第四十一話 平和な朝
今日は平常運転です
次の日の朝。
俺は微睡の中にいた。どういうわけか、今日は明乃が起こしに来なかったので二度寝に突入しつつあったのだ。
そう、この怠惰な感じ。これが人間にとって至上の幸せなんだ。最近、この幸せを味わってなかったなぁ。
睡眠欲という純粋な欲に敗北し、人間は喜びを得るんだ。堕落の喜びではあるが、それゆえに甘美だ。
なんてよくわからないことを思っていると、部屋のドアが開いた。
いつもより遅いが、明乃が来たらしい。馬鹿め、もう俺の意識は睡眠に落ちつつある。いつものように起こせると思うな。
このまま俺は二度寝の魔力に憑りつかれ、落ちるところまで落ちるんだ。
「おはよう! トウマ!」
「ごはぁ!?」
突然、俺は腹部に強烈な衝撃を受けた。その衝撃で頭と足が浮き、思わず体がくの字になった。
明らかに何かが乗ってきた感じだ。
苦しくて涙がこぼれる。ゆっくりと腹部を確認すると、ニコニコと笑うミコトが腹の上に乗っていた。
「あははっ、起きた? 朝だよー」
「とりあえず……退け……」
「えー、アケノがトウマは朝に弱いって言ってたから起きるまで駄目だよー。起きないならもう一回ね」
「いや、やめっ」
「えいっ!」
止める間もなく、少し距離を取ってミコトがフライングプレスを敢行してくる。
これで防御しようものなら、俺の膝や腕がミコトにあたる。結局、俺は無防備のまままた攻撃を受ける羽目になった。
「がはっ……!」
「これ楽しいー。起きた?」
「違う意味で寝そうだ……」
意識が覚醒しきってない中で二度も攻撃をくらい、思わず意識が遠のきかけた。こいつ、躊躇なく飛び込んできやがったな……。
ミコトは俺の様子を見ながら、パタパタと手足を揺らす。
今わかった。こいつは猫や犬の類だ。飼い主に起きてほしくて飼い主にちょっかい出すペットと同列だ。
「ねぇ起きようよー次はもっとすごいの行くよー?」
「お前は本当に起こしにきたのか……? 俺をノックアウトしにきたの間違いじゃないか?」
「違うよー。ボクはトウマに早く起きてほしいだけ。ねぇ起きてよー」
「わかった、わかった……」
なんとか三回目の攻撃を避けるために俺は上半身を起こす。
しかし、ミコトは俺の上から退かない。
「おい」
「ねっ! もう一回やっていい?」
「駄目に決まってんだろ!? 俺は起きたんだから退けよ!」
「えー、楽しいのに」
「楽しいのはお前だけだ……」
こいつといると朝から死線をさまよう羽目になるのか。
思った以上に危険だと認識しつつ、俺はなんとかミコトを退かそうとするが、ミコトは俺の上から退かない。
「ええい! 退け!」
「あはははっ!! 退かしてみろー」
「このっ!」
その後、しばらく攻防戦をしている内に俺の目は完全に覚めてしまっていた。
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「と、斗真さんが引きずられないで起きてくるなんて!? お父様、今日は雨です!」
「おい、サラリと失礼なことを言うな」
これまで何度も引きずられないで起きてきた。明乃に起こされても起きないのは、俺が早起きする必要がないときだからだ。
起きなきゃいけないときはさすがに俺でも起きる。
「くそ……まだ腹が痛い」
「楽しかったねー」
「ミコト、どういう起こし方をしたんですか?」
「うんとね、ジャンプしてトウマの上に乗っかった。二回」
「えっ!?」
破天荒な答えに明乃が驚き、腹をさする俺を見る。
俺はそんな明乃を軽く睨みながら、食事の席についた。
「よくもこんな刺客を送り込んでくれたな?」
「ど、どうしてもミコトが起こしたいというので……」
「起こすどころか落とされかけたぞ……」
朝からわいわいと会話が弾む。
その様子を見て、上座にいる雅人は食事を始めながらミコトに提案を持ち掛けた。
「ミコト。今日の予定はあるのかな?」
「はい! お母さんに連絡します。でもまだお母さんは日本に来ないと思うから、とりあえず泊まるところを探します」
「お前のお母さん、地球にいるのか?」
「うーん、わかんない」
「わかんないって……」
ケルディアと地球でも連絡を取ることはできる。
超高性能な通信機器を使うか、特殊な魔法や魔術を使えばの話だが。
しかし、そんなもの中々手に入らない。となると、連絡が取れるならばミコトの母親は地球にいるということだ。まぁあちこちにゲートはあるし、別のゲートから地球入りということは十分にありえるだろう。
「日にちを指定されて、その日が来たら連絡しなさいって言われてるだけだからねー。それまで東京にいなさいねって言われてるんだよ」
言いながら、ミコトは昨日と同じように美味しそうに食べ始めた。
好き嫌いもないのか、なんでも美味しいといいながら口にいれていく。こいつの姿を見れば料理人も涙を流すことだろうな。それくらい美味そうに食ってる。
「放任主義なお母さまなんですね」
「うん、そうだね」
「そうか。では母親と合流するまではこの屋敷にいなさい。もちろん嫌でなければだが」
「えっ!? いいんですかっ!?」
「もちろんだ。君がいると家が明るくなる」
「ありがとうございます! アケノのお父さん!」
雅人は笑顔で答え、ミコトも弾けるような笑顔で頷く。
明乃もまだミコトが滞在することとなって嬉しそうだ。
しかし、俺と雅人は一瞬だけ視線を交わす。
昨日の時点で雅人にはミコトへの違和感を伝えてある。何だか知らないが、ミコトにはふとしたときに、得体のしれない違和感が付きまとう。また会って、近くで喋れることでそれは余計に強まった。
それが何なのかわからないうちは、自分たちの手元に置いたほうがいいという判断だ。
もちろん言葉にしたことは嘘ではないだろうが。
「じゃあお母さんに連絡し終わったら、また東京を歩こうかなぁ。トウマとアケノは用事あるの?」
「明乃は学校だし、俺も明乃の護衛だ」
「そうですね。合流できても午後からですね」
嘘は言ってない。しかし、俺は今日、明乃の護衛につく気はなかった。すでに昨日の夜の時点で光助には連絡を取っている。
俺の言葉にミコトは違和感を覚えた様子もなく、そっかと残念そうにつぶやく。
「じゃあボク一人で歩くよ」
「悪いな。迷子にならないか?」
「馬鹿にしてるなー。もうっ! ボクは子供じゃないから平気だよ!」
「GPSつきの何かを持たせたほうがいいと思うんですが?」
「そうだな。最悪迎えにいけば良いという状態にしておこう」
「GPS?」
「お前の居場所がわかる装置だ。迷子になってもこれで大丈夫だぞ」
からかうように言うとミコトは不満そうに頬を膨らませた。
子供じゃないって言ってるのに、とやや怒りながら食事を再開するが、二、三口進むと忘れたように幸せな表情を浮かべていた。
これで言い方は悪いが首輪をつけることには成功した。あとは今日一日尾行してみて、どういう行動をするか。それ次第だな。
違和感は所詮違和感。しかし、これまでその違和感を信じてきて、何度も命拾いをしている。
少なくともミコトは〝普通〟ではない。
まず孤児院育ちのミコトはお金を持ちすぎだ。それに一人で日本に来させているのもわからない。これまでの行動からミコトは明乃のようにしっかり者というわけではないからだ。さすがにいきなり異世界に一人旅は危険すぎるだろ。
もしも何の裏もなくミコトを一人で日本に来させているなら、ミコトの母。孤児院の院長は相当なチャレンジャーだ。
あとは謎の指示。自分に連絡しろというのはわかる。しかし、普通、ミコトが日本にいるのだから東京のゲートを使うべきだろう。わざわざほかのゲートを使うのはありえなくはないが、変ではある。考えられるのは、その孤児院の院長が聖王国のゲートを使えないというパターンだ。
「なぁミコト。お前の母親ってなんて名前だ?」
「お母さんの名前? なんで?」
「いや孤児院をやっている知り合いはけっこういるから、もしかしたら知ってるかと思ってな」
「ああ、なるほど。ボクのお母さんの名前はジェシカだよ」
「そうか。悪い、知らない名だ」
さすがにそのまま本名を使うわけないか。
あいつは聖王国から指名手配されているしな。
ただ奴なら孤児院を経営していてもおかしくない。自分の娘が死んだのに、ほかの子供が生きている。そのことすら恨んでいる女だからな。
復讐のために孤児を利用してもおかしくない。
思い込みであってほしいとは願いつつ、俺はミコトへの警戒を怠らなかった。