第二十三話 明乃の博打
「よう、遅くなって悪かったな」
「とう、ま……さん……?」
明乃は驚きながら、まるで狙ったかのようなタイミングで現れた斗真を見た。
遠くでこちらがピンチになるのを待っていたかのような現れ方だったため、思わず影でこっそり見てたのではないかと疑ってしまうほどだった。
しかし、すぐにそんなくだらない考えは消え去った。
「はっはっはっ……!! やはりこの国は面白い! まだ貴様のような侍が残っていたか!」
「再生能力か……」
嘘だと明乃は心の中で呟く。
体を真っ二つにされて再生するなんて。そんなの無敵ではないかと思ったが、斗真は動じた様子すら見せない。
「では二人の巫女を賭けた勝負といこう。勝ったほうが総取りだ!」
「そうかい。それじゃあ二人は俺のもんだな!」
どこからその自信が出てくるのか。
不思議に思いつつ、明乃はただ上空で酒呑童子とぶつかり合う斗真を見続ける。刀を抜いた影響か、斗真は自然と空に浮いている。纏っている雰囲気も刀を抜く前とは別人に思えた。
上で行われた戦いは次元の違う戦いだった。ほとんどなにが起きたかわからず、気付いたら酒呑童子の胸には傷があり、それが見る見る内に治っていくことに絶望しか感じられなかった。
しかし、そんな明乃を叱咤するように空から斗真が声をかける。
「明乃!」
「は、はい!?」
教師にいきなり指名された生徒のように明乃は背筋を伸ばして返事をする。
しかし、体は反応しても頭は混乱していた。すでに明乃の中では自分は戦力外であり、傍観者という位置づけだったからだ。
今更声をかけてくる斗真に明乃の理解は追い付かない。
だが。
「下の白い鬼を倒せるか?」
「えっ……?」
そこで明乃は初めて茨木童子の存在を思い出す。
いつの間にか茨木童子は船に乗り込んでおり、明乃を警戒するように二本の骨刀を構えていた。
その後ろには攫われた魔術師たちがいた。まるで茨木童子はその魔術師たちを守っているようだった。
しかし、明乃の視線はそこには向かない。ただ明乃が見つめるのは奥でガラス玉のように無機質な瞳を見せている柚葉だけだった。
いつも自分を導いてくれた本当の姉のような存在。いつも強くて、いつも正解を引き当てる憧れの人。
この人のようになりたいと願った。いつかこの人と共に戦えるだけの自分になりたかった。
その人が今、敵の手にある。何をされたのか。自分じゃ想像できない酷いをことをされたのだろう。
けれど、自分はその人を助けることも、その人をこんなにした相手に傷をつけることすらできなかった。
無力感と共に明乃の心に悲しみが広がる。どうして自分はこんなに弱いのだろうか。どうしてこんなことになったのだろうと。
だが、そんな明乃を現実に引き戻す声が再度降ってくる。
「答えろ、明乃! 倒せるか!?」
それは強い言葉だった。
イエスかノーしか求めていない問いであり、曖昧な返事など許されないことが口調からわかった。
目の前に立つ茨木童子はどう考えても強い。そんなのは対面しているだけでわかる。
自分がこれまで討伐した魔物などとは比べ物にならない強者だ。
目と目が合い、心が折れそうになる。しかし、明乃は自分を奮い立たせた。
奥には憧れの人が捕まっており、認めてほしいと願った人が倒せるかと問いかけてきている。
自分もまだ必要とされている。そのことが明乃の心に再度火をつけた。
まだ自分は守られるだけの無力な存在ではないのだと。圧倒的に強い斗真の隣にはまだ立てないが、ささやかな手伝いくらいは今でもできるのだと。
「倒します・……!」
「よし。じゃあ任せたぞ。俺はこいつの相手をしてる。光助と、そこの冒険者。悪いが手伝ってやってくれ」
斗真の言葉を受けて、光助は嫌そうに顔をしかめ、トムは意気揚々と返事をした。
「マジか……」
「はい! うわぁ! 僕、今、五英雄の一人と喋っちゃいましたよ? どうしよう!?」
「アイドルと喋ったみたいな反応するな。気持ちわりぃ」
「アイドルより希少ですよ!? 魔王をその手で討った名もなき無刃の剣士! 五英雄中最も謎に包まれ、それゆえに最も強いと言われる剣士ですよ!?」
「どんだけ異世界で出世しても、俺の宿題をあてにしてたろくでなしってのは変わりはしねぇよ。それに今のあいつは五英雄じゃない。東凪明乃の専属護衛だ」
光助の言葉に明乃は笑う。
良い人だと素直に思った。どのような態度であれ、一貫するのは難しい。かつて東凪家が表に出たとき明乃の周りから友人は消え失せた。だれもが態度を変えたからだ。
別にいじめがあったわけじゃない。ただ壁ができただけだ。今でもその壁はあり、その壁を気にしないのは栞とごく少数の友人だけだ。
だから素直に明乃は光助を信頼できた。はしゃぐトムも実力は確かだ。この二人が援護してくれるならばやれると明乃はなぜだか思えた。
「二人とも援護をお願いします」
「ふん、舐められたものだ。三人だけで私の相手が務まると思ったのか?」
茨木童子は骨刀を構える。
人の背骨を抜き取り、刀に加工したその刀はそこらの妖刀など目じゃない切れ味を誇る。
順当に考えれば中距離戦を仕掛けるべきだろう。しかし、明乃は躊躇わず茨木童子に接近した。
まさか魔術師が接近戦を仕掛けてくるとは思わず、茨木童子は一瞬虚を突かれた。
「困ったお嬢様だ!」
「すごいなぁ。僕は無理ですよ、あれ」
光助はサブマシンガンで、トムは弓矢で茨木童子に攻撃を仕掛けて行動を制限する。
茨木童子はその攻撃を骨刀で弾くが、その間に明乃は懐に入っていた。
「はっ!」
両手を合わせた掌底。
莫大な魔力を持つ明乃のその一撃は、いくら茨木童子でもまともに食らうわけにはいかなかった。
体をひねり、それを躱すと流れのままに刀を振るう。
その刀をしゃがんで避けると、明乃は茨木童子から離れずにさらに接近する。
「ちっ!」
器用に骨刀を操り、茨木童子は懐に潜り込む明乃を攻撃するが、攻撃しづらい超至近距離であること。そして絶妙なタイミングでトムと光助が嫌がらせじみた攻撃を仕掛けてくるため、明乃に集中することができないでいた。
また茨木童子は攫った魔術師たちを守らねばならないため、大きく距離を取ることができないでいた。
「旋牙!」
クルリと回転し、明乃は東凪流気功術の技を使う。
回転した勢いを使って相手に踏み込み、相手に掌底を叩きつけると同時に魔力を流し込んで吹き飛ばす技だ。
そこまで大した技ではなく、大抵の気功術の流派にはあるような技だが明乃が使えばそんな普通の技でも一撃必殺の危険技と化す。
込められた魔力量に気づき、茨木童子はギリギリで躱す。しかし、そのせいで防御に穴ができた。
トムの矢が茨木童子の肩に突き刺さる。とはいえ、致命傷には程遠く、茨木童子にとってはかすり傷のようなものだった。
「嘘でしょー……結構本気だったのに」
トムは緑鬼に放ったときよりも数段強く放った矢がその程度のダメージしか与えないことに驚きを現わす。
緑鬼が風を纏っていたように、茨木童子も魔力の鎧を身に纏っていた。それによってトムの攻撃はかなり威力がそがれたのだ。加えて元々の鬼としての防御力も茨木童子のほうが上だった。
しかし、そんな茨木童子でも明乃の攻撃だけは気をつけねばいけなかった。一撃でやられることはないが、何度も喰らえばどうなるかわからない。
かといって、明乃を殺すわけにもいかない。自分を倒すだけの攻撃力を持った相手を殺さないように戦っている。それが今の茨木童子の弱点であり、明乃が接近戦を挑んだ理由だった。
自分の魔力が欲しいならば殺しはしないはず。その可能性を信じ、明乃は自らを死地に置いたのだ。
そしてそれによって茨木童子の警戒は飛躍的に上がった。
今までは明乃の攻撃を捌きつつ、余裕をもって光助とトムに対処していたが、徐々に精度の増す明乃の攻撃によって茨木童子に余裕がなくなったのだ。
もちろん警戒し、本気を向けているため攻撃も防御も鋭さが増しているがそこが明乃の狙いだった。
「武芸者でもない小娘にこれ以上舐められるわけにはいかんのだ……!」
少しだけ茨木童子が距離を取る。それは打撃の間合いではなく、刀の間合いだった。
その瞬間、茨木童子は二刀を連続で振るって、光助とトムの援護射撃を弾く。
高速で動く二刀を見て、明乃はまるで嵐だ、と思った。そして今、自分はそこに飛び込もうとしている。
自殺行為と笑われるかもしれない。少なくとも少し前の自分ならしない行為だった。安全も確認できないし、あまりに無謀すぎる。
もっと安定を取って戦うのが一番だと前なら考えただろう。
けれど、今は違う。
自分を変えた人に聞かれたのだ。倒せるか? と。
それに応じた以上、勝機を掴みにいかなければいけない。
変わったのは間違いなく、あの人のせいだった。影響を受けたといってもいい。しかし、明乃は変わった自分が嫌いではなかった。
「はあぁぁぁ!!」
気迫の声を出しながら、勇気をもって明乃は乱舞する刀の中に踏み込んだ。かろうじて剣筋は見えるが、躱せるかといえば別だ。
光助とトムが一斉に茨木童子の〝右手側〟に攻撃を仕掛ける。
そのため、茨木童子は左手で明乃を攻撃した。その攻撃には迷いはない。生きてさえいればいいという容赦のない攻撃だ。
だが、その刀は明乃の手前で動きを止めた。
最も簡単な防御魔術〝防壁〟をギリギリまで効果範囲を絞って攻撃軌道上に張っておいたのだ。
打ち合わせなどない。光助とトムが明乃の狙いを察しず、片方に牽制を集中しなければ無防備な状態で攻撃を受ける羽目になった。
まさしく博打だった。
しかし、それは成功したのだ。
「なに!?」
「極陽の矢は東天より昇り、全天を照らす――」
この詠唱はまずい!?
本能的に茨木童子はそう判断し、自らの安全のために右手の刀を動かした。
狙いは明乃の首。たとえ自らの主の怒りを買おうともここで負けるわけにはいかない。そう茨木童子に思わせるほど、さきほどの明乃が放った天羽々矢は強力だった。
茨木童子の右手はこれまでで一番スムーズかつ最速で明乃の首に向かった。
ザシュッ。
首を刎ねる音を聞き、茨木童子は自らの愚かさを痛感した。
明乃を殺してしまった――からではない。
「幻術か――!!??」
音はあれど感触は首を刎ねたものではない。
気づくと同時に首を刎ねられた明乃の姿が霧散する。その後ろでその幻術を仕掛けた光助がニヤリと笑う。最初のほう、余裕のあった茨木童子ならば気づいただろうが余裕がなくなった茨木童子は一瞬とはいえ、光助の術中に落ちてしまったのだ。
そして、その一瞬は間違いなく致命的だった。
後ろからまるで死神の足音のような詠唱が聞こえてきた。
「滅魔の炎、清浄なる光。天涯まで届くその陽はすべてに恩恵を与え、すべてに天罰を与える――」
「お許しを、総大将。私が愚かでした。このような化け物を小娘と侮るとは」
一気に膨れ上がる魔力はさきほど酒呑童子に放ったときよりもすさまじい。
頭に血が上っていたときよりも詠唱と魔力コントロールに集中しているからだ。
そのことに戦慄を覚えながら茨木童子は主に謝罪する。
やはり戦力が整うのを待つべきだった。まさか化け物が二人もいるとは。
「不遜を承知で我はその矢を放たん! ―天羽々矢―!!」
神炎を纏った矢がゼロ距離で放たれ、茨木童子はその神炎の矢に飲み込まれていく。
魔の存在を一切許さないその炎の矢によって、茨木童子の存在はこの世から消し去られたのだった。