第四十七話 ダーインスレイヴ
~今日の高橋~
「エリス……可愛いねぇ」
柚葉一択じゃなかったのかよ!?
浮気する最低なヤツですよ。こいつ
「どうしたのかしら? ミコト」
「……」
ブリギットとミコトは斗真から逃げたあと、大胆にも店の中で食事をしていた。
捜査の手が伸びるのはまだ先だとわかっているからの行動だった。
「浮かない顔ね。あの男のせいかしら?」
「……お母さん。トウマが言ってたことはホント……?」
双剣から手を放し、冷静になると斗真が語ったことがミコトの頭から離れなかった。
母親の真の名。過去にしたこと。
嘘だといってほしい。そういう願いをこめてミコトはブリギットに訊ねた。
「私のこと? たしかに私はブリギットと呼ばれていたわ。けれどね、あの男が言ったことは嘘よ。私が名を変えたのは、命を狙われたから」
「命を狙われた……?」
「そうよ。魔王軍との戦いが終盤になると、聖王国は私の鍛冶師の腕を危険視して、刺客を送ってきたわ。あの男もその一人だった。そして、私を逃がそうとした娘をあの男は斬ったわ……」
「そ、そんな……トウマ……良い人だったよ……?」
ミコトの言葉にブリギットは押し黙る。
静かになったブリギットにミコトは得体のしれない恐怖を感じた。なんとなく逆鱗に触れた気がしたのだ。
「あの男が……良い人? ミコト……あの男は五英雄の一人、名もなき無刃の剣士。トウマ・サトウ。それだけの力がありながら……聖王家に尻尾を振る男よ? 私が殺してやりたいと願う男が良い人だと言うの?」
「そ、それは……」
「あなたは私の言葉ではなく、あの男の言葉を信じるの? それならそれでいいわ。ケルディアに帰りなさい。双剣は……別の子に渡すしかないわ」
苦々しい表情を浮かべるブリギット。
それが苦渋の決断を下したように見えたミコトは、慌ててブリギットの手を握った。
「ぼ、ボクはお母さんの味方だよ! お母さんを信じるよ!」
「無理しなくていいのよ。あなたがあの男に感化されたなら無理はさせられないわ。ほかの子に任せます」
捨てられる。
その思いと孤児院の別の子供たちが戦わされる。
それらがミコトを追い詰め、ブリギットにすがらせる。
「だ、大丈夫だから! ご、ごめんなさい! もう言わないから許して……」
泣きそうな声でミコトはブリギットの手を強く握った。
しかし、ブリギットはその手を握り返さない。
「本当かしら? いざあの男の前に立ったときにあなたは戦えて?」
「うん……勝てるかわからないけど……ボクは戦うよ」
さきほどの戦い。
ミコトの目には斗真が手を抜いているように見えた。それなりに本気ではあるが、全力を出してはいない。そんな印象だった。
だから斗真が本気を出したときに自分が勝てるというイメージがミコトには浮かばなかった。しかし、これ以上母親の失望を買いたくないミコトは、決意を固めてブリギットを見た。
「そう……良い子ね。それでこそ私の娘だわ。さぁ食べましょう。冷めてしまうわ」
「うん……」
ミコトは促されるままに出された和食を口にする。
美味しい。だが、東凪家で食べたときほどの感動はなく、楽しさもない。
大好きな母との食事なのに、なぜなのか。
その理由を探しながら、ミコトは黙々と食事を進めた。
■■■
食事を終えたブリギットはミコトを連れて移動していた。
「お母さん……どこ行くの?」
「ターゲットのところよ」
「そう……」
斗真と戦うのだとミコトは改めて実感する。
覚悟を決めたはずなのに、脳裏によみがえる親切な斗真の姿がその覚悟を揺らがせる。
だからミコトは考えることをやめ始めていた。考えなければいい。
ただ言われたままに行動すればいい。大好きな母の言う通りに行動していれば、それで何もかも解決なのだと。
現実逃避に等しい思考だったが、それがミコトの精神を安定させる唯一の方法だった。
だが。
「いたわね」
「え……?」
そんなミコトの精神は再度揺さぶられる。
しかもこれまでで一番の揺れ幅だった。なにせ、ミコトの視線の先に現れたのは車に乗る明乃だった。
「今、協力者が道を上手く塞いでくれているから、そのうち車から降りるはずよ。そこを狙いなさい」
「ま、待って……お母さん……お母さんが憎んでるのはトウマじゃないの……?」
恐怖を覚えながらミコトは一歩後ずさる。これから母が言うことがわかってしまったから、体の震えが止まらない。
「そうよ……そのためにはまだ血が足りないわ。あの子は日本屈指の魔術師。血を吸う相手として不足はないでしょう?」
「……と、友達なんだ……昨日、家に泊めてくれて、夜更かししてお喋りして……今日はね……一緒に出掛ける約束もしてたんだよ……?」
「そうなの。安心しなさい。殺さなくていいわ」
「やめて……そんなこと言わないで……」
「行きなさい。ミコト。その双剣が完成しなければ私たちに幸せはないの。家族のために戦うと言ってくれたでしょう?」
悪魔の囁きにミコトは首を横に振る。
斗真と明乃は違う。斗真は強いという認識があったが、明乃にはその認識はない。おそらく双剣を握れば、手酷い傷を負わせることは予想できた。
だからミコトは頑なにブリギットの言葉に頷かなかった。
「いや……」
「家族と友人。どっちを取るかなんて明白でしょう?」
「どっちも大切なんだ……アケノはボクにできた……初めての友達なの……」
ミコトの世界は一度、魔王軍の侵攻で壊れ去った。
家族も友人もいなくなり、そこでブリギットに育てられた。それからはほとんど孤児院におり、友人ができたことはなかった。
だから、今のミコトにとって明乃は初めての友人だった。
「聖王国は私を狙ってるわ。だからトウマ・サトウは放置できないし、双剣を完成させないと帝国からは解放されない。すべて繋がっているのよ? あの子の血がなければあなたはトウマには勝てないわ」
「勝てる……勝って見せるよ! だからお願い! 明乃は見逃して!」
「我儘な子ね……私の言うことが聞けないの?」
底冷えのする声にミコトは背筋を凍らせる。
こんな母の声を聞いたのは初めてだった。
純粋な恐怖によって体が硬直する。しかし、それでもミコトは意思表示をやめなかった。
「ボクは嫌だ……アケノを傷つけるのは絶対に……」
「……しょうがない子ね」
そう言ってブリギットは呆れたようにため息を吐き、優しく微笑んだ。
わかってくれた。自分の想いが通じたことにミコトは歓喜した。
しかし、それがまやかしだということにすぐに気づかされた。
「ならあなたには頼まないわ」
「え……?」
「あなたにできないなら、あなた以外にやってもらうわ」
「ま、待って……今から孤児院の子たちを呼んでちゃ間に合わないよね……?」
「そうかもしれないわね」
「なら……〝誰に〟頼むの……?」
その瞬間、ブリギットは嗤う。
哀れで愚かな我が子を。
この状況でもまだ自分を信じる純粋で愚図な人形。
そんなミコトに思い知らせるように、ブリギットは指を鳴らしてそれを呼んだ。
「来なさい。ダーインスレイヴ」
言葉と同時にミコトの手に漆黒の双剣が収まった。
自分が呼んだわけじゃないのにどうして!?
混乱するミコトの脳裏に斗真の言葉が蘇る。
「……子供を魔剣で操った……?」
「あら? ようやく気付いたのかしら? 本当に馬鹿な子ね。どうせ意識を食われるだろうから言っておくわね。愛していたわよ、人形としてね」
ミコトの心に絶望の闇が広がる。
それと同時に禍々しい魔力を発して、双剣、ダーインスレイヴがミコトのことを取り込みにかかる。
『殺せ……敵は倒し、血を奪え……』
「やめっ! 嫌だ! ボクに話しかけるな!」
『殺せ、殺せ、殺せ。血を奪うのだ。それが我を強くする』
「うわぁぁぁあ!! お母さん……やめてよ……」
「この後に及んで、私に縋るなんて……本当に救いようのない子ね。あの少女から血を奪ってきなさい。ダーインスレイヴ」
「いや……」
どんどん自分が侵食されていくのを感じて、ミコトの目から涙がこぼれる。
もっとも信頼していた母に裏切られた。そのことにミコトの心は諦めかけるが。
それでもという気持ちが少しだけミコトには残っていた。
せめて、優しくしてくれた人たちだけは。
「に、逃げてぇぇぇぇ!! アケノぉぉぉぉぉ!!!!」
これまでの人生で最も大きな声だった。
その声はたしかに明乃の耳に届き、明乃の護衛たちがブリギットとミコトに気づく。
しかし、それまでだった。
その瞬間、ミコトの視界は漆黒に染まった。
いよいよこの章も大詰めになってまいりました!
まだブックマークしてない方、ポイント入れてない方はぜひいれてくださいな!