第百三十一話 明乃VSアケノ
明乃にとって自分と戦うというのは不思議な経験だった。
「はっ!」
間合いを詰めて掌底を狙うが、向こうも自分なためあっさりと見抜かれて間合いを開けられる。
先ほどからこんなことばかりだった。
相手の攻撃も読める反面、こちらの攻撃も読まれる。
どうにもならない手詰まり感に明乃はひそかに焦りを抱いていた。
「大見得切って引き分けでは格好がつきませんからね……」
チラリと斗真のほうを見れば斗真のほうも手詰まりな様子だった。
ただの斗真の場合は大局を見て、決めにいっていないといったほうがいい。
ここで明乃が自分に勝って斗真の援護に回るのが一番の理想だった。
だから明乃は両手を降ろした。
完全な無防備。戦闘中に最もやってはいけない行動だ。
一瞬、相手のアケノも動きを止める。しかし、隙であることにかわりはないため、相手のアケノが突っ込んできた。
狙うは腹部に掌底。分かっていながら明乃は動かない。
完全に回避不可能なところまではいられて微かな恐怖が明乃の頭をよぎるが、それを明乃は自分を奮い立たせて振り払った。
「双牙!!」
両手の掌底による打撃。
それは寸分違わず明乃の腹部にお見舞いされた。
しかし、明乃と掌底の間にはわずかな隙間があった。
防壁による局所防御。
茨木童子との戦いで見せた博打だ。
あの戦いを経験していなければ決して行わない愚者の戦法。
斗真の後押しがあったから勇気をもって行えた勇気ある行動。
「あなたも私なら……いい加減に目を覚ましなさい!!」
明乃は決定的な隙を晒した自分の頬に向かって平手打ちをする。
思いっきり叩かれた相手のアケノは痛みに顔しかめる。
それはずっと無表情だった相手のアケノが初めて見せた表情だった。
「ただでさえいつもいつも足を引っ張っているんです! 意地があるなら瞳術なんて跳ね除けなさい!」
自分に説教をする日が来るとは。
不思議な感覚にとらわれていた明乃だが、そのせいか相手のアケノが取った行動に対応できなかった。
「うる……さい!!」
初めて出た声。自分と同じ声。
いつもよりずっと感情のない声だが、そこにはほんの少し怒りの感情が混じっていた。
その声と共に放たれた平手打ち。
明乃はそれを避けられなかった。
「っ!? まさか……自分に打たれるときがくるなんて思いませんでしたよ……」
微かによろけるが、明乃は踏みとどまる。
ここで退いては負けだと直感したからだ。
「説教をうるさいと感じるならいくらでも説教をしてあげますよ。いつまで心を閉ざしているつもりですか!」
明乃が右手で掌底を放つ。それを左手で受け止め、相手のアケノも掌底を放った。そして明乃もそれを左手で受け止めた。
「あなたに……何がわかるというんですか……?」
「わかりますよ……あなたは私だから」
「わかって……たまるかぁぁ!!」
そこから始まったのは相手のアケノの連撃。
「くっ!?」
怒涛の連撃に明乃は防戦一方に追い込まれる。
少しずつ、少しずつ明乃は後退させられる。だが、連撃がクリーンヒットすることはなかった。
「はぁはぁ……」
「終わりですか?」
確認を取ってから明乃は掌底で相手のアケノを吹き飛ばす。
相手のアケノは両手でガードするが、想像以上の威力に大きく後退させられた。
魔力が乱れた土地で戦闘を行った明乃は、これまでとは違ったレベルでの魔力操作を身に着けていた。
そのため本気でやれば、一撃一撃の重さも相手のアケノとは違っていた。
「わかりますよ……。私は今が好きです。今いる世界が好きです。だから……どんなことがあったら自分が絶望するのかだいたい想像がつきます……」
自分が世界を拒否し、他者の召喚にまで応じるほど絶望するなんてありえない。
唯一あるとすれば――。
「あなたは……斗真さんを失ったんですね」
言われた瞬間、相手のアケノの目から涙がこぼれる。
明乃の言葉で思い出したくない光景がフラッシュバックしたのだ。
明乃を庇い、酒呑童子に貫かれる斗真の姿。刀を抜くことができず、すまないと言って倒れる斗真の姿。
「いや、いや……いやぁぁぁ!!」
叫びながら相手のアケノはがむしゃらに手を振るう。
その手に技巧などない。ただ振り回すだけの手。
明乃はその手を受け止めて、両手で掴む。
「悲しくて、やるせなくて、悔しくて、憤って……どうにもできず、ただ会いたいと願ったんですよね?」
「いやぁ、いやぁ……」
「この世界には斗真さんがいます。あなたが会いたいと願った人です。けど、あなたは今、斗真さんの敵となっている。いいんですか? それで?」
私なら嫌なはずです。
そういう明乃を相手のアケノは涙に曇った瞳で睨みつける。
高尚な説教が癇に障った。
何もかもに恵まれているからこその言葉にしか聞こえなかった。失うことを知らないから。絶望に直面したことがないから。
幸運に胡坐をかいた言葉。
相手のアケノにはそう感じた。そう思うしかなかった。
「何も知らない癖に!」
「知っています」
「知らない! あなたは守られた! 私は……守ってもらえなかった!」
相手のアケノの言葉に明乃は顔を歪める。
そうであろうと予想していたからだ。
斗真には幻想の剣がある。それを抜いたときの斗真はほぼ無敵に近い。そんな斗真がやられるときがあるとすれば、幻想の剣を抜けなかったときだ。
過去のトラウマに勝てず、それに頼らずに戦えば斗真でもやられるときはある。
そして抜かなかったということは、大切と思ってもらえなかった。そう解釈するのが自然なのかもしれない。
だが。
「たとえ私でも斗真さんへの侮辱は許しません! 幻想の剣を抜こうが抜くまいがあの人は守るために必死だったはずです!」
そうでなければ斗真が死ぬはずがない。
斗真ほどの戦士なら無理な相手との戦いは避ける。避けなかったということは避けれなかったということ。
トラウマには勝てなかったかもしれない。
それでも斗真は明乃を守ろうとした。その結果が死であるとわかっていても、斗真は最後まで必死に戦ったはずだ。
そうでありながら守られなかったと叫ぶのは甘えでしかない。
「あなたは自分が許せないだけです! 足手まといである事実を受け入れられないだけ! 自分の弱さが斗真さんの死を招いたと認められないだけではないんですか!?」
言いながら明乃の心はずっしりと重くなる。
相手のアケノへの言葉はすべてブーメランとなって自分に返ってくる。
いつも明乃は考えている。いつまでも自分は斗真の足手まといだと。
いつもいつも明乃は考えている。いつか斗真の隣に立てる自分になりたいと。
いつもいつもいつも明乃は考えている。そうなる前に斗真が自分のせいで死ぬのではないかと。
斗真と出会ってから遠い背中を追ってきた。
いつか追いつけるはずと信じてきた。
それと同時に恐怖していた。その行為が斗真にとっては重荷にしかならないのではと。
だが、それでもと明乃は前を向いてきた。
いつか胸を張って隣に立てる自分になれると信じて。
「いつまでも甘えていないで顔をあげなさい! 私はこの世界の斗真さんまで死なせる気はありません! さっさと立ち直りなさい! あなたも私なら斗真さんの足を引っ張るのが一番嫌なはずです!!」
思いっきり頬を張る。
相手のアケノの視界に斗真が映った。
ずっと会いたいと願った愛しき人。
だが、会いたいと願った人とは少しだけ違う人。
トラウマを乗り越え、自分を守り抜いた人。
どこか憎らしくて、羨ましかった。
召喚されてからその話を聞いて、アケノは絶望の淵に追いやられた。
斗真に会いたいと願ったのに、その斗真の傍には自分がいると知らされたからだ。
それは可能性の話。そういう未来もあったということ。アケノが少しだけ違う行動をしていれば、その可能性は現実だった。
しかし、アケノはそこにたどり着けなかった。だから何もかもどうでもよくなった。
瞳術に抗う気も起きなかった。
だが、斗真の姿が目に入るたびに気持ちが蘇る。駆け寄りたい。そこにいることを確かめたい。声を聞きたい。頭を撫でて笑いかけてほしい。
わずかな期間、共に過ごした幸せな日々が蘇ってくる。
「ああ……斗真さん……」
名前を呼ぶ。
いつぶりだろうか。
ずっと長く名前を呼んでいなかったように思える。
そんな斗真の後ろに影から召喚獣が現れた。
俊也が他所から影を使って転移させたものだ。それはいい。
問題なのはその後ろ。
召喚獣で完全に死角になる場所から影が斗真に狙いをつけていた。
ああ、まずい。
そう思ったときには斗真の下へ走っていた。
苦も無く召喚獣を倒した斗真に俊也が襲い掛かる。斗真は倒した召喚獣への警戒を解き、
俊也へ対応する。
その瞬間。
召喚獣の死体を貫いて影の矢が飛んできた。
不意を突かれた斗真は少しだけ対応が遅れた。
その僅かな隙を埋めるために。アケノは斗真と影の矢との間に飛び出したのだった。