斗真をチラリと見る。
だらしなく欠伸をしながら斗真はマイペースに食事をしている。その姿は素敵とは程遠いものだった。
「なんだ? 明乃?」
「なんでもありません!」
「なんでもないのに怒ってるのか? 変わった奴だな」
「怒ってません!」
「怒ってるじゃないか……」
怒っている明乃に斗真は戸惑うが、明乃自身もなぜ自分が斗真に怒っているのかわからなかった。
ただ、もっとシャキッとしてほしい。そういう感覚はあった。
自分の護衛なんだから、それらしく振舞ってほしい。そういう感覚なんだろうと無理やり自分を納得させて明乃は斗真に告げる。
「斗真さん」
「な、なんだよ」
「もっとしっかりしてください」
「えぇー……」
「あははは! トウマ、怒られてるねー」
いきなりそんなことを言われた斗真は困惑し、聞いていたミコトや子どもたちは笑う。
そんな平和な食卓の後、少しだけゲームをし、いつものようにひどい戦績をたたき出したあとに明乃の一日は終わる。
明日はまともに起きてほしい。そんなささやかな願いをしながら、明乃は眠りについた。