第二十一話 天羽々矢
「撃て撃て! 撃ちまくれ!」
光助が車を運転しながらそう叫ぶ。
それに合わせて助手席に座っていたトムが身を乗り出して矢を放つ。
しかし。
「これ、キリがありませんよ?」
「それでも撃て! 目的地はすぐそこだ!」
すでに高尾は目の前に来ていた。
近くで護衛していた香織とその部下たちはしつこく近づいてくる敵の一団を食い止めるために防衛線を作っている。しかし、それをこえて明乃を追ってくる鬼もかなりの数いた。
「須崎さん! 私が走っていきます!」
「ふざけんな! そんなことさせるわけないだろうが!」
「そうだよ! 明乃ちゃん!」
光助と栞に強く止められ、明乃は車から出るのを諦めざるをえなかった。
だが、このままでは鬼たちの物量作戦に押し切られる。
そんな予感を明乃は感じていた。
しかし、明乃の焦燥とは裏腹に鬼たちは一斉に退き始めた。
「あいつら退いてますよ?」
「なんだと!?」
「嘘……私たち勝ったの……?」
唯一戦闘経験のない栞の楽観的な意見にほかの三人が首を横に振る。
鬼たちは優勢だった。死を恐れずこちらに突っ込んでくるという戦法を続けていれば押し切れた可能性は高い。
にも関わらず退いたということは。
「向こうにとって予想外の事態が起きたんじゃなけりゃ、あいつらが退いたのは自分よりも強い奴が来たからだろうな」
そう光助が言った瞬間。
空に謎の帆船が現れた。なぜその形状で飛べるのか。もはや存在が理解不能なその船は、ゆっくりと明乃たちの前に降下してくる。
「全員降りろ。車はもう意味はない」
光助が指示を出し、明乃たちは車を降りる。
ほぼ同時に謎の帆船は明乃たちの前に降り立った。
そこに乗っていたのは巨大な赤鬼と人と大差ない白鬼。そして巫女服を着た複数の攫われた魔術師たち。
その先頭に柚葉の姿を見つけた明乃は目を見開き、駆け寄ろうとする。
「柚葉さん!!??」
「待て! 行くな!」
「でも! 柚葉さんが!」
「わかってる……だが、助けるにはあの二体をどうにかしないと無理だ……」
これまで出会った鬼たちとは格が違うことを光助は感じ取っていた。
もちろん、明乃もそれは感じていたが、それよりも明乃にとっては柚葉が敵の手の中にいるということのほうが大切だった。
「それなら……討伐するのみです!」
明乃は両手を船の中央にある椅子の上でふんぞり返る赤鬼に向ける。
しかし、その赤鬼に一瞥されただけで詠唱の言葉が口から出なくなった。
体が震え、嫌な汗がびっしょりと体を濡らす。それが恐怖であることを理解し、明乃は愕然とした。
「ふむ、実力差くらいはわかるようだの」
そう言って赤鬼は椅子から立ち上がると高らかに自らの名を名乗った。
「儂の名は酒呑童子。すべての鬼を統べる鬼王である。こっちは我が一番の家臣、茨木童子だ。まぁわかっているとは思うが、逆らうのはやめておくがいい」
酒呑童子の言葉は四人の体を硬直させた。
まるで心臓を直接握られたかのような息苦しさに襲われ、体がまったく思ったとおりに動かない。
そういうことにまったく経験がない栞は、耐えきれずに意識を失い倒れかけた。
なんとか動いたトムが受け止めるが、そのトムもこれまでにない相手に冷や汗をかいていた。
「これが天災級モンスターですか……」
「どうにかなるか……?」
「無理ですね……横にいる奴なら皆さんと協力すればもしかしたらってところじゃないですか……?」
それですらもしかしたら。
その奥に君臨する酒呑童子には間違いなく歯が立たない。トムの冒険者としての勘が逃げろと告げていた。
こんな奴らに挑むだけ無駄だと。
だからトムはどうやって明乃を逃がすか考えていたのだが。
「酒呑童子……千年前に封印された鬼の王……答えなさい。柚葉さんに何をしたの……?」
恐怖を飲み込み、明乃は震える体に鞭を打って酒呑童子を真っすぐと見据えた。
そんな明乃の気概に応じる形で酒呑童子はたいしたことじゃないかのように事実を告げた。
「堕とした。色々と小細工をしてな。今では儂の操り人形だ。お主もやがてこうなる」
その酒呑童子の口上に明乃の中で何かが切れた。
明乃は無我夢中で足裏で魔力を爆ぜさせ、縮地を用いた。
自分でコントロールはおろか、止まることすらできなかった縮地を土壇場で成功させ、明乃は酒呑童子の左真横に回った。
「その雷は暗く、闇より深い。その雷鳴は千里を超え、粉砕の衝撃をもたらす。黒き雷よ、我が手に宿れ! ――黒雷閃――!」
早口で詠唱し、できるだけの魔力を込める。
酒呑童子は視線だけで明乃を追うと、左手で明乃が放った黒い雷を受け止める。
しかし。
「ほう?」
勢いを殺しきれず、酒呑童子は船の外へと吹き飛ばされる。
それを見て茨木童子が動こうとするが、それを光助とトムが邪魔をする。
「明乃! 走れ!」
光助はサブマシンガンを連射しながら叫ぶ。
こうなっては致し方ない。すぐ近くの結界内まで明乃を逃がそうと光助は考えたが、頭に血が上った明乃はその指示を聞き入れない。
「よくも……よくも柚葉さんを!!」
船の上にいる柚葉には表情がない。まさしく人形のような柚葉を見て、明乃は血走った目で酒呑童子を睨む。
その視線を楽し気に受け止めながら酒呑童子はゆっくりと、しかし悠然と船に向かって歩く。
そんな酒呑童子を殺気の籠った目で見据え、明乃は両手を向けながら東凪に伝わる奥義を詠唱し始めた。
「極陽の矢は東天より昇り、全天を照らす。滅魔の炎、清浄なる光。天涯まで届くその陽はすべてに恩恵を与え、すべてに天罰を与える。不遜を承知で我はその矢を放たん! ―天羽々矢―!!」
見る者を虜にする黄金の神炎。
それを纏った巨大な矢が出現し、酒呑童子に狙いを定める。
その強大な魔力を感じ、さすがの酒呑童子も歩みを止めた。
「これほどとは……素晴らしい」
呟きと同時に矢が放たれる。
加速する神炎の矢は周囲を焼きながら酒呑童子へと向かっていく。
触れれば最後。魔に対して絶対的な特攻を持つこの矢は自分を燃やし尽くすだろうと感じ、酒呑童子は弾くのでは大きく躱すことを選択した。
まだまだ奥義をコントロールできていない明乃には、そんな酒呑童子を追尾するだけの力はなく、矢は真っすぐ飛ぶだけでかなり遠方の上空で爆ぜた。
「未熟で助かったわい。千年前ですらこれほどの魔力を持つ者はいなかった……」
自らを封印した者たちが、次代の脅威に対抗するために魔力の高い者同士で結婚を繰り返した奇跡の結果なのだろうと酒呑童子は予測し、愉快そうに顔を歪める。
いつかの脅威のために生み出された奇跡の子が、結局は自分の糧となり、自分の人形となり果てる。
これほど自分を封印した者たちへの意趣返しはないと思ったからだ。
一気に魔力を消耗した明乃ははぁはぁと荒い息を吐いている。捕まえるのは容易い。護衛も大したことはない。
だから酒呑童子はさらなる成果を求めた。
「結界の中にいる聖なる巫女姫よ! 聞くがよい! お主がその身を我に委ねるならば目の前の巫女は見逃してやってもよいぞ?」
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「勝手なことを言う奴ですな」
コールブランドのブリッジでルーデリックが呟く。
約束を守る保証などどこにもない。ほぼ間違いなくエリスの身柄を手に入れたら、今度は明乃を狙いにくる。
そもそも明乃とエリスの身は同等ではない。立場的にも状況的にもエリスを失ったほうが被害がでかい。
そんなことをルーデリックが考えていると、エリスが小さく呟く。
「第二結界の用意は?」
「準備は出来ていますが、あの鬼をはじき出せる保証はありません」
女従者の言葉にエリスは自分の無力さを痛感した。
広域聖結界魔法プリトウェンは第三段階まであるが、第三段階まで達すれば王族の命が危険になり、第二段階でも展開時間は大幅に短くなる。そのため確実に酒呑童子は弾き出せない場合、自分たちの首を絞めることになる。
大局を見ればここは静観するのが得策だ。ゲートさえ守っていれば聖アルクス王国には被害はなく、完全復活したとしても聖騎士の投入でおそらくどうにかなる。
だが、個人的な思いがエリスを迷わせていた。
ここで明乃を見捨てても斗真はエリスを責めないだろう。しかし、斗真はまた守れなかったという心の傷を負う。そうなれば斗真は自責の念から自らの命を絶つかもしれない。
自分で斗真をけしかけておいて、心の傷だけを残すような結果はあまりにも勝手とエリスには思えた。
「姫殿下……申し訳ありませんが姫殿下を外に出す気は私にはありませんよ?」
「艦長……」
「あなたを失えばゲートも失われる。多くの我が国の民が苦しむことになります。王族として正しい決断を」
そう求められ、エリスは自分の中に流れる聖王家の血を呪った。
このような血が流れているから決断tを強いられる。
誰も彼もを犠牲にして、生き残るほどの価値がこの血に果たしてあるのだろうか。
深く暗い思考の海に潜っていたエリスを引き戻したのは一つの魔力反応だった。
それは無力感に苛まれるエリスを照らす希望の光となった。
「ふふ……声を外に届けてください」
「は、はい……」
「鬼の王、酒呑童子、わたくしはアルクス聖王国の王女、エリスフィーナ・アルクスですわ」
『ほう? こちらの呼びかけに応じる気になったか?』
エリスの声を聞き、酒呑童子はご機嫌な様子で喋る。
しかし、エリスはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ……わたくしはあなたのモノになる気はありませんわ」
『ならば目の前の巫女を見捨てるのだな?』
瞬間、酒呑童子は明乃の傍に移動し、明乃の首を掴み持ちあげる。
圧倒的膂力に抵抗できず、明乃は息苦しさに呻く。
そんな明乃の姿にエリスは悲痛な表情を浮かべながら、言葉を続ける。
あと少しの辛抱だと自分に言い聞かせて。
「明乃さんは見捨てはしませんわ」
『どちらもという選択肢はお主には残っておらんだろ?』
「いえ、残っています。そもそもあなたは勘違いをしていますわ。わたくしを……わたくしたちが欲しいと言うならあなたは一人の剣士を倒さなければいけませんわ」
『なに?』
「わたくしが知る中で最強の剣士であり、あなたの目の前にいる明乃さんの護衛。かつてケルディア全体を闇に陥れた魔王をその手で討った剣士。語られる名はなく、ただ名もなき無刃の剣士と知られる英雄。地球の日本で生まれ、ケルディアで育った両世界最強の剣士をあなたはまだ討ち取っていない。わたくしたちが欲しいというなら、その剣士、トウマ・サトウを討ち取ってみなさい! 討ち取れたならばこの身を差し出しましょう」
エリスはそう告げ、その後にただ、と続ける。
「あなたには無理ですわ。彼は現代に生き残った最後の侍。この国を護る最後の守護者。ですから……あとは頼みましたわ、トウマ様!」
声と共に斬撃が飛ぶ。
その余波で雲が割れ、酒呑童子の体が縦に割れた。